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アメリカ大統領選
rosechild.hatenablog.com
もしも自分が北海道日本ハムファイターズの公式の立場を表明する責任者だったとして、広報がこういう原稿をもってきたらどう添削するだろうかということを考えてみた。「責任者として「読者の目線ではこう考えるのでは」という振りをする」という振りをしている。以下、出典元のない引用は以下による。 www.fighters.co.jp ファンの皆様へ 差別動画の発信は不特定多数に向けられていた。ここで問われているのは、全世界に発信しているメディアで公開された出来事に対する球団公式としての姿勢である。批判を浴びているのは出来事そのものとは別に、球団の対応が、およそコンプライアンスのかけらもないと思わざるを得ないことである。これに対して弁明するのはファンだけではなく直接間接に傷つけた人々を始め、企業としての信頼を裏切った全ての人であろう。誰に対しての発信なのかを見極めること。 この度は、チーム成績も低迷する中、
安野光雅は小学校四年生の時に鉛筆書きの新聞を発行したという。ニュースや漫画や、連載小説や広告まで載せて無料「いや、読んでもらえばこちらが金を出してもいいと思うくらい」だったという。「緑の白船」というタイトルの、その連載小説はこんなのだった。 石州津和野城下から北へ二十里行くと、東洋一の屋敷があって、このあたりの人は杉屋敷とよんでいるのであった。そいでその家の中に住んでいる杉守老人を見た人はだれも見たことはなかった。そいでからもちろんこの家には杉守老人しか住んでいなかった。そいで杉守老人の屋敷は壁に囲まれていて城のような家で見知らぬ人を見たらすぐかみ殺す犬が居るけえ猛獣使いでも近づけなかったのだ。 安野光雅「起笑転結」文春文庫 p.188 見た人は誰も見たことはない杉守老人と見知らぬ人を見たらすぐかみ殺す犬の運命やいかに!と今読んでも血湧き肉躍る展開の小説は、しかし作者本人の「華麗な”名”は
Happy New Yearよ、ほーんとにね、すごーいよ(クロマティーの口調で) いや凄いよね、クロマティ。今ウィーラーとやってるのYou Tubeで見て、ほんま凄いなとHappy New Yearな気分になっています。ありがとう、クロマティー、ありがとうウィーラー。You Tubeの功績やね、私巨人嫌いなのに、個々のやってる人たちはみんな格好いいなあとYou Tubeみて思うようになったもんね。人生で村田真一を好きになる日が来るとは思ってなかったよ。そして激うまな肉じゃががあるんですけどね、作ったんだけどもうすごーいよ、感動よ、あのね「何かを育てている人」は凄いと思うのね。子どもは勿論だけど、動物でも植物でも、部下でも学生でもなんでもね、私は何も育ててないね、それでなんか育てようと思って買ったのね、鉄製のフライパン。20センチだよ、小さいね、ほとんどスキレットだね、いいんだよ一人だしね。
バスケ好きが見るBLM について、ブクマにも書きましたが All lives can't matter until Black lives matterは 全ての命が大事だ、全ての命がかかっている問題だというなら、その全てに当然含まれるはずのblackの命が軽視されている限りは、原理的に「全ての命が大事」ということが成り立たないだろう、だから、他の全ての命も, yellow も brownもwhiteもmixも、その他どれ一つでも、matterだと思われていないものが一つでもあったら、All lives matter には「なり得ない (can't)」から、まず目の前の抑圧と戦おう、というのがこれの趣旨ではないかと思う。 当事者がまず目の前の抑圧と戦う、というのは間違っていない。誰だって自分に降りかかっていない抑圧の全てと戦うことなどできないのだから、まず立ち上がるのは最も切実に問題を抱え
