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ドラクエ3
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アーモンドアイがライバルたちを抜き去り、悠然と3つめの冠を手中に収める瞬間、京都のみならず府中のスタンドにも期せず拍手が沸き起こった。過去の列強牝馬にもなかなか似たタイプが思い浮かばず、国外まで思索をひろげれば、凱旋門まで見事に差し切ったザルカヴァの面影だろうか。 秋シーズンに牝馬限定のG1が創設され、初めて3冠を達成したのはご存知メジロラモーヌである(当時はエリザベス女王杯が世代限定戦)。ちょうど府中の競馬博物館では、秋季特別展「メジロ牧場の歴史 ”白と緑”の蹄跡」が開催されており、レースの合間に足を運んだのだが、横山典弘騎手が発案というこの企画はなかなか秀逸な内容だった。 受胎能力を疑われ種牡馬失格の烙印を押されたメジロアサマを諦めず、生涯わずか19頭の産駒から天皇賞馬メジロティターンを生み出したのは有名な逸話だ。第1回オペラ賞(現G1)を勝った*シェリルに惜しげもなくアサマを付けた執
JRAが歴代の名馬をポスターにした「サラブレッドヒーロー列伝」は、1981年のハイセイコーから2018年のオジュウチョウサンまで82作品が制作されており、競馬場などで目にする機会も多い。今回はその中から、筆者の個人的お気に入りのベスト5を取り上げてみたい。なお、画像は大人の事情で直接貼れないので、こちらのJRAのギャラリーを参照のこと。 第5位 ヤマニンゼファー(1995年) 『そよ風(ゼファー)、というには強烈すぎた』 天皇賞だろうか、安田記念だろうか。おそらくゴールを過ぎた一瞬の写真と馬名を絡めたコピーとが、シンプルに配された作品だ。しかし余分な装飾や言葉がないことが、逆に距離の壁を克服した名マイラー・ヤマニンゼファーの力強さと速さを伝えることに成功しており、派手さはないものの秀逸な出来に仕上がっていると思う。余談だが自分が母系に入るブラッシンググルーム好きになったのはゼファーがきっか
オーストラリアに移籍した日本産馬ブレイブスマッシュが、過日のフューチュリティステークス(G1・芝1400)を制した。これまで高額賞金レースのジ・エベレストでの3着やC.F.オーアS(G1)2着などの実績を残していたが、これが7戦目でウィアー厩舎での初勝利となる。 ブレイブスマッシュは、近年急増しているオセアニアへの移籍馬の中でもなかなか趣深い血統背景を持っている。母系はダイワメジャーはダイワスカーレット、ヴァーミリアンなどを輩出する*スカーレットインク系で、累代が*ノーザンテーストにリアルシャダイと80~90年代の懐かしい社台の香り。そこにトウカイテイオーが配されたのが母のトーセンスマッシュだった。 個人的には、競馬ファンとしての原点であり到達点もあったトウカイテイオーの名が、海外G1勝ち馬の血統表の中に在るという時点で満腹ではある。 一方、ブレイブスマッシュの父・トーセンファントムは社台
かねてからウワサがあったとおり、二ノ宮調教師の勇退が明らかとなった。体調などが理由とのことで残念ではあるが、彼が本邦競馬史に残した足跡の「深さ」はこの先も語り継がれることになるだろう。個人的にも好きな調教師のひとりであった二ノ宮師の私的な5撰を。 ・アクシオン(03年生・牡・父サンデーサイレンス) 時代を変えたスーパーサイアー、サンデーサイレンス。その最後の世代の一頭であるアクシオンはJRAでの最後の出走も記録している(2012年の札幌記念)。中距離の芝で切れ味を活かすという父の産駒の特徴そのままに、息長く活躍した。 ・ショウナンアルバ(05年生・牡・父ウォーエンブレム) こちらはとてつもないポテンシャルを秘めていた(かもしれない)ウォーエンブレムの初年度産駒にして初の重賞勝ち馬。姉のショウナンタレントと同様に3歳春以降は伸びあぐねたが、二ノ宮厩舎がクラシックの前哨戦を勝つと何故かワクワク
