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アメリカ大統領選
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■「DV阻止=単独親権」を推し進めるフェミニズム ここ最近、2件立て続けに「共同親権」に関する訴訟が起こされている。2件ともが、共同親権は「基本的人権」のひとつだという趣旨を訴状で述べているのも共通する(共同親権関連資料 訴状(共同親権集団訴訟)、子の連れ去り違憲訴訟)。 2通の分厚い訴状をざっと読む限りでも、ここに述べられる「親権=基本的人権=共同親権」は論理的であり、納得できる。 ただしこの問題は、そう単純ではなく、主としてDV支援の立場から共同親権は否定されている。 その経緯は当欄でも以前触れた(DVというブレーキ~共同親権を阻むもの)。ただし僕の議論は、DVも大いに含むジェンダーギャップ低位置国と、少数の単独親権採用国(日本含)が重なることから、むしろ単独親権がDVを生むのでは、と問題提起をしている。 この問題提起とは別に、以前より、「DV加害者=男性・夫」(実際は少数ではあるもの
■希望をもってひきこもろう 新型コロナウィルスに関して、注意しなければいけないのが、その報道のシャワーを浴び続けていると、それを見ているこちらが鬱っぽくなってくることだ。 これは、かなり煽り気味の地上波テレビニュースはもちろん、新聞や雑誌にも当てはまる。 また、こうしたメディア報道を批評的に監視するSNS投稿(TwitterやFacebook)も同じで、日本のメディアの偏向さ(海外比較をしない、他のウィルスとの比較をしない等)をいかに冷静に分析する投稿であろうとも、それらを連続してみているとこちらが鬱になってくる。 特に注意しなければいけないのが、SNS上のヒロイックな投稿で、いかにも客観的に現状を分析し政府対応を批評的に嘆いていたとしても、その嘆きそのものが「鬱光線」みたいなものを発し始め、読み終わったあとはこちらの気分が重くなる。 これは別のテーマでも言及した「透明な立ち位置」の問題で
■39名 前回、日本における「子ども」とは、産業革命以前の「小さな大人」でもなく近代的「権利の主体」でもなく、それはあたかも鑑賞物のような、目の前にある置物のような、主体的意思は持っているのだろうがそれ以前にこちらに従属する付属品(英語ではアタッチメント)のような、「オブジェ」のような存在ではないか、と書いてみた(子どもはオブジェ~小さな大人でもなく、権利の主体でもなく)。 そのような客観的モノである存在であれば、子どもの意思に無断で「誘拐」することにはそれほど罪悪感は抱かないはずだ。 そう、我が国では、夫婦が離婚する際、一方の親(母が多い)が他方の親(父が多い)に無断で、子どもを連れ去ることが日常的に起こっている。日本で毎年離婚する20万組のうち、その行為は10万組とも15万組ともあると言われる。 欧米諸国からは日本のこの「連れ去り」行為は「誘拐」とみなされ、ヨーロッパ(フランスほか)を
■「また子どもが後回しか」 僕はもう25年も子ども・若者への支援をしている。不登校から始まり、ひきこもりに拡大し、やがて発達障害の問題が現れ、現在は虐待サバイバーや高校生出産の問題にまで関わっている。 今僕は56才なのだが、ちなみに20代は編集者だった。今風に言うとミニ出版社を友人と「起業」し、なんとか食べていけるようにはなっていた。 そのミニ出版社は「社会派」だったので不登校問題もさかんに取材・執筆したが、そんな取材活動のなかで出会った子どもたちにインパクトを受け(某フリースクールやボランティア活動のなかで出会った不登校の子どもたちの、影のある佇まい、哲学風に言うと「サバルタン」そのものの沈黙)、「数年程度、支援の体験をしてみよう」と甘い気持ちで入った業界だった。 僕の20代の頃に「子どもの権利条約」を日本は批准し、その流れのなかで僕は「子どもの権利」について学んでいった。世の中では、「
