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2010年3月30日、カザフスタン アルマトイより この記事の日付欄がすべてを物語っている…。私はいま、仕事でアルマトイにいる。周囲に見えるのは雪を頂いた山々、気温は氷点の少し上で、日本サッカーは100マイル向こう…。 20数年前に初めて日本を訪れ、1997年から2009年にかけてこの地で仕事をしてきたが、残念ながら、私のJリーグの旅は終焉を迎えた。同じように、日本サッカーについて書いてきた連載コラムも。 Jリーグでは、発足から長年にわたって素晴らしい経験をさせてもらった。私は1993年の発足年に香港からたびたび日本を訪れるようになり、やがて1997年から東京でフルタイムの仕事をするようになったのだが、今回、アジア・スポーツに関する私のキャリアをさらに高めるために、中国に移る決心をし、この11月に広州で開催されるアジア大会の開催準備、ならびに大陸全体にわたっての広報活動の仕事を、アジア・オ
2010年2月22日:現在、日本のサッカーには盛り上がりが必要であり、中村俊輔がそれを提供してくれそうな雰囲気だ。ファン、メディア、それからひょっとすると選手たち自身も東アジアサッカー選手権での代表チームの低迷ぶりに意気消沈し、何か明るい材料、自尊心と自信を高めてくれるようなものを必要としている。 だから、スペインで期待に応えられなかったからという理由であっても、俊輔の帰国を歓迎するムードには変わりはなく、彼は帰ってきたヒーローなのである。 中村俊輔がセルティックを去る決意をした昨夏に彼の獲得に失敗したマリノスは、今度は同じ失敗を繰り返したくないだろうし、年俸や契約期間、契約金の交渉になれば中村サイドに席を蹴られないよう万全の体制を敷くだろう。契約はまだ成立していないが、両者が速やかな契約合意を望んでいるようなので、中村は余裕を持ってJリーグに帰り、試合に向けて体調を整えることができる。
2010年1月2日:ドラガン・ストイコビッチのことは大好きだし、尊敬もしているけれど、元日の「玉田事件」についての彼の見解には同意しかねる。 要約すると彼は、74分にガンバのペナルティエリア内で玉田圭司が倒れたとき、グランパスにペナルティキック(PK)が与えられてしかるべきだった、と考えていたのだ。その時点でのスコアは1-1であったが、PKが与えられていれば、「ガンバ4-1グランパス」というスコアとはまったく異なった結果となっていたかもしれない、とグランパスの監督は試合後の記者会見で述べた。 ピクシーには悪いが、ダイビングとみて玉田にイエローカードを出したレフェリーの扇谷健司の判断はまったく正解だと私は思った。右サイドでじっくりとした組み立てがあったあと、玉田がガンバのボックス内に突進した。そのときの彼の体勢は右足でシュートを打つのに最適であったが、彼はシュートの代わりに体を地面に投げ出し
2009年12月30日:火曜日の国立競技場、冬の日差しのなかで安田理大が輝いて見えたのは、その目も眩むような黄色のシューズだけが原因ではない。彼のパフォーマンスも晴れやかで、すがすがしく、ガンバ大阪が天皇杯準決勝でベガルタ仙台を2-1で下すのに貢献していたのだ。 12月20日に22歳になったばかりの安田は、ガンバとオリンピック日本代表の両方で向こう見ずな左バックとして名を馳せたが、この試合では出場停止処分中の加地亮の代役として務めた右サイドでとても居心地が良さそうであった。前列の中盤で堅実かつ機智に富んだプレーを見せていた橋本英郎とのコンビは、その午後を通じて右サイドをしっかりと支配し、仙台に危険なプレーが生まれるのを防いでいた。 前線に駆け上がったときの安田は、試合序盤にはゴールに繋がるクロスを供給していた。ルーカスの先制ゴールは、彼のクロスに対する相手キーパー林卓人のパンチングが小さい
