美しい街並みは前夜の雪に白く覆われていた。12月2日、スイス・チューリヒ。2018年のサッカーワールドカップ(W杯)開催地がロシアに決まった直後、国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長が読み上げた22年大会の開催地はカタールだった。初の単独開催を狙った日本の夢が打ち砕かれた瞬間、静かな会見場にはロシアの時と同様、勝者の雄たけびが響きわたった。 日本の落選、カタールの当選は予想の範囲内だったが、配布された投票結果にわが目を疑った。過半数獲得国が出るまで最下位をふるい落とす投票(総数22票)で、カタールが1回目から11票を獲得したのに対し、同じく有力候補と目された米国は日本と同じ3票。現実はカタールの圧勝だった。中東初、アラブ圏初の大義があるとはいえ、気温40度超の気候に伴う健康への懸念をはじめ、事前に公開されたFIFA調査報告書に記されていたのは懸念材料ばかり。それらを一蹴(いっしゅう