■共同親権一色 今日3月12日の午後、「共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会」が起こした訴訟にまつわるさまざまなアクションがあった。 それらは、東京家裁への申し入れに始まり、東京地裁前での街宣、さらに東京地裁803号法廷における第1回口頭弁論、締めは衆議院第2議員会館第1会議室での「院内集会『待ったなし 共同親権』」まで、共同親権一色の動きが東京中心部で繰り広げられているはずだ(院内集会0312『待ったなし! 共同親権2020』)。 共同親権に関する当欄の立場ははっきりしていて、それは親子関係という「土台」のレベルを考えると、共同親権以外は考えられないということである(たとえばこの記事参照「子の連れ去り」という道徳~共同親権を阻むもの)。 共同親権を阻む考え方として、DV支援を根拠にする単独親権の考え方があるが、上引用でも述べているように、親権という「土台」のレベルと、DV支援という土
■「どうしてこんな服を着ているの?」 NPOに所属しながらグラドルを兼務する女性が、よくわからないが「第2弾DVD」をリリースしたらしい(保育士とグラドル二刀流 江藤菜摘「園児に脱がされる」!?)。 その女性の名前はその記事に明記されている。また、その女性が所属する保育園が1年前に大々的に宣伝された大手NPOかどうかは確認できない(そのNPOの名は検索を辿ると容易に発見できる)。 1年前にそのグラドル保育士が属したとされるNPOをTwitterの人々が大々的に批判しても、反論はいっさいない。そのことにより、1年前にこの際どいグラドル保育士(その写真は見る人によっては吐き気を誘引する)がその大手NPOに今も属しているかは確認できない。 だから、そのNPOの名はここでは記さない(当欄では、社会で沸き起こる一事例を「一般問題」にしたいためできるだけ具体名は避けている)。 ただ言えるのは、このグラ
■哲学的地平の問題 いつも通りfacebookを見ていると、こんなニュースがタイムラインに流れていた。 面会交流権の法整備を 別居の子と面会求め国提訴 児童虐待の問題がないにもかかわらず、離婚後、我が子との面会が難しい別居親が集団で訴訟を起こしたニュースだ。 ここには「親権」の問題が大きく関与し、単独親権をとる日本では、親権のない別居親は子どもとの面会がなかなか叶わなくなってしまう。児童虐待が日本以上に大きな問題である欧米では、基本的に共同親権だそうで、その個別の応用の仕方はその都度検討されるそうだ。 そもそも、「両親に会う権利」を子どもはもつ。または、別居するが我が子と会う権利を別居親はもつ。 こうした近代的「権利」問題として、この問題を論じることは可能で、児童虐待やDVの被害可能性からの離脱=完全な(住所を知らせない)別居というもう一つの近代的権利とともに、重視される必要がある。 ただ
■日仏会館の討論会 2月17日、公益財団法人日仏会館において、「関係の破綻した夫婦と子の法的関係を考える ―共同親権問題を中心に」という討論会があり、離婚後の親権について、4人の専門家(共同親権派2名・単独親権派2名)が集まり議論した(関係の破綻した夫婦と子の法的関係を考える ―共同親権問題を中心に(人文社会系セミナー討論会))。 大阪在住の僕は仕事のためにそのセミナーには参加できなかったが、Twitterやプログでの報告を読んで、だいたいの内容は把握できた(特に、弁護士の古賀礼子氏がブログで引用する「アカリパパ」アカウント氏の報告が詳しい婚姻中単独親権制を考える)。 実際に現場で聞いていないため討論会の内容への細かい言及は避けるが、共同親権反対のお2方も、1人はそれほど強硬に反対というわけではなく、もう1方は強硬反対ではあるものの「共同養育」や「面会交流」は容認するという素人にはよくわか