2009年12月18日:不遇を託(かこ)っている中村俊輔に、強力なサポーターが現れた。岡田武史監督である。 ハイペースのスペイン・サッカーになかなか対応できずにいる中村だが、岡田監督は、エスパニョールでの最初のシーズンがどうであれ、来年6月のワールドカップでは中村が代表のキーマンであることに何ら変わりはないと明言した。 現時点では、この左利きのプレイメーカーはリーグで自身のポジションを確立できずにいる。リーガはテンポが速いだけでなく、テクニックも必要。そして選手、とりわけMFは90分間動けるだけのスタミナと、フィジカル面の強さが要求される。さらに、彼はリーグの強豪チームでプレーしているわけではない。これは、弱小リーグの強豪チームでプレーし、毎週のように彼の持てる限りのテクニックを披露できていたセルティックでの4シーズンとまったく違う。 中村がスコットランドからスペインへあっさりとステップア
2009年11月30日:先週土曜日のガンバ大阪戦で見せた鹿島アントラーズのパフォーマンスには、目を見張るべき点がたくさんあった。興梠のフィニッシュ、野沢の巧妙なゴール、この重要な試合をものにするのだという鹿島の選手たちの意欲と気迫。 ただし、試合終了間際の鹿島には私がどうしても好きになれない光景が見られたし、鹿島が勝利し、3年連続の優勝を達成するのであれば、今週土曜日の埼玉スタジアムで同じような光景は繰り返して欲しくないと思う。 その光景の主役となったのはマルキーニョスで、自らのテクニックを見せ付けるかのようにボールをふわっと浮かせ、ガンバの選手たちを嘲るような動きをしたのだ。このプレーは、すでに1-5の敗勢であったガンバの選手たちを大いに刺激した。 明神は頭から湯気が出るほど怒り、その怒りはマルキーニョスがパスを出した後のタックルとなって即座に表れた。また、前半にわざとらしいダイブで警告
2009年11月20日:いつまでこんな馬鹿げたことが続くのだろう? いつになれば、FIFA(国際サッカー連盟)はビデオ判定を導入するのだろう? その気になれば容易に改善できる、あからさまな不正の、次の犠牲者となるのは誰? ワールドカップの予選プレーオフ、ティエリ・アンリの“神の手アシスト”によるフランス勝利についてのアイルランドの怒りは世界中に広まり、結果として、サッカーへの信頼と品位を貶める結果を招きかねない。この現代社会においてFIFAがいまだにビデオ判定を採用しないとは信じがたい。まったくもって不可解であるし、結果、サッカー自体の評判を傷つけるだけだ。 1998年のワールドカップ決勝、フランス対ブラジルの前夜の記者会見でのこと。新たに会長に選出されたゼップ・ブラッター氏はビデオ判定を導入するかどうか尋ねられた。氏は断固としてそれを否定した。 「それはない」「レフェリーの権威を損なうよ
2009年11月13日:さすがゴンだ! 中山雅史にとって、現役を引退しジュビロ磐田にアドバイザーとして残るというのは容易な選択だった。今後の仕事の心配もなく、経済的にも何のリスクもない。しかし案の定、彼の答えはノー。42歳のゴンは現役続行を希望し、J2や、さらに下のチームへの移籍も辞さないとした。 サッカーに対する姿勢、プロ意識、そして人気と3拍子揃ったゴンは、2部の弱小クラブにしてみれば喉から手が出るほど欲しい存在のはずだ。メディアからも注目され、ひょっとすると地元のサポーターからのオファー、それに加えホームゲーム、いや、どこでプレーしたとしても観客数増が期待できる。そしてさらに、彼の存在がチームにとって、他の選手たち、とりわけ尊敬できる模範となることが必要とされる、才能ある若い選手を惹きつけることができる。 ゴンの現役続行という決断は、いかにも彼らしい。クラブと日本のために、これまで常
