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2017年7月9日(日) シンポジウム「戦後日本美術の群声」 会場:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE East 地下1階K011 プログラム 開会の辞:池上裕子(神戸大学准教授、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ副代表) 発表: 「「戦後」と「美術」の残りものから 前衛美術会の声を拾う」足立元(二松学舎大学講師、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ) 「言葉にならないもの オーラル・ヒストリーと女性アーティスト」中嶋泉(首都大学東京准教授、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ) 「在日コリアン美術とオーラル・ヒストリー 四コマ漫画家全哲を中心に」白凛(東京大学大学院博士課程) 「作品《オーラル・ヒストリー》について」小泉明郎(アーティスト) コメント: 鈴木勝雄(東京国立近代美術館主任研究員) ディスカッション: パネリスト:足立元、小泉明郎、中嶋泉、白凛、発表者、鈴木
瀬木慎一オーラル・ヒストリー 2009年2月23日 ルノアール巣鴨店にて インタヴュアー:宮田徹也、足立元 書き起こし:河村明希 公開日:2011年4月30日 更新日:2018年6月7日 瀬木慎一(せぎ・しんいち 1931年~2011年) 美術評論家。東京都中央区出身、中央大学法学部中退。1953年に雑誌『美術批評』でデビュー。1956年に「世界・今日の美術」展の運営に関わる。主著に、自身が伴走してきた同時代美術について論じた『戦後空白期の美術』(思潮社、1996年)などがある。他にも西洋近代美術史や浮世絵についての評論でも知られる。また欧米での美術評論の発表、日本の美術市場の調査研究においても先駆的な役割を果たした。本インタヴューは、瀬木と交流のあった美術評論家の宮田徹也と行った。銀座で生まれたこと、雑司ヶ谷での少年時代の思い出と戦争体験、占領軍の図書館で西洋近代芸術史を独習したこと、戦
塩見允枝子オーラル・ヒストリー 2013年6月25日 大阪府箕面市、塩見氏自宅にて インタヴュアー:小勝禮子、坂上しのぶ 書き起こし:坂上しのぶ 公開日:2014年1月13日 坂上: 2013年6月25日、塩見允枝子インタヴュー2日目を開始いたします。よろしくお願いします。 小勝:昨日はニューヨーク渡航を決意されて行かれるというところまででした。その時、久保田さんと一緒の飛行機で。 塩見:やっぱり何となく不安でしょう。東京へ渡航の手続きに行った時に彼女に会ったら「私も行こうか行くまいか迷ってる」って言って。 坂上:まだ(久保田さんも)迷ってらしたんですか。 塩見:まあ、ほぼ決めてはいたのかなあ。「私、行くわよ」って言ったら、「じゃあ、私も」って。「同じ行くなら一緒に行こう、その方が心丈夫だから」と言うので、同じ飛行機で行ったんです。(でも、フルクサスのコンサートには間に合わなかった。) 小
荒川医 オーラル・ヒストリー 2013年3月30日 ブルックリン、荒川医自宅にて インタヴュアー:富井玲子、池上裕子 書き起こし:向井晃子 公開日:2013年11月15日 更新日:2018年6月7日 荒川医(あらかわ・えい 1977年~) 美術家 福島県いわき市出身。1998年に渡米、2000年にニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツに入学、ファイン・アート学科にて現代美術を学び、パフォーマンス・アートを中心に活動を展開する。聞き手に大学時代から親交のある富井玲子氏を迎え、渡米前のピースボートでの経験、渡米後にクラブイベントをオーガナイズした経験、在学中から数々のパフォーマンスを内外で企画しニューヨークのアーティストとして活躍を始めた経緯、最近の作品などについて語っていただいた。作品に日本美術史の文脈を持ち込むアイデアや、パフォーマンスとオブジェ制作の両方で生計を立てていくこと
靉嘔 オーラル・ヒストリー 2011年11月6日 茨城県行方市の靉嘔自宅にて インタヴュアー:本阿弥清、西川美穂子、加治屋健司 書き起こし:本阿弥清 公開日:2014年6月15日 靉嘔(あいおう 1931年~) 美術家 1950年代にデモクラート美術家協会に参加した後、1958年に渡米。触覚による《フィンガー・ボックス》、「エンヴァイラメント」と呼ばれるインスタレーション、光のスペクトルの色で塗り分ける「虹」の作品で注目を集める。国際的な前衛芸術運動であるフルクサスに参加して、数々のイヴェントを手がける。靉嘔氏と交流がある美術批評家の本阿弥清氏と、2012年に東京都現代美術館で開かれた「靉嘔 ふたたび虹のかなたに」展を担当した西川美穂子氏をインタヴュアーに迎えて、茨城県行方市での生い立ち、東京教育大学(現筑波大学)の学生時代、デモクラート美術家協会での活動、渡米後の作品やその展開、フルクサ