仮に、今そういう差別が見られない、考え付きもしないという人が多数派だとしたら、それはかつてあったその抑圧に対して多くの人々が少しでも一歩でもと、圧力と屈辱の中で戦い続けて来た結果である。 私の子供のころはむろん、社会に出たころの企業社会においても「おーい、お茶」と呼びつける権限をもっているのは男だけであり、それに「はーい」と応じるのは女だけだった。もちろん、世の中は少しずつ進んでいたから、都会や田舎でも私の知らないところにそうではないところも出てきてはいただろう。しかし、私の知る限り、家族、親戚、近所、職場、その他すべてのコミュニティにおいて「そこに女性がいるところで」自らお茶を淹れる男性は皆無であり、男性を呼びつけてお茶を淹れさせる女性も皆無だった。お茶を淹れる仕事は最初から女性に割り振られていた。 この30年で大きな変化があったのは事実であろう。私の周りにも今はお茶を淹れることに男も女
日本人が間違った覚え方をする「得意ではない」言葉についておよびこれに類する話が出てくるたびに思うこと、についてのメモ 1)ある言語を学ぶことと、その言語から語彙を別の言語に取り込むことは違う ある言語を学ぶ時には母語話者の発音や文法がお手本になる。その言語を尊重するなら、ネイティブの発音を尊重し、できる限り近い音を出そうと努力するのも自然なことだろう。 しかし、語彙を別の言語に借用し取り込む時には、ネイティブそっくりであることよりも、取り込んだ先の話者が聞き取れること、話せることが優先される。取り込む先の言語の音の決まりに従って自然に、あるいは人為的に、元の言語の音とはちょっと違った形で認識されるのはごく当たり前のことで、別に「間違った」ことではない。 2)ある言語には「音」のルールがある ある言語にはその言語の音の組み立て方のルールがある。たとえば日本語で促音「っ」として認識される。「そ
タイトルは「言語学なんでも(あり)研究会」とかいうのがあるらしいよ、という意味の方言です。 五十路を前に大学院に入り直し、遅れ馳せながら研究生活を始めてはや2年になる。三十代半ばで言語学に目を開かれて、しかし一度は断念した道にまた戻れたのは、幾多の学恩に恵まれた僥倖というほかない。先生たちはもとより、今は二十も年下の先輩たちに教えを仰ぎ、さらに若い学生たちと議論を重ねる日々、もうぶれないと決めた道は楽しくも険しい。 授業が好きで授業に出まくっているためによく先生に叱られた。一番大事なのは研究なのだ、優先順位を間違っているのではないかという指摘はよくわかるのだが、しかしこの世には聞いておくべき授業というものがあり、授業でしか得られない知見というものがある。とはいえ人間の時間は有限で、人生の終わりも視野に入ってきた。かちかち山のたぬきのような人生が愚かなままで終わる可能性は限りなく高い。 閑話
給付型奨学金創設へ 文科省、検討チーム設置(毎日新聞)についてメモ 成績要件をどうするかも課題だ。日本学生支援機構の無利子型奨学金は高校2、3年の評定平均が3・5以上を基準としている。検討チームでは「経済的支援が目的なので成績要件は設けるべきでない」とする意見もあるが、ある文科省幹部は「総額数百万円の国費を給付する以上、成績も考慮しないと国民の理解が得られないのでは」と語る。 記事にもあるとおり、現状国内で成績要件を取っ払った完全給付に国民的な合意が得られるかというと厳しいと思う。しかし世界には成績要件なんぞついていない奨学金というのは多々ある。成績要件は当たり前と思い込むのではなくて検討する価値はある。 奨学金を必要とする学生はそれだけでは生活できずバイトも必要で制約が多い場合がある。バイトはしてもしなくてもいい、適当にやればいいレベルの学生と比べて時間的にも精神的体力的にも厳しいことが
