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衆院選
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久々の更新および新年のご挨拶も抜きの失礼を顧みず、2009.11.04『柿編む女』、2010.02,03『醸す女』、2010.11.10『漬ける女』に続く、「〇〇する女」シリーズ第四弾として、今日は我が家の七輪を語ってみたい。 未使用時は古新聞にくるまれ鎮座するその姿に、引越業者に「これ、何ですか?」と奇異な眼差しを向けられたことも数知れず。好奇心旺盛な友人どもには「嫁入り道具」の一言で済ませてきたが、育ての母に譲ってもらって以来、日本列島を北から南まで共にしてきたそれは、私の人生において「嫁入り道具」以上の価値をもつ。 四年前(だったか?)の引越貨物+まだあどけなさの残る倉庫番。 問題のブツは矢印の先。 おや、後の都知事のお姿が…^^; 一体いつの古新聞ダ? 「七輪を持ってる」ましてや「フツーに使ってる」と言うと同年代の友人には驚かれるが、使い慣れている身にはなんのことはない、ガスコンロ
今年も娑羅*1の花弁がほころび始めた。朝に開き、夕には落ちてしまう儚さ、その楚々たる風情。モズの夫婦の鋭い囀りに、向かいのリンゴ畑で甲高く拍子を打つキジの声、長い尾を上下に振りつつ告げるカッコウの天然時報。この家で迎える二度目の夏の朝。 我が家を狩場にしてるモズのご夫婦(多分)。 ご夫君の後光が眩しすぎて申し訳ない。 正確に7時半を告げてくれる我が家のカッコウ時報。 尾羽をフリフリ上下に振りながら歌ってくれる。 おぉッ、ミヤマシロチョウ(@天然記念物)か?!と期待したのですが、たぶんウスバシロチョウ^^; 前者ならいつもお世話になってるトリの師匠=てふの師匠にも自慢できるかも。 去年の今ごろは、まだ眠りの世界を彷徨うヒカルを置いてそっとベッドを抜け出し、リビングの窓を全開に、冷涼な山間の朝の空気を吸いこみつつ搾乳をしていた。ただし乳搾りは、牝牛ではなく他ならぬ自分のそれ…orz。 あれから
堰を切った言葉の奔流に一番驚いたのは、それを発した本人だったかもしれない。聞き手はネットで出逢った友人たちだ。彼女がどれほど癪に障るか、どれほど不快か、どれほど腹立たしいか、彼女との確執、彼女との諍い、彼女との攻防、彼女との応酬。 しかし、一体いかなる経緯の果てに、自分はこのようなプライベートな話題を開陳しているのだろう。理解できない、理解できないながらにぶちまけている。吐きだしている。見境なく投げつけている。自分がいま、他人を使って鬱屈を晴らしている。そう自覚した瞬間(とき)、クラクションが鳴り響いた。―――彼女が、呼んでいる。 「だからもう……限界なんです」 口とは裏腹に、体が勝手に反応し外套を羽織る。羽織った瞬間、何かが臭った。それが彼女の体臭と気づき、もう一つため息が深くなる。ともあれ、この敷地内は駐停車厳禁だ。これ以上、待たせるわけにはいかない。 再度のクラクション。 小雪舞う窓
昼寝する子ども (新川和江) 眠っている子どもは 眠りの国を 今 どのあたりまで行っているのだろう よちよちと 家の中を 伝い歩きしかしたことのない まだ土踏まずもできていない やわらかな小さな足で 手もつながずに ひとりで 寝顔がときおり 花の蕾のようにほころぶ 母親のわたしにも見せたことのない このような佳(よ)い微笑(ほほえみ)を この子の頬に浮べさせるひとが 其処にはいるのだろうか あ、またわらった カーテンを優しく揺すってくれている そよ風の生まれ故郷よりも遠く 古い額縁の中の 見知らぬ異国の港町よりも遠く 添い寝したところで追いつくすべない はるかな距離を 嬉々として ひとり歩きしている幼な子 今からちょうど一年前、一通の書留が届いた。差出人はひと月ほど前に鬼籍に入った父方の親族である。 生前より父とは折り合いが悪く―――否、折り合いが悪いどころの話じゃない、幼いころに生き別
