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アメリカ大統領選
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これほど多くの方がzabadakを愛してくれていたことに 改めて驚いています。 今ごろ吉良はにこにこ笑っていると思います。 イレモノとしての身体はなくなりましたが、 吉良知彦の中身は、多くの、本当にこれほどよくも作ったなあというほど多くの楽曲の中にずっと生き続けていくでしょう。 どうかこれからも彼の作った曲を 私と一緒に歌い、育ててください。 zabadakは今後もいろいろな形に姿を変えながら 終わらない旅を続けていきます。
菊池:空間線量率の測定って、それなりにちゃんとやろうと思うと結構大変だよね 小峰:毎回同じシンチレーションカウンターを使って測りました。それで、実際に測ってみるとわかるのですが、同じ場所で続けて測っても数値にばらつきがでるんです 菊池:カウンターにはいってくるγ線の数はその時によって違うから 小峰:それで、30秒間測るのを5回繰り返して、その平均値をだしました 菊池:見取り図に載せたのはその平均値だね 小峰:実は30ヵ所も測っていて、それだけ測ると2時間ちょっとかかりました
昨日は板橋のプラネタリウムでの木村林太郎さん、菅野朝子さん、吉良知彦のライヴにゲストで3曲だけおじゃましました。 プラネライヴは五島、葛西、郡山、そしてパリ、と何度かやったことがあり、それぞれに思い出があります。 理論物理学者の田崎晴明さん夫妻が見に来てくださって、終演後軽く(軽く)お酒を飲みにいきました。 田崎さんは「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」(朝日出版社)という本(最初はウェブ公開でした)を書かれた方で、一般のひとにわかりやすく放射線の知識を伝えるという、困難な仕事をされた代表的な方だと思います。とても尊敬しています。 科学者、というとワレワレ一般人にはなにをしているのかよくわからないけど、各々、専門の分野を研究していらっしゃるわけです。音楽家、といっても邦楽から歌謡曲から現代音楽から、いろいろあるのとおんなじですよね。 原発の事故と、放射線被害を考えるに
以前のブログ http://koko.asablo.jp/blog/2012/01/09/6284755 に書きましたが、90年代の反原発運動に失望した私は 東京電力福島第一原発事故のあと、 一度は反原発デモに参加したものの やはり以前と同じような 「わたしも反原発だけど表現がなんかちがう感」を感じ、 自分にできることはなんだろうとずっと考えていました。 震災前から友達で、このブログでも何度か著書や音楽について書いている物理学者&ミュージシャンの菊池誠さんの放射線の勉強会に出たことは、私にとってはおおきな意味のあることでした。 菊池さんから紹介していただいて、ガイガー・カウンター・ミーティングという放射線関係のイベントに参加して、それから講演会やちょっとマニアックな勉強会にも出かけました。 科学者の知人、友人も増えて、最初はその「独特の言い回し」や 「無情なツッコミ」にあたふたとしましたが
原発事故以降、個人でガイガーカウンターを持つようになる方が増えたけれど、測定の仕方が自己流だったりして正しい値を得られない事が多いのに業を煮やした(?)科学者の方々が、正しい測定法を学ぶ機会は作れないものかとtwitter上で呟いたことがきっかけで、
2013年6月にリリースされた「夏秋冬春」は私の「冬」のヴォーカル以外は、全て吉良くんが一人で録音したものでしたが、ライヴで演奏して以来、「このメンバーで録音したものを新しく作りたい」と吉良くん自身が強く希望していました。それはライヴメンバーも知っていたし、「早くリリースしなければ」と思っていました。 4年ほど前でしょうか、難波さんとお会いして、大まかなレコーディングの段取りについて打ち合わせをしました。 が、まだ手につけられそうにありませんでした。 私は、実はzabadakの楽譜を探すことも(吉良くんの書き込み、私の書き込みなど見るのが辛く)音源を聴くのも、まだまだ精神力がついていきませんでした。 今でもまだ、ライヴの音源とか必要最小限のものしか聴くことができませんし、聴くときには「心を強く!」と気合を入れています。 それからまたしばらくして、もうさすがにいつまでもほったらかしにできない
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