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アメリカ大統領選
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東洋を知るには儒教を知らなければならない。儒教を知るには孔子を知らなければならない。そして孔子を知るには「論語」を知らなければならない。「論語」は実に孔子を、従って儒教を、また従って東洋を知るための最も貴重な鍵の一つなのである。 ☆ 「論語」は、孔子の言行を主とし、それに門人たちの言葉をも加えて編纂したものであるが、すべて断片的で、各篇各章の間に、何等はっきりした脈絡や系統がなく、今日から見ると極めて雑然たる集録に過ぎない。しかし、それだけに、編纂者の主観によってゆがめられた点は比較的少いであろう。 孔子の言葉を記したものとして、「論語」のほかに、しばしば「易(えき)」の「十翼」があげられる。しかし、それには、古来学者の間に多くの疑問があり、それを孔子の書であると断定する根拠は薄弱である。従って、今日では、「論語」は不十分ながらも、孔子の言行をうかがうことの出来る、唯一の確実な書とされてい
この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)
昭和二十二年六月の終りであった。私は歌川一馬の呼びだしをうけて日本橋のツボ平という小料理屋で落ちあった。ツボ平の主人、坪田平吉は以前歌川家の料理人で、その内儀テルヨさんは女中をしていた。一馬の親父の歌川多門という人は、まことに我ままな好色漢で、妾(めかけ)はある、芸者遊びもするくせに、女中にも手をつける。テルヨさんは渋皮のむけた可愛いい顔立だからむろん例外ではなく、その代りツボ平と結婚させてくれた時には小料理屋の資金も与えてくれたのである。一馬の東京の邸宅は戦災でやられたから、彼は上京のたびツボ平へ泊る。 「実はね、だしぬけに突飛なお願いだが、僕のうちで一夏暮してもらいたいのだ」 一馬の家は汽車を降りて、山路を六里ほどバスにのり、バスを降りてからも一里近く歩かなければならないという不便きわまる山中なのである。そんなところだから、私たち数名の文士仲間は、戦争中彼の家へ疎開していた。ひとつには
東大在学中に同人雑誌「新思潮」に発表した「鼻」を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なっている。 「芥川龍之介」
四、真に文化上の処置として行われるならば、起訴のほかに、実際上の方法はいくらでもあります。「断乎処断する」というような意気ごみの、最初の実例とされることに抗議します。なぜなら、起訴は、実際上もうおくれた時機であって、こんどのやりかたは、「石中先生」「裸者と死者」で達せられなかった「法の威力」をしめそうとする目的に立っていることがあまり明白のように思われます。 五、権力は、さまざまの形で、威力を発揮しようとして来たことは、一昨年春ごろやかましかった猥雑なエログロ雑誌取締の時のプロセスにもあきらかでした。日本出版協会は、「出版綱領実践委員会」というものをもって、出版の質の向上を計るということでした。その時、出版綱領実践委員会は、法律を変更し、新しい法律をこしらえることを要求してでもエログロ雑誌の出版はとりしまるようにと、はげまされたようでした。新しいとりしまりの法律といえば、ワイセツ罪はもう存
大(おお)きな国(くに)と、それよりはすこし小(ちい)さな国(くに)とが隣(とな)り合(あ)っていました。当座(とうざ)、その二つの国(くに)の間(あいだ)には、なにごとも起(お)こらず平和(へいわ)でありました。 ここは都(みやこ)から遠(とお)い、国境(こっきょう)であります。そこには両方(りょうほう)の国(くに)から、ただ一人(ひとり)ずつの兵隊(へいたい)が派遣(はけん)されて、国境(こっきょう)を定(さだ)めた石碑(せきひ)を守(まも)っていました。大(おお)きな国(くに)の兵士(へいし)は老人(ろうじん)でありました。そうして、小(ちい)さな国(くに)の兵士(へいし)は青年(せいねん)でありました。 二人(ふたり)は、石碑(せきひ)の建(た)っている右(みぎ)と左(ひだり)に番(ばん)をしていました。いたってさびしい山(やま)でありました。そして、まれにしかその辺(へん)を旅(