2009年11月4日:驚きが大きかったのはどちらのほうなのか、いまだに決めかねている。FC東京の復調ぶりか、川崎フロンターレが今シーズンのナビスコカップの決勝で勝てなかったことか。 シーズン当初の数ヶ月間、FC東京はありとあらゆるトラブルを抱え、国際試合による中断があった5月後半まではしょっちゅう負けていた。危機は一度だけというわけではないだろうが、とくに「ホーム」の国立競技場でジェフユナイテッドに敗れたときは、監督の城福浩が解任されるかもしれないと私は思った。選手はだるそうで、モチベーションに欠けており、ファンは普段とはまったく違って意気消沈していた。 しかし、「JFK」は見事にチームを建て直し、今回のナビスコカップ2度目の優勝によって、リーグ戦の結果はどうであれ今シーズンは成功である、という評価をすでに下すことができるようにまでしたのである。 もちろん、石川――レイソル戦でヒザを故障す
2009年10月30日:我々は間もなく、AFCチャンピオンズリーグの決勝を中立国で開催するアジアサッカー連盟(AFC)が消化不良に陥るのを目の当たりにすることだろう。 サウジアラビアのアルイテハドと韓国の浦項スティーラーズの試合? 東京で? 土曜日の夜に? こりゃあどうもチケットの販売は難しそうだ。なによりAFCの望んだ試合ではなかったのだから。 日本のチームが4チームも参戦したのである。AFCは当然、そのうちどこか1チームが決勝戦に進み、2007年のレッズ、そして昨年のガンバに続いて3連覇のチャンスを得ることを願っていた。だが準決勝に唯一残っていたグランパスがアルイテハドにジッダで2-6と惨敗、2戦合計3-8で敗れ去り彼らのプランは崩れ去った。 アルイテハドと浦項が残されたいま、11月7日の国立競技場に果たしてどれほどの観衆が訪れるのか、思いを巡らせている。私が思うに、1万人入れば良い方
2009年 10月23日:9月にカタールへ移籍したカボレについて、FC東京にとって良かった面を見てみよう。それは、赤嶺真吾がチーム内でポジションを奪回する機会を得たということだ。 今シーズン、城福浩監督は平山相太と長身のブラジル人ストライカーにコンビを組ませることにし、赤嶺は監督の構想から消えていった。 しかしいま、赤嶺に道が開かれている。先週土曜日のレイソル戦で彼が決めたゴールは美しかった。迅速で自然、いかにも赤嶺らしいフィニッシュは、カボレがいなくともゴールは再びいくらでも生まれると思わせるものだった。まるで物差しで測ったような羽生のパスに合わせた、赤嶺の低いドライブのかかったシュートは、レイソルのGK菅野がセーブを考える間もなくゴール隅に決まった。見事なゴール、大量4得点のきっかけとなったゴールだった。 カボレはその体格と機動力で存在感を示していたが、同時に何度もチャンスを逃してもい
2009年10月7日:この週末は、2人の日本代表選手の姿に目を奪われた――一人はその鮮やかなフリーキックのゆえに、もう一人は芝生を手で打ちつけてチームメートの貴重なゴールを祝福する姿によって。 最初は土曜日の埼玉スタジアム2002。古巣のジェフユナイテッドとの試合で決めた阿部勇樹(浦和)のフリーキックが脚光を浴びた。ゴールまで20メートルの距離。阿部の前には5人の壁が立ちはだかっており、壁の中央には青木、福元、巻が立っていた。 ディフェンスの壁には、しっかりと体を密着させていないために隙間があるものや、あるいは選手が目を閉じたり、ボールに首をすくめたりするものもあるが、今回のジェフの壁はしっかりと体を密着させ、ボールをブロックしようと高くジャンプしていた。 それでも阿部の蹴ったボールは壁の右上を通過し、岡本が守るゴールのニアサイドを破った。それまで岡本は一連のプレーで素晴らしいセーブを連発