いやいや貴女の場合、日々"trick AND treat"状態ですから^^; イースターに沸く初春のウィーンを訪ねた折、彼の国が想像に違わぬ音楽の都であったことに甚(いた)く心動かされた。街頭や地下鉄の構内、至る所で老いも若きも人々は楽器演奏やコーラスを愉しみ、そこで紡ぎ出された思い思いのメロディーは石畳に響く靴音と呼応し、旅人の目と耳を存分に愉しませてくれた。愛器を持参しての旅だったため飛入り参加も体験、思いがけず楽しい道中となった。それまでも異国を訪ねたことはあったが、旅の前後でそのイメージを変えなかった国は珍しい。テレビモニターにウィーンの街並を見る度、私の胸は今も、あの街を包むヨハン・シュトラウスの旋律に甘やかに満たされる。 翻り日本をイメージする「音」に何があるかと考える。和太鼓や鉦、和琴等の雅楽器の調べだろうか。それとも、鶯や秋虫の鳴き声、或いは小川のせせらぎか。日本暮しの長い
今週のお題大人になったと感じたとき それは明け方東の低い空に木星、金星、火星、水星の四惑星を同時に望む週末*1のことだった。 とつぜんひとりの少女が訪ねてきたのだ。 あのぉスミマセン。ここはミライでしょうか。 これ以上ないくらい短髪に刈り込んだ彼女は、いまにも折れそうなうなじを小さく左に傾けてみせた。鋭角的なまでに張り出した額(ひたい)*2がなんとも印象的である。 ―――えぇと…貴女が過去から来たというなら、たしかにここは未来になりますですね。 あまりに唐突の質問に、こちらもトンチンカンな応答しかできない。第一、少女の言う「ミライ」が「未来」のことと気づくのだって、相当の時間を要している。 アタシ、コーヒー牛乳がのみたいのです。 ―――コ、コーヒー牛乳……ですか。 ハイ、コーヒー牛乳がのみたいです。 時間旅行してきたと思しき少女は、そう高らかに宣言してみせた。 未来にきて最初にやりたいこと
今週のお題東北地方太平洋沖地震 大地は震え揺らぎ、海は湧きたち、船は互いに打ち合い、家々は崩れ落ち、数々の寺塔はその上に重なり倒れた。王宮の一部は海に呑まれ、裂けた大地は焔を吐くかに見えた。それは、廃墟のいたるところに煙と火焔が現れたからである。 一瞬前に平和に楽しく生きていた六万の人々がいっせいに滅亡していった。この災禍を知覚する感覚も意識も失ってしまった人こそ、最も幸福な人ということができる。火焔は狂いつづけ、同時にこれまで隠れていた乃至はこの変事により解放された罪人の一群が暴れ回った。生き残った不幸な人々は、掠奪、殺戮、あらゆる暴行虐待にさらされた。 そしてこの突発した災厄の広汎にわたる影響について、あらゆる方面からいよいよ多くの詳密な報告が到着するにつけ、他人の不幸によって揺り動かされた人心は、自分自身や自分の家族の者に対する憂慮のためにいっそう悩まされた。まことに、恐怖の悪霊がか
悲しい夢を見て目が覚めた。自分の不注意で、家族を失う夢だった。無防備に、私にすべてを委ねる穏やかないのち。幾度その名を呼んでも、もう取り返しがつかない。 飛び起きざまに、胸元のすこやかな寝息を確かめる。夢でないことを確かめるべく、海の向こうのこの子の父へもメールする。まだ動悸が収まらない。イイ年こいた大人が自分の妄想に誰かをつき合わせるなんて、反則だとわかっている。けれど、そうせずにいられなかった。 この手の幻想ほど恐ろしいものはない。おとなになってみると、わかる。夢でよかった、と大袈裟でなく胸をなで下ろす。ありえないことじゃない。だからこそ、この安堵の瞬間(とき)が永遠に訪れなければ、否、その妄想だけでも自分は狂ってしまうだろう。 枕元の時計が04時30分を指している。不意に腹が鳴った。彼女の安眠を妨げぬよう、そっとベッドを離れ、冷気がうずくまるキッチンへ足を踏み入れる。 ―――白々と戸