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎(ごうださぶろう)は、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。 学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相(そう)な職業は、片端(かたっぱし)からやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出(でっ)くわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日(そのひ)其日を送っているのでした。 遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊(しょうぎ)、さては各種の賭博(とばく)に
○ 今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯(ガス)や水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、いやしくも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云って、近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない。で、凝り性の人は電話一つ取り附けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、出来るだけ目障りにならない場所に持って行く。その他庭の電線は地下線にし、部屋のスイッチは押入れや地袋の中に隠し、コードは屏風(びょうぶ)の蔭を這わす等、いろ/\考えた揚句、中には神経質に作為をし過ぎて、却
道理の前でひとりの門番が立っている。 その門番の方へ、へき地からひとりの男がやってきて、道理の中へ入りたいと言う。 しかし門番は言う。 今は入っていいと言えない、と。 よく考えたのち、その男は尋ねる。 つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。 「かもしれん。」 門番が言う。 「だが今はだめだ。」 道理への門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直立している。 そこで男は身をかがめて、中をのぞいて門の向こうを見ようとした。 そのことに気づいた門番が笑って、こう言った。 「そんなに気になるのなら、やってみるか。おれは入ってはいかんと言っただけだからな。いいか、おれは強い。だが、おれはいちばん格下の門番にすぎない。部屋を進むごとに、次々と門番が現れるだろう。そいつらは、前のものよりもっと強いぞ。三番目の門番でさえ、おれはそいつを直視することもままならん。」 これほどの難関を、へき地の
○○造船株式会社会計係のTは今日はどうしたものか、いつになく早くから事務所へやって来ました。そして、会計部の事務室へ入ると、外(がい)とうと帽子をかたえの壁にかけながら、如何(いか)にも落ちつかぬ様…
「こいさん、頼むわ。―――」 鏡の中で、廊下からうしろへ這入(はい)って来た妙子(たえこ)を見ると、自分で襟(えり)を塗りかけていた刷毛(はけ)を渡して、其方(そちら)は見ずに、眼の前に映っている長襦袢(ながじゅばん)姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据(みす)えながら、 「雪子ちゃん下で何してる」 と、幸子(さちこ)はきいた。 「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」 ―――なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子に掴(つか)まって、稽古(けいこ)を見てやっているのであろう。悦子は母が外出する時でも雪子さえ家にいてくれれば大人しく留守番をする児であるのに、今日は母と雪子と妙子と、三人が揃(そろ)って出かけると云うので少し機嫌(きげん)が悪いのであるが、二時に始まる演奏会が済みさえしたら雪子だけ一と足先に、夕飯までには帰って来て上げると
この日本譯は、最初、第三章を除いて、週刊『平民新聞』第五十三號(明治三十七年十一月十三日發行)に載せられたところ、忽ち秩序壞亂として起訴され、裁判の結果、關係者はそれぞれ罰金に處せられた。しかしその裁判の判決文には、『古の文書はいかにその記載事項が不穩の文字なりとするも、……單に歴史上の事實とし、または學術研究の資料として新聞雜誌に掲載するは、……社會の秩序を壞亂するといふ能はざるのみならず、むしろ正當なる行爲といふべし』とあつた。そこで私は次にその譯文に多少の修正を加へ、および第三章を譯し添へて、今度は『單に歴史上の事實』として、また『學術研究の資料』として、『社會主義研究』第一號(明治三十九年三月十五日發行)に載せた。(その時には、前の共譯者幸徳はアメリカに行つてゐたので、第三章は私ひとりで譯した。) しかるに、その『社會主義研究』も程へて後(大逆事件當時)發賣を禁止され、その後今日に
