安倍首相が戦後70年談話で『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません』と述べたことを受けて、社民党の福島瑞穂議員が「何百年たとうが謝らなければならないことはありますよ」と言ったらしい。 これに対して「売国発言だ」「トンデモだ」という意見も多々あるのだが、僕はそうした意見に半ば同意しつつ、「謝らなくていいのだ」という主張にも首をかしげる。 「今後もずっと謝らなければならない」とか「もう謝らなくていいのだ」ではなく、謝るか謝らないかは未来の世代に任せればいいのではないだろうか。「謝り続けろ」というのは未来の日本人の行動にカセをはめてしまうけれど、「謝るべきではない」というのも同じように日本人の未来の行動を制約してしまうものだと思う。 大切なのは「日本人が何をしてきたのか?」という歴史の問題だ。日本が近現代史において