変な時間に起きてしまったので(スランプ?)専門家として何をどこまでどんな調子で書くかにお返事 「専門家が素人向けに専門のことを書くのはマウンティング(なのでそもそもそも良くない)」というタイプの意見を複数回目にしてちょっと気になっている その意見を読んでいないことをお断りした上で、一般論として好意的に解釈すると権威主義とかパターナリズムに陥りやすい、知識が抑圧として働くことに無自覚な専門家や、つい偉そうぶりたいお調子者を戒めた言説かと思います。しかし 「専門家が素人向けに専門のことを書くのはマウンティング(なのでそもそもそも良くない)」 いや、そんな訳ないやろ。専門家が素人向けに書くことがなかったら、一体素人はどうやって専門家になるんです?生まれた時から専門家なのか?最初から専門書読むやつはおらんやろ。誰かてどこかで素人向けの、わかりやすい言説に接してちょっとずつ専門的な知識を身に着けてき
気づかずにスルーしてたら太田山やないか。 【北海道で一番危険な神社】太田山神社 懐かしすぎる。2000年9月当時のホームページの日記を再録。(念のため、私のローカルにしか残ってないので検索してもないよ) 2000年9月30日 二度と行くもんかと言いながら、また山に行ってしまった。大成町の太田山。道南五霊場の一つと言われているとかで、ロープを伝い、鎖をよじ登って山の上のお堂にお参りした。「菅江真澄を読む会」という江戸時代の民俗学者の著作を読む会が江差で開かれていて、今日はその足跡をたどる行程。会員の年齢層は非常に高いのに、元気な人ばかりでえっちらおっちらとなんとかついていった。山の上からすみとおった海の底が見えるようで、真澄が見た200年前の日本海も、きっとこんなだったろうと思われた。 ロープで体重を支えていたら、手が痛い。手と肩が非常に痛い。いつも足はこんな思い物を支えているのかと思うと実
地理の問題がもはや地理じゃないと話題→いやいやこれめちゃくちゃ良問だぞ!! という話に野暮かも知れませんが言語学サイドから口出し 私なんかの出る幕では全くないのですが、たまたま今学会シーズンで言語学の先生たちは飛び回っているところだし誰も触れないで流してしまうとあれなので、最低限のフォローをしておきたいと思います。突込み歓迎。(但し私も今せっぱつまってるとこなのでお返事できるとは限りません) 一般向けの参考文献はこのあたり 言語学の誕生―比較言語学小史 (岩波新書) 作者: 風間喜代三出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1978/12/20メディア: 新書 クリック: 10回この商品を含むブログ (9件) を見る言葉を復元する―比較言語学の世界 作者: 吉田和彦出版社/メーカー: 三省堂発売日: 1996/02/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る 双方とも超スー
その後ってもその前はないんですけどね。 何が一番問題ってこの件、当事者たる私の意向は一顧だにされていないところである。私らの若い頃であれば当人の与り知らないところにお見合いの話がくるなんてのはまだまだよくあることでしたが最低限の条件として「結婚相手を探している」人のところにもっていってほしいよね、縁談というのはね。ということで1ミリも結婚相手を探してなどいない私のところに縁談がやってきたのであるが、どうもこれ、私のみならず相手の意向も聞いてないんじゃないかという気がする。相手の親が息子が結婚しないので長年心を痛めていて、この際誰でもよいという訳ではないが、本人以上に切実なのは知っている。仲介者の話によると、相手の幼馴染は気が弱くて声をかけられないだろうから私の方から声をかけてやってくれないかということだった。 相手は同級生なのだが、さすがにアラフィフにもなって自分から声をかけられないならも