現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限
おけさ丸。総噸(トン)数、四百八十八噸。旅客定員、一等、二十名。二等、七十七名。三等、三百二名。賃銀、一等、三円五十銭。二等、二円五十銭。三等、一円五十銭。粁程(キロてい)、六十三粁。新潟出帆、午後二時。佐渡夷(さどえびす)着、午後四時四十五分の予定。速力、十五節(ノット)。何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。十一月十七日。ほそい雨が降っている。私は紺絣(こんがすり)の着物、それに袴(はかま)をつけ、貼柾(はりまさ)の安下駄(やすげた)をはいて船尾の甲板(かんぱん)に立っていた。マントも着ていない。帽子も、かぶっていない。船は走っている。信濃(しなの)川を下っているのだ。するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、やがて遠のく。黒く濡れた防波堤が現われる。その尖端に、白い燈台が立っている。もはや、河口である。これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺
私は二ヶ月前からゴルフをはじめた。しかしゴルフ道具一式は何年も前から持っていた。ゴルフ靴もボールも何ダースも買いこんで持っていたが、二ヶ月前までゴルフをやらなかったのである。 なぜやらなかったかというとむろん然るべき理由はある。そしてそれは一つの訓戒を守ったためであるけれども、訓戒を守ることは大切だということを、その結果として近ごろ痛感しているのである。 私は子供の時から胃弱で、それが唯一の持病である。そのため適度の運動が必要で、終戦後キャッチボールをやった。手軽にできる運動はそれだけだからだ。 ところが私の年齢ではキャッチボールは無理だ。十ぐらい投げただけで肩の痛さが堪えがたくなり、運動の役にたたない。 そのとき、さる人がゴルフをすすめて、胃弱にこれぐらい適当なスポーツはないから是非これにしなさい、道具を格安でゆずろうという。その人は大金満家でゴルフ狂であったから、最高級のゴルフセットを
子貢(しこう)曰く、貧にして詔(へつら)うことなく、富みて驕(おご)ることなくんば如何と。子曰く、可なり、未だ貧にして楽み、富みて礼を好む者に若(し)かざるなりと。子貢曰く、詩に云う、切(せつ)するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如しとは、其れ斯(こ)れを之れ謂うかと。子曰く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて、来(らい)を知る者なりと。 子貢は、その日、大きく胸を張って、腹の底まで朝の大気を吸いこみながら、ゆったりと、大股に歩いていた。彼は、このごろ、いい役目にありついて、日ましに金廻りのよくなって行く自分のことを考えて、身も心もおのずと伸びやかになるのであった。 (1先生は、顔回の米櫃の空なのを、いつも讃められる。そして、天命をまたないで人為的に富を積むのを、あまり快く思っていられないらしい。しかし、腕のある人
かなりのストレスを感じながら、これを書いている。今夜にはもう、生きていないだろう。金も、頼みの綱のクスリも尽きた。これ以上、苦しみには耐えられない。この屋根裏の窓から、下のうす汚い通りに、身を投げる…
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻(まぼろし)でなかったならば、あの押絵(おしえ)と旅をしていた男こそ狂人であったに相違(そうい)ない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違(くいちが)った別の世界を、チラリと覗(のぞ)かせてくれる様(よう)に、又(また)狂人が、我々の全(まった)く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那(いっせつな)、この世の視野の外にある、別の世界の一隅(いちぐう)を、ふと隙見(すきみ)したのであったかも知れない。 いつとも知れぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。その時、私は態々(わざわざ)魚津へ蜃気楼(しんきろう)を見に出掛けた帰り途(みち)であった。私がこの話をすると、時々、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友達に突っ込まれることがある。そう云(い)われて見ると、私は何時(いつ)の何
