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ドラクエ3
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海外で最も知名度のある現代の日本人映画監督は誰だろうか? この問いの答えとして、是枝裕和監督、北野武監督と並んで挙がるのが、黒沢清監督だろう。 特に黒沢監督を「発見」した「カンヌ国際映画祭」の開催国・フランスでの知名度は非常に高く、新作『岸辺の旅』は約80館で公開され(日本では約90館)、現地のあるシネコンでは初日の動員数が上位3位に食い込むなど黒沢監督の人気が改めて証明される形となった。今年の秋には全編フランスで撮影された新作『ダゲレオタイプの女』が公開される予定だ。 さて、2016年2月4日。黒沢監督にお会いして私は浮き足立っていた。 アメリカと並ぶ映画大国・フランスで圧倒的な知名度を持っている黒沢監督が目の前にいる……!『CURE』、『叫』、『トウキョウソナタ』といった監督の作品のシーンがどんどん蘇り、質問したいことが溢れてきた。監督の「撮りたいもの」、東京藝大大学院映像研究科監督コ
はじめに 「プロゲーマー」という職業をご存じだろうか?今、日本にはゲームをプレイすることを生業とする「プロゲーマー」という肩書を持つ人達がごくわずかだが存在する。e-sports(注1)の目覚ましい発展とともにその存在は認知されつつある。「プロゲーマー」の中でも東京大学出身という異色の経歴を持つときど選手にお話を伺った。 プロフィール ときど 名門麻布高校出身で東京大学卒の「プロゲーマー」。世界最多の大会優勝回数を誇る。綿密な理論と機械のような操作精度、そして誰よりも熱い情熱を武器にe-sportsの第一線で活躍している。2014年7月、PHP研究所より自身初の著書『東大卒プロゲーマー』を出版。ゲーマーとしての自身の半生や考え方が綴られている。 ―――現在のゲーム業界について、プロゲーマーになられた四年前と比べてどう感じていらっしゃいますか。 プロゲーマーになった頃には、ゲーム業界にどれだ
その人は、甘いコーヒーを飲みながら、人類の追い求める理想と、SFが果たす役割を語った。 まるで子供のように純真で情熱的で、だけど真理を追い求める姿勢はまるで老師のようでもあった。 【幸村誠】 1999年、宇宙ゴミ=デブリが社会問題と化した近未来を舞台とした漫画『プラネテス』でデビューする。 それまで注目されてこなかったデブリの脅威を題材に、その下に経済を回し、社会生活を営む未来世界の描写は、宇宙開発関係者からも高い評価と支持を得る。 一方で、限りなく現実社会に近い社会で、今を生きる我々と同じように悩み苦しみ、そして前に進んでいく等身大の人々の姿は、SF漫画という枠を超え、幅広い層の共感を得た。 そして今、時を1000年遡った、11世紀のヴァイキングたちを描いた『ヴィンランド・サガ』を連載中でもある。 その作品の中では、一貫して「人は何故、前に進もうとするのか」「人の愛とは何なのか」を追求し
はじめに SF(Science Fiction)と呼ばれる創作のジャンルがある。日本では1970年代、80年代に科学への夢と恐れとともにブームになった。現代においても途絶えたわけではないが、往時の勢いはないとされている。確かに「人類の進歩と調和」という理念なり物語なりはもはや力を失っている。科学は人類を破滅させはしなかったものの、導きもしなかった。一方、科学は日常になった。20年前には夢物語であったような情報端末が今では世の中にあふれ、掃除ロボットが一般家庭に普及している。科学は特別なものではなくなったのだ。こんな世界では確かにSFの出る幕はないといっていいのかもしれない。だが、本当にそうなのだろうか。言葉で、あるいは映像で「科学」を、「未来」を語ることにはまだ意味があるのではないだろうか。そもそもSFとは「科学の物語」を語るためだけのものだったのだろうか。SFの未来について、SFと純文学
