「終戦の日」と「防災の日」に挟まれたこの時期、戦中・戦後に日本列島を襲った地震災害のことを思い起こしたい。 昭和18年から23年にかけて、死者数が千人を超えるマグニチュード(M)7~8級の地震が立て続けに発生した。 18年鳥取(M7・2、死者1083人)▽19年東南海(M7・9、死者・不明1223人)▽20年三河(M6・8、死者2306人)▽21年南海(M8・0、死者1330人)▽23年福井(M7・1、死者3769人)-の5つである。 これらの地震は戦火と戦後の混乱に埋もれ、震災そのものが十分に伝えられているとは言いがたい。大正12年の関東大震災(M7・9、死者10万5千人)に続く大規模震災といえば、多くの人は平成7年の阪神・淡路大震災(M7・3、死者6434人)を思い浮かべるのではないか。 だが、終戦を挟んだ昭和の地震活動とその被害は、今後の日本の防災にとって極めて重要な教訓をはらんでい