2016年12月25日14:57 カテゴリ読書・評論 「重爆特攻さくら弾機」を読む(2) さて肝心の重爆特攻がどうなったかだが、戦況が悪化するにつれて南九州にある知覧(陸軍)、鹿屋(海軍)などの特攻基地は、アメリカ軍による間断ない空襲で、特攻機の地上での被害が大きくなってきた。その点では北九州にある太刀洗は比較的に安全であったため、「さくら特攻機」も太刀洗に置いて、飛行場周辺の掩体に入れ念入りに偽装していた。太刀洗からは、重爆特攻は直接に沖縄へ飛ぶことができた。 当時、海軍の「桜花」は、犠牲ばかり多くて戦果が上がらないことが明らかになりつつあった。そこで「さくら特攻」への期待が高まるのだが、当時の飛行機生産技術力は急速に低下しつつあり、疎開先の工場からの部品を集めて組み立てる完成機工場でも、ベテラン工員が召集で抜けたあとを女子挺身隊が補っている状況だった。さくら弾機への改造も、ベニヤ板を多