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現代数理論理学序説 作者: 古森 雄一,小野 寛晰出版社/メーカー: 日本評論社発売日: 2010/06/16メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 12人 クリック: 260回この商品を含むブログ (11件) を見る本日、Amazonより到着。現代的な数理論理学について知りたければ最適*1の入門書だと思います。計算機科学の人にもお勧め*2。出版社のwebsiteによると章の構成は以下の通り。 第1章 命題論理 1.1 論理学と形式的体系 1.2 命題論理の体系 1.3 ゲンツェンの基本定理 1.4 古典命題論理の意味論 第2章 述語論理 2.1 述語論理の体系 2.2 ゲンツェンの基本定理 2.3 古典述語論理の意味論 第3章 ラムダ計算の世界 3.1 ラムダ計算の計算能力 3.2 ラムダ項の型付けとη変形 第4章 非標準論理 4.1 直観主義論理 4.2 論理と代数 4.3 様相論理
"Deflationism and Paradox" pp.203-217。 出席者3人、今回のレジュメは私が担当したが、所々意味を反対に訳すという離れ業を演じてしまった…(爆汗)。多くの間違いのご指摘により、以下のレジュメは、何とかみられるものとなりました。 Deflationism and Paradox 作者: J. C. Beall,Bradley P. Armour-Garb出版社/メーカー: Oxford University Press, USA発売日: 2008/07/15メディア: ペーパーバック クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見るこの論文でHalbachとHorstenは、形式化されたデフレ主義の真理理論研究を紹介している。 デフレ主義 我々は、(我々が理解しているところの)デフレ主義の中心となる主張をのべる。これらの主張は、実際の哲学的ドクトリンで
「科学哲学」27(1994)pp.69-82. 某氏の日記経由、web上で取得可能(いい時代になったものです)。 本論文では、推論主義の見地から論理的推論にアプローチする。すなわち、「良き論理とは演繹的保存拡大の条件を満たす論理であり、良き推論とはそのような論理内の推論である」。そして、我々が古典論理を使用するのは、「使い勝手が良い」からである。また、古典論理が「真理保存的」であると見なされるのは、使い勝手が良いために我々が古典論理をよく使うため、「真理保存的である」と考えると便利だからだ、と結論する。 非常に明快で力強い論文なのですが、明快すぎる嫌いがありあます。すなわち、議論を単純にしすぎてしまい、いくつか重要な点で過剰殺戮を行っているようにも思えます。たとえば、本論文では、上記の引用からも分かるとおり、自然演繹チックな方法で証明論的に形式化されていることが、論理としての最低条件である
id:nuhsnuh さん経由。知っている人は知っている話でしょうが。 ASLで編集され、Springerから出版されていた ”Perspective in logics"シリーズが、なんと Project Euclid で無料公開されていました。ページはこちら。内訳は Computability in Analysis and Physics; Marian B. Pour-El, J. Ian Richards (1989) Higher Recursion Theory; Gerald E. Sacks (1990) Metamathematics of First-Order Arithmetic; Petr Hájek, Pavel Pudlák (1998) Essential Stability Theory; Steven Buechler (1996) Proper an
The Monist, vol.89, no.1, pp.118-149 (2006). 古典論理で矛盾を導くパラドックスの典型例と言えば、嘘つきのパラドックスでしょう。このパラドックスでは「文L = 『Lはウソである』」というように、循環性によって矛盾を導きます。この印象があまりに強いせいか、時々「全てのパラドックスの原因となるのは循環性/自己言及性だ」という言い方をすることがあります。ですが、本当にそうなのでしょうか。この論文では、循環性を原因としないパラドックスといわれるヤブローのパラドックスを題材に、循環的でないパラドックスがあり得るかどうかを考察しています。 ヤブローのパラドックス さて、ヤブローのパラドックスの説明を次にご覧いただきましょう。以下のような可算無限個の文の列があったとします。 「は偽である」 … 「は偽である」 … さて、が真だとすると、は偽です。従って、あるk>
