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日本とドイツの間では、〈類似労働賃金〉(0.619 vs 0.636)と〈実際の所得〉 (0.583 vs 0.572)はほぼ同じである(昨年の2023年度は〈類似労働賃金〉でも日本が若干上回っており、この差は誤差程度)。〈労働参加率〉も一定の差はあるが極端な差はない (0.768 vs 0.843)。〈労働参加率〉80位や〈実際の所得〉98位は順位だけ見ると世界の中でも低いように見えるが、実は世界平均より上でそこまで悪くはなく、すでに述べた計算法と分布の相性から最終順位への貢献度は低めである。 また日本は細目〈専門技術職〉がデータなしとなっているが、これが原因で経済分野で15~30位ほど、総合で10~20位ほど順位が下がっている可能性が高く(後述)、経済総合のジェンダーギャップとしてはドイツと大きな差はない、というのが実直な評価である。 ただし、経済分野の中でも経営管理職(0.171 v
前回記事「ジェンダーギャップ指数の読み解き方(2024年版)」では、 指数のコンセプトとして結果平等にフォーカスし機会平等は意図的に無視している 指数の構成法から、機会平等であっても責任を負いタフに働く女性が少ないと順位が下がる という2点を確認した。ジェンダーギャップ指数(GGI)を補完しうる指標を見ると、「女性の暮らしやすさの評価」と言える国連開発計画のジェンダー不平等指数(GII)1は全体としては良いほう、先進国の中でも並の部類に入り、機会平等を評価した世界銀行のWomen, Business and the Law (WBL)2も「女性を危険労働に従事させてはならないという法律は女性差別」という指摘を除けばまあ並の先進国と言ってよい程度の数字である。 ジェンダー不平等指数の年次推移。図下方で青い太線になっているものが日本の推移で、2024年データでは24/193位で、28位のフラン
先日日記を公開した際に「介護の賃金がなぜ低いのか」という意見をいくつかいただいた(統計を見ると若干上がっているようだが1、業界団体的には「従業員の確保が困難」な程度であるようだ2)。この問題は「高齢化問題(のうち特に年金財政の悪化)は少子化対策では解決しない」=「長寿化とは老いの苦しみが長引くことである」といった議論と並ぶ、長寿化議論の中核をなす問題の一つで、𝕏(ツイッター)ではよく解説しているので、この機会にブログに固定しておこうと思う。 介護の生産性を上げられない 介護の賃金が上がらない理由の一つは、介護は生産性を上げにくい――一人当たり、単位時間あたりの処理量を増やしにくいからである。 多くの労働集約産業では、機械化で生産性が大きく向上してきた。製造業ではかつて家内制手工業の時代は職人が鑿と金槌を振るって一つずつ作っていたものが、機械化により短時間でで何百という数を作るものに変わっ
最近「下手な大卒より高卒のほうが雇用市場で人気がある」という記事が出ていた1。この現象について、ある𝕏erは「日本は高卒で得られる程度の知識で足りるような産業しかなくなったということなんでしょうね。日本、終わっている」と日本特有の現象としている。 「大卒=負け組」の時代到来!? 超売り手市場で「高卒就職者」の需要が急増! https://t.co/qYzQoPqi5k 「下手に知恵を付けている大卒者より、高卒者の方が伸びしろが期待できる」もはや日本は高卒で得られる程度の知識で足りるような産業しかなくなったということなんでしょうね。日本、終わっている — 田口善弘 (@Yh_Taguchi) July 23, 2023 しかしながら、「下手な大卒より高卒のほうが所得が高くなる」という話は、実はアメリカでも同じような現象が見られ、日本に限った話ではない。むしろ、アメリカでずっと言われていた現
たまたまのタイミングなのか必然なのか、最近「高収入な人でも子供の教育に際限なく金をつぎ込むので主観的には貧乏」という話が、国内の話としても、アメリカの新聞記事1でも出ていた。 流石に年収1200万を叩きすぎでは…。年収1200万では年収1200万を再生産できない、という本当に切実な悩みのはず。 高確度で年収1200万になるには「医者」「商社」「外資IT」「外資金融」ぐらいしか道は無くて、地頭/運動神経関係無くその選択肢を与えるにはどれだけ教育費が必要になるんだ、という話。 https://t.co/tz0fQQQ6JF — chio (@chio_pkmn2gen) February 3, 2023 このあたりは、大まかに以下のような原因によって発生する。 遺伝だの子供の成長にはある程度のランダムネスがあるので親子の所得水準を見ると平均への回帰が観測される ある程度以上高い所得は相対的地位
