明治維新は、驚くほど低コストで実現した「革命」である。たとえばフランス革命の死者は60万人以上、その後のナポレオン戦争を入れると200万人以上だが、明治維新の死者は西南戦争を入れても3万人強にすぎない。この奇蹟的な革命は、何によって可能になったのだろうか? その一つの原因は、拙著でも紹介した尊皇攘夷思想である。日本に輸入された朱子学は、最初は幕府を正統化する御用学問だったが、そのうち天皇こそが正統な「天子」であり、幕府はその地位を簒奪した「逆臣」だという水戸学の尊皇思想に変質してゆく。 ただ著者によれば、水戸学の本来の思想は、他国の脅威を排除して国家を統一するためには非公式の幕府の権力だけではだめで天皇家の正統性が必要だというもので、革命思想ではなかった。ところが徳川家定の後継将軍として水戸家が一橋家の慶喜を推したのに対して、家定の側近だった井伊直弼などがこれを将軍家を紀州から奪う陰謀と誤
![明治維新を実現した「間接戦略」 - 『愛国・革命・民主』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c2b08e0ba79a864088d8247e5714a58a6b212173/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fagora-web.jp%2Fcms%2Fwp-content%2Fuploads%2F2016%2F02%2F316uRE62TUL._SL160_.jpg)