天皇賞の前日、橋田厩舎ファンの友人と並んで、ポツポツ降り始めた雨に濡れる府中の芝コースをスタンドから眺めていた。秋華賞でディアドラを勝利に導いたルメールの騎乗は今年のベストライドだったね、そんな話をしていた私だが、まさか翌日それを凌駕するようなシーンを見ることになるとは思ってもいなかった。 あの天皇賞で見せたユタカの騎乗には、久しぶりに彼の「勝負師」としての顔を見た想いだった。イチかバチか忌避されていた内を突くのもアリだというのは言うが易しで、大舞台の1番人気に乗ってそれをやってのけるには、経験と技術と覚悟が必要だ。(もちろんそれに応えるキタサンブラックの強さがあってこその勝利である) インタビューでは冗談まじりに「負けたら馬場のせいにしようと思っていました」と言ってのけたが、個人的にはそこにユタカの強烈な自信とプライドを感じた。そして爽やかな笑顔とは裏腹なエグい騎乗を連発していた90年代
橋口弘次郎師の功績を思い出そうとすると、あの包み込むような笑顔がまず脳裏に浮かぶ。そしてその後に出てくる馬名が、なぜか渋いところばかりになるのが不思議だ。 たとえばツルマルモチオー。 大崎昭一や田島信行といったいぶし銀のベテランとコンビを組み、短距離戦線で地道に走り続けた彼は、引退後も新潟競馬場などで誘導馬として活躍した。同時期に活躍したミマタオーが宮崎の地名「三股」に由来するのと同様、モチオーは都城の丘陵「母智丘(もちお)」に由来するのだが、そんなところに師とオーナーの郷土愛を感じたことが、この馬を印象深く覚えている理由なのだろう。 たとえばバトルタイクーン。たとえばキュンティア。 いずれも重賞に出走した経歴があるとはいえ、大きなタイトルを獲ったわけでもない馬たち。それでもなぜかその走りと名前を鮮烈に覚えている。 しかし今になって考えてみると彼ら彼女らも、橋口師が大事に紡いできた大きな物
日本調教馬の海外遠征史でも異彩を放っているのは、1967年にブラジルに遠征しサンパウロ大賞典を走ったハマテッソだろう(結果は11着)。今では当たり前のように行われるヨーロッパ遠征は、平地馬としては69年のスピードシンボリが初めてであり、ハマテッソはそれに先駆けて遥か南米で蹄跡を残したわけである。騎乗した中神輝一郎騎手が帰路に姿を消すという怪事件のオマケ付きだった。 ハマテッソの父*テッソは重賞タイトルすらなかった中庸馬だった。イギリスから種牡馬として輸入されたのはひとえに、母系がLady Josephine~Mumtaz Mahalというスピード革命の血脈であり、*テッソの母Tessa Gillian自身がRoyal Chargerの全妹という背景に拠るものと考えてよかろう。 ところでそのTessa Gillianの名が、今年のエプソムでは脚光を浴びることになった。信じがたい末脚でエプソム
サラブレのムック本「サラBLOOD vol.3」に、『受け継がれた名前/Minoru物語』を掲載していただいた。かつてこのブログに連載したエントリを加筆修正したものだ。 それ以外にも盛りだくさんの内容になっているようなので、興味のある方は、ぜひ手にとって立ち読みして購入していただければと思う。 さて、寄稿に関連してちょっと感じたことなどを。 まず、拙文を評価していただいたことは率直に言って光栄だった。競馬にまつわる文章を書くことが純粋に好きで仕方なかった若い頃の自分が、これを知ったらさぞ喜ぶことだろうと思う。声をかけてくださったサラブレ編集部のK氏にはお礼を申し上げたい。本当にありがとうございます。 その一方で、感じた違和感みたいなものもある。 今回ブログエントリの再掲というカタチで話が進んだ中で、記事の中身について「こうしてほしい」「これはオカシイ」というような要望や指摘は編集の方から一