岡上淑子 オーラル・ヒストリー 2013年3月8日 高知県立美術館にて インタヴュアー:池上裕子、影山千夏 書き起こし:永田典子 公開日:2014年4月19日 岡上淑子(おかのうえ・としこ 1928年~) 元コラージュ作家 高知市生まれ。幼少期に東京に移り、代々木上原と下北沢で育つ。今回の聞き取りでは、生い立ちから戦争と重なっていた東洋英和女学院時代、その後進んだ文化学院デザイン科で課題として出されたちぎり絵に始まり、それからヒントを得たコラージュ制作、瀧口修造との出会い、タケミヤ画廊での二度にわたる個展(1953年と1956年)、東京国立近代美術館の「抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか」展(1953年)への出品など、1950年代の活動を中心にお話しいただいた。また、実際のコラージュ制作の手法や、その後手がけた写真表現、さらに1990年代後半以降の再評価についてもお話しいただいた。イン
磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日 東京都港区元麻布、磯崎新自邸にて インタビュアー:辻泰岳、中森康文 描き起こし:成澤みずき 公開日:2014年3月11日 更新日:2016年1月31日 辻:オーラル・ヒストリーということで、本日はお生まれになった時からこれまでを順番にお話しいただきたいと思います。これまで磯崎さんが書かれたものも含めて同様のものがたくさんありますので、今日のお話はとりわけ建築と美術、他の表現領域との接点や、書籍や媒体でお話しいただいていないことを軸としてお聞きしていきたいと思っています。 磯崎:できるだけそうしてください。もういっぺん喋っちゃったことはしょうがないと思うんです。考えてみたら1960年代、70年代前後を喋るのが一番面白いんじゃないのっていう話になって。そういうのも結局どう言ったらいいのか、領域が変わっていく、領域間のいろんな問題だね。これとの付
篠原乃り子 オーラル・ヒストリー 2010年3月23日 ニューヨーク、ブルックリンの篠原家にて インタヴュアー:池上裕子、富井玲子 書き起こし:畑井恵 公開日:2012年6月2日 篠原乃り子(しのはら・のりこ 1953年~) 美術家(絵画、版画) 1953年富山県高岡市生まれ。1972年にアート・スチューデンツ・リーグで学ぶために渡米、1973年に篠原有司男に出会う。聞き手は篠原家と親交の深い池上裕子と富井玲子が担当し、恵まれた子供時代からニューヨークでの有司男との暮らし、乃り子から見た有司男の制作、子育てと画業の両立の大変さ、版画という媒体の発見、『ためいきの紐育』の連載と出版などについて語っていただいた。また、有司男のボクシング・ペインティングの公開制作に関するマネージャーとしての役割や、2005年に制作を開始し、乃り子の代表作となった「キューティー・シリーズ」についてもついても語って
藤枝晃雄 オーラル・ヒストリー 2010年1月30日 東京芸術大学美術学部にて インタヴュアー:加治屋健司、足立元 書き起こし:武笠由以子 公開日:2013年6月30日 更新日:2018年6月7日 藤枝晃雄(ふじえだ・てるお 1936年‐2018年) 美術評論家 東京芸術大学芸術学科を卒業した後、京都大学大学院、ペンシルヴェニア大学大学院で学ぶ。1960年代後半から『美術手帖』を中心に美術批評を執筆し、フォーマリズムによる作品分析で知られる。ジャクソン・ポロックをはじめとするアメリカ現代美術、西洋近代美術の研究を行う。武蔵野美術大学名誉教授。インタヴューでは、住職の家系に生まれた生い立ち、詩人として活動しデュシャンで卒論を書いた学生時代、国内外での作家や研究者との出会い、評論家・研究者としての活動、クレメント・グリーンバーグの批評に対する考え、日本の批評界の問題などについてお話しいただいた
原広司 オーラル・ヒストリー 第1回 2012年6月28日 東京都渋谷区、アトリエ・ファイ建築研究所にて インタヴュアー:辻泰岳、ケン・タダシ・オオシマ 書き起こし:成澤みずき 公開日:2013年7月14日 更新日:2016年1月31日 原広司(はら・ひろし 1936年~ ) 建築家 1960年代より設計活動と並行して、分野の枠を越えた広い視野で建築理論を展開する。第1回目のインタヴューでは幼少期を過ごした川崎や疎開先の飯田での生活、RAS建築研究所での共同設計や内田祥哉研究室でのビルディングエレメントに関する研究活動についてお聞きした。また第2回目には世界旅行や「空間から環境へ」展、『デザイン批評』の編集を通じた美術家たちとの交流、東京大学生産技術研究所原研究室での集落調査と全共闘運動との関係、1970年代以降の他分野の研究者との勉強会や展覧会を通じた理論の展開、京都駅をはじめとする巨大
