サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
sociologbook.net
コンテンツへスキップ 大阪に乾杯!! コメントを残すメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です コメント ※ 名前 メール サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。
いま東京へ向かう新幹線の中でこれを書いている。 さきほど、地元で「大阪市廃止」を決める住民投票に行ってきた。大阪市の片隅の小さな下町だが、そろいのオレンジ色のTシャツを着た維新の人たちがあちこちに立って、賛成を呼びかけていた。 現役の大阪市長が、公務もせず、100年以上続く大阪市の解体をひたすら呼びかけている。こんなに大事なことが、こんなにあっけなく、簡単に決められようとしている。 今回の結果は、ほんとうにわからない。事前の世論調査では反対派が若干多かったようだが、いくらでもひっくり返せるぐらいの差でしかない。 投票所の周辺にも、維新の人びとや、反対派の人びとがたくさんいた。そして、たくさんの近所の人たちが、投票に来ていた。 私はぼんやりと、このおっさんはどっちかな、この小さい子どもを連れた若いお母さんは賛成したんかな、このサンバイザーをしてヒョウ柄のブラウスを着たおばちゃんは反対派かな、
昨日、都構想に反対する集会をのぞいてきた。のぼりがたくさん立って、みんなハチマキとかゼッケンをつけて、おやじバンドが「満月の夕」とかのコピーとかを演奏してて、なんとなく「昭和レトロ」な感じだった(笑)。 まあ、それはともかく、実際に自民党と共産党ののぼりが一緒に立ってるのは、なかなか感動的な光景だった。 集会は、地域政党、労働組合、商店街など、「中間集団」そのものの総決起集会のような光景だった。とにかく来賓が多くて、挨拶が長いのにはまいった(笑)。暑かったので、パレードが始まるまえに疲れ切ってしまい、途中で帰ってしもた。 なんとなく、戦後のながい歴史のなかで、まず「労働者」という存在が弱くなって、次は「市民」あるいは「住民」が攻撃されているんだな、と感じた。労働運動の担い手としての労働者から、地域活動や住民運動の担い手としての市民や住民というものが標的にされている。私たちはバラバラにされ、
沖縄のBEGINというバンド、ちょっとベタすぎて、沖縄の勉強をしていてBEGINが好きだというと恥ずかしいぐらいの話だが、実際にそれほど音楽的に好きなわけではないけど、いつも歌詞が面白いなと思う。いまのリアルな沖縄を描いている。 たとえば、有名な「オジー自慢のオリオンビール」。 http://j-lyric.net/artist/a000775/l00af7d.html 何かといえば沖縄でかならずかかる有名な曲だ。このなかの、「かりゆしウェア」とか「高校野球」というフレーズも、とてもリアルだけど、 ・不景気続きでちゃーならん(どうしようもない)/内地で仕事を探そうかね このフレーズにはどきっとする。戦後の内地(日本本土)への出稼ぎや就職については、拙著『同化と他者化』でまとめて書いたが、それはいまでも沖縄のひとびとの、日常の一部になっている。 ・戦後復帰を迎えた頃は/みんなおんなじ夢を見た
頭が悪くて、行政に関する細かい事務的なことがなかなか覚えられない。いくつかのサイトをざっと見て、「いちばん簡単な都構想の問題点」をメモしてみました。ただ、細かい数字については、いろいろサイトによってズレているので、正確ではないかもです。間違ってるところがあればご教示ください。 (1)大阪市は大阪都にはならない。ただ単に解体される。住所は「大阪市北区」だったのが「大阪府北区」になる。住民投票で決まるのは「大阪都」ではなく「特別区をつくるかどうか」についてだけ。 (2)特別区の権限は市町村以下。大阪市は大阪府から独立しているが、特別区になれば大阪府の「下請け」になる。 (3)大阪市の税収約6400億円は、特別区になると約1600億にまで減らされる。残りの約4800億円は大阪府へ吸い上げられる。 (4)権限や財源が縮小し、規模も5分割されれば、行政サービスは悪化する。公営住宅、生涯学習、地域のお
