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ドラクエ3
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NHKのクローズアップ現代、今日の題目は「揺らぐ科学の信頼〜東大・論文ねつ造疑惑〜」。それを見ている親が、誰に言うでもなく、「まあ理系や考古学はともかく、文献を扱う分野で捏造ってことは難しいだろう」とひとりごちているのですが、何をおっしゃる。 大分前のことであるが、いくら探しても注に記されている史料がないので、直接筆者に史料の所在を尋ねた学生がいる。聞かれたその高名な学者は、途端に絶句し、何々家所蔵文書と記されているその家がなくなった、と答えたという。つまり注記の史料は、自分の仮説を実証するために捏造したもので、初めから架空のものだったのである。 ――中尾尭・村上直・三上昭美編『日本史論文の書きかた』(吉川弘文館) 特に歴史学は政治的プロパガンダに利用されやすいので。
フォロワーさんの引用RTで見かけたのですが・・・ この方はフォロワー数が多いので、やはり一言いっておくべきかと。 大伴家持の歌(『万葉集』巻四・774)にこういうのがあります。原文は、 百千遍恋跡云友諸弟等之練乃言羽者吾波不信 これは「百千度(ももちたび)恋ふといふとも諸弟らが練りのことばは『吾波不信』」というわけで、第五句は「われは頼(たの)まじ」(私は信じない)とよむものでしょう。おそらく漢字が伝来する以前からあったであろう古語「たのむ」は、何かを全面的に信用して身をゆだねるという意味で、まさに「信」そのものです。あてるべき訓が日本語になかったとは、ふざけた話ですね。 「信」の字を「たのむ」とよむ確実な例がないので慎重になるべきだと言われればそれはそうなのですが、いずれにせよ、これは和歌の表現です。戯れの歌や、後世の釈教歌とかでない限り和歌に漢語は用いないのであって、たとえば「信ぜず」
やあやあ、今日はちょっと歯切れが悪いよ! 【越山若水】七夕伝説は奈良時代に中国から伝わった。 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/213532 いや、もっと早くから伝わっている(はず)。 『万葉集』巻10の1996歌以下に七夕歌がまとめられていて、2033歌の左注に、 此歌一首庚辰年作之 右柿本朝臣人麻呂之歌集出 とあります。つまり、1996〜2033の七夕歌が『柿本人麻呂歌集』からの引用であること、そして、2033歌が「庚辰年」に作られたという注記です。 この干支がいつを指すのかといえば、可能性としては二つあって、天武9年(西暦680年)か天平12年(740年)ということになります。『柿本人麻呂歌集』に聖武朝の歌が含まれていたとは考えにくいので、おそらく前者でしょう。したがって、飛鳥・白鳳時代にはすでに日本人にはなじみの伝説であったと考えられ
先日来、明の時代の貴族が『源氏物語』を読んだ云々というツイートが話題になりました(残念ながら、その元のツイートは削除されてしまいました)。 『源氏物語』が大陸に輸出され、それを明人が読んだとは到底考えられないのですが、そもそも前近代の中国人が読んだ最初の「和文」の典籍って何なんでしょうね。 日本人の著作が海を渡り、大陸で受容されたという例は確かにあって、このあたりは王勇氏や田島公氏等の得意とする分野かと思うのですが、私も少し関心があって折に触れて調べていることです。その最も古く、かつ、最も有名な例は、聖徳太子撰(太子の作ではないという説もある)『勝鬘経義疏』が唐土にもたらされ、法雲寺の明空という僧がその末注『勝鬘経疏義私鈔』を作った(『大日本仏教全書』所収。https://books.google.co.jp/books?id=5A7e1Tw-IAIC&hl=ja&pg=PA379#v=o
市では、「王仁天満宮」と刻まれた石祠に着目し、5世紀の初め百済から日本へ論語と千字文を伝えた、古事記や日本書紀にも登場する「王仁博士」の歴史遺産(夢資源)として捉え、古代からつながる歴史のロマンを体感できる新たな観光施設として、市民とともに王仁博士顕彰公園の整備計画を推進しています。 当公園内には、王仁博士の功績を顕彰する施設として、「二儀日月」で始まる鍾繇(しょうよう)千字文のモニュメント(965文字の記念碑)を整備しますが、神埼市民はもとより、全国のみなさんにも関心をもっていただくため、一人一文字ずつの揮毫をお願いすることにしています。 http://www.city.kanzaki.saga.jp/main/7853.html 歴史的事実かどうかもわからないことを公金で顕彰していいのかどうかという不安もさることながら、その中身が「鍾繇千字文」だというのは再考を要するのではないでしょう
