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<写真を始めてまだ3年。先人に学ぶ勉強家でもあるスウェーデンのジョーキム・モラーは、ストリートフォトグラフィーは「予測のできなさ」に最も惹かれるのだと言う> 今回取り上げるInstagramフォトグラファーは、スウェーデンのジョーキム・モラー。写真を始めてわずか3年ほどという20歳の写真家である。 彼の写真スタイルは、ストックホルムをはじめとする北欧で撮影されたストリートフォトグラフィーを基軸としている。そのジャンルの写真家の大多数が好む、完全なcandid(キャンディッド)、つまり、あるがままの瞬間を切り取るというよりはむしろ、構図やムードにより力点を置いたファインアート的な写真だ。 北国の都会の風景を、日常を、基本的にiPhoneで撮影し、作品を生み出しているのである。ある時は粒子の荒いデジタルフィルムやデジタルレンズのアプリを使い、あるいはポスト・エディティングのテクニックで魔法のよ
<どんな非日常さえ日常化してしまうパリには欠点もあると、通信社AFPでフォトエディターを務めるステファン・アルノーは言う> 詩的でどこかほっとさせる写真が、どういうわけか、人を惹き込んでしまうということがしばしば起こる。今回取り上げるInstagramフォトグラファーも、そんな作品を撮り続けている1人だ。 パリで生まれ育ち、今もパリで暮らす46歳のフランス人、ステファン・アルノー。20年以上、写真コミュニティーの中で生きてきたが、本来は写真家ではない。フォトエディターとして活動し、現在はフランスの通信社AFP(Agence France-Presse)のパリの本部で国際写真部のチーフエディターを務めている。 作品の多くはパリをはじめとするヨーロッパの街並み、あるいは旅先で出くわした光景を切り取った、一般にストリートフォトグラフィーと呼ばれるものである。基本的に全てスマートフォンで、その多く
<これらは現在の中国で起こっている現実だと、四川省成都の写真家、フェン・リーは言う> 時代、あるいは社会の急激な大変動は、しばしば優れたアーティストを生み出す。中国はまさにそんな歴史的急変を体験し続けている国だ。 北京や上海だけではない。他の地域からも多くの才能が生まれている。時代が彼らをプッシュし、彼らがまた新たな時代の扉を叩く。そして写真もそうした類に漏れない。 今回取り上げるのは、まさにそうした時代の中で生まれた人物。四川省の成都で生まれ育ったフェン・リーだ。同省の役所の広報部に属し、地域の発展やイベントを、たぶんプロパガンダ的にパーフェクトに撮影することを旨とする47歳の写真家である。 彼を一躍世界的に有名にしたのは、もちろん政府絡みの優等生的な写真ではない。彼個人のプロジェクトだ。「白夜シリーズ」である。 「白夜シリーズ」は、2005年の冬に始まった。リーが役所のアサインメントの
<まだ22歳。ビジュアルアーティスト兼写真家のリヒ・ブロッシュには、一瞬にして親密性と信頼感を作り出す力がある> 行動力と、一瞬にして親密性と信頼感を作り出す力、それは写真家にとってしばしば最も大きな武器になる。コネクションづくりのことを言っているのではない。作品づくりにおいてだ。 今回紹介するイスラエル人のリヒ・ブロッシュもそんな才を持っている。まだ22歳。17歳の時に、イスラエルの写真界では限界があると感じ、一人でニューヨークに移り住んだビジュアルアーティスト兼写真家である。そのときから既に、ニューヨークの街が孕む熱気と多様性の文化に揉まれて、自分のビジュアル的感覚を新しい世界として昇華していきたいと思っていた、という ブロッシュとはつい最近、友人のアーティスト、クレイトン・パターソンを通して知り合った。クレイトンが最近足を悪くし、また彼の妻のエルサの認知症が悪化し始めていたため、ブロ
<男同士の裸の絡み合いが圧倒的に多いが、卑猥なだけではない。ピュアな感覚や心地良さが際立つ作品を生み出すのは、自身もゲイであるマット・ランバート、36歳の映像作家だ> 作品を数点見ただけで彼の世界に入ってしまった。同時に、懐かしさと嫉妬が込み上げてきた。私がニューヨークに住み始めた80年代後半から90年代、その頃のゲイ・ムーブメント・シーンを思い出したのだ。まだエイズが社会的にホットなイシューであり、LGBTという言葉が全く定着していなかった頃のことだ。 言い換えれば、ゲイたちに対する大きな差別がまだ残っていて、その存在自体がポリティカルであり、彼らのアイデンティティの証しであった。その生きざまはあまりにも格好良く、私はいつのまにか彼らに惹かれ、多くの時間を共にし、数多くの写真を撮っていた。 だが、一定のラインを超えては、彼らの世界に入れなかった。無論、理由はいろいろとあったが、最大の理由