最近、哲学者の千葉雅也氏がサイゼリヤについて語っていたツイートが「炎上」状態になっていた。 サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。 2022-07-05 12:56:36 ものすごく卑近な言い方にすれば、無味乾燥な記号にすることで本来それを指す言葉が持っていた豊潤さを消している、人間味であるとか詩的感性の剝奪である、というようなことであろう。コンテキスト等についてアンフェアにならないように紹介しておけば、togetterと氏のアカウントの直接の発言も参照されたい。 今回は、氏の発言がなぜ「炎上」状態になったかについて私見および他の方のご意見をメモとして残しておく。今回の内容は、私以外の方
世界の「国民番号」制度 先日、以下のようなツイートを見かけた(この方はプロフィールに「社会政策が専門」と書かれている)。 どこの国で納税者番号や社会保障番号を色々情報を紐づけて、それを持ち歩くか?ないよ、絶対ない。 — くま大帝 (@mika_berry) November 9, 2021 wikipadiaで国民識別番号やNational identification numberを調べて頂ければ分かるが、国民識別番号カードの携帯と各種政府・民間サービスへの転用事例には事欠かず、特にその程度が進んでいるのがデンマークやスウェーデンなど北欧諸国である。これは話を聞けば誰でもわかることなので、最近以下のような「答え合わせ」のツイートがされていた。 デンマークの友人「何で日本はマイナンバーカードに反対するの?こんな便利なものはないじゃない」。結局日本という国は、国家と国民の信頼関係が根本的に成
twitterでは社会学批判が喧しいが、当然ながら社会学内部からも同様の批判はある。それをメモ代わりにまとめておく。 太郎丸博:査読文化の欠如 「社会学者からの社会学批判」として昨今のインターネットSNSで最も引用されているのは、2009年の太郎丸博氏のブログ記事「阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望」であろう。彼の主張を端的に表す部分を抜き書きすると下のあたりだろう。 「最後に日本の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日本の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらして本を出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日本社会学の実情です。」 「アカデミズムを軽視し、本に好き勝手なことを書くことを理想とするようになります。研究そのものから降りて
直近の選挙では、共産党が盛んに「多様性の統一」と言う言葉を用いていた。この言葉はおそらくUnity in diversityの訳語として想定している。Unity in diversityは、政治の文脈では、独立した集団を形成してもおかしくない様々な文化や個性を持った人たちが1つの社会、ないしは政治体制を作る、といった意味合いで用いられている。 共産党が今回この言葉を用いたのは、概ね「野党共闘」に対応して、様々な異論があってもまとまってが1つの政党に投票しましょうと言う呼びかけに近い形であった。 ASEAN(東南アジア諸国連合)の標語に、「ユニティー・イン・ダイバーシティー」というのがある。多様性の統一ということです。これが一番強いと思う。自公には多様性がない。こっちは多様性で行きましょう。多様性の統一、「ユニティー・イン・ダイバーシティー」で新しい政治をつくろうではありませんか。 多様性の
