サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
d.hatena.ne.jp/webmugi
用語の定義もなく,すごく観念的に。ネットはリアル空間にできたブラックホールみたいなものかな。304 Not Modified - ネットとリアルの関係やがてリアルと融合するであろうネット - 北の大地から送る物欲日記そういう意味では,あくまで「ネット⊂リアル」 これじゃあまりにも説明不足かな。ちょっと補足。ブラックホールを含んで宇宙は形成されている。ネットはリアル世界の中のちょっと特異なところ。知ってる人には好奇心をかりたてられるところだが,知らない人には「見えない」ところ。強い重力。下手をすると逃れられなくなる。周辺を通る光を曲げる。それを認識していないと事実を見誤る。
話が論理的にうまくまとまるか,まったく自信がありません。でも,小学校の教諭を十数年やったことのあるぼくには,人ごととは思えなくて。asahi.com:夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩 - 社会 今日は,ぼくは教師としてどうやって育っていたか,という話をしようと思います。 どの勤務校でも月に2〜3回ほど,2時間程度の校内研究会をしていました。年度ごとにテーマを決めて書籍を読み合ったり,講師のお話を聞いたりした後,研究授業を数本します。 お役所主催の研修もありました。新採用のときには義務的にいくつかを受けなければなりません。こうした研修も役に立たないことはないのですが,今困っている問題の具体的な解決策を見出せるようなものではありませんでした。在職中,ぼくは日教組(日本教職員組合)の組合員でした。 組合の教育研究活動の一環で,地域ごとに教育実践を発表し合うようなサークルがあり
Yahoo!ブログの転載機能の仕様が変更になるそうだ。オリジナルの記事からしか転載できないようになり、「転載記事の転載」はできなくなります。記事投稿の際にデフォルトで「転載許可」に設定されていた転載モードを、今後はデフォルトで「転載不可」といたします。http://blogs.yahoo.co.jp/FRONT/info.html大きな問題となっていた部分が改善された。転載可にチェックしたときや転載ボタンをクリックしたときアラートは出るのか,ヘルプページの説明はどう書き換えられるのか,といった細かい部分を見ないことには何とも言えないが,少なくとも著作者に転載を許可する意志がなければ,転載ボタンは表示されない。転載によって著作者の手元を離れた記事が再転載されることもなくなる。ただ,Yahoo!ブログの転載で今まで問題になってきたことは,転載機能の不備と合わせて,転載されたらまずいような記事を
【素材提供】シナトラ千代子 - 「ブロガーの生産性とブックマーカーを巡る経済」という課題【関連】Rimo(リィモ)機能変更、お知らせなど - はてなの日記 - ネットの人気動画を抽出、エンドレスに再生「Rimo(リィモ)」リリース
はてなブックマークでブックマークされた記事のタイトルがオリジナルから書き換えられて,ちょっとムッとした。という経験が皆さんにもあるんじゃないだろうか。ブログタイトルが消されていたり,それなりの意図を持ってつけたタイトルが別のものになっているのを発見すると,正直がっかりする。はてなブックマーク - ヘルプ - 注意事項 - エントリーのタイトル変更に関する注意事項Hebereke Dialy 1.0 - 正しいはてなブックマーク活用法Hebereke Dialy 1.0 - これはひどい「はてブ“タイトル”」ですねid:b4-ttさんみたいな人が気がついて直してくれてあると「ああ,よかった。ありがとう」って思う。でも,投稿してある程度時間が経ったものなんかは気がつく人もいないから,見つけてしまったときは自分で直すことになる。ぼくは,セルクマはよっぽどのことがない限りしない主義だから,直したあ
これをやろうと思ったきっかけは,転載機能が「よい記事をコピーして使う」とか「みんなに広める」という目的ではなく,「ランキングアップ」という目的で使われていることを,はっきりと認識したからです。それまでは,転載機能の問題を深く考えたことはありませんでした。ぼく自身は,人様の記事をわざわざ自分のところにもってくる必要性を感じていなかったので,使ったこともありませんでした。あるとき,よそのブログで,転載した記事(つまり人の書いた記事)からトラックバックが送られたものを見ました。トラックバック先の記事には,トラックバックを送った本人が「参考になる記事をトラックバックしました。ご覧ください」とコメントを書いていました。ものすごく違和感を持ちました。読者がトラックバックをたどったら,書いた本人とは別のブログに辿りつく。「人のふんどし」「手柄の横取り」 なんだか狡いやり方だなと思いました。 2005年夏