トウカイテイオーが死亡した。年齢を考えればいつその知らせが届いても不思議でないという覚悟はあったから、驚きよりも「ついに・・」という感覚だ。これを機にもう一度書いてみるが、言葉で表現できない想い出も多々あるし、今回は個人的な吐露になるので苦手な方はスルーしていただきたい。 トウカイテイオーは光であり陰だった。先の見えない荒野を手探りで歩いていた当時の私にとって、進路を照らしだす導光だったし、すべてを暗転させる闇でもあった。 そもそもデビュー戦をテレビで見ただけで、あの馬になぜ強烈に惹かれたのか、それは未だにわかっていない。現役時を知らないルドルフに対する憧れもあるし、前髪さらりのルックスもゴムボールが弾むような”テイオーウォーク”も素敵だったし、下総御料に遡上する牝系も好きで、何よりレースぶりが格好良かった。でもこれらは後付けであって、気がつけば何かと比べて好きという話ではない、信じうる唯
東京競馬場のスタンド1階で食せる「きねうち麺」といえば、競馬クラスタにも広く知られているところですが、そのきねうち麺が先日の東京開催を最後に販売を終了してしまったようです。 思い返せば私が府中に通い始めた90年ころには、旧スタンドの1階にすでにきねうち麺はありました。お店の名前も今と同じ阿多利だったと思います。知人の話も聞くと、少なくとも30年前から存在したようです。 スタンドが改築された後も、場所を変えて阿多利のきねうち麺は存続しました。 別にスペシャルな料理というわけではありません、しょうゆベースのだし汁に、野菜、豚肉、食感が独特の「きねうち麺」が入っているだけです。 でも、熱いきねうち麺に七味をかけ、白い容器でふうふうしながらすするのが、府中に言った時のルーティンですから、何かが欠けてしまう感じがします。 そんなわけで、きねうち麺ありがとうの気持ちを込めて、家で再現してみることにしま
おれが競馬をやめる3つの理由-関内関外日記 競馬にコミットすることになったキッカケや関わり続けているモチベーションというものは、内的/外的いずれの面においても、100人のファンがいれば100通りの答えがあるわけで、そこに普遍性などは求めようもない。 だから無論、このエントリ内容が理解できるとか気持ちがわかるという不遜なことを言うつもりはないのだが、それでもかすかに共鳴する何かが、伏流のように自分の中に横たわっているのも確かだ。 端的なのは黄金頭氏が理由の3つ目に挙げている『日本競馬がやり込みすぎた競馬ゲームに見える』というくだり。 自分の場合は80年代末期から競馬を見続けてきて、それこそ海外競馬に対する憧憬、別の言い方をすれば劣等感、コンプレックスというものが個人的競馬観の下地にはある。 それがホームのJCでは勝つのが当たり前となり、香港でもフランスでも日本調教馬がG1を勝ち、ロンシャンで
”競馬はブラッドスポーツ” 価値観はいつ生成されるか? (馬券日記 オケラセラ) 毎日王冠はカンパニーがウオッカを倒す (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】) 神戸新聞杯はイコピコが重賞初勝利を飾る (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】) むしろ自分の余生の心配をするべき (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】) 馬の余生 ついったー反応編 (血統の森+はてな) エプソムCはシンゲンが勝利 (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】) [競馬]サンデーサイレンスの再来を証明出来るか? (昨日の風はどんなのだっけ?) ダイオライト記念はフリオーソが制する (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】) [競馬]ダイタクバートラム (昨日の風はどんなのだっけ?) 京都金杯はタマモサポートが制する・他 (BrainSquall【競馬ニュース&コラム】)