追記 id:nofrillsさんのブクマからツイッターを拝見しまして、下記に引用するとおりツイッターの方ははっきりしたご批判と思いますのでお答えを追記しておきます。 しかし、「私は知らない」+「統計資料にない」=「なかった」は、ずいぶん乱暴だ。出版の世界には、数字に残らない「影響力」ってのがあるんだよね。新聞や雑誌のコラムをやたらと書いてたりとかいうのもあるし、出版社の編集部の中での「類書」としての存在価値が高いとかいうのもある。 言及先の記事には私は「rosechild マークス、クライン氏の本は売れたがベストセラーの「中心」とは笑止。(以下略)」とブクマしているとおり、「私は知らない」のではなくある程度売れていたことは認めています。下記に「当時を知る人がほとんど覚えていない」と書いたのが誤解を招いたのだと思いますが、これは私の身近な人に聞いてみたので、自分が聞いた数人を「当時を知る人が
新教科「日本語」授業に保護者も興味津々 佐賀県鳥栖市 佐賀県鳥栖(とす)市が新教科「日本語」を始めて授業参観が盛況だったよ、というニュースである。これは日本語も世界の言語の一つとして位置づけて、ふだん当たり前のように使っている日本語にはこんな面白い仕組みがあるんだよとか、日本語と言ってもたくさんの方言があるよねというように、従来の国語教育では言及されることの少なかった日本語の側面を見てみよう、あるいは外国語としての日本語を日本語話者も勉強してみようとか、そういう話では全くなかった。 正しい朗読を通して日本語の美しさなどを学んでもらうため、NHK佐賀放送局のアナウンサーとキャスターの2人を講師として招いた。 授業内容は論語。 正しい朗読?アナウンサーの朗読は正しくて普通の人の朗読は正しくないのか?とそこら辺でとりあえずひっかかる訳だが、それにしても珍妙な気がする。なぜわざわざアナウンサーを呼
この他人事みたいな記事の話 支持者の男性9人に「かわいいね」「ありがとうね」と迎えられ、ワイン片手に選挙の情勢を語る これ、事実だったら36歳の衆議院議員に「かわいいね」とか言ってる支持者がかなりどうしようもないと思うのだが、記者は現場にいてそれを見たのか?適当に作ったのなら支持者は怒っていいレベルで、導入としてひどい。本当にこう言ったのであれば議員は自分の支持基盤をまずどうにかすべきで酒以前の問題だと思う。 夜の活動は、出産や育児との両立の問題を生む。ほかにも、セクハラの温床にもなる。複数の女性議員が「当選する前は、飲み会でセクハラされても文句は言えなかった」。少数派の女性というフィルターを通すと、政策本位と対極にある日本の政治土壌が見える。 我々はフィルターではない。あなたたちが見えていない『日本の政治土壌』を見えるようにするための道具ではない。「女性というフィルター」を遠通さない(な
この件に関連して他人の発言などを批判したり言及したりする時の自分のスタンスについて現時点での覚え書きです。 例えば橋下徹氏とか山谷えり子氏に対して、とても看過できないような言説が投げつけられた時、それに対して批判的なことを書くと、それへの再反論は歓迎なんだけど、単なる感情的な反発みたいなブクマなんかも結構くる。それは日頃自分があまり政治的な話題などに言及しないので、日頃問題意識ももってないで、橋下氏や山谷氏の言動を批判もしたことない奴が何いってんだこの野郎(野郎じゃないけど)みたいな反感もあるのではないかと、これは単なる推測だが、思う。 私は特に必要がない限り、たとえば橋下氏に対する差別的な言辞を批判する場合に「私は反橋下派ですが」などとは書かない。橋下氏の政策に積極的に賛同したことは一度もないが(念のため、私が知らないだけでよい政策もあることを否定するものではない)それと彼に対する差別的
訂正:歌丸さんのくだり、失礼すぎるし面白くないしなんでこんなこと書いたのかわかりません。お詫びして撤回します。 全く2回も続けて「〜へのブクマの続き」なんて記事を上げるぐらいなら最初からとっととエントリを上げろよ、と思いつつ、これはこの記事 へのメタブクマの続きです。下記のrosechildの発言が当該のブクマでその下のdlitさんの発言はメタメタブクマからの引用です。 rosechild 激おこの時も参照したブログですがこの2コマ目http://carmine-appice.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-dbc4.htmlが気になる用例がやってると思います。 dlit id:rosechild 実はこの論文を書いてる時も「<映画/番組>がやっている」が同種なのかどうか検討はしたのですが、気になることがあって別扱いにしたのでした。でも昔過ぎて理