物語はいつも、呆気ないほど微小なかすり傷から始まるものだ。けれど、それが本当にただの<擦り傷>か、あるいは癒えかけた<古傷>の疼きか、それとも真皮に達する新たな<深手>であるか知るのには、少しの時間が必要である。少なくとも私の場合は、そうだった。幼いときから、今になるまでずっと変わらずに。今宵、ここにしたためるエピソードにおいても、それは同じ。深夜の緊急連絡を受けたとき、私は不謹慎にも「あら、終に…」と小さな笑い声すらあげたのだから。 そのとき私は、熊猫(ぱんだ)柄のダンボールが堆積する深山の奥で草臥れ果て*1、折しも発掘した一冊の句集を読み耽っていた。タイトルは『癌め』(江國 滋、角川書店 (1999/04) )。 作家であり評論家であり俳人でもあった江國は、検診で食堂癌の告知を受け、癌センターへ入院。十時間余りの大手術、水一滴飲めぬ苦しさを越え、最期を迎えるまでの半年(187日)間に、
今週のお題:ごはんの友 お台所(ダイドコ)で大切にされている食材の一つに、「漬物」がある。野菜なら、胡瓜、茄子、白菜、牛蒡、茗荷、蕪、瓜、生姜、人参、大根、蕗、山葵。それら旬の食材を塩や酢、糠味噌、醤油、酒粕などの漬込材料と共に熟成させ、風味を増幅させる。保管場所はできるだけ涼しい場所、そして暗い場所。ヒトが暮らすには快適だが、酵母には苛酷な環境の高断熱・高気密住宅が増え、減塩調理の大切さが叫ばれて久しい昨今、やや敬遠されがちの観は否めないものの、冬場、新鮮な生野菜の入手が限られた寒い地域では、雪が来るまでに収穫した旬の野菜を保存し、飽きない工夫をしながら、ごはんの友に、お茶受けに、箸休めにと食べ回す「漬物文化」は、未だ根強く残っているように思う。 発酵食品である漬物とかびは背中合せの存在だが、うっかりかびを生やしてしまっても、かびとの付合い方を知っていれば挽回は可能だ。酢漬け、醤油漬け、
今週のお題:最近のマイブーム 当地で<きのこブーム>と時を同じくして訪れるのが、<りんごブーム>。早朝のきのこ採取を終え、冷えた体を暖めに給湯室へ戻り、食べたら食べた分だけ補給されるりんごの山から一つかみ。齧りつく前に軽くゴシゴシ、俄かに艶やかな光を放ち始める深紅の果皮とシャンパン色の果肉、そのコントラストに暫し見惚れる。 りんごを前にすると、過去から滲みだしてくる情景がある。時は、冷たい雨がそぼ降る季節。私は病人の枕辺に座り、独り本に目を落とす。どれほど時間が経過したろうか、彼の規則正しい呼吸音と雨音が充たす空間で、誰かが置いて行った見舞いの果物籠にふと目に留まった。何もかもを陰鬱の湖(うみ)に沈めてしまう蛍光ランプのもと、籠から覗くりんごだけが宝石のように瑞々しい。やにわに手に取り、慈しむように磨く。磨けば磨くだけ艶やかさを増してゆく丸い深紅の果実、それをただひたすら力を込めて磨き上げ
庭先でこぼれんばかりに咲き誇るキンモクセイの芳香が、秋の深まりを告げている。そういえば最近、澄み渡る秋の空を見ていない。理由は単純、頭上を木立に覆われたアカマツ林の中、筆者が足元ばかり見て歩いているせいである。 「花より団子」とはよく言ったもの、今年も山の手の我が家にキノコの季節がやってきた。盛夏を過ぎ、朝晩の最低気温が10度を下回り始めれば、山仲間たち(含・筆者)は一斉にそわそわ、「出るだろうか」「出たらしいぞ」の噂が飛び交い始める。何が「出た」かって?―――勿論、キノコの王様・マツタケである。 今年の夏は、気象庁もお墨付きの「異常気象」だった。七月の降水量こそ多かったものの、八月は連日の真夏日を記録。そして、肝心のキノコの生育に影響を及ぼす降水量は平年の三分の一程度しかなかった。近年稀に見るマツタケの凶作年となった昨年と比して、決して楽観できる状況ではない。 ところが待ちかねたシーズン
