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02.03.22 国境の長いトンネル 川端康成の小説「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」を「コッキョウ」と読むか、「くにざかい」とよむかについては議論があるやに聞いています。あるホームページの掲示板では、この読み方が「今も「日本近代文学会」ではアツイ話題」になっていると記していますが、ほんとかしら。 かのベストセラー、齋藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社)では、この小説を引用して「くにざかい」とルビが振ってあるとのことです(追記2参照)。編者によってそのよみに決められてしまったのでしょう。 10年ほど前まで、NHKテレビで「連想ゲーム」という番組がありました。その中で、「国境の長いトンネルを……」という文句が出題されたことがあります。女性陣が見事に正解し、声をそろえてこの一節を唱えました。 ところが、これを見た放送作家だか放送評論家だかが憤激して、
ことばをめぐるひとりごと その32 智に働けば? 以前に、森鴎外作「舞姫」が難解だという話をしました。この難しさの原因は、鴎外が文語文をあまり理解していないせいもある、というのが、僕の(ひどく不遜な)結論でした。 しかし、口語体の小説でも、ちょっと古くなると読みにくいですね。世態風俗は年々変わるので、小説に書かれている情景が目に浮かびにくくなるのです。たとえば 飯田橋へ来て電車に乗つた。電車は真直に走り出した。 これは夏目漱石の「それから」の終局部分ですが、この「飯田橋」というのは、さっと読むと総武線の駅かと思います。実際はそうではなく、ましてや地下鉄東西線の駅でもなく、まあこれは市内電車の駅なのでしょう。歴史的には、このころ甲武鉄道(現・中央線)が飯田橋駅まで延びていたはずで、蒸気鉄道も走っていたと思いますが。 近代小説を読むとき、予備知識の不足を補ってくれるのが、文庫などの巻末に付いて
ことばをめぐるひとりごと その19 「厭うて」か「厭って」か ちょっと中学校の国語のおさらいになりますが、「五段活用」の動詞は、連用形に助詞の「て」などがつくと、いわゆる「音便」という変化を起こす場合があります。特に、「食わ(ない)・食い(ます)・食う・食う(とき)・食え(ば)・食お(う)」のように活用する「ワア行五段活用」の動詞は、「食いて」が「食って」になるような促音便を起こします。 ところが、この「ワア行五段」の動詞のなかには、例外的に、促音便ではなくウ音便を起こすものがあります。 おもえば険しいみちのりだった。とにかく難しい、わからないことだらけだった。 「わたしのこの石、生きてます?」 敵である相手に教えを乞うていた期間は、ずいぶん長かった。(下田治美「なんてったって」) 冷害に強いコメよりも、高く売れる「きらら」に力を入れる農家が増えている。今回の凶作は、飽食ニッポンを問うてい
日本語学(国語学)の研究者のページ。日常接している日本語や、古典などのことばに関するよもやま話や、挿し絵作家としてのイラストレーションなどを掲載しています。
99.06.15 ご苦労さま 「ご苦労さまでした」と目上の人にあいさつするのは失礼になる、とはよく言われることです。しかし、大きな国語辞典でも「他人の骨折りを感謝するていねいなことば。」(『日本国語大辞典』)とだけ説明してあったりして、このことばを使うときの相手のレベルについて、辞書の編者は必ずしも注意していないようです(追記2参照)。 僕などは、ついつい言ってしまいそうなことばです。「ご苦労さま」が失礼なら、「お疲れさまでした」「お世話さまでした」もだめなような気がしますが、これは特に問題がないらしい。 相手が「苦労する」と表現すること自体が失礼だ、というのは大野晋氏の発言です(『日本語相談 4』朝日新聞社、p.257)。 また、中田祝夫氏によれば、目上の人から「ご苦労さま」と言われるのも、場合によってはいやな気がするということです。たとえば、上役の家族が急病になったと聞いて、入院のため
路上や新聞・雑誌などで、「おやっ」と思うことばに出会うことがあります。メモしたり切り抜いたりして、後でパソコンにテキストファイルとして打ち込みます。 物件が文字そのものである場合は、写真を撮ったり模写したりしたものをスキャナで読みとって、画像ファイルにしています。その一部を、ここに掲載します。 なお、文字に興味がある方は、大原望氏の「和製漢字の辞典」、吉田良夫氏の「漢字の写真字典」をぜひご覧ください。
ことばをめぐるひとりごと その21 極北とは何ぞや わりとよく聞くことば(意味)なのに、辞書に載っていない、という場合があります。 『広辞苑』の編者・新村出は、昭和30年に初版を出したあと「スモッグ」ということばを載せなかったことを気にしていたとか。当時は公害問題が深刻ではなかったので、ついつい見落としたか、無視したのでしょう。「スモッグ」は、昭和44年の第2版ではさすがに載っています。 新語・流行語ならともかく、前から使われているようなことばでも、たまに辞書に載らないことがあります。たとえば「極北」ということばです。 ここは、加藤芳郎という、日本漫画界の極北の偉業を称える会である。(山藤章二『忘月忘日II』) いつも読まない小説雑誌なのに、たまたま目にした。すらすら読めて、読んでいったらだんだん凄くなって、私小説の極北と言われる作品を読んだのと同じくらいの感動があった。(「週刊文春」19