社台スタリオンステーションの’10種付け牝馬リストを眺めている。 昨年の新顔では*チチカステナンゴが140頭を集めていて、中でも社台グループはBMSがサンデー系の牝馬がズラリと並び、これはある意味予想通りではある。 トウカイテイオーやサッカーボーイは既に1ケタに落ち込んでいて時代の流れを感じるわけであるが、悲しいというよりもむしろ社台から出されずにいるというあたりが内国産の功労馬的な扱いなのだろうかと。 ところでダーレーもこの国ではさすがに社台サイアーを避けては通れないわけであって、次のとおり牝馬に種付けを行っている。 ジャングルポケット 1頭 タニノギムレット 1頭 ネオユニヴァース 5頭 マンハッタンカフェ 6頭 リーディングサイアーであるマンカフェ、初年度からクラシック勝ち馬を出したネオユニ、ウオッカのギムレット・・種付け前年(09年)に実績を残した種牡馬という意味では分かりやすいと
冠名の後ろに世界の著名馬を付けている今年のアドマイヤ軍団。TL上でも「アドマイヤサガスにサガスを探す」なんてネタにもなっていたが、確かに凱旋門を連覇した画商の名馬Sagaceの名がアドマイヤサガスの血統表にあるわけはもない。その適当感があの馬主ぽいとも思いつつ、他の馬もざっと調べてみる。 アドマイヤジャコモ →05年のKYダービー馬Giacomo。血統上の関係はもちろんなし。 アドマイヤカヤージ →88年の英愛ダービー馬Kahyasi。名ジャンパー*カラジの父、Zarkavaの母父。 本馬とは特に関係はない。 アドマイヤケルソ →Kelsoは57年生、5年連続アメリカ年度代表馬。セン馬だからもちろん無関係。 アドマイヤクーガー →チリに生まれアメリカ西海岸で芝の大レースを勝ちまくったCougar。サイアー としても成功したが血統表にその名は見えない。 アドマイヤスキップ →もちろん96~9
新進気鋭のホースマンとして注目されたPatinack Farmのネイサン・ティンクラー氏。2008年のセレクトセールに参入するやディープインパクト産駒などを購買し、我国の馬産界をも賑わしたのはまだ記憶に新しいところだろう。 中でも注目されたのは、父にアグネスタキオンを持ち、母がオークス馬というシルクプリマドンナ07だった。 国内で走ることになれば大きな注目を集めたに違いないこの牡駒はしかし、その後数奇な路を辿る事になる。 プリマドンナ07は同年12月、イギリスに輸出された。当時の報道ではルカ・クマーニ師の下、イギリスで競走生活を送る予定だったようだ。 しかしそれから7ヶ月後。タタソール・ジュライセールに、2歳となったプリマドンナ07が上場される。合田直弘氏もコラムで取り上げたからこのニュースを目にした向きも少なくなかろう。そして結果は・・わずか800ギニーで落札。セレクトセールで6400万
この先の動向がまだハッキリしていない現時点とはいえ、JCにおいてウオッカという豊穣な物語は完結をみた、と読むべきだろう。ここらであの名牝について自分なりの拙文を残しておこうかと思う。 ふと考えたことがある、「例えばウオッカが藤澤厩舎の所属だったら」と。 阪神JFから桜花賞。その後マイラーとしての類まれなる資質を見抜いた陣営は、NHKマイルへ。秋は秋華賞からマイルCSへ進む。明け4歳、京王杯SCから安田記念。ラストシーズンは毎日王冠→天皇賞→マイルCSを3連勝、引退を惜しむ声の中を鮮やかに去っていく・・ 全く理にかなった競走生活だったとして、しかしそこにダービーの衝撃もダスカとの名勝負数え歌も、何処まで強いのかというウオッカ幻想も成立しえただろうか。 牡牝、短中長、芝ダート・・レースカテゴリーの細分化は多くの競走馬に合理的なる活躍の場を与えたと同時に、タイトルのインフレ化をももたらした。そん