ツイッターで下記のようなツイートを見た。 人種差別、民族差別はされた者にしか分からないと思います。小学生時代をアメリカで過ごした私は差別されました。初めて奈良市役所に行った時「みんな同じ。差別はやめよう」というポスターがありました。違和感を覚えました。違うんです。みんな違うと認めるところから差別は無くなるんです。 赤松利市 @hZoImkE6gPbGnUs 午後1:27 · 2020年11月30日 私はこれを見てやや焦ってしまった。この標語は部落差別撤廃運動のためのものだからである。文化多元主義とは全くアスペクトが異なる。この差別においては、日本の人々は特定の地区等に住む人を指して「あいつらは《違う》やつらである」とし、就職差別や通婚拒否などの差別的扱いをした。その撤廃運動のスローガンが「みんな同じ」なのである。 「みんな同じ。差別はやめよう」の類の標語と、「みんな違って、みんないい」の類
メモ - 「性的消費」「性的目線」論は女性と性的少数者に対する抑圧だ。そう思いませんか、小宮友根先生? 最近、ある下着会社の広告が「男性目線的である」として批判され、「女性担当者であればそんなことは起きない」等と言われていた。ところが、蓋を開けてみれば担当者は女性であったという。これに類する案件は数多く起きており、「男性目線的である」として叩かれた作品が実は女性イラストレーターのものであった、というのは日常茶飯事レベルになっている。 私はこれを全く不思議と思わない。女性のコケティッシュさが好きな女性というのは全然珍しい存在ではなく、むしろ多くの女性がうっすらとそうである、という印象さえ受ける。「性的消費」「男性目線」表現を規制するということは、女性のそういった側面をも抑圧することになり、女性に対するバッシングとなるだろう。 この手の話になると理論フェミニズムでは「男性目線を内在化させ~」等
ネット界隈の、特に男女間で、「共感」の定義のずれが話題になることがある。辞書で「共感」を引くと、以下のような言葉が出てくる。 他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。「共感を覚える」「共感を呼ぶ」「彼の主張に共感する」 ――コトバンク 用例の「共感を覚える」「共感を呼ぶ」等は、「もともと同じ立場ゆえに同じ感情を覚える」に近い意味合いであり、例えば「共感を呼ぶスピーチ」などという用例を考えれば、共感を持ってもらうために相手に合わせる努力をするのは話し手の役割という印象を受ける。ツイッター界隈で話題になる(主に女性コミュニティで使われている)「共感」の用法は、これとは異なる。 これうちの旦那に昔聞いたら、私が「疲れてる」事に対して「俺も疲れてる」と言う事が「共感」だと思ってたんだって!!!!∑(゚Д゚)ぎゃぁーーーーーーーーー!どーなってんだぁぁぁぁぁぁtweet どうしたらいいのか
従前から述べている通り、私は女性の意思を可能な限り尊重すると言う立場でものを書いてきており、フェミニズムに関する文献やエッセイも一応ある程度読んではいる。その中で気になっていたのは、「モヤモヤ(する)」という表現が徐々に多くなってきているということである。 この言葉は2010年代のフェミニズムを特徴づけているように思う。従来のフェミニズムは多かれ少なかれ「こうあるべきだ」「このようになるべきだ」というゴールを設定してきたが、この「モヤモヤ」に関してはそうでは無い。現状は不満だが、代替案として上がってくる選択肢はもっと不満なので「こうあるべきだ」とも言えず、結局現状の不満を受け入れざるを得ない状況――あるいは両立不可能な複数の願望を抱え全てをかなえることが出来ないという自覚――を「モヤモヤ」と表現しているようなのである。 両立できないが両方ほしいもの 育児で仕事に専念できないのは納得できない
最近「コーヒー第三の波」なるものが話題となっている1 2 3。現地で直接飲んだ人は「日本にはない喫茶店」と言い、新聞などで取材した記事では「日本に影響を受けている」と言う(実際、Kyoto style iced coffeeという商品を売っている)。両者の物言いは矛盾するようだが、これは両方とも正しいと言える部分がある。そのことについて、思うところ筆に随う。 美味いコーヒーを淹れる最低限の手順 コーヒーの専門家やコーヒーマニアの間で常識と考えられている美味なコーヒーの淹れ方は以下のようなものである。 美味な生豆を用意する 豆の特性に合わせて焙煎し、2日目程度を目安に飲む。それ以降鮮度は落ち続ける。(主に加水分解、次いで酸敗)4 淹れる直前に挽く。豆の状態に比べ10倍以上の速度で鮮度は落ちる(主に香り成分の揮発) 器具の標準的な使い方に従って淹れる 淹れたらすぐ飲む(加水分解と揮発が分単位で