これはこの記事につけたブックマークコメント の続きです。 rosechild:理想としては誤解を招こうが不用意だろうが不親切だろうがなんでも好きなことを言っていただいて、失言や迂闊な発言などについてはその都度批判、反論をしていくしかないと思っている。しかし(以下後で書く) (承前)それを、すなわち「その都度批判、反論していく」ことをこの件に関して極めて精力的に、建設的に行っているのは誰あろうublftboさん、TAKESANさんである。 信頼できる論者の失言だの適当な物言いを許容するためには、周囲が適切に批判し反論しよりよいものを提示していくことによってその見解の質を担保する必要がある。不用意な発言をしない人なんかいないんだから、お互いに批判しあっておかしな点は議論していけばいい。 問題は、多くの人は批判も反論もしないでいながら「その都度批判、反論していくしかない」などと寝言を言うことであ
(音声ファイルは削除しました。いずれまたある程度公開できるようなものを作りたいと思っています。) 先日アクセントつけるゆうてたネタに簡単にアクセントつけてみたん。高いとこがHで低いとこがLなん。ほんで京阪アクセントと違うぽいとこには色つけてみたん。もっと違うとこようけあるんやろけど京阪の方がわからんでとりあえず目に付くとこな。イントネーションによっても高さは変わるんやけど、まあ大体こんなもん。暇な人やあたら朗読してみて。 ほんまゆうたら LLL HLLL まいどまいど LLH LLH 自分の方言で LLLH HHHHH ブログ書いたり HLL LLHL したいんやけんど、HLLLLHLL なかなかさあちゅうても HHHH HLHLLL でてこんもんやし、HHLLHLLL ふだんはまあ、HLLL HL 関西弁ちゅうんか、HHHHHH HHLL 関西の言葉をつかうてゆうても HLLLL HLL
ちょっとしたネタみたいなもんなら方言で書いてみてもいけるんちゃうやろかとふと思いついたんでいっぺん書いてみますわ。 私は今仕事で英語はある程度できなあかんのやけど、実際最低限はできるさかいに今の仕事させてもろてるんやけど、仕事やら勉強で要求されるレベルから考えたら実力はひどいもんですわ。特にひどいのが発音。誰かて訛りはあるんやし何もネイティブなみにせんならんことはない、通じたらええんやから日本語アクセントは堂々としてたらええというのは一般論としてはほうなんやけど、私の場合は発音が悪うて通じんのですわ。文字通り話にならん。ほんであんまり発音がひどうて通じんかった時には何が悪かったんか時々メモしたりしてたのを集めたネタ箱があるんでちょっとほれを晒してみますわ。ちゅうのは、同じ間違いしてやある人がやあって参考になるかもしらんし。これから挙げるのは、日本語訛りがあって通じんかったんではのうて、そも
血液型占いに科学的根拠がないのは知ってるんだけどね、コミュニケーションに絶対必要だから仕方ないよねみたいな記事を批判しようと思っているのですが、言及先はその前の記事で 例えば、国によっては国民の血液型が1種類しかなく、そもそも血液型が性格判断の材料として機能しないケースもあります。 なんてことを書かれています。そのデータは一体どこから、というか批判する気力が萎えていくのですががんばろう。 前の記事との二段構えで、差別性はなーんにも認識してないよ、科学的根拠なくたって楽しけりゃいいじゃん、というお気楽な血液型論が展開されるのだが、このカジュアルな血液型差別はまた別のステレオタイプをも内包している。 男性のみなさん、以下のような会話をしたことはありませんか? (中略) 「あのさ、血液型性格診断ってウソらしいよ。科学的に無根拠なんだって」 「え?そうなの?」 「それにオレ、『何型に見える』とかそ