白狼の仔が一匹、岩場で蝶を追っていた。鼻先でひらりふわり身をかわす小さな姿に翻弄され、彼女は焦れていた。 銀色の老いた母狼が、少し離れた場所からその様子を眺めやる。しかしその瞳は何も映さない。我が子の危険な遊びを案じるでもなく、彼女の意識は物憂げに己の世界をたゆたい、此の世に存在しない何かを追うばかりであった。 不意に、母狼が弾かれるように身を起こした。その怯えた視線の先、鼻筋に白の線の通った黒毛の牡狼が、蝶に夢中の白狼を見下ろし立っている。駆け寄り、娘の首筋に牙を当て引き立てんとしたその瞬間、突如足元が崩れ、母狼は崖際で宙づりに。崩れる岩盤、落石の咆哮、虚しく空(くう)を掻く後脚、今は辛うじていのちを繋ぐ前足も、やがては力尽き、谷間へと落ちるだろう。 娘狼は凍りついたように立ち竦む。彼女は、母のいのちの危機を招いたのが自分のせいと知っている。 ―――いつの間に、黒狼の姿は消えていた。あと
例年お盆を過ぎれば秋の気配が立つはずが、さすがの当地も今年の夏は鯨油のように重い粘り腰。なんでもこの猛暑、三十年に一度の異常気象を記録したのだとか*1。それでも先日、台風9号が日本列島を駆け抜けて、まず湿度がぐっと下がり、続いて毎朝の気温も20度を割り込むように。熱帯夜に飼い慣らされた体には、もはや過ごしやすいを通り越して肌寒い。金色の稲穂は重く頭(こうべ)を垂れ、こおろぎやすずむしの声の中、急に高さを増した蒼穹に泳ぐはいわし雲、外はすっかり初秋の風情。転じて室内に目をやれば、尾のある相棒がベッドに寄り添うようにうずくまる。「終わり」の気配が陽炎(かげろう)のように大気中を浮遊し、耳元に囁きかけてくる。また一つ、季節が過ぎようとしている。 ふんだんな野菜と果物の産地の実りの秋は、来たるべき厳しい季節に向けて保存食の素材の宝庫でもある。巨峰にイチジク、「祝」に続くは「つがる」(林檎)、「バー
今週のお題:ついつい行きたくなる場所 文月も半ばを過ぎると、ついつい街道沿いの仮設会場へ足が向く。たわわに実を成す畑を抜けて目的地が近づくにつれ、瑞々しく芳しい香りが鼻腔をくすぐり始める。今年も地元の生産者有志が協力して、採れたての桃を直接販売しているのだ。今の時期に並ぶのは「白桃」「黄金桃」「なつっこ」など数種類、それら幾種類かの桃が旬に合せて少しずつ顔ぶれを変え陳列される。営業時間を午前に限定し、収穫に忙しい農家に代って住民や近くの福祉施設利用者が販売を手伝うことで、数年前から実現したと聞く。 しっかりした大玉で、舌が痺れるほど濃厚な甘さが特徴の「川中島白桃」は、お盆を過ぎた丁度今ごろから店頭に並び始める。果たして本日(八月十五日)、無事今年の初物と相見(まみ)えることができた。中玉以下の傷もの*1や、桃のお尻が左右対称でないものなら、1玉五十〜百円程度で入手できる。もちろん甘さや風味
「そういえば昔、タマネギが食べられなくて、よく半べそかいてたよね。―――彼、今も苦手ですか? えーっと……ギュ…ギュルレーク【瑞:gullök*1】?」 今から月日を遡ること七か月、時は雪景色のお正月。「古き自由な北の国【瑞:Du gamla, du fria】」より一時帰国した弟カップルと酒盛りの席で、食べものの好き嫌いの話題になった。後半、筆者のアヤしげな片言は同席の瑞典国籍のカノジョに向けてのものではあるが、当然これだけで意味が通じるはずもなく、彼女は小首をかしげ、姉が作ったタマネギとキノコのマリネから熱心にタマネギを選別中の男に、視線を投げただけだった。 今でこそ隋所の食い意地テロ・エントリにて白旗を掲げまくっている筆者ではあるが、幼い頃はひたすら食が細く、思春期になってからは過食と拒食の間を揺れ動き、食さずにいられない己の体を持て余し過ごしていた。当時の日記*2を紐解くと、そんな
年頃の女の子が、激しく抗議している。高校生くらいだろうか。蒼ざめた細面(ほそおもて)の顔、広い額、見開かれた眼窩、乾いて尖った瞳、体のラインに沿って下ろされた華奢な腕先には強く握られた拳、細い指先の爪はその掌を痛々しく抉っていることだろう。そして彼女の全身から迸る激しい怒りは、まぎれもなく私自身にその矛先を向けていた。 「学校、行かせてよ! なんで行っちゃいけないのか、説明してよ!!」 それは、悲鳴と言ってよかった。一体誰なんだろ、この子。なんでワタシ、こんなに怒られてるんだろ。首をかしげつつ、彼女の言う「学校」がここを遠く離れた東京への大学進学のことだと、何故か私は知っていて、唇が条件反射のように勝手に言葉をつむぐ。 「ウチはおカネがないの、お父さんに聞いてみなさい」 ホームドラマのような陳腐な台詞。これが本当に私の台詞なのか。けれどその自分の言葉で、ようやく気が付いた。 ―――そうか、