午前9時55分、東京・千駄ヶ谷。ここは将棋会館4階の特別対局室だ。将棋棋士の中でもトッププロと呼ばれる人たちだけが対局することを許され、過去数十年にわたって幾多の名勝負・ドラマが生まれた場所だ。今回の取材前に、僕たちはその対局前の「儀式」を特別に間近で見ることができた。 駒袋の紐が解かれ、40枚の駒たちが乾いた音を立てて盤上にうち開けられる。上座に着いた棋士が、その中から王将を手に取り、パチッと音を立てて自陣の中心に置く。それを確認したもう一方の棋士が、ひと呼吸置いてから同じように追随する。パチッ、パチッ。駒音は淡々と対局室に響く。他に聴こえるのは、観戦記者が抱えるカメラのシャッター音と、エアコンの室外機の低く鈍い音だけだ。 今回取材させていただいた遠山雄亮五段は、「日本将棋連盟モバイル」という、プロ棋戦のライブ中継サービスの編集長を務めている。このサービスでは、月額350円でほぼ毎日プロ
――探偵企画では、ミステリにおける「探偵」の存在について考えていくことを検討してきた。性別や外見、年齢や職業などの、キャラクターとしての差異に加えて、謎やストーリー全体に対するスタンスの違いなどにより、様々な探偵像が生み出されてきた。我々はこうした「探偵」の姿について、是非それを生みだすミステリ作家の方にお話を伺ってみたいと考えていた。 こうした中、まずお話を伺いに行ったのが、『氷菓』『インシテミル』で知られる米澤穂信先生だ。ご多忙の中取材をお引き受けいただいた先生に。「探偵」を始めとする各キャラクター、及び彼らを取り巻く世界観をどう生みだしていったのか。じっくりと語っていただいた。 米澤穂信 1978年生まれ。岐阜県出身。2001年、『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞してデビュー。「日常の謎」を扱った青春ミステリと呼ばれるジャンルの作品を数多く発表し
2012年9月20日、東京大学駒場キャンパスの金子邦彦先生の研究室を訪ねた。 生命とは何か? 言うまでもないことだが、「生き物」であり、「物」ではない。 ゆえに、ある意味でそれは物理学の扱う「物」という範疇には収まらないものである。 それでは、物理学者が「生命」について真剣に考え始めた時、彼らが見出すのはいったい何なのだろうか? 今回お話を伺った東大の金子邦彦先生は、生命の問いに挑む物理学者の一人である。 著書の『生命とは何かー複雑系生命科学へ』(2005:東京大学出版)では、<複雑系>という視点から生命の本質に迫ろうとしている。金子先生の提示する、ごく単純化された抽象的な生命のモデルから、自己複製・分化・進化など生命にとって基本的な振る舞いが立ち現れてくる様子は、私たちの驚きを誘う。私は生物物理分野に関心を抱く一学生としてそのアイデアが切り拓く新しい「生物」の在り方に感銘を受けた。 生命
ウェブ小説が熱い!何本ものウェブ小説が出版社の目にとまり、商業出版されている。 でも、ふと思う。 一体ウェブ小説とは何なのだろうか? インターネット時代の、新しい形の小説なのか? それとも、紙媒体と電子媒体の違いしかないのか? それを知りたい! 今回は、ウェブ小説出身で人気小説家の川原礫先生、そして担当編集者の三木一馬様にウェブ小説をもっと知るために取材をお願いしたところ、快諾していただいた。 1.出版不況 <商業作家という立場からは出版不況と呼ばれる状況をどのようにお考えでしょうか?> 川原先生(川):私にとってはまず自分が生き残っていけるのかどうかが切実な問題なので、業界全体のことはなかなか考えられませんね(笑)。そういうことはむしろ、担当さんのほうが考えておられると思います。 三木様(三):今の日本は少子化ですので、読者さんの総数は減少していくことは確かです。ですから他に興味を持って
