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トロッコ問題に関するunyounyoのブックマーク (2)

  • SYNODOS JOURNAL : 「トロッコ問題」記事への追記――思考実験の功罪、ダブルエフェクト原理、フィリパ・フットの真意 小山エミ

    2010/11/147:0 「トロッコ問題」記事への追記――思考実験の功罪、ダブルエフェクト原理、フィリパ・フットの真意 小山エミ 前回の記事「『消極的義務』の倫理――『トロッコ問題』の哲学者フィリパ・フットとその影響」では書ききれなかったネタがあふれるほど余っているので、おまけとしてそのいくつかを書いてみる。というのも、サンデルの授業で紹介されているだけでなく、最近おこなわれた中森明夫さんと宮台真司さんのイベントでこの「トロッコ問題」が取り上げられるなど(宮台さんはちょっと間違って覚えていたようだけれど)、ここのところトロッコ問題への関心が高まっているようなので、もうちょっとこのサンデルブーム、トロッコ問題ブーム(?)に便乗してみようかと。 まず最初に、トロッコ問題というかこの種の思考実験へのよく聞く異議申し立てとして、思考実験の設定自体が人工的すぎる、という意見がよくみられる。これにも

    unyounyo
    unyounyo 2011/10/26
    前記事読んでないがこの記事は納得。
  • ララビアータ:トロッコ問題 - livedoor Blog(ブログ)

    最近、サンデル教授の影響であろうか、倫理的難問が一見具体的な例題として問われることが多い。その典型例が、トロッコ問題と言われるもので、たとえば暴走するトロッコがあって、切り替え線で二つの線路に分かれているとする。一方に行けば多くの人を犠牲にするが、他方に行けば犠牲は一人で済む。その場に居合わせた者は、トロッコをどちらに導けばいいか?と問われるのである。この場合は、かけがえのない人命が功利主義的考慮に対象にされてよいかが問われているわけであり、我々はその問題状況をこの事例で明確に理解できるわけである。 しかし、果たして倫理問題がこのような形で当に理解できるものであろうか? 事例の説明が、判断できるにはあまりにも粗雑ではないだろうか?その場に居合わせた人がどのような立場の人間か問題にしなくてもよいのか?それぞれの線路の先にいて犠牲になる可能性のある人がそれぞれどのような人なのか、自分の家族や

    unyounyo
    unyounyo 2011/08/02
    何度か聞いた気がするけど哲学者が表で批判してくれると有難い。
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