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アメリカ大統領選
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ISSN 1344−0160 BULLETIN OF THE FACULTY OF HUMANITIES IBARAKI UNIVERSITY S TU D I E S I N S O C I A L S C I E N C E S No. A Political Reflection on the Fuel Consumption in the Japanese Colonial Empire ………………………Kim Kwangnam ( 茨 城 大 学 人 文 学 部 紀 要 ( 社 会 科 学 論 集 茨城大学人文学部紀要 社会科学論集 第 大日本帝国 号 1) における燃料消費・需要に関する政治史的一考察 ……………………………………金 光男 ( 1) ) The Organizational Development of American Consumer
視覚的観点からの検討だけで議論するのは無謀であろう。造字の段階ですでに存在した音声が影響する可能性を考えたい。字形以外に、音声がもつイ メージに も 注目しながら、考察を進める。本系統に属する五文字において、一貫した説は次の三説である。�@影山説:偶数と奇数に分ける。六と八は、両手の指の象形。五、七、九では、五が手の象形。七と九は、五の古形×の変化形[27]。 �A唐漢説:片手で表した、さまざまな手まねの象形[28]。 �B藤堂・加納説:数に転用した音声のイメージ[29]。 上説への私見は以下に記す。 影山は、偶数の場合、六を表すのに三+三、八を表すのに四+四と、二等分する考えを示す。確かに、偶数と奇数の字形を見比べると、偶数は左右対称 で足が 二 本なため、両手の手まねと考えるのも無理はないだろう。だが酒井は、影山が考える手まね[30]は単なる憶測にすぎないとする。五も「」と「×」との
さてここで、本稿の基礎となる資料の全体像を明らかにするため、集めた資料(16)〜(24)を表に整理しておきたい。〈表1〉では集めた四九○の妖怪のうち、出典が明らかになったもの四三六を、女と非女(男と性別不祥またはなし)に分けて時代別に表した。〈表2〉では、出典不明のものも含め四九○の妖怪を、性別そして内容別(水に関係するか否か)で分類してある。〈表3〉では、水関係の妖怪を性別時代別に分けて表した。これらの表より、女妖怪には水に関係する割合の高いことが明らかだろう。 なおここに集計した妖怪は中国の妖怪のごく一部であろうし、時代的偏りがないとも言えない。しかし、神話や志怪などさまざまなジャンルから妖怪を取り挙げたため、代表的なものは概ね含んでいると考える。そのため、全体の傾向を反映していると推量していいだろう。 二 水関係の女妖怪 冒頭でも述べたように、女性には男性にない生理機能があるうえ、感
日本語では「ピザ」とも呼ばれるが、イタリア語の原音に忠実に表記すれば「ピッツア」となる。英語では「ピザ」と言う。…(13)(14) ピザの定義 小麦粉、イースト、塩、オリーブオイルで作られた円盤状の生地の上に、色々なトッピングを乗せて焼いたもの。…(3) pizzaの語源 説�@ pizzaと言うのはイタリア語の古語で意味は「ポイント」 …(1)(8) 説�A ラテン語のpinsereの過去形で意味は「押しつぶす、打ち砕く、粉にする」(11) 説�B 語源は不明(14) ピザの歴史 円盤状の丸パンは、イタリアだけでなく、世界各地の文明に存在していた。 イタリア・トスカナ地方に住んでいたエトルリア人の丸パンが、現在のフォカッチャ(focacia)に発展し、ピザの原型となったとされている。 フォカッチャというのは、「火で焼いたもの」という意味である。フォカッチャは、プレーン
漢語の意味論−−藤堂明保『漢字語源辞典』の方法 加納喜光(茨城大学人文学部教授) (『国文学解釈と鑑賞』60巻1号、1995・1、原題「藤堂明保・漢字語源辞典の方法」) はじめに 本書は藤堂明保氏の学位論文『上古漢語の単語家族の研究』を『漢字の語源研究』(学燈社、1963)と題して上梓したのがもとになっている。世の好評を博したため、割愛した部分を補い、改題して刊行したのが『漢字語源辞典』(学燈社、1965)である。類書がそれまでなかったことや、まったく新しい漢字の見方を提供したため、多くの読者を獲得し、現在も版を重ねている(94年7 月現在で50版という)。ただ、辞典の名に引かれて求めると失望を味わうかもしれない。字数は約3600字しかないし、基本的な漢字が落ちていることもある。本書はあくまで読む辞書であろう。漢字の解説で、目からうろこが落ちる箇所が随所にある。 本書の刊行から一三年後、
真柳誠「鴆鳥−実在から伝説へ」、山田慶兒編『物のイメージ−本草と博物学への招待』151-185頁、朝日新聞社、1994年4月 1 毒と薬 ふつう薬といえば命を救うもの、毒といえば命を危うくさせるもの、と思われがちである。しかし、物としての薬と毒を一線で分かつことは、ときに不可能にひとしい。抗生物質の多くは病原を攻撃すると同時に、生体にも何らかの毒性を示すのである。使い方が不適切なら薬物も毒性を示し、逆に、うまく使えば薬用に可能な毒物も少なくない。いまでこそ毒物学や毒性学が薬理学から分科しているが、薬と毒は本来ひとつの物の両面として、古くから考えられていた。 薬学を英語でpharmacyというが、これは前五世紀の医人、ヒポクラテスの時代からのギリシア語に由来する。同じ語幹のギリシア語で、pharmakonは薬物ないし毒物。pharmaekiaは魔術師ないし薬剤師。pharmakeusは毒
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