2011年8月29日、私は緊張のあまり興奮するのも忘れ、ただ耳を傾けていた。 何しろあの萩尾望都が目の前にいるのだ。 萩尾望都は、『トーマの心臓』『ポーの一族』『11人いる!』『半神』『残酷な神が支配する』等の作品で、私たちに深淵な世界を見せてくれる――愛と憎しみ、人間の儚さ、理解と赦し、諦め――美しい筆致と入念に作られたストーリーによって構成されたその作品は私たちを魅了せずにおかない。 こんな漫画を描く人は何を考えてきたのか、知りたい。 そして何よりも、萩尾望都に会いたい!(12歳で出会って以来、大好きな漫画家なのです。考えてみてほしい!) このような単純だけれど熱狂的な思いで行われた萩尾望都へのインタビューは2時間半にも渡り、萩尾先生には、自作において繰り返されるテーマである家族の問題を始め、愛と憎しみが混在する人間の不思議、SF、ボーイズラブ、そして『なのはな』以降の連作のテーマとな
「もじもじカフェ」に行ってきました。 もじもじカフェ(http://moji.gr.jp/cafe/)とは文字や印刷について一般市民と専門家がお茶でもまあ飲みながら気軽におしゃべりする会で、何より「成果をもとめない」ことをコンセプトにしている。情熱にあふれながら、ほどよいゆるさも持ったイベントである。 僕が行った時のゲストはヒンディー語学者の町田和彦先生で「インド系文字、その華麗なる系譜」という題でインド系文字の特徴とその発達の仕方についてお話してくださった。 町田和彦先生の著作は『華麗なるインド系文字』や『世界の文字とことば』、『周縁アラビア文字文化の世界』などで読んだことがあり、おぉ、これは参加せねば!と無謀にも単身で切り込んでみた。 会場は阿佐ヶ谷駅からちょっと歩いたバルトというベルギービールのお店。 中に入った途端吃驚!!狭い店内に人がびっしり!!真ん中に長めのテーブル一台と、その
学生の立場から見て説明しておいた方が良いと思われる用語を厳選して解説を加えた。 (バイアスが入っていることは重々に承知しつつ,できるだけオリジナルな説明を心がけ た。Wikipedia はあえて見ないようにして,一部は書籍を参照した。あくまで「現代から 見た当時」がテーマである。) (配布資料でも同じものがご覧いただけます。) 青 青年の青は若さのイデオロギーである。学生運動における若気の至りを表している。「社青同」や「民青」に青が入っていることが象徴的である。まだ青い青春ということ。赤と対照的だ。 赤 赤は革命のイデオロギーである。社会主義の象徴として使われる。「アカガリ」=「レッドパージ」が有名。ソ連の旗の色も“アカ”。 浅間山荘事件 過激派革命組織,連合赤軍が 1972 年に引き起こした事件。長野県軽井沢町にある「浅間山荘」に連合赤軍が閉じこもり,警察官と長期間の銃撃戦を繰り広げた。
映像、音楽、建築等多分野のプロフェッショナルが喧々諤々とした議論と実践を行い、既成の枠組みに囚われない活動を続け、国内外からの評価を確固たるものとしてきたアーティスト集団、ダムタイプ。 彼らの問題作、『S/N』が上演され … →
社会学者の大澤真幸教授が京大を辞職されたことを知った。 原因はどうやらセクハラのようだ。それを聞いて本棚に並んだ大澤の『恋愛の不可能性』を眺めると何とも言えない気分になった。 この書で大澤は欲求と恋愛の不可分性を述べていたが、今回の事件、ある意味で恋愛の不可能性に陥ってしまったようにも見える。 高校時代から僕は大澤真幸の著作に大きく影響を受けてきた。 そして大澤真幸の著作はほとんど購入してきた。あの分厚い『ナショナリズムの由来』ですら浪人時代に買った。(初版だった) 内容というよりはむしろ、テーマへの切り込み方や文の運び方を尊敬していた。 大澤の師匠である見田宗介もそうであったが、とにかく「読ませる」文章を書かれる人だ。 書き手の思考の切れ味や知性がバシバシ伝わってくるような文章で、こんな文章が書けたらいいなあと少し憧れていた。 問題への切り込み方も本当に鮮やかだった。『美はなぜ乱調にある