dlitさんのエントリに関係ない方向で便乗して1冊だけ本の紹介を。 ええほん 滋賀の方言手控え帖 (淡海文庫) 作者: 中山敬一出版社/メーカー: サンライズ出版発売日: 2012/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログを見る ほんまゆうたらまいどまいど自分の方言でブログ書いたりしたいんやけんど、なかなかさあちゅうてもでてこんもんやし、ふだんはまあ、関西弁ちゅうんか、関西の言葉をつかうてゆうても大阪あたりの人らがつこてやあるのをまねしてるんやけどな、ほんでも私の育ったとこはけっこう滋賀県の中でも言葉が珍しいちゅうて専門家でもときどき研究してやある人もやあるんやけど、どうしてもな、ほこの人でない人が書かあた文ちゅうのは、ネイティブが見たらこらちゃうでと思うことが多いわけでな、ほんでまあほういうプロの研究を見てもちょっとこれちゃうやろと思うことがちょいちょいあるんやわ。 ほやけどこの
よいお年を、はもうやったのですがTAKESANさんのエントリに触発されて最後にもう一つ。言語学関係の、しかし一般向けに書かれた本がほとんどです。これを書くのは少し迷った。というのは、下記に取り上げたのはほとんどFBで絶賛してきたので、リアル知り合いがこれを読むとばれてしまうからなのだが、まあもういいよね、ばれても。ばらことかrosechild名で書いてきたのは何が恥ずかしいって言語学のことをほとんどわかってない癖に偉そうなことを書き散らしているのが非常に恥ずかしいのだけど、そんなこと言ってたらこれから何も発言できなくなる。恥多き人生に一つ二つ恥ずかしいことが増えたところでどうだというのだろう。大体そもそもリアルの方がもっと恥ずかしい人生なのに何を今更、と言い訳はこのぐらいにして。 日常言語に潜む音法則の世界 (開拓社言語・文化選書) 作者: 田中伸一出版社/メーカー: 開拓社発売日: 20
追記:他人の誕生日のお知らせは設定でオフにできることをブクマで教えていただきました。 その後陰謀論の友達は、Facebookがプライバシーポリシーを変更したのでまた何か陰謀をキャッチして、FBやめますと言って去っていきました。こちらから去るつもりだったのにあちらから去られた。なお、FBから去ること自体は悪い選択肢だとは思っていません。 FBのウザさは今更繰り返すまでもなく特に他人の誕生日を知りたくない自由が尊重されないところは耐えられないレベルなのですが、今のところまだ使っています。(君ヘビーユーザーじゃん、とか突っ込む私個人を紐付けできる人はたぶん3人ぐらいしかいないはずです。)ともあれ、SNSは友達関係について、今までいかに友人のことを知らずにつきあっていたかということを、多くは知りたくなかったことを色々と知らせてくれるものでした。 ところで今でこそ陰謀論を批判している私が過去にはいろ
前回のエントリにたくさんの反応をいただきまして、ブクマや☆をいただくのは嬉しい反面、これがこんなに話題になるというのは笑って済まされない、結構「不正選挙」なんてことを言う奴がいるってことだよなあと半分暗澹たる気持ちにもなっております。ちなみに件の友人は今日も元気に「拡散」に励んでおり、そんなのとっとと友達やめたらいいじゃんというようなコメントもいくつかいただきましたが、残念ながら、実質的にもうやめているといわざるを得ないところまで来た感じです。後はそれを明示的に、相手に示すかどうか。本当に尊敬できるところもある人だけに、全くSNSというものは私にとってはただでさえ少ない友人をますます減らすものとして機能しており残念でなりません。閑話休題 いただいたコメントに全部お返事することはできませんが、トラックバックで前回への記事への反論をシミュレートしていただいた方がいらしたので、それへの再反論をも