いつも楽しく拝見している毎日ことばですが、今回の「なぜ新聞は「想う」を使わないか」と題する記事には少し「おもう」ところがありました。 「想」はかつての当用漢字表でも今の常用漢字表でも「ソウ」の音読みだけが掲げられています。常用漢字表は2010年に改定され、「鑑」に「かんが(みる)」の訓が認められるなど一部音訓も拡大しましたが、「想う」については依然認められていません。 したがって、少なくとも学校では「想」に「おも」という読みは教えていないはずです。新聞は基本的に義務教育で学ぶ範囲内の漢字を心がけていますから、「想う」は認めていないことになります。 (中略) 歴史的には「おもう」に「想う」の字を当てることが一般的になったのは、それほど昔からではないようです。大野晋さんの「古典基礎語辞典」には「おもふ」「おもい」などの項で膨大な用例が集められていますが、ほとんどが平仮名か「思」です。わずか1例
https://www.amazon.co.jp/dp/4002052400 「これだけは揃えておきたい岩波現代文庫(39点40冊セット)2017」に含まれているのは一体何なのか・・!?その詳細については何も書かれていないが、こんなので注文しようとする人がいるのか?大丈夫かアマゾン・・! というわけでオレ的な「これだけは揃えておきたい岩波現代文庫」をリストアップしておくよ。到底40冊には及ばないだろう、と当初思っていたのですが、47冊になりました。不勉強な人間なので、自信を持って(「今さらそれを挙げるのかよ!」というのも含めて)勧められる岩波現代文庫はここまでだよ・・・すまぬ・・・。例のように、一部の分野に片寄ったリストですし、迂闊にも見落としてしまったものもあるでしょう。ブログの読者のみなさまからいろいろとご教示いただければ幸いです。 神話と文学 (岩波現代文庫―学術) 作者: 石母田正
たとえば、著作集や全集を作る際に初出の著作をOCRで読ませて校正・編集する、ということもだんだん普通になってきているとは思うのですけれども・・・ (「辞書史と片仮名」、『築島裕著作集 第三巻』汲古書院、2016年。66頁) これもその一例でしょうか*1。さもありなん。校正者の目をすり抜けても仕方ないかもしれません。 しかし、普通の用語ばかりを使っている文章ならともかく、前近代の資料を扱っているものはOCRで読ませて校正するよりも、内容をよく理解している編者が自ら打ち込んでいったほうが、最終的には誤りも少なく、作業もはやく終わる気がするのですが、どうなんでしょうね。 *1:無用の説明だとは思いますが、×公住 → 〇公任
指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線 私も「厩戸王」に変更するという試みには首をかしげるほかありません。それを言いだしたら、天皇の漢風諡号はアウトですし、そもそも天武より前の(推古という説もある)「天皇」号もアウトでしょう。「聖徳太子」はダメで「推古天皇」はOKというのは、どう見ても筋が通らない。従来通り「聖徳太子」で問題ないでしょうし、「厩戸皇子」でもいいでしょう。 しかし、「厩戸王」が不適切であるということを主張するために上記ブログの記事のように言うのはいかがでしょうか。「厩戸王」という表記が小倉豊文氏や田村円澄氏の著作によって定着し、流布したというのは事実であっても、「厩戸王」は戦後の造語であって「どの時代の史料にも見えません」というのは事実に反します。 (『甲斐国志』巻四八。 http://d
CiNii 図書 - 京都国立博物館蔵『本朝文粋巻第六』 ; 大谷女子大学図書館蔵『新撰字鏡類韻』 拝読にあたってパラパラとめくったところ、また軽い違和感が・・・ なんとはなしに、読みづらくありませんか(頁数と行数に注目)?そう、これはあの時感じた違和感にそっくり・・!(参照:中国で刊行された論語の影印本の体裁がおかしい - Cask Strength) この影印を見ようとする時は本を右に90度回すことになるわけですが、そうすると、まず下に来る頁(今回でいえば10頁)を見てから上の頁(11頁)を見ることになる。本来であれば、同じシリーズの、 CiNii 図書 - 道明寺天満宮蔵『新撰万葉集』 のような体裁が望ましいのは当然のことです。 しかし、これは意図的なものではなくて、うっかりミスの一つでしょう。そして、うっかりだとすれば、こういったことはいつか私たち自身もやりかねないということを意味