印刷用PDFファイル:under construction(11月末公開予定!) ・はじめに 「科学研究の現場を見て、研究する」。本当にそのような研究があるのかと驚いた方もいるかもしれない。科学研究の面白さ、苦労、現場を伝えたいと考えていた私達は、そのような研究があると知り、科学研究の現場を見るという点で共通していると思った。 しかし、科学研究の現場を「伝える」のではなく、「研究する」とはどういうことなのだろうか?一体どのような研究で、どのようなことが分かるのだろうか?新しい視点が得られるかもしれない。 そこで、理化学研究所(以下、理研と略す)にある抗生物質の研究室で現場調査をされている、東京大学の福島真人教授にお話を伺った。 ・福島先生のご紹介 1977年東大に入学、81年教養学部を卒業。その後東大大学院に進学、文化人類学を専攻し研究者の道へ入る。現在は教養学部・大学院総合文化研究科
コンシャスだから分析するのではなく、毎日目にしているから分析するのです。 毎日せっせと駒場に通っているとどうしても網膜に映ってくるイカ東(いかにも東大の略)。チェックのシャツに、中学生から使っているリュックを背負って、薄汚れたナイキのスニーカーを履きこなす彼らは秋葉系と共通するファッションである。さらに筋金入りのガリ勉で、同類以外(特に女性)とのコミュニケーション能力を欠く。ひと世代前のようオタクである。 東大と言えば、上記のようなガリ勉男子が想起されることが多い。だが、東大構内で生活していると、いわゆるイカ東はごく少数派であることに気づく。むしろいつの間にか、アメカジファッションで「俺ら遊べますから」と言わんばかりの態度で交友に積極的そうな人々の方が多数派になっている。 友人H氏はそんな多数派の彼らに称号を与えた。 「ネオイカ東」である。 食堂を主な生息地とするネオイカ東は、一見あか抜け
沢山のお祝いを頂きありがとうございます。ついに28歳になってしまいました。 27日が誕生日の身としては、28歳というのは特別な年齢で、日付を年齢が越えるこの時までに「何か」になっていることができれば、そしてそれまで生きている事が出来れば、と小さい頃から願い続けていました。それが果たせているのかどうかは分かりません。むしろ不義理や未熟さが際立ち、ご迷惑をかけるばかりの毎日のようにも思えますが、しかしなによりも、今日まで支えて下さった方々に心から御礼申し上げます。これからも自分の出来る限り精一杯、毎日を過ごして行きたいと思いますし、凡庸な自分に出来るのはそれしかないのだと最近つくづく思っています。 最後になりますが、駆け出しの身には不似合いながら、28歳を機に棒振りとしてのオフィシャルサイトを開設致しました。現在のこのブログ(http://kenbunden.net/wpmu/kbd_kimo
Twitterでまとめて呟いたところ、異常に評判が良かったのでブログにも掲載します。Twitterに載せたままの文体は「とぅぎゃったー」 というものでゼミ生の後輩(伏見くん)が http://togetter.com/li/37528 に纏めてくれたので、ここにはブログ用にやや手を加えて 掲載しておくことにします。ある花火大会の夜、指揮法のレッスンの帰りに起こった出来事でした。 ・・・・・・・・・・ 混雑した車内、僕の前に浴衣の若い女性が立った。なぜか目の周りのメイクが崩れている。 泣いた後なのだろうか、疲れ切っているように見えた。大変だな、と思って席を譲るつもりで立ち上がる。女性は一瞬驚いた表情を向け、 「ありがとうございます。」と小さくお辞儀してくれた。少しは楽になるだろうか、と安堵したその瞬間、横からおっさんが割り込んで 席にどっかりとお座りになる。これには真剣に殺意が湧いた。ちょう