早見表 デスクトップPC 2つの文書を同時に開いて編集したいなら → 27インチ4Kがお勧め A4文書1つ分だけを編集するか、カジュアル見る専 → 21インチWQHD(2560*1440)がお勧め Mac使い → カジュアルなら4k-24in、シリアスならおとなしくApple 5kディスプレイを買う ゲーマー → 本稿では取り扱わない ノートPC A4文書を快適に編集 → 13~14インチでWQHD(2560×1440)以上がお勧め サブノートや2in1でいい → 10インチFHD前後がお勧め スマートフォン たいていの場合、2k(FHD)があれば十分、UXGA(1600×1200)でも事足りる 画面の広さ PCで編集作業を行う場合、たいていの人はA4判程度≒本の見開き程度の情報量を扱っているだろう。A4判の大きさをディスプレイ同様のインチ数で表現すると14.3インチである。人によって
私がジェンダー論にコミットするようになって足掛け5年になるが、記事に対するリアクションを見ていると、「不愉快な議論を仕掛けてくる男」という見方と(実際、教条的フェミニズムの立場の人から数件ブロックされている)、「男女平等にとって大事だが見落としがちな急所を指摘するディープなフェミニスト」という受容(実際、大学で社会学をやっている方から案外多くフォローされて好意的リアクションを頂いている)という、両極端な受容のされ方をしている。今回は、なぜこのような両極端な受容のされ方をしているのか、自分なりの考察、あるいは「種明かし」をしていきたいと思う。 男女平等の原理原則 私は、ジェンダー論を書くにあたって、以下のような原則に従っている。 「女は○○なものである」といった偏見、男女の生まれつきの違いを可能な限り認めない 男女の機会平等を確保する 1と2の結果として結果平等を期待する この3点は、どれも
今年もジェンダーギャップ指数が発表され、日本は121位と相変わらず低位であった。この指数については、政治的エンパワメントに極端に加重がかかっており、かつ指標の採り方が女性の絶対的人権状況をとるものではなく性比一本槍で評価するためブレやすく、そういった点に対する批判が多く聞かれる。 個人的には、政治的エンパワメントも目指すべき目標の一つであるのだから、そこに文句を言う筋合いはないと考えている。そのうえで、ジェンダーギャップ指数は政治的エンパワメントの指標としてもあまり質が良くないと考えている。ジェンダーギャップ指数は差別構造が残っているにもかかわらず見た目だけ順位を上げるハック・チートが容易であり、かつ実際上位に並んでいる国に差別的構造が残っていることが多いからである。言い換えれば、差別を撤廃するための指標としてあまり役に立っていない、ということである。この項では、それらの事例について検討し
この数か月、女性を描く表現問題でのツイッター上の論争がかまびすしくなっている。その中で小宮友根氏が論考を出していたが1、規制論の根拠とするには後退しすぎでおおよそ法的根拠には使えなそうな物であったため、方々から突っ込まれていた2。 私は穏健派なので、羞恥厭悪の感念を生じさせるようなものを規制したいという気分は尊重するし、それを法律として実装することに根本的な問題があるとは思わない。が、小宮氏の論はおおよそ具体的な規制論を語るには足りないものだと思っている。というのも、小宮氏の論を使って女性が主体となる表現をつぶすことが可能だからであり、《女性のための擁護》になっていない、と思えるからである。 表現論Ⅰ――ハーレクイン型の“女性向け家父長制ファンタジー” 筆者は従前から男性稼ぎ手モデルからの脱却に賛同しつつも、女性稼ぎ手モデルが代替案として浮上しないことを強く問題視している。リーダーになる、
Twitterにおける《萌え絵論争》ないし《オタク-フェミ論争》は季節の風物詩どころか日常茶飯事になってきた感があり、つい最近もそのような案件があって「またか」と思っているところである。筆者も以前「ポリティカル・コレクトネスの進展と未整理の矛盾」というエントリでそれを扱ったが、今読み返すと未整理過ぎるので、もう少し洗練させたものをこの機会に投じておきたいと思う。 男性の性欲・支配欲が反映された表現は女性にとって不快なはず、というロジックの破綻 いわゆる《萌え絵論争》におけるオタク(萌え絵)に対する批判は、非常に大雑把に言えば、「{男性向けに描かれた女性}は、男性の性欲や支配欲などが投射されており、女性にとってはアグレッシブ(な扱いを反映しているように)に映るので不愉快に感じる」というのが基本的な論理となっている。筆者はその論理は理解してきたつもりであり、かつては特に否定していなかったのだが