■離婚に伴う「別居親」の悲劇 DVや児童虐待が注目されるため、離婚に伴う「別居親」の悲劇はそこに回収され見えにくくなる。我が国の年間の離婚件数は3組に1組で20万組強、そのなかでどれだけの「悲劇」が隠されているかはわからないが、DVや児童虐待よりは確実に多いはずだ。 こういきなり一般化してもなかなか想像できないが、DV・虐待等の特殊事例以外の、多くの離婚カップルに見られる「連れ去り別居」に伴う悲劇は、メディアではほぼ報じられていない。 それは、DV・虐待のハードな事例の影響もあるのだが、「離婚過程ではたいていは女性が弱者」という固定観念や、それとほぼ同じだが「離婚に至る原因はほぼ夫側が悪い」といったこれも固定観念が背景にあると思う。 現実は、妻側が泥沼離婚を避けるため一歩引いたのだが、日本の単独親権制度のリジッドな壁に阻まれ、日々涙するというパターンもある。また、妻側の祖父母と結託して元夫
■ 丁寧さと粗さ 今朝、知り合いの弁護士のツイートで知ったのだが、東京・港区では、「共同親権」に制度的に移行するより前に、単独親権に伴う現実の問題をこんな試みで乗り越えようとするそうだ(東京都港区、離婚トラブルのADR費用を助成 20年度)。 これは第三者を行政の補助で介入させ、できるだけ「子どもの利益」を尊重するという試みだが、僕は、その弁護士の方に教えていただかなければこの試みを知るのはだいぶ先になったかもしれない。 あるいは、あるイベントがきっかけで知り合いになったNPOが、シングルマザーに向けて住宅支援をする試みが国連から表彰されたこと(母子家庭支援で国際賞を受賞しました)も、そのイベントを行なわなければずっと知らずにいたかもしれない。 そうした丁寧ではあるが比較的地味な事業がある一方で、大手NPOらは連日派手な活動を繰り広げ、最近の目立つところでは、多胎児家庭の支援や養育費の行政
■変な国 日本はやはり変な国で、その変な国をリードする霞が関も変な行政組織だ。 それは、ここ数日報道されている「養育費を行政予算で」という政治家や民間からの要望に前向きな法務省の姿を見てもわかる(離婚後の養育費不払い 国が立て替える制度導入を要望)。 当欄でも度々触れているように、養育費等の離婚後の補償問題を考える時、その「離婚」のかたちがポイントになる。 日本はそのかたちが「単独親権」であり、離婚後はどちらかの親に親権が偏ってしまう。 この単独親権国家は世界でも珍しく、「北朝鮮と日本だけ」はオーバーにしろ、G20のなかでの単独親権国家は、日本・インド・サウジアラビア・トルコ程度なのだそうだ(法務省も研究会立ち上げへ!離婚後の親権制度、日本ではどうあるべき?単独親権派と共同親権派が討論)。 養育費を考える時、離婚後の親のあり方をまずは考え尽くす、という態度が僕には当たり前のように思える。
■ 親権は「基本的人権」 弁護士の作花知志氏が、「親権」について以下のようなツイートをしている。親権は「基本的人権」だというシンプルなテーゼだ。 親権は基本的人権なので問題行動がない限り制限できない。このシンプルな一行はインパクトがある。「親になること」は、言論の自由や教育・勤労の権利などとともに、近代民主主義国家がそれぞれの国の歴史の中で獲得してきた重要で基本的な人権に含まれる。 ゆえに、作花氏が言うように、「問題行動」をしない限り誰にも制限できない。 この「問題行動」は、当然、児童虐待やDVを示す。単に離婚しただけで、別居することになった一方の親(父が大半)が子と会うことを制限される(一般的に月1回2時間程度! の「面会」)のは、基本的人権が蹂躙されているということになる。 ■ ニホンは北朝鮮と同じ単独親権国家 この基本的人権は、当欄で度々指摘してきた「『土台』『条件』『責任主体』とし
