英エコノミスト誌が「フクシマ50」と呼ばれた男たちの話を聞いた(写真は2011年3月14日に撮影された福島第一原子力発電所)〔AFPBB News〕 友人たちによれば、2011年の災害当時、福島第一原子力発電所の責任者だった吉田昌郎氏は、まるで硫黄島にいるような感じだったと話しているという。硫黄島は、1945年に日本軍が死守しようと雄々しく戦ったが、結局、米軍の手に落ちた北太平洋の島だ。 吉田氏の部下だった吉澤厚文氏と福良昌敏氏は、当時の苦闘をそれほど生々しく描写しない。 彼らは事故後初めてのインタビューで、昨年3月11日の地震と津波後の数時間、数日間に、原発から放出される放射線レベルの急上昇に命懸けで立ち向かった「フクシマ50」と呼ばれる男たちの責任感について語った。 彼らはとりわけ、作業員の家族も多く暮らす地元社会を守りたいという強い思いに突き動かされたという。 カメラから顔を隠した作