■[Web] 回顧:ブログダイエット LOVE2.0 - んー頭が… 酔っぱらいのらぶさんがこんな懐かしいこと書いて, はてなブックマーク - LOVE2.0 - んー頭が… 忘却防止。 - ブログダイエットという提案〜Yahooブログのエントリから hatayasan(さん)がブックマークで昔の記事を紹介してくれて, 一歩後退、二歩前進 - 「 自分で書く自分の宝 」〜回顧(1) トンコさんがほろりとくるようなこと書いてくれて…。ちょっと回顧しながら今考えていることを書いてみようかなと思いました。 あのときのYahoo!ブログはひどかった。ページが完全にロードされるまで何十秒,ときにはロードしきれないこともあった。これはYahoo!のサーバーのほうが混雑しすぎってことだと思いました。負荷を減らすことも考えなくちゃ。 Yahoo!には,サーバーへの負荷軽減について,今もときどき書く人がいる
■[Web] それはYahoo!ブログの脆弱性じゃないですか ひとつ例をあげてみましょう。 Yahoo!ブログでは「ファンのみに公開」する記事を投稿することができます。ブログを開設しようとする人に向けた最初のページには「安心して投稿」「知り合い同士だけで情報交換ができる」なんて書いてあります。 Yahoo!ブログ - 無料で2GBの大容量のブログ(Blog)をはじめよう! この「ファン」というのはそのブログをお気に入り登録した方たち。SNSなどと違って,ブログオーナーの承認は必要ありません。閲覧する側が登録した時点で,すぐに「ファン」となれるのです。 ファンのみに公開した記事が,もし「転載可」になっていたとしたら…。(投稿時の転載の設定は,デフォルトが「転載可」になっているので,知らずにいれば必然的に「転載可能」な記事として投稿されます) お気に入り登録して,その記事を転載して,その後すぐ
■[Web] Yahoo!ブログの強制削除について思うこと 経緯とか本人の心情はリンク先の記事にあるので,俺の感想だけ。 +LOVE2.0+ - Yahoo!ブログの強制削除 +LOVE2.0+ - Yahoo!ブログCSからの回答 らぶさんのYahoo!のブログが消されたらしい。残念だなあ。 らぶさんがYahoo!で書いたのは9ヶ月くらいだったか。その間に激変していくんだよね。ブロガーとしてのらぶさんの成長の軌跡がそこには記録されていた。1年以上前に更新は停止したというものの,読みに来てくれる人はいたみたいだからな。カスタマーサポートによると「わいせつな内容や不愉快なデータを公開すること」が削除の理由だそうだ。復元の見込みはないらしい。 俺のYahoo!のブログには,らぶさんのところに言及した記事や,らぶさんからTBをもらった記事がたくさんある。らぶさんのところにはけっさくなコメントもず
■[SBM] 被ブックマーク数(メモ的に) はてなブックマークみたいなSBMでたくさんブックマークされて,注目を集める記事もあるけれど,それは限られた世界の限られたジャンルのもの,という気がします。そもそもSBMを積極的に使おうという人たちがまだ特別なわけで…。 SBMの被ブックマーク数は,あくまでブックマークされた数であって,それが記事の良し悪し,値打ちを表しているわけではないでしょう。値打ちを決めるのは読んだその人で,読む人が違えば値打ちも違う。 ぼくとしては,100usersのメモ的ブックマークをとることよりも,たったひとつの心に大事な何かを残すことのほうが,意味があると思いますが…。 以前ぼくは,記事の下にはてなブックマークでの被ブックマーク数を表示していたのですが,しばらく前に外しました。示すことで何かの役に立つことはあるかもしれないけれど,「数*1」が読み手の判断に影響を与えて
「著作権は権利の束」と言われます。著作権法の記述からざっとあげてみても…。著作者人格権として: 公表権,氏名表示権,同一性保持権著作権に含まれる権利として: 複製権,上演権,演奏権,上映権,公衆送信権,口述権,展示権,頒布権,譲渡権,貸与権,翻訳権,翻案権等参考:著作権法 - 第三節 権利の内容(CRICのデータベースより)著作者*1がその才能によって苦労してつくり,金をかけて人々の目に触れるような形,あるいは使えるような形にして流通させた作品ですから,それを奪って(盗作とか複製とか)儲けを横取りされたらかなわない。つくった苦労が報われなければ,よいものをつくろうとするモチベーションは落ちる。文化の質も落る。これは社会にとっても不利益となる。 作品をつくった者の利益を横取りできないように,作品をつくった者の様々な権利を規定したのが「著作権の束」です。 創作的な作品をつくれば,なんの手続きを