2009年9月18日:クラブの終焉が近いのではないか――誰もがそう思ってしまうほど、東京ヴェルディの状況は悪化しているようだ。1969年のクラブ発足以来、日本サッカー界の発展期、転換期の中で彼らは大きな役割を果たしてきた。すべての伝統主義者のためにも、そうならないことを祈りたい。 ヴェルディは、私が見た初めての日本のチームだった。1991-92年アジアクラブ選手権で地元の人気チーム、南華と対戦するため香港にやってきたのだ。それまでにも私は香港で数々の試合を見ていたが、それらの試合はすべて、選手たちのミスをからかうのを楽しむような、ひねくれた観衆の前で行なわれる盛り上がりに欠けた試合ばかりだった。香港のサッカーファンは、どちらのチームも負ければ良いと考える、ある意味公平なファンなのだと私は思っていたものだった。 しかし香港にヴェルディ、当時の読売サッカークラブが来たとき、それまでの試合とはま
2009年9月5日:今年の川崎フロンターレは、間違いなく何らかのタイトルを獲るだろう。水曜夜に等々力で行なわれたナビスコカップ準決勝の第1戦、彼らは横浜F・マリノスを2-0で破り、決勝進出に向け好調のようだ。また、リーグ戦でも来週土曜日に鹿島に勝てば、アントラーズとの差が4ポイントとなり優勝争いが一段と白熱しそうである。そしてさらに、9月23日には東京・国立競技場で名古屋グランパスエイトを相手にAFCチャンピオンズリーグの準々決勝・第1戦を戦う。そして最後に、もしも誰も天皇杯を忘れていなければ、リーグシーズン終了から4週間後に決勝戦が行なわれる。すなわち、フロンターレは4つのタイトル争いをしているということになる。 水曜の等々力での試合は面白かった。とりわけ終盤の20分、マリノスが何とかアウェーゴールを挙げようと選手をどんどん前線につぎ込んでいったこと。途中出場の狩野健太は巧みなパスや正確
8月7日発:ウェズレイが日本から得たものは大きい。そしてもちろん、日本がウェズレイから得たものもまた大きい。それは単にウェズレイが挙げたゴールだけでなく、ゴールゲッターとしてのアプローチなどを含め、彼の日本への貢献は計り知れない。だからこそ私は、今週、大分トリニータから現役引退を発表した彼が、いつかコーチとしてまた日本に帰ってきてくれることを願いたいのだ。ただクラブレベルではなく代表レベルで、常勤でなくても構わない。決定力強化のスペシャリストとして、彼は日本サッカー界で非常に大きな役割を果たせると私は思う。 このような提案は、他の多くの国々からすれば少し変わっているかもしれない。なぜなら、ゴールを奪うという感覚は自然に備わっているものだからだ。しかし日本人選手は違う。日本人選手には、それを教えなければならないのである。それは技術的なことでなく考え方で、結果の如何にかかわらずゴールを狙える直
2009年7月31日:まずは鹿島の素晴らしいパフォーマンスを堪能し、そしてその後……。 それにしても、水曜夜の、等々力での試合は素晴らしかった。フロンターレが第1戦の0-1の敗戦を跳ね返し、3-0の勝利を収めてナビスコカップ準決勝進出を決めた。90分を通してすべてが鹿島のプラン通りに進んでいた。彼らはとても良いプレーをし、フロンターレを抑えるだけでなく、自らのチャンスも作りだしていた。後半は時計が止まるようなハプニングも少なく、4分のロスタイムはフロンターレに対してやや気前が良すぎるような気がしたが、それでもアントラーズは手を緩めることなく攻め続けた。アントラーズのコーチの一人がベンチ前で手を振り、選手たちに残り4分であることを知らせ、誰もが試合終了のホイッスルを待っていた。 だが、ホイッスルは吹かれず、そして誰もが予想していなかったことが起きた。ジュニーニョが、なんと同点ゴールを決めたの
2009年7月29日:土曜日、ジメジメした気候のなか、長く、曲がりくねった道のりを埼玉スタジアム2002まで歩かなければならなかったが、その苦労に報いるのに十分なプレーを、グランパスに入団したジョシュア・ケネディは見せてくれた。この大男は観る者を失望させず、レッズのディフェンス陣を混乱に陥れ、レッズ・ゴールでの山岸のひどいミスのおかげで自らもゴールを記録した。 雲をつくような長身のターゲット・マンたちは、その高さゆえに言われなき非難のターゲットになることが往々にしてある。「走れない。ボール・コントロールができない。パスの組み立てに加わることができない。ヘディングしかできない」といった具合に。しかし、そういった理由だけで長身選手をあっさり見限ってしまうサッカー通は愚かというほかはない。たとえば、イングランド代表でのピーター・クラウチの働きを見ればいい。 話を戻すと、ケネディ獲得はグランパスに