■刑事司法システムの「壁」 ゴーン氏の逃亡事件では、弁護士サイドから日本の司法・刑法システムを疑う意見が出され、それがネットではよく読まれている。 その筆頭は、ゴーン氏裁判を担当していた高野隆氏による彼が見たものという記事だろう。高野氏はこの記事の終盤でこう書く。 一つだけ言えるのは、彼がこの1年あまりの間に見てきた日本の司法とそれを取り巻く環境を考えると、この密出国を「暴挙」「裏切り」「犯罪」と言って全否定することはできないということである。彼と同じことをできる被告人はほとんどいないだろう。しかし、彼と同じ財力、人脈そして行動力がある人が同じ経験をしたなら、同じことをしようとする、少なくともそれを考えるだろうことは想像に難くない。 それは、しかし、言うまでもなく、この国で刑事司法に携わることを生業としている私にとっては、自己否定的な考えである。寂しく残念な結論である。もっと違う結論がある
■非正規雇用が子どもをつくらないことが核心 一学年の出生数がついに90万人を切る見通しとなり(ことしの出生数 90万人下回る見通し 少子化想定上回るペース)、予想されたものよりはだいぶ早く少子化が進んでいる。 安倍政権になってから7年、お題目としての少子化対策は毎年叫ばれているが、そのことごとくが失敗したということになる。 それだけでも僕は辞任ものだと思うが、政局話はなるようになるだろう。あ、この10年で少子化対策委員みたいなものになった人たちも、総括と謝罪がほしいところだ。 少子化対策は、保育園整備とか就労支援、働き方改革などは二次的なものだと僕は思う。 非正規雇用が労働者人口の4割となり、この層が結婚しない、結婚できても子どもをつくれない、ということがこの問題の核心だ。 だから、若者への就労支援や細かい保育園改革は後回しでいいから、僕は、とにかく若者たちに直接カネを支給すればいいと思う
■ 小さな我が子とともに微笑む 某有名NPO代表が小さな我が子とともに微笑む写真がある。その写真を中心として、「貧困支援」の意味についてその代表はエッセイを綴る。 自分の子どもは幸いにも、(自分たちという)両親が揃い2人とも働いており(ということはそこそこの収入もあり)住居も確保できている。 それに比べて、現代の貧困世帯の子どもには、これらが揃っていないことも珍しくない。だからこそ、子どもたちを支援しなければいけない。 その代表が言う「支援」の中身は、当欄でも僕が指摘した、袋菓子やレトルト食品だったりする(「ジャンク支援」~貧困層の主食のお菓子を「宅食」する意味)。それらは僕が書いたように、貧困世帯とは親和性がある。そうした袋菓子を子どもたちは日常的に食べ、カップ麺やレトルト食品を日々食べている。 貧困のリアルな食生活とはそんなものだ。 そうした袋菓子やレトルト食品が箱一杯に詰まった「食糧
■「親権」に関する第一回目の研究会 法務省が予告してきた、「親権」に関する第一回目の研究会が開かれたようだ(離婚後共同親権/法務省の研究会第1回議事と資料が公開されました)。 世界でも「単独親権」の国は珍しいと言われるなか、日本は堂々の単独親権国家である(ほかはあの北朝鮮と、数国だけ)。ヨーロッパや北米諸国からこの単独親権を根拠とした離婚後の「子の連れ去り」が人権問題として抗議をうけるなか、法務省がやっとその重い腰をあげて立ち上げたのがこの研究会だ。 DVや虐待対応専門の、単独親権支持派のNPOらからの抗議はあるものの、国の腰の重さの理由は単に「前例踏襲」といういつもの自己変革のできなさにつきると思う。 DVや虐待対応も重要ではあるが、それはたとえると、飲酒運転(DV)はダメだからクルマ自体を否定するようなものだ(滝本太郎弁護士)。 この「クルマ」である親権のレベルを、単独親権から共同親権