ダウンロードしてご自由にお使いください。 返答が面倒なので「使わせてください」等の連絡は不要です。 webmugiのクレジットを表示する必要はありません。 再配布可。
■[Web] ネットでの誹謗中傷といじめは同質に語れない 痴漢やセクハラ,いじめと,ネット上の誹謗中傷を同質に語ることに少々の違和感を持った。 la_causette - ネット上の誹謗中傷といじめの関係 例えば、「痴漢に関しては、被害者が我慢すればいい」とか「セクハラは、被害者がスルー力を身に付ければ済むことだ」なんてことは、よくよくな人以外は口に出さないことでしょう。 ネット上にものを書くというのは,生きていくために必ずしも必要なことではない。やらなきゃやらないで済むことだ。通勤のために電車に乗るとか,生計を立てるために仕事をするとか,義務教育の学校に通うとか,避けることのできない場所で被害に遭うのとは事情が違う。ネットに書くことを選択したのは自分自身ではないのか。公開して,多くの人に読んでもらい,コメントやトラックバックで意見を求める。すべて自分で選択したことではないのか。 攻撃され
■[Web] 一口にYahoo!ブログと言っても 1年ほど前にこんな記事を書いたのだが,これはかなり大雑把で乱暴な書き方をしていると,改めて思う。 Mugi2.0.1 - はてなとYahoo! BLOGS 書けない者が行きつくところが「Yahoo!」で,融通の利かない理屈屋が行きつくところが「はてな」なのかもしれない。 傾向としてはあるかもしれないが,ぼくはYahoo!ブログのすべてを見たわけではないし,はてなダイアリーのすべてを見たわけでもない。ちょっちぷんさんが書いているように,これは「個」の違いとしてとらえるのがよいと思う。 ☆空飛ぶ もとちくれった☆ - ハリモグラにモンキーを持たせてみたい 事実について考察したことを検証したり、統計をとったりマーケティングすると行き着くのは「個」であるというところだと思うんだけどなぁ。心理学と同じく、統計で出たものは傾向であって、真理ではない。
しかし,言うべきことを言わない。伝えるべきことを伝えない。というのも狡い行為だと思います。批判すべきことを批判せずスルーすることも,また姑息な逃げなのかもしれません。言うべきことを言う。伝えるべきことを伝える。これを放棄してしまったら,言論とかコミュニケーションなど成立しない。ブログらしさ,ブログの魅力も失われる。ぼくのOYAJIさんへの批判には 批判の動機 に書いたような気持ちもありましたが,同時に「批判すべきことはちゃんと批判する」という気持ちもありました。ぼくの批判を正当化する拠り所があるとすれば,唯一そこくらいでしょう。理想の形は,相手を卑下・嘲笑する気持ちを排し,批判すべき点をしっかり切り分け,伝わるように批判する。
■[Writing] 批判の動機 強く反省したことがあります。それは「批判の動機」が何であったかということ。OYAJIさんへの批判記事を何度か書いた後に気づいたことです。 自分で書くということ の下の方で紹介した転載問題の記事の中には, OYAJIさんを晒して笑いものにしてやろう ネタにしておもしろおかしく書いてやろう それでPVやブックマークをとろう という気持ちが含まれているものがあります。書いているときは「正義は俺のほうにある」などと思い込み,そんな気持ちがあることに見向きもしなかった。「客観的に論理的に書けば論破できるはずだ」などとも思っていた。 姑息ですね。ぼくの批判は「人気取りやPV稼ぎのために危険をはらんだ転載を利用するのはけしからん」というものなのに,ぼく自身は人気取りやPV稼ぎのために人を笑いものにした記事を書く。もちろん,そういう気持ちがあからさまに表に出ないように書き
■[Writing] 自分で書くということ 自分で書く自分の宝 「文章書くのは苦手」 「何て書いたらいいのかわからない」 「いい記事が書けない」 と悩んでいる方,少なくないと思います。 そんなときどうしていますか。 それでも,無理矢理書こうとすると, 変なものしかできなかったり, よそのものをコピペでもって来たり, 画像でごまかしたり…。 結局その記事は「自分のもの」ではなくなってしまいます。 自分の考えや思いが入っていない記事…。 その記事,大切にできますか。 それならいっそ,書かないことにしたらどうですか。 記事をエントリーしなくても, よそのブログを見に行ってコメントを残すことはできます。 記事がストックされていれば,過去記事を読みに来てくれる人だっています。 書きたいことがあったら書く,でいいじゃないですか。 自分の考えや思いで記事が書けるというのは, 文章力ではなく,アンテナの精