2009年7月25日:日本での静かな生活を捨て、バッグを片手に海外でチャレンジしようとする選手には、ベストを尽くして欲しいと願う他ない。所属するジュビロ磐田から移籍できるチームを探しに渡欧すると金曜日に発表した26歳のウィングマン、太田吉彰もそんな一人である。 ジュビロユース出身の太田は、このままJリーグに留まって、現時点で115試合出場21ゴールという記録を着実に伸ばしていけたはずだ。しかし彼は自身を試すことを決断し、ヨーロッパのシーズン開始に合わせて移籍できるチームを探すことにしたのだ。彼の幸運を祈り、うまくチームが見つかることを願っている。 セルティックでの中村俊輔の成功により日本人選手の評価が高まった、スコットランドから始めるのがいいと思う。あるいは、最初は苦労したものの徐々に名前が売れてきた本田圭佑のいるオランダも、良いかもしれない。 太田の右ウィングでのスピードあるプレーは使え
2009年7月22日:監督が去り、順位は下から2番目、直近の試合はホームで敗れ、ディフェンスの中心選手が退場処分となり出場停止中……。表面だけを見れば、柏レイソルのホームである日立台には怪しい雲が立ち込めている。しかし、少し落ち着いて、全体を展望すれば、レイソルにはこれから立ち直り、さらなる降格を逃れるための時間は十分に残されている。 ホームでガンバに0-2で敗れたため、18試合を消化した時点での勝点は15にとどまっているものの、残留安全圏との勝点差はわずか4だし、11位との差も7に過ぎない。まだ16試合を残しているため、順位を駆け上がるための勝点はいくらでも獲得することができ、現在の状況は昨シーズンのジェフ・ユナイテッドほど絶望的なわけでもない。 レイソルが触手を伸ばしたのは、かつてヴェルディとグランパスの指揮を執ったほか、一時は代表監督の座にも近づいた人物、ネルシーニョ・バプティスタ。
2009年7月18日:先日、シンガポールのボート・キーをぶらついていた時のこと。川沿いのとあるバーの外にある3台のテレビに映し出されたサッカーゲームの歓声とカラフルな映像に、私の目は釘づけになった。スタジアムの照明に照らされた鮮やかな緑のピッチを赤いユニフォームが攻め上がり、湧きおこる歓声。そして、バーの外で試合を見ている通りすがりの人々の拍手、どよめき。最初は、シンガポールのファンのためにマンチェスター・ユナイテッドの試合をリプレイで放映しているのだと思った。しかし近付いて見てみると、喜ばしくも驚いたことに、それは、さいたまスタジアムで行なわれていた浦和レッズ対サンフレッチェ広島のライブ映像だった。 フットボールチャンネルの放送だったのだが、私は最後の20分――高原がボールをスルーしてエジミウソンが1-1の同点弾、高原へのストヤノフのファウルで得たPKはエジミウソンが外した。そして、ポン
2009年7月15日:そういうわけで、ブラジル人ストライカーがまたもJリーグから湾岸諸国に流出しようとしている。今回はダヴィが名古屋を去り、カタールのウムサラルに移るそうだ。ところで、このような現象は、アジアのトップ・プロリーグとしてのJリーグの魅力あるいは評判の失墜を意味しているのだろうか? 個人的には、私はそんなことはまったくないと思っているし、エメルソンやバレー、ダヴィといったような選手たちが日本の良さとこの地での生活を捨て、湾岸諸国より提示された金銭をとりたいと言うのであれば、行かせてやればいいと思う。代わりになるブラジル人選手に困ることなどないのだから。 それから日本のクラブに絶対して欲しくないと思っているのは、ガルフ諸国からの税金非課税のオファーを断る代償として追加の金銭支払いを求めるエージェントにがんじがらめにされてしまうことである。そういうことはあってはならないし、このよう