本日の主役。柘榴石を想わせる暗紅色が美しい。 以前、筆者が勤務していた職場は、世界各国の食べ物が定期的に届く天国だった。春は米国西海岸発のアメリカンチェリーに、ハンガリー産のアカシアハチミツ*1、夏場はマレーシア発の果物の王様・巨大ドリアン、シンガポール発の洋蘭の花束*2、クリスマスはベルギーの某高級チョコレート、ドバイ発ナツメヤシやイチジクのドライフルーツ、それらが社員に行き渡るべく巨大なカートンで幾つも届く*3。どうやら今年も彼の地からの贈り物は無事届いたようで、かつての悪友がお裾分けを兼ねて当家を訪ねてくれたのは、月日を遡ること二カ月前、まだ世間がGWの頃だった。 その頃、筆者はとある事情*4につき、非常に果実に飢えていた。ただでさえ喉を通るものが限られているくせに、嗜好が何故か変遷する。当初はおにぎりなら食べられた。続いてひたすらレタスサンドの波が来て、お次は来る日も来る日も紅生姜
今週のお題:○○料理が好き! かつて母が母であった頃、彼女が子供たちのために結んだおむすびは、冷えてなお、ほっこり温(ぬく)かった。行方知れずとなった父母に代って、老いた育ての母が持たせたおむすびは、ほんのり越後の海の味がした。生れて初めて自分で丸めたおむすびは、呆れるほど歪(いびつ)で握りも甘い代物だったけれど、泥団子つくりの名人を小さな料理人へ変えた瞬間となった。本田美奈子と同じ病で此の世を去った恋人が、いつか元気になったとき最初に食べたいと望んだのも、「おむすび」だった。定番のシャケやタラコを中に詰め、外側をしっかり海苔で包(くる)む、漆黒のおむすび*1だった。 食べ終った駅弁の外側を再利用したおむすび弁当。 改札を抜けると、手作りおむすびの店舗が目に入った。大きな切出し窓の向こうで白衣の男性店員が2名、かたち良く飯を結んでゆく。職人的な繊細な指さばきが、店内の視線を集めていた。 ひ
※珍しく更新頻度が高いと思えば、今日はちょっとしたご案内を^^; Astro Arts『2010年4月9日 水星が東方最大離角』より 水星は太陽系で最も内側の軌道を回る惑星であり、地球から見ると太陽から大きく離れることがない。このため最も明るいときでマイナス2等程度となるにもかかわらず、なかなか見る機会に恵まれない*1。「地動説」を提唱した天文学者コペルニクスですら、生涯その姿を見ることが出来なかったと云われている*2。 しかし、この水星が太陽から最も離れる東方最大離角(27.8度)を取る2010年4月9日の前後一週間は、お天気にさえ恵まれれば、日没後の西の地平線近くで比較的容易にその姿を確認することができる。特に今の時期は、すぐ左に位置する宵の明星・金星を目印にできるため、観測の好条件が揃う。 日没から約一時間が勝負だ。ちなみに、水星と金星の二つの惑星を同時に観測できるのは、数年に一度。
今週のお題:この春、買ったもの、欲しいもの 物欲に見限られて久しい。自分から意識的に距離を置いたというより、欲望の方から拒絶されたような鈍い疎外感がある。投げ込まれたバーゲン広告がどこか空々しく、同僚のバーゲン武勇談に返す相槌は見事なくらいに上滑る。近づく春の気配に沸く*1街を徘徊しても自分のための一軒が見つからず、無駄にくたびれ帰宅する。だから、ますます足が遠のく。獲物あってこそのハンティング、やはりワタシには山がお似合いのようだ。 自分の腕からも金が生みだせることに気づいた十代、二十代は、欲しいものだらけだった。ヴィトンのバッグ、プラダのお財布、シャネルの香水、ティファニーの指輪。あの頃は、それらを手にすることが、自分を少し格上のオトナの女にしてくれると信じて疑わなかった。そんな熱病に浮かされた時代が過ぎれば、そういう一点あるいは全点豪華主義的贅沢さが逆に貧しい気がしてしまって、目に見