はしがき そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。 「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊(とうぞく)のあだ名です。その賊は二十のまったくちがった顔を持っているといわれていました。つまり、変装(へんそう)がとびきりじょうずなのです。 どんなに明るい場所で、どんなに近よってながめても、少しも変装とはわからない、まるでちがった人に見えるのだそうです。老人にも若者にも、富豪(ふごう)にも乞食(こじき)にも、学者にも無頼漢(ぶらいかん)にも、いや、女にさえも、まったくその人になりきってしまうことができるといいます。 では、その賊のほんとうの年はいくつで、どんな顔をしているのかというと、それは、だれひとり見たことがありません。二十種もの顔を持って
現代の日本人は正しい「生活観」をもつてゐないといふことが、いろいろの場合に証明できるのであるが、それと同時に、広い意味における「生活の技術」を何時の間にか失つて、非常にギゴチない、国民としてはある意味で可なり損な「生活のし方」をしてゐる事実を誰も否定できないと思ふ。多くの人はその原因がどこにあるかも気がつかずに、たゞ、世間とはかういふものだとして、めいめい別に新しい「生き方」を考へようとしないのである。 私は、かういふ時代に、欧米人の「生活」そのものを謳歌する気にはなれないが、彼等は彼等なりに、はつきりした生活観と、自然に磨かれた一種の生活技術とを身につけ、それによつて、仕事の能率をあげ、健康を保ち、社交を楽しみ、かつ、民族的優越感を満足させてゐる点に思ひいたれば、われわれ日本人が何故に、今日、「生活」といふ問題を更めて検討してみなければならぬ羽目に陥つたかはおのづからわかる筈である。 わ
老人と海 THE OLD MAN AND THE SEA アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway 石波杏訳 Kyo Ishinami 彼は老いていた。小さな船でメキシコ湾流に漕ぎ出し、独りで漁をしていた。一匹も釣れない日が、既に八四日も続いていた。最初の四〇日は少年と一緒だった。しかし、獲物の無いままに四〇日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に「サラオ」なんだよ、と。サラオとは、すっかり運に見放されたということだ。少年は両親の言いつけ通りに別のボートに乗り換え、一週間で三匹も立派な魚を釣り上げた。老人が毎日空っぽの船で帰ってくるのを見るたびに、少年の心は痛んだ。彼はいつも老人を迎えに行って、巻いたロープ、手鉤(ギャフ)、銛(もり)、帆を巻きつけたマストなどを運ぶ手伝いをするのだった。粉袋で継ぎあてされた帆は、巻き上げられて、永遠の敗北を示す旗印のように
入力する作品を選ぶ前に、まずは「青空文庫作業マニュアル【はじめに】」をお読みください。作品を選ぶ時に理解しなければならない著作権について書かれてあります。 青空文庫に登録したい作品があったら、まずは作者の没年を調べ、著作権の有無について確認してください。文学系の著作者については、青空文庫内にある「著作権が消滅した作家一覧」を参照してください。 著作権切れを控えた作家の作品は、「翌々年の1月1日までに公開できるもの」に限って、着手報告を受け入れます。 青空文庫では作品ごとに登録します。出版時に作品集としてまとめられていても、一つ一つ作品ごとに登録します。入力するための元にする本(これを底本と呼びます)は、自分が所有している本、図書館から借りた本など何でもかまいません。 次に、青空文庫の「公開中の作品」にあたって、入力したい作品が、すでに登録されていないか確認してください。青空文庫への登録を前
佳子(よしこ)は、毎朝、夫の登庁(とうちょう)を見送って了(しま)うと、それはいつも十時を過ぎるのだが、やっと自分のからだになって、洋館の方の、夫と共用の書斎へ、とじ籠(こも)るのが例になっていた。そこで、彼女は今、K雑誌のこの夏の増大号にのせる為の、長い創作にとりかかっているのだった。 美しい閨秀(けいしゅう)作家としての彼女は、此(こ)の頃(ごろ)では、外務省書記官である夫君の影を薄く思わせる程も、有名になっていた。彼女の所へは、毎日の様に未知の崇拝者達からの手紙が、幾通となくやって来た。 今朝(けさ)とても、彼女は、書斎の机の前に坐ると、仕事にとりかかる前に、先(ま)ず、それらの未知の人々からの手紙に、目を通さねばならなかった。 それは何(いず)れも、極(きま)り切った様に、つまらぬ文句のものばかりであったが、彼女は、女の優しい心遣(こころづか)いから、どの様な手紙であろうとも、自分
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