■離婚後75%の別居親(主として元夫)が養育費未払いなのもわからないではない 僕はこれまで子を連れ去られた(父)親側からの話をもとに、共同親権の有効性を主張してきた(単独親権の謎~法務省が「共同親権」研究会を立ち上げるほか)。 それが、一歩引いて思考を深めていくと、離婚後シングルマザーの高い貧困率と離婚後単独親権は深い親和性があるのでは、と思い始めた。 つまり、離婚後に「共同親権」であるならば、それなりの経済的保証を「元夫」(離婚後「別居親」になるのは男性側が多い)からの経済的保証を今よりは期待できるのではないか、ということだ。 こう考えると、離婚後75%の別居親(主として元夫)が養育費未払いなのもわからないではない。 別居親になった(主として)父親たちは、養育費を支払いたい。けれども、たった1ヶ月に2時間程度の「面会」程度の保証(しかも離婚後すぐにこの面会保証は履行されない場合が多い)で
■ボロボロと涙を流しながら 僕は当欄では評論家気取りでいろいろ書いているが、ふだんは不登校やひきこもり、発達障害の子ども・親支援をしている。そのなかでまれにではあるが、最近「別居親」と呼称される、いわゆる「連れ去られ被害」にあった親の面談支援も行なっている。 だいたいはその親は父親なのだが、報道等にあるように、ある日仕事から帰ってくると、本当に子と妻が自宅から消え去っている。 妻の多くは実家に帰るようだ。残された夫は、その日から何年も子に会えない場合もある。 当欄でも度々触れているが、日本では単独親権がとられ、現状は「(子を)連れ去ったもん勝ち」のようだ。ここに夫側のDV加害の事実が被せられ、そのDVの事実性が疑わしい場合でも現在の日本では一度「DV」と疑われた側(多くは父)は圧倒的に不利になる。 僕は面談支援を通して、こうして子を連れさらわれた父の話を聞く。父たちは本当に悔しそうにそれま
■「親」 現代社会では、日本では民法の中に「親」は位置づけられ、その役割が細かく規定されているようだ。 が、「親」は法を超えた存在だ。あるいは「親子」も法を超えた存在かもしれない。 多くの近代国家では、こうした親子関係や親の位置づけについては、共同親権の立場をとっている。が、ドメスティックバイオレンス(DV)事例を中心とした要支援の事例を根拠に、日本では、単独親権であり続ける。 そうした法律議論は、僕はホンネでは興味がない。が僕は虐待サバイバー支援も時々行なうことから、法的議論も目にしてしまう。 DV支援弁護士たちは、凶悪なDV親(主として父あるいは義父)から被害親(主として母)を守るために、単独親権の立場にあるようだ。裁判所関連の人々も、どちらかというとこのDV被害親の側に立つことが多いという。 虐待サバイバー支援(DVをふるう親の子への支援)を行なう一人としての僕はではあるが、こうした
■ 明石市の「紙おむつ宅配」 前回書いた英語の入試改革失敗もそうだが(変態進化する日本の新自由主義~ベネッセたちの「束」、見せかけの「ソーシャル」)、教育や子育てといった、これまではなかなか民間業者が入りにくかった分野にも「民営化」の波が押し寄せてきている。 それに関しての最新ニュースが、明石市の「紙おむつ宅配」の試みだ(https://www.mbs.jp/news/kansainews/20191120/GE00030487.shtml)。 引用記事以外にもいくつか記事が出ているが(虐待リスク高いゼロ歳児 おむつ宅配で見守り 明石市)、この紙おむつを宅配する「業者」の具体名は出ていないから明確ではないものの、文脈からすると大手宅配業者だと予想できる。 宅配するドライバーには子育て経験のある女性を充て、親子の様子やサービスの利用状況などチェック項目に沿って確認してもらう。 出典:神戸新聞
■「共同親権」訴訟 11月22日、「離婚後の単独親権は違憲」だとする「共同親権訴訟」がついに始まった。一訴訟の始まりとしては異例ともいえる、多数のメディアでこの出来事は取り上げられた(たとえばこの記事→「共同親権」求め、別居親ら初の集団提訴 東京地裁)。 22日は、単に訴訟を東京地裁に提起しただけではなく、関係者が集まり、この問題についてアピールしたり講演会も開いたそうだ。 当欄で何回か共同親権問題を取り上げていた僕も、少し前にこの日の集まりに誘われたのだが、あいにく仕事で行けなかった。そのかわりに、文末に引用した「アタッチメントによって深く刻み込まれた親と子」というエッセイを寄稿した。 全部読まれたかどうかはわからないが、どうやら取り上げていただいたようだ。 このエッセイにある「アタッチメント」は「愛着」と訳されるが、これはかなりの誤訳で、「くっつき」「くっつくこと」的ゆるやかな意味だと
