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例えば「情報」や「場所」のように、あまりに一般的であたり前の概念は、幅広く、混乱しており、定義することが難しい。定義は往々にして同語反復に陥る。かといって、議論のために限定的な状況に概念を閉じ込めることは不可能であり不誠実である。そのような場合には、むしろ、その欠如、不在の状態を見定めることによって、逆にそのシルエットを明瞭に示すことができることがある。 カナダの地理学者エドワード・レルフが『場所の現象学』において提示する「没場所性(placelessness)」という概念は、まさに「場所」の姿をシルエットとして描きだそうとするものである。 レルフによれば、没場所性とは「どの場所も外見ばかりか雰囲気まで同じようになってしまい、場所のアイデンティティが、どれも同じようなあたりさわりのない経験しか与えなくなってしまうほどまでに弱められてしまうこと」である。没場所性は「個性的な場所の無造作な破壊
ミニマリズム・ラスヴェガス・光の彫刻──「建築的美術」と「美術的建築」の連続と断絶 | 暮沢剛巳 Minimalism/Las Vegas/Light Sculpture: The Continuation and the Rupture of "Architectural Art" and "Artistical Architecture" | Kuresawa Takemi 公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である。 ハンナ・アレント「公的領域と私的領域」 単なる建築の域にとどまらない超建築的、アート的な都市プロジェクトの可能性を多方面から探ること──私の早合点でなければ、今回の特集はおおよそこのような意図の下に企画さ
ポスト・ロマンティシズムの住宅へ向けて──住居の境界を巡るデザインの軌跡 | 山中新太郎 Toward the House of Post-Romanticism: The Traces of House Border Design | Yamanaka Shintaro 二〇世紀の前提 住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇世紀ほど住宅が脚光を浴びたことはなかった。共通の命題は、いかに住宅を供給するかということであった。「万人のための住宅」、「Houses like Fords(住宅をフォードのように)」というスローガンは、住宅を建設することが何を差し置いても有意味であることを示している。「住宅を生産せよ」、「市民の生活を向上させよ」という要請は、イデオロギーを超えて共通していた。一
Where the Streets Have No Name | 石川初 Where the Streets Have No Name | Ishikawa Hajime 失われた街路の名 よく言われることだが、街路の名前がそのまま住所になっている欧米の都市地図は、基本的に「ストリート・マップ」である。多くの市販の地図には、すべての街路・道路の名前が記載され、欄外にはしばしば街路の名前の一覧があり、地図は「街路の関係を参照するインデックス」として使えるようになっている。一方、日本の都市地図は、土地の区画が色分けされた、いわば「ゾーン・スポット・マップ」である。街路の名前がない代わりに、位置関係を把握するための目標となる大きな施設や公園、交差点の名が細かく書き込まれている。街を歩くとき、位置を特定するためには行政区画はほとんど役に立たない。だから精度を上げた親切な地図ほど、実際の街の形状を正
アウト・オブ・コントロール・スペース──変動するインフォ・ジオグラフィ | 四方幸子 Out of Ctrl _ Space: Modulating Info-geography | Shikata Yukiko 新しい技術的—経済的パラダイムは、経済的、機能的組織の不可逆的空間論理としてフローの空間をもたらす。そこで問題は、いかにして場所の意味を新しい機能的空間に接合するかということになる。場所にもとづく社会的意味の再建には、社会的、空間的オルタナティブ・プロジェクトの、文化的レベル、経済的レベルそして政治的レベルの三水準における同時的接合が必要となる。 マニュエル・カステル★一 現在わたしたちが「都市」や「建築」について語る場合、もはや実体的単位のコンストラクトのみを意味することはない。都市や建築は、それぞれが単発的な存在としてではなく、交通空間やテレコミュニケーション・テクノロジーな
グラウンディング──地図を描く身体 | 石川初+佐々木一晋+田中浩也+元永二朗 Grounding: Map: Making Body | Ishikawa Hajime, Sasaki Isshin, Hiroya Tanaka, Motonaga Jiro 都市を眺め直す「グラウンディング」の視点 石川初──去年の一一月に編集部からお話を頂いた当初、この特集の企画は「テクノロジーによる風景の変容」というような趣旨のものでした。それに対して僕や田中浩也さんのほうから、最近僕らが関心を持っていること、GPSやデジタル地図をツールとして使いながら都市の地面を再発見する、そういう試みを紹介してはどうだろうと提案差し上げました。提案の主旨にそって何人かの方に声をかけて集まってもらったのですが、そこで気がついたのは、自分が関心を持っているこうしたことが、実はぜんぜんうまく言葉にできていなかったし、
風景の構法──環境ノイズエレメントはどうすれば見つかるか | 宮本佳明 Scenery Construction System: How Can the Environmental Noise Element be Found? | Miyamoto Katsuhiro [その1]風景の意図に寄り添う──心構え編 何よりも、そのカタチをつくった人、つまりデザイナーの気持ちになってみることである。そうすれば自然とカタチが潜在的に持つ意図が見えてくる。このことは、なぜ建築家であるはずの僕が、環境ノイズエレメントなどと呼ぶものに興味を持つに至ったか、ということとも多少関係する。つまりこういうことだ。建築はすべて、構造ないしは構成を持っている。基礎があって、柱を立て、梁を渡して、下地材を流して、そこに仕上げ材を貼ってというふうに、建築は部位と部位の物理的な関係において成立している。これを広く構法と