もうひとつ中高年男性問題。 那覇でふらっと入った居酒屋で。カウンターの隣りに座ったおっさん。っていうかじいさん。60代なかばぐらいで、ちょっとコジャレた格好をしている。首によくわかんない青い薄いマフラーみたいなもんを巻いている。店員に「国からカネを引っ張ってくるのも楽じゃないよー」とか自慢してる。なんかやだなあと思ってたら話しかけられた。 内地の方ですか? あ、はいそうです。大阪ですー 沖縄へはよく来られるの? そうっすね、月に一回ぐらいは。 すごいですね、毎月 ええ、まあ、仕事なので。 沖縄はどうですか? いやーもう最高っすね沖縄。大好きです。何回来ても好きです。そのたびにああ好きだなあって実感しますよ。ほんとにいいとこですね あははは。ありがとうございます。じゃあもう、移住しちゃえばいいのに あーー、ほんまそうですよね。移住したいです、いつかここで暮したいなあっていつも思います。まあで
しつこく承前。それで、そのままなんとなく朝のテレビをぼんやりと見ていたら、バラエティ的なやつで、高齢者の孤独死と「特殊清掃」の特集が(朝8時ぐらいから)やってて、なんとなく見てたら、スタジオにそのひと自身も高齢である男性の医者?が出ていて、こんなコメントをしていた。(うろおぼえ) 「僕たちが住んでる家の、空いてる部屋あるでしょう。そういう部屋に、看護学生の女子を住まわせて。もちろん無料で住んでもらっていいから、そのかわり面倒を見てもらってね。そしたら、卒業してからも、なんか新しい親戚みたいな感じで、いつも付き合いができていいと思うんですけどね」 横で見ていた連れ合いが大きな声で「ないわ! ないわ!」と叫んでいた。ネタじゃなくて真顔で言ってたんだけど、よくこんなこと考えるよなあと思った。 高齢者と若者、持てる者と持たざる者、男性と女性という、いろんな非対称的な関係性を、善意という真っ黒な布で
いろんなところでいろんな方にお会いして話を聞いてると、いろんなお話を耳にする。それこそまさに聞きたかった話だ、というお話もあるし、こちらのちっぽけな解釈枠組みをひっくり返すようなお話を聞くこともある。また、安易な解釈をよせつけないような、おもわず黙り込んでしまうようなお話もある。 ずっと前、沖縄で聞き取り調査をしているときに、地元の、当時50代の男性に聞き取りをしていて、復帰当時のお話になって、復帰運動なんかは参加されていましたか、と聞いたら、あれは公務員の遊びだよ、あれは日当もらってデモやってるよ、と、笑いながら話されたことがあった。その方は中卒で、本土で出稼ぎをしていたこともある方だった。 わりと最近、沖縄のまた別の調査のときに、たまたま乗ったタクシーの運転手の、かなり高齢のおじいとしゃべってて、嘉手納の生まれで、いまでもずっと嘉手納に住んでると聞いたので、ああ、じゃあ爆音たいへんでし
承前。出張しているとなぜかテレビをよく見る。自宅ではテレビを見ない、というか、そもそもテレビが無いのだが、ビジネスホテルの朝はやっぱりなんかちょっとさみしいので、朝のニュースやバラエティを見る。 いつも思うけど、いちばん東京を実感するのは、新宿や池袋で飲んでるときよりも、東京タワーの展望台に登ったときよりも(こないだ初めて行った、すごく楽しかったです)、実は朝、テレビを見ているときだ。 ほとんどのテレビ番組というのは東京でつくられている。出演しているのは半分ぐらいは関西の芸人だったりもするけど、でもみんな東京に住んでいるひとで、スタジオも東京にあって、話も東京の話をしている。 大阪でそういうテレビ番組を見るときは、どこか遠い遠い、ぜんぜん別の国から勝手にやって来る、現実感のない、ふわふわした感じだけど、東京で見るテレビ番組は、びしっとした緊張感や、がっちりとした現実感がある。ああ、この街で
いまロイホにMacBookAirを持ち込んで原稿を書いているんですが(21時すぎ)、隣りに若いお父さんと若いお母さんと3歳ぐらいの小さな女の子がいる。食事をしに来ているのだが、食事そっちのけで、お母さんがテーブルに紙をひろげて、ちょっとただごとでないような真剣な様子で、娘に問題を出している。何だろう、どこぞの付属幼稚園にお受験でもさせるのだろうか。 問題はことわざクイズになった。娘はぜんぜんやる気がなく、足をぶらぶらさせながら、ソファの上に流れ落ちる液体のような座り方をしている。 うまのみみに? ねんぶつー。 ねこに? ……。 ねこに!? こばんー。 かべにみみあり、しょうじに? ……。 しょうじに!? …………。 しょうじに!!? めありー。 いそばが? ……。 いそばが!? ……。 あのな、いそいで近道を歩いて、危ないめに合うこともあるやん。だから、まわり道をしてな、ゆっくり行ったほう