ここのところ年金に関する論争が喧しい。「老後の設計は自助努力で」「老後を年金だけで暮らせないのはおかしい」「若い世代は年金の払い損だ」「政府が目減りさせたに違いない」等々、様々な意見が見られる。年々負担の額は増し、定期的に受給年齢引き上げの議論が沸いてくるので、不満なのはごもっともである。そしてしばしば年金を“悪化”させた犯人探しが行われるが、その犯人については長寿化――長生きするようになったことそのものであり、少子化すらこれに比べれば影響は軽微――であることを説明し、ありうべき対策について考えていきたい。 長寿化が年金に与える影響 長寿化が年金に与える影響をざっくり分析していこう。まず単純に、年金がシンプルな積み立て式で、物価は変動しない(またはインフレ率=利子率である)とした場合を考える。この時、ある人が定年60歳、平均寿命70歳で老後を10年分と見積もって年金を積み立てたものの、定年
天保~平成までの元号の出典は以上の通りだが、結局のところ煎じ詰めると「この統治者は偉いので統治が長く続きますように」ということしか言っていない。儒教を説くことの多い漢籍を典拠とすれば致し方のないところである。このような傾向も昭和までは身分制ありきなのでやむを得ないところもあるが、平成の時代に「父義、母慈、兄友、弟恭、子孝」という文言に続く典拠を出すのは「古臭い家父長制だ」と批判されてもやむを得ないところだろう。 また、明治と大正は、明治維新で(名義上だけでも)天皇親政になった時代を象徴している。「聖人南面而聴天下、嚮明而治」については、南面して天下の声を聴くというのは儒教における天子たる皇帝を指す以外の用法はなく、「大亨以正、天之道也」というのも天道を説いているので当然天子たる皇帝の統治のことを言っている。昭和と平成は各々WW1、WW2の反省で平和を祈念する意味合いを感じさせるが、それも明
筆者はこの数年ジェンダー論を観察していて、その中に女性の味方のようでいて実は深刻な女性差別を内包している思想が存在し、それが表向き女性の味方のような面でいるために排除されず、男女平等社会を実現する運動を蝕んでいることに気が付きました。筆者は男女平等を目指す立場から、このような「隠れ男女差別」に明白に反対する立場を表明します。本稿は、「表向き女性の味方のような隠れ男女差別」がどのようなものでどの程度有害かを指摘し、それを回避する方法について説明します。 「男は女を守るべし」という構図に潜む女性差別 1年ほど前、「女性医師の産休・育休を迷惑と思うべきではない、男性医師がカバーすれば良いのだから」という発言をSNS上で見かけました1。こういった「女性の育休を男性が体を張って守ろう」というのは一見すると女性を大切にしているように見えますが、その実、女性の抑圧につながっている面があり批判されることが
近年、煽情的な女性アイコンは、女性を男性の性・支配の対象として非人間的に取り扱うものであり、けしからんという意見をよく見るようになった。まるで物のように消費するということから「性的消費」と呼ばれているものである。このような意見発露のターゲットとしてレースクイーンやミスコンを中止させる動きがあるほか、日本ではいわゆる「萌え絵」がこのターゲットにされていてしばしば騒動になっている。直近ではNHKがキズナアイというvtuberキャラクターを起用して騒動が起きた。 一方で、女は煽情的と言われようが自分の好きなファッションをすることができる、ブルカやウィンプル1をかぶるよう強制されるべきではない、ポルノも自主選択できる2、という別方向からのフェミニズムもある。この方向性からのフェミニズムの代表はマドンナ、レディ・ガガ、エマ・ワトソンなどの米国芸能人だろう。彼女らの衣装を「肌を見せて煽情的だ」などと言