昔、某准教授はいいました。 (命題)論理学とは否定(¬)と「ならば」(→)の研究だ。 昔から、「かつ」や「または」はあまり問題を起こさず、難問を招くのは否定と「ならば」がほとんどでした。 ラッセルのパラドックスは否定に関するパラドックスですが、多くの「似た」パラドックスがあります。今回は、ラッセルのパラドックスに対応する、「ならば」に関する「カリーのパラドックス」を(Myhill の論文でも大きく扱っていることもありますし)ご紹介したいと思います。 カリーのパラドックス=否定記号を使わないラッセル・パラドックス さて、ラッセルのパラドックスでは、R∈R と ¬(R∈R)の両方が証明されるので、そこから R∈R & ¬(R∈R)、つまり矛盾が示されるという構造をしています。つまり、本質的な役割を果たすのは否定記号であり、否定記号に関するルールを変えればその導出が不可能になる(極端な話、否定記
Martin-Lofの1971年の論文では、循環性がその中核を占めています。彼は、この条件があるので、彼の理論は圏論と非常に相性が良い(ご存知のように、圏論では、圏全体は圏をなし、その意味で強い循環性を持ちます)と主張しています。しかし、翌年に、Girardがこの中核部分の(もしくは現代の書き方では Type: type)からパラドックス(ブラリ-フォルティのパラドックスの一般化)が導けることを証明し、彼の夢は消えました。現在では、循環的部分を削除した、厳格な可述性に基づく依存型理論(おそらく整合的だろうと思われるもの)が、Martin-Lofの体系ということになっています。 さて、Girardのパラドックスですが、文献は Girardの論文は仏文?だったはずなので、Thierry Coquandの An Analysis of Girard's Paradox (LICS 1986)をど
おそらく、この話はもう新聞で報道されているので、ここに書いても問題はないだろうと思います(何かありましたら、ご連絡をお願いします)。オランダで、公共交通用電子カードの安全性に重大な欠陥があることを証明した論文について、オランダ政府の国務長官が発表の差し止めを要請したそうです。 オランダ・Radboud 大学(ナイメーヘン)の Bart Jacobs と言えば、"Categorical logic and Type theory" isbn:0444508538 で有名な計算機科学者ですが、最近は情報セキュリティの分野でも活躍しています。彼が率いるナイメーヘンのグループが検証しようとしたのは、オランダ版 Suica こと OV-chip card(公共交通用電子カード)。これは、ロンドン地下鉄のオイスター・カードや香港の地下鉄カードのシステムと本質的には同じで、2007年から実証実験が始まり
まず最初に、クリーネの3値論理をご紹介しましょう。 これは真理値として 真(t)、偽(f)、不定(i)の三つを持ちます。 論理結合子に関して、以下の二つの例を紹介しましょう。 否定 ¬ に関して A が t (f) ならば ¬A は f (t):古典論理と同じ A が i ならば ¬A は i A→Bに関して、 A, B が t,f の場合は古典論理と同じ Aが i のとき Bが t ならば A→B は t それ以外の場合 A→B はi となります。述語論理に関しては、古典論理と同じく上界をとります。 さて、クリーネ3値論理上包括原理を持つ集合論 K3C を考えましょう。この集合論は、ラッセル・パラドックスに関して R∈R の真理値は i もちろん ¬(R∈R) の真理値も i 従ってラッセル・パラドックスの推論 R∈R→¬(R∈R) の推論も i という結論を導出します。つまり、ラッセル
どーも、皆様お久しぶりです。前回が10月28日、一ヶ月強の時間が空いてしまいました。今回は前回までのまとめということで、不動点とラッセルのパラドクスの関係をおさらいしたいと思います。 自己言及性の統一的取り扱い さて、誰もが言うことですが、ラッセルのパラドックスと嘘つきのパラドックスは「似ています」。同じ自己言及型のグレリングのパラドックスも似ています。他に、カントールの |P(X)|> |X| を始め、多くの定理は対角化で証明されますが、それらの証明はとてもよく「似ています」。しかし、似ているのはいいのですが、「似ているよ分析」では困ります:どんな意味で「似ている」のか、もう少しきっちりと語ることはできないものでしょうか。 このような場合、圏論の方法を使い抽象的なアプローチをすることが助けになります。ラッセルのパラドックスの構造を簡単に表示すると、以下の構造になります。 このdiagra