<昨年1月、ファッションモデルのハンネ・ギャビー・オディールが、男性と女性の生理学的性質を両方有する「インターセックス」だとカミングアウト。自らの過去を語り始めた。行動することもまたアートである> アートとは、さまざまなものに伴う感情や感覚を自らの創造性、能力、あるいは手段などを用いて表現することだ。その意味で、行動そのものもアートになり得る。 今回取り上げるのは、そうした意味でのアーティストだ。長年世界のトップ・ファッションモデルとして活躍し、昨年1月に「インターセックス」だとカミングアウトしたハンネ・ギャビー・オディールである。モデルとして得た名声を活用し、インターセックスの基本的人権を訴えている。ベルギーの小さな街コートトライーク出身、30歳だ。 インターセックスとは簡単に言えば、大半の場合、男性と女性の生理学的性質を不完全ながら両方とも有している人たちのことだ。医学的にはDSD(D
<イランやコーカサス地方では詩的な写真は珍しくないが、30歳のアゼルバイジャン系イラン人、ホジャット・ハミディの写真は他とは違う> 子供時代に感じた原風景として、あるいは自らのアイデンティティーとして、自分の故郷を撮り続ける写真家は多い。今回取り上げる、アゼルバイジャンとの国境に近いイランの街アルダビルに住むホジャット・ハミディもその1人だ。30歳のアゼルバイジャン系イラン人である。 アルダビルは50万人以上の人口を抱える中都市ながら、コーカサス地方の農村地帯にも似た牧歌的な風景も内包している。タイムスリップしたかのような歴史的な旧市街もある。ハミディはそうした街の日常の中で、素朴さを切り取っているのである。 撮影時の立ち位置、あるいは被写体までの距離感、また光の取り入れ方と構図のつかみ方が巧みだ。それがアルダビルの田園風景をより詩的にしている。 とはいえ、そうした要素だけでは、それほど印
<29歳の海洋写真家、ミシェラ・スコヴラノヴァ。海と、人間を含む海の生物に対する彼女の情熱が作品の魅力だが、それだけではない> 人は、何かの世界に取り憑かれたように魅惑され、入り込んでしまうことがある。それは、写真家やアーティストにとっては最も大切な要素の1つになるだろう。この種の情熱がなければ、いくら才能があったとしても、作品は単なるテクニックだけの味気のないもので終わってしまう。人を深く感銘させることはできない。 スロバキア生まれ、オーストラリア育ちのミシェラ・スコヴラノヴァ、29歳。彼女はそういった情熱、自分の世界を持った写真家だ。 彼女が入り込んだ世界は、海中である。完全なる異次元の世界だという。静かで、時間の流れは非常にゆっくりだが、海中では日々の光景が同じになることはない、とスコヴラノヴァは語る。メインの被写体は、生き物、それも巨大な生物が多い。クジラ、イルカ、ウミガメなどであ
<最近注目を集める、スペイン人のアルフレッド・オリバ・デルガード(59歳)。一般的な日常の光景を撮った写真だが、そこには彼の職業的アイデンティティーと彼自身の性格が映し出されている> 審美性と内面的な心理の投影は、写真にとって極めて大切な要素だ。ドキュメンタリーからファインアートまで、多くの作品にその傾向が見られる。題材の美が一般的であろうがなかろうが、投影される心理が個人的なものであろうが公的なものであろうが、多くの写真家がこの2つの要素を作品の核の1つにしている。 今回取り上げるスペイン人のアルフレッド・オリバ・デルガード(59歳)も、その1人だ。ここ最近注目を集めてきているが、プロの写真家ではない。スペインのセビリア大学の心理学教授である。 デルガードの作品は、特別なシーンを切り取っているわけではない。仕事を外れて彼が旅先で遭遇した、見ようと思えば誰もが出くわせるだろう一般的な日常が