この文書は、私個人がポストモダン・ポストコロニアリズム論壇に対して感じている“腑に落ちなさ”、内田樹が言うところの“知性”を表現するため、状況を単純化して記述するメモ書きです。アカデミックな論述ではないのでご注意ください。 この1年ほど、国内論壇で「反知性主義」という言葉がバズワードと化した。この言葉をカジュアルに使っている人は、「“知的権威”を無視し、知的権威側で主流のリベラリズムに反発する流れ」というような意味合いを期待している場合が多い。ただし「反知性主義」という言葉の由来としては、必ずしも「野蛮な阿呆どもの暴走」と定義づけられているわけではない1 2。この言葉の根底には、政治が知性や教養に従うべきというのなら、それを持たない人を政治から疎外することになるし、知性や教養に基づかない個人の好みといったものは政治から排除されるのではないか、それは民主主義の理念に反するある種の身分制ではな
この数年、「低気圧が来ると頭痛になる」といった言説がSNS上でまことしやかに囁かれている。特に気圧が関係しているという言説が広まっており、半ば常識として信じている人も多い。「気圧予報を見て頭痛を予測する」と称するアプリも存在し、NHKなどでも「気象病」として紹介されるようになってきた1。最近では気象予報士がそれについての本を書くほどである2。 一方で、気象現象としての低気圧程度の気圧変動を原因とする疾患があるとする見解は、医学領域では否定的といっていい状態である。筆者も論文も探してみたものの、現状は「荒唐無稽な俗説を検証してみた」というような態度のものが多少見つかった程度である。英語版Wikipediaでも「あると言っている人はいるが……」という程度の見解であった3。 さて、このような「気圧が下がると頭痛がする」という因果関係は本当に存在するのだろうか。俗説、思い込みでも「当たっている」と
人の行動様式を語るのに、「ヒトはこのように進化してきたからこのような行動が本能に刻まれているのだ」というような説はよく見る。だが、これらは気軽に根拠にするには足りないものが多い。一つの例を食事で示そう。 フリータリアン(果実食を主張する人々)がしばしば行う説明に、以下のようなものがある: Humans are designed to eat mostly fruit. We’re frugivores, just like monkeys and chimps.(ヒトは果物を食べるようにできている。我々はサルやチンパンジーと同様に果実食なのだ。)そのブログ 一方で、低炭水化物食を推奨する人たちは以下のような説明をしばしば行う: 人類の歴史は肉食とともに~穀物を腹一杯食べるようになったのは最近のこと~要するに炭水化物を腹一杯食べられるようになり、異常なほど砂糖を消費するようになったのはここ百
円高は、輸出などで稼いだ外貨を購買力に使わず円で貯蓄するために起きる。貯蓄を円で行おうとすると円の争奪戦となって誰もが貯蓄困難な状況に陥るが、この害を除くため、もともと外貨であった円貯蓄を外貨貯蓄に変換する行為が政府による為替介入である。米国債を押し付けられ売れないといった論説は誤りであり、米国が国債を買ってほしくない時期にも買っている。また、為替介入は貯蓄の又貸しに過ぎないので、米国債を買った分を戻して国内に落とせと言っても、借りる人がいなければ始まらない。むしろ借りる人がいないので米国に貸しているのが現状である。 小噺 最近このページが良く見られているようなので、内容を分かりやすい小噺にしました。 「アメリカ人は借金でのんきに暮らしているいい加減な奴らだ」 「日本人は貯蓄に励む勤勉な国民だ」 と思っている人は結構多いのではないでしょうか。アメリカ人が余りにも借金するので、 「いつまでも
この論考は左派内部のロジックをベースとして書いており、この原稿の執筆の約半年後にイギリスの左派の歴史学者ティモシー・ガートン・アッシュが同様の論考を発表しています。 Timothy Garton Ash. Liberal internationalists have to own up: we left too many people behind. 13 October 2016 トランプとサンダースの共通性 米国大統領選に向けて各党候補者の指名投票が始まったが、共和党はトランプ、民主党はサンダースが旋風を起こしている。このうちトランプは過激発言で知られているが、その主張を細かく見ると、再分配重視で保護貿易路線である。この再分配重視・保護貿易路線は、実は民主党で旋風を起こしているサンダースと共通している1。 両者は共和党・民主党の首脳部(エスタブリッシュメント)からは受け入れがたい発言を
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