■哲学カフェ 僕は子ども若者支援者ではあるがベースは哲学で、自分の法人の仕事では毎月「哲学カフェ」という小イベントを開催している。 これは最近あちこちで開かれているからご存知の方もいらっしゃるだろうが、あるひとつのテーマを選んで、それについて10人弱の参加者がゆるいルールのもと自由に話し合うというものだ。 前世紀の終わりにフランス・パリで始められ、日本にはゼロ年代に輸入された。当時僕が学んでいた大阪大学の臨床哲学研究室(鷲田清一教授/当時)が中心になって輸入したので、その始まりは僕も鮮明に覚えている。 また、当時お世話になっていた阪大の先生(本間准教授)がパリに留学していたときに僕は遊びにいき、本間先生と一緒にパリの哲学カフェにも参加したことがある。 最近は本業の子ども若者支援業が忙しくなったため哲学研究からはだいぶ遠くなったが、やはり僕にとって哲学は「ホーム」ではある。 僕が主催する今月
■だから彼女たちは「オール」する 僕は最近のお笑いに詳しくはないが、ロバートというお笑いコンビのおそらくリーダーであろう秋山氏が、おそらく仁藤夢乃さんが中心のNPO法人colaboの活動を皮肉った動画をネットに掲載しているということで見てみた。 仁藤氏の活動はご存じの方も多いと思うが、主に下流階層の10代女性への直接的アウトリーチ支援だ。最近では、『TsubomiCafe(ツボミカフェ)』と名付けたバスを新宿や渋谷で走らせ、食事提供など直接的に10代女性を支援している。 僕は素晴らしい活動だと思っている。虐待サバイバー女性高校生への支援を通して、こうして家に帰りづらいハイティーン女性は現実にたくさん存在することをここ8年で僕は知った。 そんな、冬であれば寒くて仕方ない、またくだらないオヤジたちがたむろする町中に、10代女性は誰も夜中にうろつきたくはない。 けれども、そんな最低の街よりも、も
■ 鶴見済氏のTwitter ご本人はいまだにその本が紹介されることは不本意かもしれないが、良くも悪くも90年代にベストセラーになった『完全自殺マニュアル』の著者・鶴見済氏がTwitterでこんなことをつぶやいている。 鶴見氏は冷やかしで『完全自殺マニュアル』を書いたわけではない。絶望が前提の人生ならば、その最絶望の具現形である自殺のあり方をリアルに描くことで逆に人生を少しでもポジティブに生きてほしい/生きていたいという切ない願望が同書の基底にあったと僕は解釈している。 その鶴見氏が、誰かと「つきあった」のは30才以降であると告白し、対人関係に悩む人であれば誰かとつきあうことなどできないじゃないかと疑問を呈する。 ひきこもりの人たちを20年近く支援してきた僕も、それはその通りだと思う。ひきこもりの背景に発達障害や精神障害があったとして、それが障害として明確化されていようが不明確だろうが、誰
■DVと虐待の悪夢 今日(10月9日)の夜、アベマテレビの「アベマプライム」にて、再び「共同親権と単独親権」の問題がとりあげられるようだ(AbemaPrime "共同親権" 法務省が研究会へ 親権制度はどうあるべき?)。 これは9月25日に放映された第一弾(AbemaPrime 「子どもに会えない」離婚後の"親権"はどうあるべき?生討論)の続編で、著名な憲法学者などが単独親権派として出演するとしてTwitterなどSNSでは放映前から再び大議論になっている。 前回も当欄で触れたが(「『本当の親』にならなければいけない」という道徳~単独親権派のアポリア)、共同親権に反対する人のコアは、DV・虐待加害親への警戒だ。 それら加害親への警戒心は凄まじく、どれだけ法整備がなされ加害親は親権停止・接触不可という規則を示した(つまりは単独親権下の現状維持)としても、「共同」になることで過去のDVと虐待の