今週のお題:睡眠時間 私の夜から<微睡み>の文字が消えて、もう何十年になる。騒音や無粋な灯りの侵入を許しているわけではない。どれほど疲労困憊していても、冷えて昏(くら)い夜具の中、ぽっつり覚醒が訪れる。理由は、夜毎呑まれる悪夢のせい*1。ナイトテーブルの時計の短針が一つ、長くて三つ分、文字盤を移動したのを確認すれば、夜はお終い。いつの間に寄生を許した超夜行性の生命体が、宿主の休息を頑なに拒むのだ。 医学の力を頼み<寄生体>の懐柔に努めた時期もあった。しかし、<インソムニア>の呼び名を持つこの生命体、今では私のアイデンティティの一つと化しており、一卵性双生児のような共棲関係を築いていたりする。それだけに、今の季節特有の甘美な春眠の誘(いざな)いは、闇夜の浜に打ち上げられた異国のボトルメッセージに似て、儚く遠い。 夜が怖いのかもしれない。夜は隠すものがあるから深いのだ。―――そんなオカルトじみ
執務中に銃声が響く職場というのは、勤め先として割と珍しい部類に入るのではなかろうか。そんな県内の鳥獣狩猟期間も先月中旬を目処に幕を閉じ、ようやく職場に平穏が戻った今日この頃(ただし昨今の著しい農業被害抑制のため、今年もニホンジカとイノシシのワナ猟に限って、狩猟期間は三月半ばまで延長された。)。食材調達に裏山に出没する私の日課を知り尽くす同僚から「頼むから撃たれないでね」と拝み倒された数か月だったが、こればかりはハンターに気をつけてもらうしかない。あ、猟のある日を事前に連絡頂いたり、誤射防止のための派手な着衣を購入、ハンターが車を乗り付ける定位置のチェック程度の対策はしておりましたので、ご安心を^^; 春は迷うように 臆するように 近づいて。 左は連日採れる旬の食材。鮮度が落ちるほどエグミが強くなるため、毎日食べ切れる分だけを少量調達している。 日当たりのいい山肌にぽこりぽこり顔を覗かせるフ
2月17日付はてなブックマークニュース『シロップ煮やジャムはいかが?春の「いちご」をもっと楽しもう』の記事にて、拙エントリ『春になれば苺を摘みに』をご紹介いただいた。実は先のエントリでは、一記事あたりのボリュームを抑えるため、苺ジャムレシピについての公開を先延ばしにしていた*1ため、ご紹介記事のタイトルに添えるよう、これでも精一杯、絶不調の愛機*2に鞭打って、本エントリを入力していたりする^^; 先日、開店してまだ間もないコンフィチュール専門店があると聞き及び、さっそく情報提供者と共に足を運んだ。目的はただ一つ、新しいレシピに向けてのアイディア入手。色とりどりの可愛らしい瓶詰めを前に、連れ共々ひとしきり嬌声をあげ、興奮冷めやらぬひと時を過ごした後、ふと「そもそも、コンフィチュールとは何ぞ」の疑問がムラムラ沸き起って来た。さっそく品定め中の連れに疑問をぶつけたところ、「それ、ジャムのオサレな
「コイデ」は、ネコである。名に格別の意味はない。「コイデ 03-xxxx-xxxx」と達筆で記された首輪をかけていたので、それがそのまま通称となった。「コイデ」が他所でどう呼ばれていたかは知らない。「コイデ」は色々な家庭に上がり込んでは家人の歓待を欲しいままにする、地域でも有名なアイドルネコだったから、幾つもの源氏名を使い分けていても不思議はないのだ。 もともと「コイデ」は他所(よそ)の家のネコである。正確にいえば、<コイデさん家(ち)のネコ>である。とはいえ、コイデ家においても、固有の名があったわけではない。小さな庭つきの一軒家で晩年を過ごすおんな主(あるじ)であるコイデさんは、たくさんのネコに囲まれて暮らしており、一匹一匹のこまやかなケアにまで手が回らなかった。コイデ家のネコたちは避妊手術を施された後、共通の出自を首元に明記され、あるものは「外ネコ」の道に戻るべく旅に出て、あるものは一