12◆森見さんの「二十歳のころ」 13◆射撃に鍛えられた腕 14◆リアル中学生日記の効能 15◆「成すべき修行」の結論。 16◆結局は好きでないと。 17◆絵本からの影響 18◆お話から小説へ~小学校~中学校~高校大学 19◆そもそも「何かしら、書くもんだ」 20◆最初の読者のさじ加減 21◆「このままでは小説家になれない……!」 22◆図書館就職の心は 23◆森見さんの恋愛 24◆二十歳の君への宿題 25◆終わりに 12◆森見さんの「二十歳のころ」 大石「じゃあ『二十歳のころ』いきますか。森見さんが私たちと同じくらいの年齢だったときのことから、今、それから将来のことについてお聞きしたいと思います。二十歳前後のときに小説家を目指していらっしゃったと思うんですけど、そのときに何か小説家を目指して努力されていたことはありますか」 森見「うーん。いや、でも、あんまり特別に、こういう修行したとかは
森見登美彦さん×渡辺真実子さん(祥伝社編集)×立花ゼミ文学企画 2009.11.19 @都内某カフェ 参加ゼミ生:大石蘭、岡田空馬、坪井真ノ介、廣瀬暁春、廣安ゆきみ 【目次】 1◆執筆時に意識していること 2◆書くモチベーション 3◆「売れる」ことへの意識 4◆小説「だから」 5◆「森見ワールド」 6◆小説家はパン屋さん 7◆「エンターテイメント」 8◆腐れ大学生モノin京都、という縛り 9◆『新釈走れメロス』うらばなし等々 10◆表紙・デザインへのこだわり 11◆小説は間にありてつつくもの 1◆執筆時に意識していること 大石「小説を書くに当たって、森見さんが一番意識してらっしゃることは何でしょうか?」 森見さん(以下、敬称略)「意識していること…。普通は締切を意識しています」 (一同笑い) 森見「『太陽の塔』を書いていたときは、学生時代の自分の妄想を文章にして書きたい、とか考えていたんで
太田克史さん×立花ゼミ文学企画 2009.12.10 @講談社BOX編集部 参加ゼミ生:岡田空馬、廣瀬暁春、廣安ゆきみ 『ファウスト』編集長として有名な太田克史さんに取材をさせていただいた。 いわゆる「ノベルス」・「ライトノベル」を世に送り出し、ヒットさせ続けている編集者太田さん。質問するのは不しつけだが、やっぱり気になる、「世の中に本が増えすぎているのではないか」という疑問に、余すところなく答えていただきました。 【目次】 1.「流れ」を作れる編集者 2.作家を鳴らすのが編集者 3.ラノベのアプローチを使った文学作品 4.教科書には、載るよね 5.編集者は、強いんです。 (1)「流れ」を作れる編集者 廣瀬 :早速ですが、出版点数が膨大になってきていることについてどう感じていますか? 太田さん(以下、敬称略) :日本の出版界には「取次」という制度、会社があって、そこが問屋&商社的な役割を果
鈴木邦男さんは,60年代,いわゆる右翼学生として運動に参加した. 70年代以降,森田必勝(もりた まさかつ,三島由紀夫を中心とした楯の会のメンバーで,三島とともに自決した)の死をきっかけに一水会を立ち上げて民族派の運動を継続し,現在はジャーナリストとして非暴力・合法路線で活動をなさっている.右翼・左翼を超えた彼のメンタリティーにせまるため,全共闘班はインタビューを行った. 「東大」から当時を振り返る 今,東大で立て看板とかってあるの. ──あることはありますね. それは,革マル派系とか中核派系とかあるの. ──某サークルが革マル系"らしい"とは言われていますけれど,革マルは自分で自分を革マルって言わないですからね(笑)東大の学生自体は少ないです.他大の学生が駒場に来てやっているという感じです. 外人部隊が.けれど,東大生が一人でもいなかったら東大でサークル作れないよね. ──それはそうです