■生き残っていたグラドル保育士 この6月に僕は、「グラドル保育士の、園児への破壊的暴力」と題して、現役保育士が子どもたちに及ぼす害毒について書いてみた。 それから4ヶ月、続報も聞かなかったのでさすがにグラドル保育士は消え去ったかと安心していたのだが、昨日Twitterではこんな記事が拡散していた。 “保育士でレースクイーン”江藤菜摘、素肌あらわに なんとあのメジャー誌である『週刊プレイボーイ』に、「保育士+レースクィーン」として登場するのだそうだ。グラドルではなく、レースクィーンとして紹介されている。 本人のTwitterでは、もっと際どいショットも掲載されている(https://twitter.com/natchaaaan06?s=17)。 ネット媒体である「NEWSポストセブン」では同じグラドル保育士による短いコメントも掲載されており、保育士業界がまだ「副業」を認めていないところが多い
■「『本当の親』にならなければいけない」という道徳 残念ながら、また起きてしまった埼玉での悲しい事件を受けて『AERA』ではこんな記事が掲載されている(さいたま男児殺害事件 「本当の親」像に囚われる危険性指摘する声)。 ここで指摘される『本当の親」という概念が、義理の親たちに重くのしかかり、強烈なしつけ=虐待となって子どもたちへと向かうという専門家の意見だ。記事の後半では、男女の古典的ジェンター規範がこれに加わり、たとえば義理の父であれば、「強く厳しい父/男でなければいけない」という言葉になって彼らを覆うと示唆されている。 この「本当の親」という概念は、社会規範というよりも、むしろ「道徳」そのものかもしれない。「人を殺してはいけない」「親孝行をしなければいけない」等の、時代ごとに変遷する社会規範(「学校に行かなければいけない」というのはどちらかというと規範に属する)というよりは、人間が普遍
■熱い支持をいただいた 前回の当欄の記事(単独親権の謎~法務省が「共同親権」研究会を立ち上げる)は、「共同親権」を推し進める人々から熱い支持を集めた。 それは当欄が始まって以来かもしれない数で、その支持コメントには「書いていただきありがとうございます」の連発だったため、少し恐縮してしまった。 それだけ、「共同親権」はこれまでタブーの話題であり、強引な別居によって取り残された親たちの多くはある種のマイノリティだったのだと思う。 前回の記事にも書いたとおり、ようやく共同親権が法務省にも研究対象としてとりあげられ(「共同親権」導入の是非検討 法務省、研究会立ち上げ)、世界基準に合わせた共同親権化に日本社会も近づいていくことだろう。 これに対して単独親権派は、DVの危険性、子の鬱化(自死含)のおそれ、(たとえば進学等で)親の意見が分かれた時の事態の遅滞等の問題を持ち出して執拗に反対する。 確かにそ
■離婚は当たり前の現実としてそこに 昨日、僕も一年前に出演したAbemaPrimeで、「離婚後、現状の単独親権か、世界基準の共同親権か」を議論する特集が組まれ、Twitterを中心に大きな話題になっている。 年間21万組の夫婦が離婚し3組に1組が離婚する現在、我々の生活に離婚は当たり前の現実としてそこにある。 そのように当たり前のように離婚した後、日本の親権は単独親権であることに気づき、どちらかの親が子どもと住むことになる。そうした状態に落ち着くため、日本では「子の連れ去り」という事態が日常化している。 これは国際問題にもなっている。国連からも勧告されているし(国連子どもの権利委員会から日本政府に対する勧告について)、ヨーロッパの首脳からも不満を明言されている(親による「誘拐」が容認されている日本の異常)。 これらの勧告と批判、昨日のAbemaPrime的世論の高まりを受けたせいなのかはわ
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