2009年7月11日:日本サッカー協会(JFA)が、天皇杯の改革を検討しているそうだ。ここ数年にわたり改善の必要性が取りざたされていたので、それはとても良いことだと思う。 最新のプランは、Jリーグの全36チームがセカンドラウンドからトーナメントに参戦するというもので、これまでよりJ2チームは1ラウンド、J1チームは2ラウンド早く登場することになる。これについては7月17日に、9月に始まる第89回天皇杯に2ヶ月先駆け最終決定がなされる。 協会は、参戦を早めることによって、思わぬ番狂わせが起こるなど早いラウンドから注目が集まるよう願っている。しかし逆に、Jリーグのチームが早々に敗退し、元旦の天皇杯決勝の4週間も前の12月5日に、リーグ戦終了とともに休みに入ってしまうチームが増えるという冷淡な見方もある。 そしてさらに、大きな問題がまだひとつ残されている。それは、天皇杯が選手やファンがサッカーを
2009年7月7日:大分トリニータに同情するのは簡単だ。順位表の一番下に張り付いたままだし、たくさんの故障者も抱えている。問題は彼ら自身が自分たちを憐れみすぎているということで、変える必要があるのは監督ではなく、気持ちなのである。 2週間前、等々力球技場で私は前記のような印象を抱いた。川崎フロンターレとの試合は、予想通り大分の負けだった。 選手たちがキックオフ前のウォームアップをしているとき、アウェーチームのベンチはまるでスポーツショップのようで、さまざまなトリニータのシャツが番号順に、すべてきれいにハンガーにかけられた状態で陳列されていた。最初、私はこれらのシャツは先発メンバーのシャツだと思った。キックオフの際に着るシャツを干しているのだと。しかし、実際のところ、それらのシャツはそこにいない選手、つまり故障欠場中の選手たちのもので、そのようなシャツがベンチの端から端までかけられていたので
2009年6月23日:熱烈な横浜F・マリノス・サポーターではない人にとっても、中村俊輔のエスパニョール移籍はちょっと残念な気分だろう。 ずっと以前から、セルティックとの契約が6月30日に切れたあと、彼がマリノスに移籍するのはもう本決まりだと思われていた。しかし、エスパニョールが興味を持っていると報じられるようになると、競合の色合いが強まり、選手が最終的に夢であったスペインへの移住を決断したのである。彼にとって、最後のチャンスでもあった。6月24日の水曜日に31歳――つまり、こうした移籍の機会も徐々に少なくなる段階――になるのだから。 そして、俊輔はスペインに旅立つ。日本のファンからの祝福と、おなじみの緑と白のボーダー柄のユニフォームを着て、4シーズンにわたる成功をもたらしたセルティックからの感謝を受けて。 このような機会を得られるのは、俊輔にとってこの上ないことである。とくに、エスパニョー
2009年6月5日:現在の日本代表の大黒柱って、一体誰なんだろう? その問いに、多くの人々は、セットプレーの達人であり、多くのビッグゲームを経験してきた中村俊輔だと答えるだろう。あるいはひょっとすると、週末に赤色を身に纏う人々は、天性のリーダーシップとファイティングスピリットの持ち主、そして全般的な技術力の高さから闘莉王を選ぶかもしれない。 それじゃあ、私は誰を選ぶのかって? ここ最近の試合を見ていると、これはもうダントツで中澤佑二だろう。的確なポジショニング、そして闘莉王と違いケガにも強い。頼り甲斐があり、精神的支柱でもある。要するに、主将として大きく成長した中澤は、彼のよく知る岡田武史監督の右腕としてうってつけということだ。 実際、土曜日のタシケントで中澤が決勝ゴールを決め、2試合を残して日本代表が南アフリカ行きのチケットを手にしたとしても私はまったく驚かない。俊輔のコーナーキックから