今週のお題:好きな調味料 ひとり暮らしを始めて以来、味噌仕込みは長く我が家の年中行事だった。昔から味噌作りは「寒仕込み」と言って、雑菌が繁殖しにくい1〜2月、つまり今がちょうど仕込みの時期に当たる*1。待ちに待った仕込みの日には、朝から豆の炊ける香りが家じゅうに立込める。足許に目を落とせば、この日に備えて、よく洗い乾かしておいた年代物の仕込桶や重石が、持ち主ともども期待に満ち満ちて、塩や麹を丹念にまぶされたタネが叩きこまれるのを待ち構えている。手仕込みの味噌は「美味しくて黴ないお味噌」と友人の間でも評判で、たっぷりのお出汁に溶いて頂く味噌汁は「手前味噌」のことばを返上する程に、とびきりの出来栄えであった。 そういえば、生まれて初めて手に入れたキッチンは、ひどく狭かった。ガスコンロは小さな口がひとつあるきりで火力も弱く、電子レンジはもちろん、電気釜さえない。流しは鍋ひとつ洗うにも苦労するほど
※本稿は2010年1月16日付エントリ『冬物語 雪語り: vol.1 しづかな蒼い雪あかり』、および2010年1月20日付エントリ『冬物語 雪語り: vol.2 ハクチョウといふ巨花を水に置く。』の続編です。エントリごとに独立した話題を取扱っていますが、順番に読み進んで頂いた方が解りやすい部分もあるかと思います。ご了承ください。 「もう故郷の冬を離れて、何十年経つかしら。三十年? いいえ、四十年経つかもしれないわね。」 恩師は懐かしそうに目を細め、唇を結んだ。 すっかり冷めてしまった紅茶のカップに口をつけ、ワタシはやっと口を開く。 「先生は、どうしてそんなに昔のことを覚えていらっしゃるんですか。 ワタシはすぐに忘れちゃう。 昨日あったことも、一週間前の出来事も、下手したら一時間前の出来事だってアヤしいかも」 不意に、先生の口元が少し綻んだ。穏やかな視線がゆっくりなぞるように、ワタシの額から
今週のお題:雪の日の思い出 「先生は、どちらのご出身ですか?」 昨日までの晴天は何処へやら、今日の東京は一転、雪やみぞれ混じりの生憎の空模様となった。朝のニュースは、予報士たちが口々に「三寒四温」だの「南岸低気圧」だのの解説に忙しい。戸外の冷気から柔らかく遮断されたカフェの一角で、雪の思い出を語り始めた恩師に、思わず尋ねた。 「新潟ですよ」 ワタシと母娘ほども年の差のある先生は、雪片の舞う窓外に向けていた視線を戻し微笑む。 「実際に住んでた期間は、そう長くはないんです。でもね、"ふるさと"と言われて思い出すのは、やはりあの雪国と冬の日本海かしら」 関東平野より外の世界で暮らしたことのないワタシにとって、雪国の情景はスクリーンやディスプレイの向うに眺める、遠い世界の出来事に過ぎない。代わりに、辛うじて自分の生活と接点がある海、――「海」という呼称が適切かどうかは甚だ疑問だが――冬の東京湾を、
きのこと果物の美味い秋が過ぎ、季節は山眠る師走。本来この季節は、ジャム師にとって骨休めの時期である*1。次の本格始動の目安は、値を下げた苺、寒さが緩んでボケ始めた林檎が出回る晩冬〜早春。大量のジャム作りに備え、季節を問わず土鍋が登場する我が家でも、そろそろ土鍋が土鍋本来の調理器具に復職できる季節となったわけだ。 そんなある日の昼休み、<カモ(またの名を本ブログの影の功労者・果樹園農家の後継氏*2。)>が<ネギ>を背負ってやって来た――もとい、いらっしゃった。 「冬ぶどうがあるんだっけぇ*3。―――要る?」 「要る!」 いつものごとく、二つ返事で商談は成立。相手も心得たもので、すかさず<ネギ>を差し出て寄こす。いちいち喜びと驚きを隠さない(隠せない)私の反応が、最近彼の娯楽と化しているんだそうだが、そんなモンはジロジロ観察せんでヨロシイ(汗) いそいそ包みを覗き込んでみると、暗紫色に輝く立派
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