03.10.02 「始めまして」か「初めまして」か 「はじめまして」というあいさつをワープロで打ったら「始めまして」と出た。なぜだ、最初に会ったときのあいさつなのだから「初めまして」ではないのか、おかしいじゃないか。1997年、当時中学2年生だった三好万季さんの疑問はここに発しました。 『新明解国語辞典』を見ると「はじめる【始める】」の項に、「【始めまして】」と「始」が記されている。それなのに解説文は「初めてお目にかかりますという、挨拶(アイサツ)の言葉」と「初」が記されている――。 ショックを受けた彼女は、これは調べてみなければならないと大調査を開始しました。この成果は「シめショめ問題にハマる」と題されたレポートにまとまり、あまりにもよくできていたため、当時の新聞記事(たとえば「産経新聞」1997.09.23、「読売新聞」1997.12.14)などで多く取り上げられました。 三好さんはそ
99.05.21 電話をかける 作家の久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社 1996)に、「ファックスを流す」というのはどうしてだろう、という話が出てきます(p.148)。新しい機械なのに、ちゃんとそれ用の動詞が用意されているということの指摘です。 「そう言えば、白い紙がサラサラ出てくるところは、流しそうめんににていないくもない」と、久世氏なりの考えが開陳されています。なるほど、よく分かる説です。 それから話は、ではどうして「テレビをつける」というのか、「電話を入れる」というのか、……と続いていきます。 「電話を入れる」、これも普通に耳にします。今では文学作品でも使われていて、 立ち上った東は中華料理屋に電話を入れた。(小林信彦『怪物がめざめる夜』新潮社 1993 p.59) のように出てきます。もっとも、『新明解国語辞典』初版(1972年刊)にも載っていて、僕の感覚からすると、案外古い
・「「今年からの新語2014」は「ワンチャン」に決まりました。ご協力ありがとうございます。(2014/12/09掲載) ・「今年からの新語2014 実施について」を掲載しました。(2014/11/15掲載) ・2014/11/20に、PHPから私の新刊『不採用語辞典』が刊行されます。(2014/11/15掲載)
99.02.12 香港のしんにょうは変だ 最近、香港の雑誌をたくさん読む機会がありました。パソコンの雑誌から芸能雑誌まで、いろいろ眺めていたのですが、どれも活字(明朝体・ゴシック体その他)のデザインが修正されていることに気がつきました。 たとえば「公」という字の「ム」の部分などは、日本のふつうの明朝体では、折れる部分でちょっと左に突き出ているのですが、香港の明朝体ではそのデッパリがありません。この種の修正は日本の中学校国語教科書にもあることは以前に触れました。 中華人民共和国本土では以前から活字を直していましたが、香港は、僕の記憶では日本の旧印刷字体そっくりだったと思います。日本と同じくデフォルメされた字体でした。いつの間に変わったのかな。 徹底しているのは「紙」などの糸ヘンで、日本の明朝体ではデッパリが目立って8画にみえますが、香港の活字では6画に見えるように直しています。しかも下の部分
99.01.26 教科書の活字 ご存じの方も多いかもしれませんが、中学校の国語教科書では、明朝体活字のデザインを修正して使用しているようです。 僕が初めてこれに気づいたのは1994年のことでしたが、もっと以前から行われているのかもしれません。ただし、僕の習っていた東京書籍版は、今も昔もふつうの明朝体のままです。 明朝体活字というのは、手書きの文字とはかなり異なっています。そのままの形を筆写すると誤字になってしまうことがあるため、教育的配慮からデザインを変えたものと思われます。たとえば「糸」という字は、明朝体では上半分がチョンチョンと点を継いで書いたようになっていて、全体では8画に見えますが、手書きでは上を「く」の字のように続けて書き、6画になるのが正しいのです。小学校の教科書は教科書体活字を使っているので問題ないとしても、中学校では明朝体活字を使うため、指導上問題が出てきます。 そこで、た
98.11.12 「ら抜き」チェック法 またしても「ら抜きことば」の話です。 何が「ら抜きことば」か、〈知識人〉といわれる人でも案外分かってないらしいことについては、以前書きました。「ら抜き」ではない「振り返れる」という語を、「ら抜きだ」と解釈していたという話でした。 「見れる」「着れる」は間違いで「見られる」「着られる」がいいのだ、などとよく批判されます。でも、前者が間違いだとして、それがなぜなのか分からないまま、言われたとおりの語形を個別に覚えるしかない人も多いと思います。使い手が直観的に適否を判断できないような、そういう語法は、どうしても滅びてゆく運命にあります。 中学校の国語の教科書も、「活用形がどうの……」と説明していて、それは正しいのだけど、ちょっと子どもの記憶には残りにくい。明快さに欠けます。 (前略)「着れる」(「着る」は上一段活用)「出れる」(「出る」は下一段活用)「投げ
01.05.31 頭中将にあだ名をつけよう 源氏物語に出てくる主要な登場人物には、たいていあだ名が付いています。 たとえば主人公は、源のなんとかというきちんとした名前があるのですが、文中では「光る源氏」「光る君」「源氏の光る君」などと言われています。高麗の占い師(相人)が、少年の源氏の美しい容貌をたたえて奉ったということです。 登場人物の呼ばれ方を分類してみると、だいたい次のようになるでしょう。 ◆1◆ 作品中に実名を記述(例少なし) ・貴人に付き従う立場の者の名 例、惟光(源氏の乳母の子) 時方(匂宮の従者)など ・童の名 例、あてき いぬき こもき など ◆2◆ 住む場所、部屋の名、長幼の序列などで特定 例、桐壷更衣 弘徽殿女御 藤壷中宮 六条御息所 明石君 女三宮 大君・中君(宇治の姉妹)など ◆3◆ 作者自らがあだ名をつける 例、光源氏 空蝉(「かの空蝉のあさましくつれなきを」)
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