山本義隆は東大全共闘のリーダーであった.我々の企画は「全共闘と今」と銘打っているので,「彼の今」についてまず語りたい. 彼は現在,駿台予備校で物理講師をしている.人気講師で,夏期講習の「東大物理」は満員になる.彼の著書,『新・物理入門 <物理IB・II>』(駿台文庫,1987年)は,難しいという意見がある一方で,物理が根っこから理解できた,学ぶことの面白さを知ることができたという声もある.駿台含め,各予備校は学生運動経験者が多く流れ着いている.そういった講師の内の一人は「山本義隆という存在は天然記念物ものだから,一回授業に潜っておけ」と生徒に言ったそうな.彼の授業は物理をアリストテレスから始めることで有名なのである. 素粒子の研究をしていた彼は,研究室には戻らず,駿台予備校という在野で科学史の研究を続けた.そうして生まれた『磁力と重力の発見』(全三巻,みすず書房,2003年)は第1回パピル
無期限無責任連載ということで、前回から随分と執筆が遅れたが、その間PCが壊れるなどの惨事に見舞われたという言い訳を、まずはさせて頂きたい。そして、遅れている間に副ゼミ長になった執筆者の責務として、ますます本連載を書きあげなければならなくなった。閑話休題、では連載再開いたします。 「今、雑誌は流行らないよ」 この連載の冒頭にも書いた、雑誌企画を立ち上げた当初、幾度か言われた言葉である。雑誌をよく知り、雑誌を愛する人々の言葉だった。一人は大手出版社で書籍発行を主導した人間で、一人は零細出版社に出入りして雑誌作成に関わった人間だった。 今世紀に入ってから慢性的に叫ばれている出版業界の不振、中でも雑誌媒体は最早「雑誌不況」という言葉が定着しつつある。有名な例だけでも、1915年以来の歴史を誇った「主婦の友」が2008年に、日本きっての国際情報誌として知られた「外交フォーラム」が2010年に、それぞ
このページについて このページでは,東京大学 第59回駒場祭で立花隆ゼミが運営する企画『今語られる 東大,学生,全共闘』についてご紹介し,関連するコンテンツを公開しています。どうぞご覧ください。 配布資料のページでは,ゼミ生が制作し,駒場祭当日に配布した参考資料をお読みいただけます。 企画に対するご意見・ご感想もお待ちしております。
戸塚洋二先生の「二十歳の頃」(暫定最終版・7月15日午前10時半公開) 二十歳の誕生日 物理研究者を目指したワケ 艦載機が来る 妻・裕子さんとの出会い 教授になるまでの紆余曲折 1970年代のドイツ チームプレー 異文化の中で学ぶということ 貧しい生活からスタート 切迫する環境問題 今の若者へ伝えたいこと ■二十歳の誕生日 二十歳の誕生日? 覚えてないよ、そんなピンポイントじゃ。二十歳のころかあ。けっこう激動の世界だったんだよね、僕らの二十歳のころは。 大学に入学したのは、1960年、安保の年。同級生には山本義隆君とか、大変な人物もいたんだけど、僕は典型的なノンポリだった。 それでも、デモには2、3回行ったよ。国会突入のときのデモにも行った。だけど、これはとても学生の手に負えるものじゃないという感じがした。 ノンポリのほとんどの人がそう思ったんじゃないかなあ。人生を賭けるようなものだとも思
記事をご提供くださいました戸塚洋二先生が、7月10日未明にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。戸塚先生には、6月25日にも取材に応じてくださるなど、本当にお世話になりました。また、取材の際、奥様の裕子様も初対面のゼミ生を快く出迎えてくだいました。この場を借りて心より御礼申し上げます。 6月25日の取材内容は以下に掲載させて頂きました。皆様どうぞご覧下さい。 戸塚洋二先生の「二十歳の頃」インタビュー(7/15 最終版公開) インタビューの模様 2008年6月25日 戸塚先生 ご自宅にて (クリックで原本写真) はじめに ~科学入門開設にあたって 科学入門シリーズ (番外も是非ご覧ください) アインシュタインの「神はサイコロを振らない」 アインシュタインの「E=mc2」 第1回 放射線と太陽のエネルギー源(1) 第2回 放射線と太陽のエネルギー源(2) 第3回 放射線と
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