■[Learning] テストには目的がある ぼくの中にまだ残っている「数学」に関連して。 テストの目的はいろいろだ。 今後の方針や方法を考える際のデータを集めるため 学習したことがどれくらい理解されたかを調べるため 資格を与えてもよいか決めるため 3. は資格試験とか入学試験とか採用試験のことだが,1. や 2. の目的がまったくないわけでもない。 学校で行われる期末試験のようなものは,2. の目的が大きなウエイトを占めているが,同時に,1. の目的も持っているし,再履修が必要か,進級させてもよいかということの,つまり 3. の判断材料にもなる。 教師のほうにとって見ると,テストには,「自分の授業の成果や効率を評価するデータを得る」という目的がある。「俺の授業のやり方はよかったのか」を判断するための材料になるということ。もし,よくない部分があったら,そこはあとで補充する必要もあるし,今後
■[Learning] ぼくの中にまだ残っている「数学」 今回の記事の発端は,以下の記事から。 タルタルソースも空を飛ぶ - 証明そのものに意味はない 痛いニュース(ノ∀`) - 答は合ってるのに×。先生どうして? 「数学で大切なのはプロセスだ。答なんてただの数字でしかない」 304 Not Modified - 数学はプロセスが9割 煩悩是道場 - 数学はプロセスが9割の学問か 中学校の数学の教員免許を取るために数学の基本的なところは学んだことがある。が,当時学んだことはほとんど忘れた。微積分の公式など簡単なものさえ思い出すことができない。そもそも使う機会がなかった。人間の脳は使わないものからどんどん忘れる仕組みになっているようだ。 数学を学んで今も頭に残っているものもある。たとえば,微積分なら「細かく区切って見れば,真の値に近づく」という発想。 一般教養の「数学」という講義の最初で,教
「ブックマークされやすい記事とそうでない記事」について考えてみました。 多様なブックマーカーたちに共通するニーズ。ブックマーカーたちが持っている興味・嗜好というのは多様です。それぞれの興味や嗜好に合うもの,あるいはそれに対立するものをブックマークしているに違いありません。多様ではあるけれど,大勢が共通して興味を抱くものもあります。たとえば,はてブのこと,ブログのこと,ウェブサイトのこと。興味を持つ人が多いからブックマークもされやすくなるし,アクセスも稼げるでしょう。記事の良し悪しは別として,より多くの人の興味をひくということはあります。 明確に判断できるものはブックマークされやすい。「うーむ。これってどうなんだろう」というものは即座にはブックマークしにくいものです。たとえば自分が「いいんじゃないかな」と判断してコメントをつけてブックマークしたとして,その後にネガティブなブックマークがいくつ
松本零士とか萩原朔太郎とか,ちょっと著作権関連がにぎわっているような。 「クリエイティブ・コモンズ」のキーワードを含む記事をRSSで拾っているんですが,そのなかから気になるブログを見つけました。LIGHTWEIGHT ACADEMISM今日までの記事は,管理人である inflorescenciaさんが白田秀彰氏にインタビューした内容が書かれていました。LIGHTWEIGHT ACADEMISM - 日本のネット上の著作権表示について白田 だから「書きたきゃ書け!」っていう模様みたいなものだよね。著作権表示についての白田氏のコメントが笑える。でも,白田 だから昔は(コピーライト表示を)付けなきゃいけないいけないって言われてたけど、今は、こう、「表示をつけてもいいのかどうか?」っていうことを考えた方が良いような気がするんだよね。という厳しい一言も。これは,ぼくもずっと気になっていたことです。記
フレームを使ってサイトを作っていたとき,framset を書くファイルがだいたい index.html で,これ以外のファイルにリンクを貼られると,メニューとかタイトルの部分が抜けた,いかにも間が悪く,使い勝手の悪いページが出てきたものだ。(リンク元もフレームを使っていて,a 要素の target 属性をちゃんと書いてない場合は,リンク元のサイトのタイトルとメニューの中に,自分のページが入ってしまうということも起きた)「こりゃあ,まずい」ということで,リンクはなるべく framset が書かれた index.html にしてくれとお願いしたわけだ。もうちょっと手をかければフレームを使わないサイトが作れたかもしれないが,フレームの便利さというのはあって,わりと普及していたからね。あちこちのサイトに,「リンクはトップページへお願いします」というのが書いてあったけど,一度 index.html