2009年5月26日:土曜日の午後、味の素スタジアムでの“多摩川クラシコ”は、その名に恥じない内容だった。このイベントは、東京スカパラダイスオーケストラによる「You'll never walk alone」のノリの良い演奏で始まり、川崎フロンターレが勝点3を獲得、さらにはFC東京の城福監督が怒り狂ったりと盛り沢山。 “JFK”こと城福監督は審判団に対してカンカンに怒っており、勝敗に関わる二つの重大なジャッジのせいでチームが2-3で敗北したと感じていた。 重要なジャッジの一つ目は、ブルーノ・クアドロスが鄭大世(チョン・テセ)のシャツを引っ張ったときのもので、反則があったのはペナルティエリアの内側ではなく外側だったのだから、レフェリーはPKではなくフリーキックを与えるべきだった、というのが城福監督の主張だ。二つ目は、フロンターレが2-2の同点に追いつくきっかけとなったフリーキックが不当である
2009年5月15日:これからの5試合の日本代表メンバー、約26名の選出に向け準備を進めている岡田武史監督だが、すでに何名かの選手の名前が候補として挙がっている。岡田監督にとって、6月前半に行なわれるワールドカップ予選、重要な3試合に先駆け5月27日、31日に開催されるキリンカップの2試合は、さまざまなことを試す良い機会なのだ。今回の代表チームにはヨーロッパ組も含まれる。とはいえ、監督がキリンカップでそのうち何人使うのかはまだ分からない。 中村俊輔を例にとってみよう。金曜日、JFA(日本サッカー協会)によると、スコットランドのシーズン終了目前の中村は体調が万全でないうえ、グラスゴー・レンジャーズとの緊迫した優勝争いの真っ只中のセルティックはまだ重要な試合を2試合残しているという。セルティックのシーズン最終戦は5月24日、ホームでのハート・オブ・ミドロシアン戦となる。岡田監督はキリンカップで
2009年5月12日:FIFA会長のゼップ・プラッター氏がことあるごとに言っているように、サッカーは情熱と感動のスポーツである。問題は、情熱も感動も度が過ぎると、イエローカードをもらってしまうという点だ。播戸竜二を見れば、それがよくわかる。 土曜日の万博記念競技場、播戸が交代で入り、10分後に今季初ゴールを決めたとき、スタジアムは喜びに包まれた。ゴール下隅への冷静なフィニッシュは、右側を走り込んできた播戸にぴたりと合わせた遠藤の質の高いパスから生まれたもので、これでレイソルは息の根が止まり、0-4の敗戦を受け入れるしかなかった。 播戸は自分のプレーが大好きなようだ。ゴールを決めたあと広告板を飛び越え、シャツを脱ぎ、それを頭上でくるくる回しながらトラックを疾走する姿を見ていて、それがよくわかった。チョ・ジェジンとレアンドロの加入によりスタメン獲得が困難になったが、その存在感をアピールしたいと
2009年4月7日:相手チームの選手にブーイングを浴びせるファンというのも、あながち悪いものではない。通常、こうした状況が意味するのは、ブーイングの対象となっている選手が良い選手であるとファンに認められている(ともすると恐れられている)ということであり、その選手が自分の応援するチームにいれば…とファンが思っているのは間違いない。 他方、相手チームのファンに無視され、選手紹介でもなんの反応も示されない選手は、関心を引くような特別な何かを持っていないということでもある。つまり、ブーイングを浴びるかどうかは、その選手への評価を知るための興味深い尺度なのである。 たとえば、鄭大世(チョン・テセ)。 川崎フロンターレに所属する、がっちりした体格のこの北朝鮮国籍のフォワードは、Jリーグでも屈指の個性派であり、アジア・サッカー界でもトップクラスの選手に成長しつつあるため、相手チームのファンからのブーイン
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