建築と書物──読むこと、書くこと、つくること | 隈研吾+五十嵐太郎+永江朗 Architecture and Books: Reading, Writing and Creating | Kuma Kengo, Igarashi Taro, Nagae Akira 建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物と親和性の高い人々はいないのではないか。これはちょっと異様なことだと思います。もちろん文芸は別ですが。ただ、建築家が書いた本があまりにも多いので、われわれはその異様さに気づかないだけで、ちょっと考えると、画家や彫刻家でも、あるいは音楽家でも、本を書く人はそんなにはいないのではないか。おそらく、そんなには読んでもいないのではないか。あるいは工学の専門家である、という観点か
磯崎新インタヴュー 破壊と救済のメトロポリス | 磯崎新+五十嵐太郎 聞き手+南泰裕 聞き手 An Interview with Arata Isozaki: The Destructive and Restorative Metropolis | Isozaki Arata, Igarashi Taro, Minami Yasuhiro 「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出発点としては、磯崎さんが伊藤ていじさんたちと『建築文化』一九六三年一二月号で特集した「日本の都市空間」の問題設定を挙げたいと思います。あの特集企画は、六〇年代が都市の時代である、という予感をもって出てきたものでした。僕と南君は九〇年代初めに「構築する」と「論理化する」という意味をかけて、『エディフ
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90年代都市・建築キーワード/キーパーソン | 南泰裕+瀧本雅志+松田達 Urban/ Architecture Keywords and Key Persons of the 90s | Minami Yasuhiro, Takimoto Masashi, Matsuda Tatsu 連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わったのだ」、とわれわれは言うことができるだろうか。ミシェル・フーコーにならってエピステーメーの変容を、あるいはトーマス・クーンを想起してパラダイム・シフトの痕跡を、それ以前の都市と建築に比してそこに読み取ることは可能だろうか。その対象があまりに生々しく現在に隣接していて、細部への眼差しが行き届かないことを差し引いてみても、確かに、1990年代の都市と
東京スリバチ学会 | 皆川典久+松岡里衣子 Tokyo Suribatci Gakkai | Minagawa Norihisa, Matsuoka Rieko 東京スリバチ学会とは 東京スリバチ学会とは、東京都心部のスリバチを観察・記録する目的で、二〇〇四年の春にいきなり設立されたグループです。われわれが「スリバチ」と呼ぶのは、台地に低地が谷状に切れ込み、三方向が斜面に囲まれたような形状の地形になっている場所のことです。江戸/東京は、武蔵野台地と荒川低地にまたがる形で発達してきました。江戸時代、台地上は武家屋敷や寺社、低地は町家や農地、というように、特徴的な地形を利用した土地利用が行なわれてきたことはよく知られています。 この地形/土地利用は、現代の東京の土地利用にも反映されています。特に、台地と低地が入り組んでいる都心部では、いわゆる山の手と下町とが交錯して接し、都心に路地裏の長屋的空
ザ・コンゲンノート─都市の根源的要素についての準備ノート | 中谷礼仁 Notes on the 'Origin': Scratch Notes on the Root Element of Cities | Nakatani Norihito はじめに 生活の本拠を東京からずらして以来、仕事のために飛行機を使うことが多くなった。日本のさまざまな地を上空から訪れるのだ。目的地に近づき、雲つきぬけて眼前にその土地が現われる時、どんなに旅なれた人でもそこに広がるランドスケープにやはり眼を奪われてしまうのではなかろうか。筆者は東京に帰る時さえ、眼下に広がる都市のかたちを見てしまう。そのかたち、ひいてはその築き上げられたさまざまな都市要素と地勢との関係を見る時、私たちはそこに何十年、場合によっては何百年、何千年も続いてきた大いなるかたちと多数の人間との格闘の歴史を想像している。その現時点での結果と
九〇年代の建築/都市計画の文献をめぐって | 五十嵐太郎 An Introduction to Books on Architecture/Urbanism in the 90s | Igarashi Taro 都市記号論を超えて 一九六〇年代にK・リンチやR・バルトが都市記号論を準備し、七〇年代にコンテクスチャリズム論が語られ、八〇年代は学際的な都市テクスト論が興隆した★一。これらは近代の都市計画がもっぱら建設者の論理だったのに対し、受容者の解読を多様化する試みといえよう。しかし、結局、読むための方法は作るための手法になりえない。では、九〇年代においていかに作るのか。先に全体計画ありきで一直線に目標に向かって建設する「大きな物語」としてのマスタープランは失効した。そこで例えば、幕張のように、デザインコードと会議のシステムを立ちあげて、都市をつくる方法が挙げられる。風水のように、反近代/反
特集=特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える 編集協力=松村秀一
必読書をめぐって | 難波和彦 Essential Books for Architecture | Namba Kazuhiko 五年前、はじめて大学に研究室を持つことになったとき、研究室の方向性を明確に示すために「難波研必読書二〇」をリストアップすることにした。大学生にはちょっと無理かもしれないが、大学院生ならばこのくらいの本は読んでいて欲しいと考えたからである。 なぜ二〇冊なのか。特に理由はない。一〇冊に絞るのは難しいが、三〇冊では多すぎると考えたからに過ぎない。僕にとってはどれも思い出深く、時間をおいて少なくとも三回以上は読み返し、そのたびに新しい発見があったものばかりである。ここではそれらの本を紹介したい。 一、池辺陽『デザインの鍵』(丸善、一九七九)。 二、ジークフリート・ギーディオン『空間・時間・建築』(太田実訳、丸善、一九六九)。 三、レイナー・バンハム『第一機械時代の理論
建築と思想の離接について:四つの系をめぐる八つのキーワード | 南泰裕 Disjunction of Architecture and Idea: The Eight Keywords for Four Systems | Minami Yasuhiro
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