高階秀爾オーラル・ヒストリー 2010年6月4日 国立西洋美術館にて インタヴュアー:林道郎、池上裕子 書き起こし:畑井恵 公開日:2013年6月16日 更新日:2018年6月7日 高階秀爾(たかしな・しゅうじ 1932年~) 美術史家・美術評論家(ルネサンス以降の西洋美術、日本の近現代美術) 東京大学教養学部卒業後、1954年、東京大学大学院在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、1959年まで滞在。帰国後、国立西洋美術館の研究員として1971年まで勤務。1971年から1992年まで東京大学で教鞭を執り、1992年から2000年まで国立西洋美術館館長。2002年より大原美術館館長。2012年、文化勲章受章。聞き取りは、東京大学での教え子である林道郎を聞き手として行われた。4回にわたって、フランス留学や美術館勤めの時代から、研究・評論活動、東京大学での教育、また国際学会での活動まで、多岐
東松照明オーラル・ヒストリー 2011年8月6日 沖縄県那覇市、東松照明スタジオにて インタヴュアー:池上裕子 書き起こし:金岡直子 公開日:2013年1月12日 東松照明(とうまつ・しょうめい 1930年~2012年) 写真家 1930年名古屋市生まれ。戦後日本を代表する写真家の一人で、長崎の被爆者に取材した写真や、米軍基地の周辺、沖縄を撮影したシリーズなどがよく知られる。1~2回目の聞き取りでは子供時代の思い出と写真を始めた経緯、「岩波写真文庫」の仕事や名取洋之助との関係、VIVOの活動、長崎での撮影について語られた。3~4回目では学生運動や大阪万博について、「写真100年」展の企画、沖縄への移住、1974年の「New Japanese Photography」展、写真学校「WORKSHOP」での活動、また最近の制作について語られた。ヒューストン美術館写真部門のキュレーターである中森康
松本哲夫オーラル・ヒストリー 2005年11月18日 新宿区下落合、剣持デザイン研究所にて インタヴュアー:齋賀英二郎 書き起こし:辻泰岳 公開日:2012年2月19日 更新日:2013年8月19日 松本哲夫(まつもと・てつお 1929年~) 剣持デザイン研究所所長。1953年に通産省産業工芸試験所に入所後、1955年に設立された剣持勇デザイン研究所に入所し建築物の内装や家具などの設計に携わる。剣持の死後は所長としてインダストリアル・デザインの分野で活躍する。ワックスマン・ゼミナールに関する聞き取りを第1回目としそれに加えて2回の聞き取りを行った。後半2回の聞き取りでは剣持勇との関係を中心に、大量生産や標準規格化といった科学技術と造形表現との関係についてお話いただいた。またご自身の活動についてお聞きする中で「図案」や「装飾美術」、「商業美術」、「応用美術」、「意匠」と和訳された日本の「デザ
堂本尚郎 オーラル・ヒストリー 第1回 2008年11月15日 東京都世田谷区深沢 堂本尚郎自宅にて インタヴュアー:池上裕子、粟田大輔 書き起こし:野田弥生 公開日:2009年6月1日 堂本尚郎(どうもと・ひさお 1928年~) 画家 日本画家堂本印象の甥として、若くして日本画のホープとなるが、パリに渡ってアンフォルメルの画家として活躍する。その後アンフォルメルと決別し、1964年のヴェネチア・ビエンナーレでは《連続の溶解》シリーズでアルチュール・レイワ賞を受賞。その後1970年代の《惑星》から《蝕》シリーズへと、厚塗りの画面から静謐な抽象画へと移行した。第1回目では印象の思い出と1955年からのフランス留学、ミシェル・タピエや具体美術協会との交流について詳しく語っている。第2回目では1966年のアメリカ滞在と、1967年にパリを離れて日本に帰国した経緯について、また2000年代の《蓮池
建畠晢 オーラル・ヒストリー 第2回 2008年4月12日 国立国際美術館館長室にて インタヴュアー:加治屋健司、池上裕子 書き起こし:沖中志帆 公開日:2012年6月2日 更新日:2018年6月7日 加冶屋:今日は国立国際美術館の設立準備室に移られた頃からお話を伺います。どういった経緯で移られたんでしょうか。 建畠:この前お話ししたように、僕は最初の就職で『芸術新潮』の編集部に入ったんですけど、そのときに、文化庁に国立国際美術館設立準備室ができたというので、「美術館ができるまで」というコラム記事を書いたんですね(注:「『国立国際美術館』の混迷」『芸術新潮』1975年12月号)。その頃は美術館設立ブームの前だから、鎌倉(神奈川県立近代美術館)とか、東近美(東京国立近代美術館)とか、少し先行して兵庫近美(兵庫県立近代美術館。現、兵庫県立美術館)はあったけれど、非常に珍しいことだったので、興味