<スタジオ撮影で使用されるバックドロップ(背景)のようだが、決してそうではない。エチオピアのビジュアルアーティスト、ギルマ・ベルタの狙いとは> スマートフォンの画期的な進歩と普及は、今までにない新たな才能を開花させ始めている。このブログでもすでに幾人かそうした才能を紹介したが、今回取り上げるギルマ・ベルタもその1人だ。1990年生まれのエチオピア人で、ホームタウンである首都アディスアベバのストリートをモチーフに、多くの作品を生み出している。 純粋には写真家ではない。アカデミックなバックグラウンドはIT(Information Technology)だ。クリエイティブなグラッフィク事務所をアディスアベバに構えており、本人は、ヴィジュアルアーティストと呼ばれるのがいいと言う。 写真については、2010年にiPhone を手にしたことで本格的に興味を持ち始めたという。インスタグラムで多くの作品に
<写真は早くから始めないと才能が開花しないというのは本当か? ストリートフォトグラフィーを旨とし、自らが"ハブ"としてきた渋谷を舞台に作品づくりを行う鈴木達朗は、写真と全く関係ない道を歩んできた> 音楽と同じで、写真などのヴィジュアルアートは早い時期から活動を始めたほうがいい、そうでないと才能が開花するのは難しい、と言われる。だが実際には、優れた写真家の中には、しばしば晩年、あるいは人生の一定の期間を経てから写真を本格的に始めた者も多い。その人生も、写真を始めるまでは写真と全く関係ない道を歩んできたような者たちである。 今回紹介する鈴木達朗も、そんな写真家の1人だ。早稲田大学の法学部を卒業した後、25年近くの間、日本のトップクラスのIT企業に勤めていた。だが、ふとカメラを手にし、写真の面白さを知り、その後、国際的な賞を取ったことがきっかけで、安定した高収入の職をあっさりと投げ出した男である
<北欧の白夜の柔らかい光がつくり出す神秘的な世界。ノルウェーのブリット・マリー・バイが撮るのは、単に美しい光景ではない> 今回取り上げるのは、ノルウェーのオスロ在住の写真家、ブリット・マリー・バイ(39)。彼女の作品の舞台はスカンジナビアの美しい自然である。北欧特有の、いつまでも黄昏が続くかのような、あるいは実際に白夜で、どこまでも限りなく柔らかい光がつくり出す神秘的な世界だ。 そんな世界でバイが焦点を当てているのは、何十年も見捨てられ続け、朽ち果てたままになっている家やトレーラーハウスである。バイ自身、そうした廃墟を撮影することに中毒的にさえなっているという。 とはいえ、正直に言えば、彼女の作品にときどき魅力は感じても、どっぷりはまり込んでしまうほどではなかった。確かに北欧独特の柔らかい光に包まれた森、湖、山々は非常に魅力的だが、写真家が写真家であるための"写真を超える何か"を感じること
<キッチュなヌード写真で注目を集めていた中国の若手写真家が、自殺した。このブログで取り上げようとインタビューを申し込んでいたところだった> 2月24日、写真界の大きな才能が1つ、逝ってしまった。北京を拠点に活動していた中国人のレン・ハンだ。享年29。原因はまだはっきりしないが、自殺だったという。 奇遇だった。このブログで取り上げるためにちょうどインタビューを彼に申し込んでいたところだった。また、亡くなる数日前には、報道メディアの雄であるCNNや他の欧米のメディアでも彼の記事を目にしていた。 作品の主たる被写体はヌードだ。大半は友人をモデルにしたものである。ハイコントラストでキッチュなポップ感にあふれた作品になっている。直接、官能的に訴えるものはほとんどない。 写真のテクニックとしては素人に近い。不用意にピントが甘いものや、単純なライティング、ひと昔どころか、ふた昔前の小型フィルムカメラでの
未婚女性やバーニングマン......決して一線は越えない「普通の人」たち <女性版バチェラー・パーティーで羽目を外す女性や、ネバダ州の砂漠地帯で行われる祭典に集う人々を撮るディナ・リトフスキー。インターアクション(
<ピンクやパステル系の色を多用し、フェミニズムを全面に押し出した新しいスタイル。その代表格、ぺトラ・コリンズの魅力は独特の耽美性にある> ここ数年のインスタグラムの台頭とともに、写真界で新しく出てきたスタイル、あるいはムーヴメントがある。「ピンク・カルチャー」だ。夢見がちなティーンエージャーが好むピンクやパステル系の色を意図的に多用した写真スタイルである。 表面的には日本の"かわいい"文化に近いものがあるかもしれない。だが、その意図するのもの、発生形態、そして中身はまったく違う。若手の写真家あるいはアーティストたちが中心になり、彼らがこうあるべきと思うフェミニズム――たとえば「太めの女性は美しい」など――をしばしば全面に押し出しているのだ。 その代表格はニューヨーク在住のカナダ人、ペトラ・コリンズだ。彼女の写真の魅力は、そのメッセージ性に加えて、独特の耽美性にある。圧倒的なポップ性の中に時