選挙のたびに今回の選挙は絶対不正選挙だ、そうだそうだ、拡散しろとか言い出す友人とそのたくさんのお友達がいて頭が痛いので反論のテンプレを作りました。 1.当たり前だが公務員は個人ごとに支持政党も思想信条も違う。自民党支持の上司の下に共産党支持の部下がいるがそのまた部下は公明党とか当たり前。そういう人々が一致団結して特定の候補を落とすとか無理。まして全国的に組織的にとか不可能。 2.選挙事務は忙しい。そうでなくても休日出勤が深夜に及ぶ時にそういうバカなことをしている暇は普通ない。 3.不正をやるとしても得る物に対して失うものが大きすぎる。公務員は普通に定年まで勤めていれば安定して年金ももらえ、子供を学校にやったりもでき社会的に信用もできる。それを失う危険を冒してまで犯罪に手を染めて、仮に思うような政治家なり政権が誕生したところで、直ちに自分たちに返ってくる利益は計算できない。また普通に社会に生
問題の部分の動画の文字起こし 小川「この訪問した方のですね、元在特会の幹部の方がこういう風にホームページで言ってますよ。『山谷先生の宿泊されているホテルへ押しかけ、しょうそ、少々遅い夜明けのコーヒー、』とこういう風にいっています。大臣が泊まられているホテルに朝方、午前中ですね、訪問したんじゃないですか。大臣はそれを受け入れてお会いしたんじゃないですか。」 野田「宿泊先まで知ってるってのはねんごろだった関係じゃねえのか」(追記:「ねんごろだったんじゃねえのか」としておいたところブクマで「宿泊先まで知ってるっていうのは、懇ろな関係じゃねえのか」ではないかとのご指摘がありました。ほぼご指摘の通りに修正しています) 議長「山谷大臣」 議員たち「それ失礼なんじゃないのか」「それ失礼だろ」「今の発言問題なんじゃないのか」 5分51秒ぐらいに発言者を振り返っている議員達の視線が確認できる。 山谷答弁する
dlitさんの記事『()(かっこ)内の情報の多義性(?)』を読んで、自分のダイアリの過去5つのエントリについて かっこ、特に「()丸かっこ」でくくられた語句・情報がかっこ外とどのような関係にあるのか を見てみた。 私が使用している(かっこ)はおおむね次のパターンに分けられる。 (1)余談のかっこ(本当にどうでもいい話を挟む時につかう) (2)補足情報のかっこ(詳しく説明するとき。この下位分類として追加情報のかっこがある。) (3)メタのかっこ(読者に話しかけるとき) (4)セルフ突っ込みのかっこ(多用するとウザい) およびその組み合わせ。 これらのことから見えるのは、補足情報を別にして「大事な情報はかっこには入れない」「もっと校正の段階で取れるんではないか」ということで、私は( )を使いすぎなのでなるべくあんまり使いすぎないように心掛けたいと思います。役所の文書などはほとんど全てが補足情報
訂正:タイトル始め5箇所ぐらい漢字間違ってました。○直観×直感。全く、偉そうなことを書くとすぐこれだ。ご指摘いただいた皆様ありがとうございます。 しばらく前にとある言語学の授業を聴講していたのだが、授業中にしばしば直感直観(以下漢字直します)を問われることがあった。 「直観がある」というのは、言語学では「後付けの知識と照合しなくてもその言い方がありかなしか判断できる」ことである。つまりネイティブかネイティブなみだということである。たとえば「おなかが痛い」と言いたい時に「おなかは痛い」と言ったらそれはおかしい。これを習い覚えた知識をもとに例えば中立叙述がどうしたとか訳を考えるのではなく、「なんでかしらないけどそういう時はおなかが痛いでないとだめなんだよ」という知識を誰にも教えられていないのにもっている、そういうのを「日本語の直観がある(ここは元から正しかった。文で変換したのかな?)」という。
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