優雅で感傷的な日本競馬-傍観罪で終身刑 オマエはいつも後出しじゃねーか、という謗りは(その通りなので)甘んじて受けるとして、やはり「競馬とそれを語るコトバ」というのは自分がどうしても避けて通れないところなので。 そもそも競馬ファンが競馬にコミットすることにより”何か”が内面に芽生えたとして、それが「情緒的」あるいは「感傷的」であることは、ある意味自明であると自分は思う。なぜなら競馬という仕組み自体がさまざまな人間の価値観の集合体であり、換言すれば感情/情緒/感傷/非合理といった要素によって成り立っているものに他ならないからである。 したがって、たとえ論理と理知を纏った見識であっても、その根底には”競馬こうあるべし”という各自の主観・価値観が横たわっている以上は「感傷的で情緒的」という場所からは決して離れてはいない。ブルコン問題に関連してダート路線の位置づけを冷静に検証していても、そういう意
遥かイギリスまでやってきた谷岡幸一郎の目当ては、*ジェラルディンツウという*パーシア産駒だった。ナッソーS3着という成績を残した牝馬に牧場の基礎牝馬としての期待が高まった。しかし同行していた若きホースマンの熱意に絆されて彼女を譲ることにし、替わりにGrey Sovereignを父に持つ黒鹿毛の牝馬を手に入れることとなる。 それが谷岡牧場と名繁殖牝馬*スワンズウッドグローヴとの出会いだったそうだ。 ご存知のとおり*スワンズウッドグローヴは、サクラ軍団の名馬をあまた輩出するゴッドマザーである。 サクラジョオーの分岐からはサクラハツユキ(エリ杯4着)、サクラセンチュリー(鳴尾記念)、サクラエイコウオー(弥生賞)ら。またサクラセダンからはチヨノオー・ホクトオー兄弟やサクラプレジデントといった活躍馬がターフを沸かせた。*クレアーブリッジ系と並ぶサクラの象徴的なボトムラインと言えよう。 そんな中でサク
69頭という数字は、種付け数が100どころか200を越える種牡馬すら抱える社台スタリオンステーションの中で全く目立つものではない。69が大きな意味を持つのは、*ウォーエンブレムのそれだからである。 *ウォーエンブレムは社台が導入したアメリカ2冠馬。その競走成績のみならず、母系に非主流血脈を多く含む血統背景や漆黒でしなやかな馬体など同年に急逝した*サンデーサイレンスと重なる側面も多く、ポスト・サンデーという役割を期待されていたのは間違いない。 しかし周知のとおり種付けに対して興味を示さないという問題が発覚し、初年度からの種付け数は7頭→53頭→9頭→1頭→07年はついに0頭となった。 様々な取り組みにより08年には39頭に種付けが成功し、そして今年は69頭という自己最高記録に到達するに至っている。 *この間の社台サイドの対応や治療については、こちらが詳しくまとめられているので参照を願えればと
どうにもアンテナの低いナマクラなマニアゆえこうしたネタは周回遅れで目に触れることが多い。横から口を出すようでちょっと失礼しますだが、一口にも参加している20年来の競馬ファンとして、自分の立ち位置を確認するためにもコメントしておこうと思う。 誤解を恐れずに言えば、自分は「競走馬は人間のために存在する経済動物に過ぎない」というのが出発点だ。 生産にしても競走にしても結局のところは競馬という”しくみ”を作り出した人間側の都合に合わせた営為であるし、国や地域による差異は様々あるとはいえ、引退後に命を断たれるといった現実もまた人間の都合でしかない(さらに言えば「余生を送らせる」という視点すら人間の都合だろう)。 競馬という”しくみ”はそもそも華やかな顔ばかりではなく、おのずからこうした残酷な側面も含有しているものなのだ。だからこそ、どのなようカタチであれ競馬にコミットするということは明暗/清濁/陽陰
勤め先ではごく一部を除いて、自分が競馬/血統マニアだということはカムアウトしておらず、ダービーや有馬記念などの有名レースが話題になれば話をあわせる程度だ。別にたいした理由もなくオタクトークができる相手がいないというだけだが。 最近は<いかにライトファンですよ的言動を取れるか>でちょっと楽しんでみたりしている。例えばG1の翌日なら「なんか昨日の競馬、凄い万馬券出たんだってね」「何番の馬が勝ったんだっけ」とレース名と馬名を使わないシバリで話してみる。または「天皇賞って春と秋があるのに、なんでダービーはないの?」と聞いてみる。 知ったかぶりの答えを「へー」と言いながら心の中で笑うと言う非常に意地悪な?遊びなのだ。良い子はまねをしないように。 しかしつい、マニアの血が発言に滲み出てしまうこともある。 北海道の特定地域の地名の読み方を知っていたり、東風(こち)や東雲(しののめ)や和布刈(めかり)や許