h師の日記経由。朝日新聞 の昨日の朝刊28面より。 「リスクに対処するための金融商品自身が新たなリスクになる」という論文のロジックは、数学や論理学の世界で有名な「ゲーデルの不完全性定理」と関係しているのではないか、と私は考えてきた。 「私の発言はウソである」と私が言ったとすると、この発言は、真実だろうか、うそだろうか。真実だとすれば、私の発言はうそでなければいけないから、この発言も真実ではないはずだ。逆に、この発言がうそだとすると、私の発言はうそだ、という命題は正しいことになり、この発言は真実だということになる。 結局、この発言は真とも偽とも判定できず、論理の完全性は破綻してしまうのだ。 論理学者ゲーデルは、このような自己言及的命題(自分自身について述べる命題)が、論理の体系の完全性を破壊してしまうため、いかなる数学体系も完全なものにできない、と証明した。これがゲーデルの不完全性定理だ。
kururu_goedelさんのところで話題になっていたので。 普通、通俗的な本でラッセル・パラドックスの紹介をすると、「包括原理 (the comprehension principle) が悪いのです、だからZFが建設され問題が解決されました、めでたしめでたし」という結論になってしまうのですが、それは間違っています。それ以外にもいろいろな解決法が提案されていて、どれも一長一短があります。 さて、Feferman*1によれば、ラッセル・パラドックスの解決法は、以下のように分類することができます。 Restriction of syntax: つまりラッセル集合の定義文は「文法違反」だ、というもの Restriction of logic: つまりパラドックスは古典論理のせいだ、だから古典論理を制限/変更しようというもの Restriction of basic principles: つ
ながらくこの日記も放置してきましたが、はてなダイアリーの規約改定に伴い、広告が強制的に表示されることになりました。私としては広告つきのブログは受け入れがたく、これを機会にblogを変更することといたしました。 今後は http://ytb-logic.blogspot.jp/ で更新する予定です。 今後ともよろしくお願いいたします。 最近、あまりにもこのはてな日記を放置しすぎなので、ぼちぼちと日記も再開したいと思います。とりあえずTwitter連携機能は停止しました。といっても、多忙のため、そんな頻繁に更新できるとは思いませんので、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。
先々週の研究集会で話題に出た話だが、今思い出したので。 どんな論理体系でもA┣A(AがAを証明可能)もしくはA→Aが真理値1ということが成り立つのか、という話題。 大抵の証明体系では始式としてこれを仮定していて、これが成り立つのは当たり前のように思えます。以前紹介したStrassburgerの論文でも、「論理とは論理式をdomainとするプレ順序集合のことである(つまりA≦Aが成立する)」という形で当然視しています。 歴史的には、Lukasiewiczが1920年代に、アリストテレスの分析を通してA→Aの真理値が1であるべきであるといって、Lukasiewicz 3値論理の真理関数 (A→Bの真理値はmin{1,1-|A|+|B|})を導入することを正当化したという経緯があります。fuzzy論理などでもA→Aはいつでも真理値 1 です。 それではA┣Aが成立しない or A→A の真理値が
仏語西都逍遥さんのところで昨日のエントリをご紹介いただく。ありがとうございます(いつも読ませていただいております)。それはそうと、Esenin-Volpinの数学の業績とその背景について。 私が始めてEsenin-Volpinの名前を知ったのは「厳格な有限主義」の代表者としてである。英語版Wikiの記事にもなってるように、「自然数全体」のuniquenessとか、exp(exp(exp(79)))とかのような大きな有限数とかは、実際に書き下すことが出来ないので、数や集合といった確定的な存在物として存在しないと主張する。今Gandyの紹介論文が手元にないので不確かだけど、「書き下せる」という概念の定義に、アルゴリズム概念を使っていたような気がする。他に「集合論の無矛盾性を証明した」と主張したとか(ロシア語で400ページの草稿)。本人の書いたものは英訳されていないようで、断片的(GandyやV
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