両手を上げても殺される同胞の黒人たちに対して、その現象的になったジェスチャーを示して連帯の意を表すアメリカ南部の綿花畑の労働者 From Ruddy Roye @ruddyroye <無名だったが、インスタグラムの登場と2012年の災害取材で一気に名声を獲得した写真家ルディ・ローイ。「写真家もフォトジャーナリストも活動家だ」という彼を紹介するのは、これまでは気が引けていた> 今年最後に紹介するのは、ジャマイカで生まれ育ち、ニューヨークを第2の故郷とするルディ・ローイ、47歳だ。2人の息子をもつ父親でもある。インスタグラムが登場するまでほぼ無名だった。それが2012年にアメリカ東海岸を強襲したハリケーン・サンディの取材以来、アメリカのさまざまな社会問題を伝えて一気に名声を獲得した写真家だ。 「インスタグラムの王」とさえ言われている。作品はアートギャラリー、フォトフェスティバル、美術館でも紹介
<2016年世界報道写真コンテストのネイチャー部門で入賞した上の写真を撮ったのは、メキシコの社会人類学者アニュアー・パットハネ。なぜ人類学者がこれほど優れた海洋写真を撮れるのだろうか?> 人類学と写真ほど似通っているものはないかもしれない。目的論的に言えばどちらもその核となるのは、人間と、それに絡む環境、社会、文化についての探求である。その探求を通して、いったい人間とは何であるかを追い求めているのだ。そのためか、時として人類学をバッググラウンドに持つ優れた写真家に出会う。今回紹介するメキシコの社会人類学者アニュアー・パットハネもその一人だ。 水中写真、海洋写真を中心にインスタグラムで作品を発表している。ソニーの小型カメラ(Sony Cyber-shot DSC-RX100)を使ってメキシコのレビジャヒヘド諸島海域で撮影した作品「ささやくクジラたち」は、今年のワールド・プレス・フォト(世界報
孔雀としてのセルフポートレイト/“Rayuela ― 想像上の日記”シリーズ From Simona Ghizzoni @simona.ghizzoni 写真は、とりわけ優れた写真家の写真は、音楽に非常に似ている。どちらも目に見えない何か――人間の感覚にぶつかる何かそのもの――を描き出そうとしている。中堅の写真家、イタリア人のシモナ・ギッゾーニも、そんな作品を創り出す一人だ。大半はフィルムで撮影している。 彼女自身、もともとジプシーの血を引いた音楽家だった。だが、音楽そのものが彼女の写真を開花させたわけではない。大きなきっかけは二つある。一つは、彼女が20代半ばの頃に図書館で見つけたダイアン・アーバスの写真集。「社会からはみ出た」とレッテルを貼られた者たちを撮り続け、のちに自殺してしまった偉大なる女性写真家の作品に出合ったことだ。 もう一つは、ギッゾーニ自身が10代の時に拒食症を患っていた
トルコから海路でレスボス島に入った後、フェリーでアテネに向かう難民たち From mujtabajalali @mujtabajalali 運命的な出会いとか境遇、あるいは持って生まれたアイデンティティーそのものが写真家を大きく成長させることがある。かけがえのない財産になることがある。まだ24歳のアフガニスタン人であるムジュタバ・ジャラリは、そんなことを彷彿させてくれる写真家だ。そのテーマのすべては、マイグレーション(転住)、あるいは難民である。 彼の写真に初めて接したのは、昨年、時の大ニュースになった――今現在もだが――シリア、イラク、アフガニスタン、スーダン、ソマリアなどからヨーロパへの膨大な数の難民騒動の中でだった。リサーチ中に触れた大量の写真の中で眼に留まったのだ。 【参考記事】難民はなぜ、子供を連れて危険な海を渡るのか 作品は、難民たちと同じルートで行動を共にして撮られていた。親
写真家にとって、眼の前にある現実は必ずしも1つだけとは限らない。そこには、多様な要素が存在する。見方を変えれば、あるいは要素の選択を変えれば、さまざまな現実が新たに浮かび上がってくる。今回紹介するイタリアのマリーナ・セルサーレは、そんな信念を持った写真家の1人だ。 写真のジャンルとしてはストリート・フォトグラフィーになるが、セルサーレは類まれな"眼"を持っており、それが作品をファインアートに昇華させている。なかでも、彼女が好み、見る者を魅了するのは、光と影の交錯だ。 地中海独特の強烈な陽光だけでなく、鈍い光のときでさえ(例えば、最近アップしているヴェニスの作品シリーズ:下の写真)、ハイコントラストでありながら、同時に柔らかな光のセパレーションを生み出しているのだ。その中で、ありきたりな光景がミステリアスで孤独感を漂わせる未知の世界に変わっていく。どこか重たいくせに、宙に浮いているような錯覚