前回のエントリに関連し、Medaglia d'Oroの日本語表記についてコメントを頂いた。語源=イタリア語で言えば「メダーリャドーロ」あたりが一番近いかなと思うが、アメリカ生まれで英語読みという意味では「メダグリアドーロ」にも不自然ではなかろう。 古くはSt.Simon(セントサイモンかサンシモンか)だったり、最近では*ピルサドスキーの表記を山野センセが厳しく批判したりと、この問題は論が尽きない。 そもそも、外国語の単語を日本語表記するという際にどうしても無理が出てしまうという側面はある。馬名でも英語のRとLの違いもカタカナでは区別できないし、フランス語の鼻に抜けるような発音だって表現のしようがない。ある程度の誤差的なモノは仕方ないかな、などといい加減な自分は思っているが。 とはいえ、そりゃないでしょという表記もたまにある。 代表的なのは種牡馬として活躍していた*スマコバクリーク。 スマコ
「僕の夢を実現してくれるだけの素質を秘めた馬」 「大物に共通するものを備えている」 「(英ダービーにも登録)エプソムで勝つのが僕の夢」 いやあ久しぶりに岡田総帥らしい発言。どうせ大きいことを言うのならこのくらいじゃないとね、と。 その大きな夢を託された期待馬*ユメユメユメが、札幌のデビュー戦でさっそくコケるところもまた岡田劇場のお約束である。 *ユメユメユメはアガ・カーン殿下のオーナーブリード馬Azamourの初年度産駒になる。同馬はセントジェームスパレス(1600)、愛チャンピオンS(2000、キングジョージと(2400)と三つの基幹距離のG1を勝った一流馬だ。 一方母系に目を向けると、兄がダーレイS(G3)などを勝ったFar Laneで、叔父にはAt Talac(パリ大賞、メルボルンカップ)の名もあるから、悪くはない。 ただしAzamourは殿下らしい父系の遺伝力に依存しない配合だから
南関東牝馬クラシック第2弾、大井の東京プリンセス賞はネフェルメモリーが制した。 ネフェルメモリーは北海道から転厩してから2歳優駿牝馬→桜花賞と連勝し、本命としてこのレースに臨んでいたところだ。チャームアスリープ以来の3冠も期待できる強さである。 この牝馬のボトムラインを見て、ある種の感慨を覚えるのは長年の南関東ファンだろう。 母のケイアイメモリーはJRA1戦0勝の無名馬だが、祖母のカシワズプリンセスは3歳優駿牝馬を勝ち、牡馬を相手に羽田杯や黒潮杯をも制した女傑。さらに3歳母のシャドウも南関で桜花賞、オークス、キヨフジ記念などを勝った活躍馬である。 ネフェルメモリーは北海道生まれだが、この牝系はそもそも青森県で供用されていた輸入牝馬*インザシャドウズを基点としている。同馬は安田記念を2着し種牡馬となったカネオオエを産んだ優秀な繁殖だ。 ところでこの*インザシャドウズ、繁殖成績を調べると不思議
メンデスの法則 ①*メンデスのように芦毛遺伝子をホモ接合型で持ち、全ての産駒が芦毛に産まれる種牡馬の遺伝法則。*ゼダーンや*ラナークなどもこれに該当する。ヘテロ接合型のクロフネなどは俗に半メンデスの法則と呼ばれる。 ②*メンデスが日本に輸出後、産駒のLinamixがフランスでリーディングサイアーに輝いた。転じて「他国に輸出したとたん、その種牡馬の産駒が活躍する」現象を示す。 さて、この有名な法則以外にも競馬界には様々なセオリーが存在している。 ハインリッヒの万馬券法則 1つの万馬券の陰には29の当たり馬券があり、その背後には300のハズレ馬券が存在する。数理馬券学者のハインリッヒ博士が提唱した法則で、万馬券を取るためには地道に損を重ねる必要があることを統計学的に証明した。 パブロフの馬 ロシアのアレクサンドル・パブロフ師が考案した調教法。調教のゴール地点を先頭で通過したときのみ上質の飼葉を
