タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (4)

  • 鉄と蝦夷(エミシ) - heuristic ways

    荒俣宏『歌伝枕説』に、「安達(あだち)ヶ原の黒塚(くろづか)」の鬼伝説について述べたくだりがある。 福島県二松市安達ヶ原には、鬼婆伝説で有名な観世寺(かんぜじ)がある。「この敷地内に巨大な岩を積み上げた場所があり、ここに鬼婆が住んでいたと伝えられる」とのことで、今は観光名所になっているらしい。 この鬼女伝説は、室町時代にかかれた謡曲『黒塚(くろづか)』に基づくようだが、この謡曲のタネになったのは、平安時代の三十六歌仙の一人・平兼盛(かねもり)の歌だという。《みちのくの あたちの原の黒塚に 鬼こもれりと云ふはまことか》(『拾遺集』)  もともとこの歌は、「名取郡黒塚」にいた陸奥守(むつのかみ)・源重之(しげゆき)の妹をみそめた兼盛が、重之の父に書き送った歌で、「鬼」とはいわばかくれんぼの鬼、つまり「陰に隠れて出てこない女性」のことをたとえた一種の洒落だったらしい。 しかし、「これが『大和物

  • サン=シモンと「脱政治化」 - heuristic ways

    鹿島茂『怪帝ナポレオン三世』を読むと、フランス第二帝政期(1852〜70年)は、鉄道建設、金融機関やシステムの改革、都市改造、パリ万国博覧会、デパートによる商業革命など、その後の日にも影響を与えたと思われる産業主義的な社会変革の手法が実験・開発された時代だったということがわかる。 ナポレオン三世は基的にサン=シモン主義者であり、「産業皇帝」の異名をとったという。では、サン=シモン主義とは何なのか。 サン=シモンについて私が知っているのは、オーウェンやフーリエと並んで、マルクス=エンゲルスが『共産党宣言』(1848年)の「批判的=空想的社会主義および共産主義」の項で取り上げていたこと、そして、『産業者の教理問答』などの著述を発表していることぐらいだった。 オーウェンやフーリエについては、近年再評価の兆しもあるようだが、サン=シモンについてはどうなのだろうか。  『世界の名著 続8――オウ

  • 名前という政治的資源 - heuristic ways

    ナポレオン三世(シャルル=ルイ=ナポレオン・ボナパルト、1808−73)は、「偉大なるナポレオンの出来の悪いファルス」という戯画的イメージによって知られているが、鹿島茂氏は、『怪帝ナポレオン三世――第二帝政全史』で、いろいろ調べていくと、ナポレオン三世は「バカでも間抜けでもない」し、「ゴロツキ」でも、「軍事独裁のファシスト」でもない、「スフィンクスのような人物、つまりどんな定義の網もかぶせることのできない謎の皇帝、端倪(たんげい)すべからざる怪帝」として、改めて見直される人物ではないかと問題提起している。 マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で、ナポレオン三世を、「叔父のかわりに甥」という二度目の茶番(ファルス)として描いているようにみえるが、実は、「マルクスが一番憎んでいたのは、ナポレオン三世のクー・デタで一掃されたティエールらのオルレアン王朝派ブルジョワジー」だったと鹿

  • 「非武装」のトリック - heuristic ways

    村上春樹氏は、昨年6月にスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で行なったスピーチで、「戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?」と問いかけ、「我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった」と主張した(2011-06-13「なぜ核の惨禍を忘れたのか」参照)。 私も基的に村上氏のスピーチに共感を覚えたのだが、先日、大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』(岩波新書)を読んで吃驚した。 村上氏流の考えでは、われわれが原発建設を容認(黙認も含めて)することになったのは、「原爆体験」の記憶がいつの間にか風化し、「核に対するアレルギー」を忘却するにいたったからだということが前提になっている。 だが、そうではなく、むしろ逆ではないか。戦後日人は「原爆体験」の記憶を伝え、「核に対するアレル

  • 1