バブルの時代、学生のとき、ジャズが流れるオトナな感じのショットバーでバーテンのアルバイトをしていた。当時ハタチとかそれぐらい。 そのバーは堂山の小さなビルの3階にあった。そのビルはそれから25年以上もたった今でもそこにあるけど、半ば廃墟のようになっている。 当時はかなり儲かっているバーだったのだが、俺が店を任されてから、常連が激減してしまった。嫌いな客には一切相手をしなかったからだ。俺も若くて融通がきかなかった。どうせ時給だし、とも思っていた。 でも、客のいない薄暗いバーで、ビル・エバンスなんかを流しながら、窓の外の梅田の夜景を見るのが好きで、堂山の街を通り過ぎるゲイのカップルや、水商売のねえちゃんや、タクシーの赤いテールランプを眺めて、大阪の街で暮らしている喜びをいつも感じていた。 あるとき、ロングヘアの、とてもきれいな女のひとがひとりでふらっと入ってきて、ジンライムを注文した。しばらく
かなり昔の教え子で、すばぬけて優秀で、繊細で、傷つきやすく、そして攻撃的なやつがいて、いちど彼女から飲みにいこうと誘われて飲みにいったときに、将来の話になって、だれともちゃんと付き合えない私の夢は、歳をとって、おばあさんになったときに、古い小さな団地でひとりで暮らして、窓際の植木鉢に水をあげながら、ああ、やっと雨があがったな、とつぶやくような、そういう暮らしです、と言っていた。 しばらく会わないあいだに、彼女はひとりの男性と出会い、一目惚れをされ、押し切られて、すぐに付き合うようになり、あっというまに結婚して妊娠して出産した。 みんなでお祝いしようということになって、彼氏と一緒に飲んだのだが、非常に背の高い、「男らしい」、かっこいい、スポーツマンタイプの男で、とにかく情熱的で、そして素朴で明るく、やさしくて、人柄が良い。 誰と付き合うべきとか、付き合うべきでないとか、こんなタイプがいいとか
俺の友人の父親だが、許可を得ないまま勝手に書きますが、ときどき失踪するおっさんがいて、半年ぶりに帰ってきたときには奥歯がぜんぶなくなってて、魚のさばき方が異常に上手くなっていたらしい。 この話をきいて爆笑してしまったのだが、いったい何をしていたのだろうか。マグロ漁船かな……あと、このおっさん時々失踪するんだが、大阪の中央卸売り市場で働いているらしいとか、犬を飼ってるらしいとか、断片的に伝わってくる情報が面白すぎて、いつもわくわくしながら聞いている。もちろんご家族のみなさんはご苦労されていることだろうが、幸いいまのところ経済的にしんどいということはなく、父親なしでもちゃんと家計が成り立っているということなので、改めてそういう立場におかれた母親のたくましさと、「謎のおっさん」というものの存在のおかしさについてしみじみしている。 新婚時代は住吉区という、大阪の南の外れの住宅地に住んでいた。ここに
「1995年ごろから構造転換、1999年が右傾化元年」 転換としての90年代……北田暁大、大澤真幸、本田由紀、星野智幸など □1995年という年 阪神大震災、オウム真理教事件、沖縄少女暴行事件/オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件/日経連『新時代の「日本的経営」─挑戦すべき方向とその具体策』長期蓄積能力活用型、高度専門能力活用型、雇用柔軟型/インターネット元年 □バブル崩壊 バブル 1986年〜1992年/プラザ合意→円高による大企業苦戦→低金利政策→財テクと土地への過剰投資→NTT株上場と株ブーム→銀行の融資攻勢→不良債権激増→総量規制→バブル崩壊 非正規雇用・生活保護・貯蓄非保有の増加と学歴インフレ 35歳の平均年収 1997年:500〜600万 2009年:300万 1993年〜2005年 就職氷河期/1997年 アジア通貨危機 1991年 百貨店売上げピーク(9兆7130億円) 1