アメリカの種牡馬を種付価格帯別に辛口評価しているこのサイト、面白いので昨年に続き09年版で公表されている部分を抜粋して紹介したい。なお多分に意訳交じりなので、そのへんはまあ突っ込まないでください。ワーストの方が痛烈だよね。 <Best Value $5000以下> 1位 Concerto ($5,000 Ocala Stud Farm, FL) 多くの評価面でケンタッキー供用$15000クラスの種牡馬とそん色ない。 2位 Intidab ($4,000 Shadwell Farm, KY) この価格帯では最も平均獲得賞金が高い。血統を無視して結果を注視するべき。 3位 Evansville Slew ($2,500 Diamond G Ranch, OK) これほど貧弱な牝馬を相手にしながら評価を得る種牡馬も珍しい。 4位 Slew City Slew ($5,000 Airdrie St
アメリカに端を発した今回の金融危機は、実体経済への悪影響をも伴う形で飛び火し、各地に混乱を招いている。中でも経済の失速が懸念されるヨーロッパ各国では株価だけでなく、ユーロやポンドなどの通貨も大きく下落する事態となっている。 しかしこの日のカリフォルニアに限っては様相が違い、ヨーロッパの強さが目立ったのだった。 「勝つかどうか」ではなくて「いかにして勝つか」。 BCクラシックのCurlinに対する一本かぶりの人気は、そんな衆目の興味を示していたと言って良い。4コーナーでレースを先導した*カジノドライヴが失速すると、替わるようにCurlinが先頭に立つ。いつものレース、いつもの強さである。 しかしここからが「いつも」と違った。さらに外からやってきた3歳馬が凌駕していったのだ、覇王を。 勝ったのはイギリスのRaven's Pass。前走で芝マイルG1(QEⅡ)を制した勢いそのままに遠征し、デット
彼の地では別格のSadller's WellsやStorm Catの直仔がイマイチ日本で結果を出せていないのとは対照的に、産駒が本邦の馬場とレース体系によくフィットし、「導入できれば面白いのになあ」と思ってしまうタイプのサイアーがいる。例えば*シンコウラブリイやフサイチコンコルドを出したCaerleon、アドマイヤコジーンや*ローブデコルテを送り出したCozzeneなどがそうだ。 そのCozzeneが先日、死亡したというニュースがあった。1980年生まれだから日本で言えばミスターシービーやニホンピロウイナーと同期になり、28歳となった今年も38頭の種付けを行っていたとのことだ。 BCマイルの勝ち馬であったCozzeneは種牡馬として、Alphabet Soup(BCクラシック)やMizzen Mast(マリブS)などダート路線のG1馬から、*スターオブコジーン(アーリントンミリオン)や*
アメリカのジョッキークラブは先日、北米における07年サラブレッドの種付頭数を発表した。じっくりと中身を吟味する気が起きないほどにサイアーの数が多い(3,638頭!)が、つかみの数字と日本関連なんかはちょっと抑えておこうかと思う。 昨年種付された牝馬は総数で61,262頭で、今年の9月4日までに報告のあった産駒誕生数は34,561頭である。 州別の集計では1位がケンタッキー州(種付21938→産駒15040)、2位がフロリダ州(6489→3593)、3位カリフォルニア(4723→3004)。以下ルイジアナ・ニューヨーク・テキサス・ニューメキシコと続く。産駒数の前年比でいうとケンタッキーは微増だが、それ以外は10%以上減らしている州も少なくない。 さて、個々のサイアーをみてみよう。種付頭数のTOP10は以下のとおりだ。 Stormy Atlantic 199 Johannesburg 19
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