荒川修作 オーラル・ヒストリー 2009年4月4日 荒川修作アトリエ(事務所)にて、ニューヨーク インタヴュアー:由本みどり、富井玲子 書き起こし:池田絵美子 公開日:2010年9月26日 荒川修作(あらかわ・しゅうさく 1936年~2010年) 芸術家・建築家 名古屋生まれ。武蔵野美術学校中退。読売アンデパンダン展に1958年から出品。《棺桶》シリーズのオブジェで東野芳明ら批評家の注目を集める。ネオ・ダダに短期間参加した後、1961年に渡米、瀧口修造の紹介でマルセル・デュシャンに会う。翌年出会ったマドリン・ギンスと生涯のパートナーとなり、《意味のメカニズム》などの図形絵画の共同制作を始める。近年は、《養老天命反転地》(岐阜県養老町、1995年)など、身体の刺激を通じて「死に抗する」建築を次々と手がけ、ギンスとの共著『死なないために』(1987年)の日仏出版などで知られる。1997年にはグ
篠原有司男 オーラル・ヒストリー 第1回 2008年9月17日 ニューヨーク市ブルックリン、篠原有司男のスタジオにて インタヴュアー:池上裕子、富井玲子 書き起こし:萬屋健司 公開日:2010年4月12日 篠原有司男(しのはら・うしお 1932年~) 美術家(絵画、立体、パフォーマンス) 1960年に結成されたネオダダ(ネオダダイズム・オルガナイザーズ)の中心的メンバー。1960年代に制作したイミテーション・アートやボクシング・ペインティング、渡米後のオートバイ彫刻のシリーズなどで知られる。第1回目は生い立ちから東京藝術大学時代の思い出、読売アンデパンダン展への出品やネオダダについて語った。第2回目は1960年代に来日した欧米のアーティスト達との交流、イミテーション・アートの制作経緯、渡米のきっかけとなった花魁シリーズや画廊とのつきあいについて語った。第3回目は1969年の渡米以降の制作活
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、美術の分野に携わってきた方々にインタヴューを行い、口述史料として収集・保存している団体で、2006年に美術史の研究者や学芸員によって設立されました。このサイトでは、そのインタヴューを書き起こした文章を公開しています。
針生一郎オーラル・ヒストリー 2009年2月28日 針生一郎自宅にて インタヴュアー:建畠晢、加治屋健司 書き起こし:坂上しのぶ 公開日:2009年11月1日 針生一郎(はりう・いちろう 1925~2010年) 評論家(美術、文学) 東北大学で国文学、東京大学大学院で美学を学ぶ。マルクス主義芸術論を研究していたが、1953年『美術批評』誌で美術批評を始め、社会的な視点を持った批評を手がけた。多摩美術大学教授、和光大学教授、新日本文学会議長、美術評論家連盟会長などを歴任し、東野芳明、中原佑介と並ぶ戦後日本の代表的な美術評論家として活躍した。本インタヴューでは、軍国主義に傾倒した青年時代、戦後の研究会の活動や展覧会の企画、批評家や文学者、美術家との交流、文学への変わらぬ思い、モンテ・ヴェリタに関する関心などについて話していただいた。当時国立国際美術館館長だったの建畠晢(現・京都市立芸術大学学長
靉嘔 2011年11月6日 インタヴュアー:本阿弥清、西川美穂子、加治屋健司 公開日:2014年6月15日
お知らせ:代表の加治屋健司と副代表の池上裕子が退任し、2024年4月1日付で足立元と中嶋泉が共同代表に就任しました。 佐々木正芳 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 立川正憲 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 奥野惠 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 出光真子 オーラル・ヒストリー 公開 末永蒼生 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 シンポジウム 「戦後日本美術の群声」 2017年7月9日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、美術の分野に携わってきた方々にインタヴューを行い、口述史料として収集・保存している団体で、2006年に美術史の研究者や学芸員によって設立されました。以来、継続的にインタヴューを行い、口述史料として収集しています。本サイトでは、そのインタヴューを書き起こした文章および一部映像記録をオーラル・ヒストリーとして公開しています。 もっと詳しく
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