那覇とか台北とか香港を歩いていると、こういう街の片隅の、誰も知らない路地裏に生まれて、ひっそりと暮らす人生もあったんだろうかと思うが、たぶん那覇や台北や香港に生まれて、そういう街の片隅の路地裏で暮らしていたら、たとえば大阪なんかに遊びに来たときに、「こういう街の片隅の路地裏に生まれて、ここでひっそり暮らす人生もあったんだろうか」と想像するだろう。 いま、大阪の片隅の、誰も知らない路地裏でひっそりと暮らしているが、これはもしかしたら、那覇や台北や香港に生まれた俺が想像している人生なのかもしれない。 どこに生まれていても、街の片隅の誰もしらない路地裏でひっそりと暮らすだろう。でもそれがどこでも、犬か猫は飼っていたい。
先日、コロンビアで、ひとりの成績優秀な少年が投身自殺した。16歳だった。彼はゲイで、クラスメートの男子生徒と付き合っていることが学校にバレて、退学まで追い込まれた。そして恋人の両親が、彼を自分たちの息子に対するセクハラで告訴した。彼が自殺したあと、校長は彼の死を悼むどころか、「アナーキストの無神論者の同性愛者」と罵った。葬儀に参加したクラスメートたちは、学校を無断欠席した罰として土曜日の補講を言い渡された。 あまりにも悲痛なこの事件の記事を、友人のきじぇーろ君(@quilleroinjpn)が日本語に翻訳しました(日本語の文章表現は私が多少手直ししました)。 ————————————— 「セルヒオ君の証明」 ─セクハラで訴えられた息子の名誉を挽回するため両親が動く。16歳のセルヒオ君の自殺の経緯。 エル・エスペクタドール紙 2014年9月7日 11:28 AM http://www.el
大阪社会調査研究会特別講演会「橋下改革とその現実」のお知らせ 橋下徹がタレントから政治家に転向し、府知事に当選してから6年半、大阪市長になってから3年半が経過しています。この間、橋下と彼が率いる「維新の会」は、メディアを巻き込んだブームに乗って、強力な勢力を築きました。 その後、強引な府市統合政策などをめぐって批判があいつぎ、両議会で過半数を割るに至り、最近ではその勢いにもかげりがみられます。 いくつかの過激な発言や手法から、橋下徹は「ポピュリズム」「ハシズム」などと叩かれてきました。 しかし、私たちは、橋下がおこなってきた一連の「改革」について、どれくらいのことを知っているでしょうか。 今回、政治学・行政学がご専門で、「橋下改革」について詳しい名古屋市立大学の三浦哲司先生をお招きし、具体的なデータから、「橋下はいったい何をしてきたのか/してこなかったのか」について、じっくりと勉強したいと
先日、マイクロフィルムの資料を閲覧しようと、ある大学の図書館に行きました。 ■電話 「すみません、2002年の3月にそこの博士課程を出たものなんですが。図書館を利用したいんですけど」「はい、できます。2階カウンターに来てください。卒業生データがあるのは2003年以降ですが、もちろん2002年以前もできます」「マイクロフィルムのコピーはおいくらですか」「1枚40円です」「たっか!(笑)」「あすみません50円です」「たっか!!(笑)まあいいや、いまから行きます」 ■図書館2階カウンター 「すいません卒業生カードを作ってください。2002年3月に博士課程を出ました」「しばらくお待ち下さい。(めっちゃ待たされる)すみません、2003年より前は、学生センターのほうで卒業証明書をもらってきてください。学生センターは、この図書館を出て、道を渡って、正門から入って左の方に進むとあります。そこの1階です」「
私たちはジェンダーやセクシュアリティに関する話が好きだ。とくにセックスワーカーや風俗嬢などに関する噂話が大好きだ。なかでも、そういう仕事をなぜ好んでしているのか、どういうきっかけでその仕事に入ってきたのか、あるいは、そういう仕事に就くような女の子は、どういう家族構成で、どういう暮らしをしていたのか、という、動機や原因を探るような話が大好きである。 しかし、おそらく、セックスワーカーに関するこういう話し方は、彼女たちをなにか逸脱したもの、規範から外れたもの、おおげさにいえば「異常」なものとして扱ってしまうことになる。 本書の筆者にとって、序文にも書かれているとおり、風俗やキャバクラ、そしてAVの世界は身近な世界だった。だから、筆者はそういう場所にいる女性たちを、なにか私たちと異なるものとして描きたくなかったのだろう。 性を売る女性たちのなかでもAV女優はとくに、動機や原因を語る圧力につねにさ