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"Young Love"――若き日の恋は、誰もが憧れ、ときめき、人生で最も貴重な何かを経験させてくれるもの。今回紹介するジュリア・サントスは、そうしたヤングラブを自身のプロジェクトとして切り撮っている写真家だ。ニューヨーク・デイリー・ニューズ紙の中堅スタッフであり、近年は同紙のビデオ・フォトグラファーとしても活躍している。 iPhoneのみで撮影され、インスタグラム上に頻繁にポストされている作品は、大半がニューヨークで撮られたものだ。そこに過激性や奇抜性といったものは存在しない。カッコいい人物たちのヤングラブに焦点を絞ったものでもない。 公園のベンチやビーチで寄り添うカップル、放課後の学校帰りの高校生、プロム(高校生活の最後を飾るダンスパーティー)、プラットホームで地下鉄を待つゲイのカップル......。ニューヨークの都会の日常風景の中、ごく普通に見られる、ごく普通の人々のヤングラブである
自分の子供をドキュメンタリーとして本格的に写真に収めることは、ポピュラーとはいかないまでも、フォトドキュメンタリーの世界では時々行われる。優れた作品になることもある。今回紹介するカリフォルニア在住のInstgramフォトグラファー、グエン・コインもその一人だ。彼女はグラフィック・デザイナーでもある。 数年前から娘グレッタの幼少時代、その成長過程を撮り続けている。舞台はカリフォルニアだ。コイン自身、#familyphotojournalismとハッシュタグをインスタグラムに付けてそのプロジェクトを位置づけているように、ビーチやプレイグラウンド、あるいは家でくつろぐ娘の姿を、客観的に捉えている。カリフォルニアの眩しい陽光とハイコントラストが生み出す影と光の爆発、あるいは逆に柔らかい光を巧みに取り入れて、幼少時代の子供が持つ純粋さや無邪気さを表しているのだ。 同時にどこかダークな神秘性も漂ってい
大阪生まれ、大阪育ちのショウジ・オガワは、近年ディープ大阪とも言われる、釜ヶ崎や新世界を中心とした浪花の街を撮り続けているベテラン写真家である。 彼の写真に出合ってすぐ、懐かしい感覚が蘇ってきた。ワイルドで、雑で、危なかっしく、暴力的ですらあり、大阪を知らない人間にとっては二歩も三歩も引いてしまいそうだが、入り込めば温かい生の人間臭さを感じさせてくれ、あらゆるものを受け入れてくれそうな街――そんな匂いの感覚だ。 ショウジ・オガワの写真の最大の魅力は、ストリート・ポートレイトに発揮されている。釜ヶ崎・新世界を中心に、ホームレスや労働者、主婦、子供たち、あるいは大阪ミナミのコスプレの若者たちの表情を、写真用語でいうところの"Stolen Moment"という手法で、彼らがカメラに気づく前に一瞬にして切りとっている。 また、野良猫も彼のストリート・ポートレイトの魅力的なモチーフの一つだ。こちらは
ルーマニア生まれ、ニューヨーク育ちのサーシャ・レッカ。本来の仕事は、フォトエディターだ。現在の職場であるローリンング・ストーン誌も含め、著名な雑誌で活躍してきた。しばしば優れた写真は、写真を本職としない者の手によって生まれるが、彼もそうした才能を持つ一人である。 インスタグラムでの彼の写真スタイルは、ルポルタージュ、あるいはドキュメンタリーである。ニューヨークを中心に社会的、政治的なものまで含んださまざまなハプニング、あるいは日常を切り取っている。 とりわけ、ライフワークとも言えるライブ・ミュージック・シーンのシリーズは、多大なヴォリュームを占め、彼の才能のみならず、人間性を読み取ることができる。ちなみに、ローリング・ストーン誌のアサイメント関連の写真もあるとはいえ、その大半は彼自身のプライベートな時間を割いて撮影したものだ。 彼には、写真哲学において、大きなリマインダー(心に留めているこ
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