放置してあるYahoo!のブログを久しぶりに読み返してみた。「麦のブログ経営論」という書庫(Yahoo!ではカテゴリのことをそう呼んでいる)の中にある記事。気恥ずかしくなるような情熱と自信に満ちあふれた記事だった。あの頃のほうが文章うまかったなあ。1本1本の記事をすごく大事にしていた。俺はコンテンツをつくる側の人間で,いいものを世に出したいというキモチを強烈に持っていて,ものをつくることに誠実であろうとしていた。あの頃の俺は,ひとつのテーマに対して数本の記事を書き,シリーズとして読んでもらう方法をとっていた。ある程度計画を持った連載をやっていたわけだ。今みたいな思いつきの書き殴りじゃなかった。その後やり合うことになる某氏との(表面上)ほのぼのとしたコメントのやりとりもある。あの時点で「俺は君とは方針が違う」ということをそれとなく主張していたけれどね。正面切って批判することはしないが,自分の
まなめさんのところ(まなめはうす)に,毎日「一年前のニュース」というのが載ります。まなめさんが1年前に紹介した記事なんですが…。そこに最近,ぼくが Yahoo! で書いていたころの記事が載るんですね。懐かしいなあと思い,自分の過去記事を改めて読み直してみたりします。初めてまなめさんに紹介してもらったとき,それはもう嬉しかったですよ。喩えるなら,Yahoo! ってど田舎から出てきて,広い世界で認められたみたいな。今も嬉しいんですが,今はねらって書くような記事もありますから,ちょっと余裕が出てきたのかもしれません。麦でアップするとき「これはまなめさん好みかも」なんてことを思ったりします。はてなで書くようになってからは,yas-toroさん(明日は明日の風が吹く)にもよく紹介してもらっているんですね。「麦がこんなことを書けば yas-toroさんが来る」というのはだいぶ分かるようになってきました
■[Work] 種を仕込む人になりたい 伝える人になりたい - ひとりごと 「伝える人になりたい」とはYAS!さんらしい。 YAS!さんにとってウェブサイトがどんな位置づけにあるのかよく分かる。 ぼくは「種を仕込む人」になりたいと思っていた。 エロい意味でなくてね。 今すぐに結果が出なくてもいい。 要らないものなら捨ててもいい。 でも何かのとき,その種は芽を出して, その人の人生に潤いを与えたり,役に立ったり,また新しい種を作ったりする。 売るときにはただも同然。上手に育ててもらえれば,きっと何倍もの価値を生む。 以前,教師という仕事をしていたとき,そういう種を仕込みたいと思っていた。 いい種を選んだり作ったり,上手に蒔く方法を考えたりすることが,プロの仕事だと思っていた。 今もその発想は変わらない。 ウェブサイトがその人にとってのよい種であるようにと願う。 読んだ人に何かしらの種が分けら
■[雑] 気になる敬語 「ご○○させていただきます」 調査のうえ明日あらためてご連絡させていただきます。 便利なソフトウエアをご紹介させていただきます。 連絡するのは自分。紹介するのは自分。だから,自分をへりくだる謙譲の表現「させていただく」がついている。へりくだったはずの自分の行為(連絡,紹介)に「ご」をつけて丁寧にするのは不自然な感じがするのだが。 調査のうえ明日あらためて連絡させていただきます。 便利なソフトウエアを紹介させていただきます。 がよいのでは? もう少しすっきりと 調査のうえ明日あらためて連絡いたします。 くらいが俺は好みだが。 Permalink | コメント(6) | トラックバック(0)
■[neta] ekken流に鳥越俊太郎を語る 鳥越俊太郎のルックスは好きだ。 20年後,白髪やシワが様になるあんな雰囲気のオトコになりたいと密かに憧れている。 彼の仕事ぶりや,姿勢みたいなものはいろいろ言われたりもするけれど, 未知の分野で何かを始めようという心意気は評価したい。 事実オーマイニュ Permalink | コメント(0) | トラックバック(0)
意図したとおりには読まれないと承知したうえで,それでもできる限り確実に伝えなければならない。というのが本当のところでしょう。曖昧な表現,いかようにもとれる表現を排除して,的確な言葉を選び,的確な順序で綴る必要もある。 でもぼくは,それが苦手です。膨大な時間を費やさなければそういう文書は書けない。*1 ですからぼくは,差し障りのない話題について,感覚的に書くことが多くなります。誤読されても曲解されても文句は言えない。些細な部分をいちいち説明して誤解を解こうというのも面倒くさい。ならいっそのこと,誤読や曲解も楽しめばいい。という,これはきわめて無責任な言い分です。 麦
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『d.hatena.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く