Interview Writer 1.2 のご紹介です。 Interview Writer 1.2は、MacOX 10.9(Mavericks)以降専用の、「音声データの書き起こし/文字起こし補助ソフト」です。 Macユーザー用のよい文字起こし補助ソフトがなかったので、思い切って業務委託してイチから作ってもらいました。生活史調査やフィールドワークなどをしている研究者、ライター、記者、そのほか、音声データを文章に書き起こす作業をする方で、Macをお使いの方のためのソフトです。 ※文字起こしは自動ではやってくれません(笑)「音声を聞きながら自分で文章をキーボードで打ち込む作業」を補助するためのソフトです。 重要なポイントは、ひとつの動作で「再生・停止・すこし戻ったところからまた再生」が繰り返しできることです。この「すこし戻ったところからまた再生」は、昔なつかしいカセットテープの、足踏み式のトラ
わずか三日の駆け足で、おさいと香港に行ってきた。 帰りの飛行機で隣りになったおっさんが、またこれがありえないぐらいせわしないおっさんで、ずっと新聞広げてばっさばさめくったり、何回も何回も靴下伸ばしたり、立ったり座ったり、そのたびにシートベルトを忘れて立とうとして腹にくいこんで「ぐっっ」と低いうめき声をあげたり、機内テレビにヘッドホン差そうとして何回も何回も読書ライト点けたり、靴を脱いだり履いたり、ビールと水とコーヒーを一緒に頼んだり、うわあこんなおっさんと4時間も一緒か、つらー。と思っていた。 無料で配ってたお菓子(ピーナッツ)をおかわりして貪り食ったと思ったら、ピーナッツにむせたせいかそのうち激しく咳き込みだして、トイレに立とうとしてまたシートベルトが腹にくいこんで「ぐっっ」ってなって、よけいげっほげほ咳き込んで、小走りでトイレに駆け込んだら中からおっさんがぐえっほげほ咳き込む声が聞こえ
こないだ出張で沖縄に行った。タクシーに乗った。俺が古いGF1を首からぶらさげてるのを見て、60ぐらいのパンチパーマの、いかにも夜になったら桜坂のスナックで泥酔してそうな運転手のおっちゃんが、 お客さん。写真撮るんですか。カメラが趣味ですか。 え、いや別に。何で。ああ、これか。いや、ちょっと仕事で。 ああ、仕事ですかー。すごいですね、カメラで仕事って。 いやまあ、そういうアレでもないけど。 てっきりカメラが趣味だと思いました。 まあ、そういうひと多いだろね。沖縄に写真撮りにきたりするひと多いんちゃう そうですね。でも写真が趣味ってかっこいいさーね んー、まあそうやね。運転手さんなんか趣味あるの(いま考えたらこの質問が分岐点だったな) まあ、私なんか遊び人で。 遊び人。かっこいい(笑)。酒とか? いえいえ。あのー、船です。 ああ、船。釣りとか? いえいえ、そんなんじゃなくてですね。船の、競争
あそこに、○○○っていうスナックあったんですよ、知ってます? いや、知らんなー そのママさんが、80過ぎてるんですけど マジで よう店の前にパトカーとまってて、なんかケンカしてるんですて へえ ほんで、なんでって言うたら、その80のママさん、店で、お客さんに「ぺろーん」って出すんですって おっぱいを? そう マジで。ほんまかいな ほんで、お客さんが帰るときにレシート見たら、それで「1000円」って書いてあるんですて ひどい(笑) 「アホんだら! こんなもん払えるか!!」て、ほんで払わへんかったら、ママさんブチ切れてその場で警察に電話して、「無銭飲食や!」言うて ぎゃははは それでパトカーよう停まってるんですて へええ 行ったんですよ 行ったのか 「ひとりですけど」っておそるおそる入ったら、いきなりめっちゃすごいテンションで抱きつかれて マジで。 「こんな若いひと来たん久しぶりやわー、なんで
夜中によく散歩をしている。 もう何年か前、いまの家に引越す前に、夜中に近所を歩いていて、甲高い声で泣いている、「鳴いている」ではなく泣いている犬がいた。3階建ての建て売りの家の、一階のガレージにつながれっぱなしになっていたその雑種の犬は、たまに散歩のときに見かける子だったけど、そのときはべったりと横たわって、甲高い声でか細く泣いていた。 思わず近寄って声をかけながら撫でてやると、すぐに大人しくなって、ぱたんぱたんと尻尾をふると、やがて静かになって寝てしまった。 次の日、その子はいなくなってて、紐や水皿もなくなっていたので、たぶんあのときに死んだのだと思う。死ぬ直前になってさみしくなって泣いていたんだろうか。撫でてあげられてよかった。 * * * おはぎときなこを拾ってから13年ぐらいになる。結婚してすぐにおさい(連れ合い)が職場から拾ってきた。当時のおさいの職場は某県の部落解放同盟の研究所
最初に在特会が路上で汚い言葉を喚きちらしたとき、私もふくめてみんな、あんな頭のおかしな連中はすぐいなくなるだろう、世の中にたいした影響はないだろう、だいたいあんな少人数で何ができるんだ、と思っていた。 その活動がやがてひろがってきて、全国に支部ができ、関西でもひどい街宣がされるようになって、だんだんと不安になった。いったいあれは何だろう。あれは「右翼」なのだろうか? いったい何をやっているのだろう? なにが目的なんだろう? この問題にかんして既存の組織はほとんど役に立たなかったといってよい。目立った抗議活動をするわけでもなく、ほとんどフリーハンドで活動をさせているうちに、そのうち新大久保や鶴橋という「聖地」にまで堂々と大手を振ってやってくるようになった。その段階になっても、古くからある大きな組織はなかなか動いてくれなかった。 おそらく、われわれと同じように、在特会の活動の「舞台」が見えてな
それでまぁ、俺ら子どもって、17(歳)か。だからある程度は、引き揚げに対してなんかいろいろなことがあるだろうなぁと、暴動が列車襲ったり、な、することもあるだろうなって、子ども心に思っとったんや。 17のとき。列車、貨物列車やで。日本でも走ってるやろ。貨物列車にな、何両あったかな、結構長かった。10両くらいあったかな。お互いにこうわかれて乗って引き揚げてきたんや。 子ども心に何かあるだろうな〜って、何か暴動でもけーへんかなーっ思いよった。そしたらそんなにないんや、最初のうちはな。かえってな、駅に止まるでしょそしたら、チャイナ、いうたら怒られるけど、向こうの原住民がいろいろと物を持って売りに来るわけや。いろいろとね、食べ物を。あれ買ってくれこれ買ってくれやって。まだ日本人金もっとったから、ようみんな買って食べよった。 俺はそんな持ってなかったけど。それがな親父がな、負けたときに何かあったら困る
美魔女っていうひとたちがいるらしく、まあ広告会社がなんかやってるだけだと思うんだけど、たまに雑誌に載ったりネットで流れてきたりする。めっちゃおもしろいし、なかには「すごい!」っていうひともいる。 で、こういうエクストリームな企画(笑)は反発されることも多く、そこらじゅうで陰口叩かれてたりする。そういうのも織り込み済みで企画してるんだろう。 なんとなくだけど、さらっと見ただけの印象だけど、なんとなく40過ぎても若くて可愛いままでいたい、っていうだけじゃなくて、ほとんどの美魔女タレントさんが、自己実現とか成長とか出会いとか、そういう要素というか属性というか主張というか、そういうものを混ぜてるみたいだ。 このへんが支持されるところでもあり、反発をくらうところでもあるんだろうと思う。 あるゼミ生女子が「女子力」という言葉で面白い卒論を書いたんだけど、ここ20年ぐらいの雑誌の記事や広告を調べ上げて、
生まれて初めて本当に戦争になるんじゃないかと思っている。 たぶん次の戦争は国民を総動員するような全面戦争にはならないだろう。国民全員の精神や身体を管理しなくても、一部の「戦争装置」によって、一般の市民にリアリティが伝わらない方法でひっそりとおこなわれるにちがいない。 それはたぶんはじめに「被害者面した絶対的な正しさ」を押し付けてくる。いま領土を守らなかったらこの国がやられる。いま先手を打って攻めていかないと平和が守れない。おそらくそんなふうに、反論しにくいようなロジックで、感情に訴えかけるやりかたで。 いますぐではないかもしれないが、数年のうちには憲法も改悪されてしまうだろう。人権に関する条文は大幅に後退し、かわりに国家があらゆる権力を掌握してしまうだろう。 だが、国民の精神や身体をまるごと抱え込んで統制するのではなく、国民を分断することによって、よりスムーズに戦争は遂行されていくだろう。
なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシ食ってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。 学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『sociologbook – 岸政彦のBlog』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く