オレが書店員だったら、以下に挙げる20冊にするよ!なお、『今昔物語集』等の複数冊のものはこれで「1冊(点)」として扱いますので御了承ください。まあ、実際の「全国の書店員」さんたちも、本当はこのあたりで悩んだのかもしれません・・・。 (それから、実際は品切れしてないのにこのリストに含めてしまったものもあるかも。その場合はどうぞ御海容を)建武年中行事註解 (講談社学術文庫) 作者: 和田英松,所功出版社/メーカー: 講談社発売日: 1989/09メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る今昔物語集 1 (講談社学術文庫 305) 作者: 国東文麿出版社/メーカー: 講談社発売日: 1979/01メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログを見る「9」まで。天竺部・震旦部の注です。 今鏡 (上) (講談社学術文庫 (327)) 作者: 竹鼻績出版社/メーカー: 講談社発売日
全訳漢辞海 第四版 作者: 戸川芳郎,佐藤進,濱口富士雄出版社/メーカー: 三省堂発売日: 2016/10/26メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る [改訂の重点の]第三点は漢字熟語の音読みに『日葡辞書』の読みを加えたことである。我が国中世の作品『平家物語』『徒然草』などでは、上洛をショウラク、中秋をチュウジュウと読む。そういう読み方は従来の漢和辞典には記載が無く、十六世紀の『日葡辞書』のみが役に立つ。本辞典の熟語で普通の読みと異なる『日葡辞書』の読みがあればそれを書き加えた。 (第四版の序、3頁) 当たり前のことですけれども、こういうものが出てきたら『日葡辞書』を実際に引いてみてくださいね!以下述べるように、『漢辞海』だけでは誤解しかねないところもありますし。そういう意味では、『漢辞海』が『日葡辞書』を手にとるきっかけを作ってくれるわけですね。なかなかいい話。邦訳日葡
近所をお散歩していたら「石敢当」を置いている御宅が・・!貝殻があることにも要注目。沖縄あるいは九州ご出身の方でしょうか(勝手に撮影して申し訳ありません)。 白状しますと、石敢当のことは帰宅後にちゃんと調べるまで何も知りませんでした。 石敢當の設置の傾向と対策 - 沖縄B級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ) ほお!なお、『中国神話・伝説大事典』はかなりの紙幅を割いて説明をしている(「石敢当」の三字を石に彫ることは唐代に始まったことになる」『茶香室叢鈔』)のに・・・もっと勉強します。 ちなみに山形県の有形民俗文化財に指定されている石敢当に対して「東北地方ではきわめて珍しい」とのことですから(山形の文化財検索サイト「山形の宝 検索navi」)、北限はそのあたりなのでしょう。今回発見した我が坂東の石敢当も、何千年後に考古学者に発掘されたら、九州勢力東征の証拠、とか言われるのかなw
興味深いツイートを見かけました。実は「君の名は。」は観ていないので本当かどうかはわかりませんが。 巻十・2240歌の結句は原文「君待吾」なので、どう読み添えをするかという問題なのでして、普通は「君待つ我を」と読むわけです。(ちなみに、講談社文庫は万葉集事典以外はあまり使うことはないですね) でも、それよりも、この歌の前半はみなさまどう解釈しますか? つまり、 「あれは誰なのか、と私に訊かないでください」 か、 「あれは誰なのか、と私のことを訊かないでください」 なのか。 映画ではどちらの解釈をとったのでしょうか。
まあ、それはそうでしょうけれども。 ところで田中氏のその後のツイートを拝見していたら面白いものを見かけまして。 こちらで紹介されているのが(学習・研究の一助│Z_lab│ゼロ研)、歴代天皇の肖像画でして、私は初めて見たのですが、大変興味深くないですか?特に懿徳・孝安・孝元・開化辺りがわかりやすいですね。 服を左前に着ている。 これは要するに、『続日本紀』養老三年(719年)二月三日の、 初めて天下の百姓をして襟を右にして、職事の主典已上に笏を把らしむ。 (新大系『続日本紀 二』53頁) をもとに、それ以前は左前が普通だったのだろうということに基づいて描かれているのではないかと推測されるわけです。(「天下百姓」というのをどう理解すべきかということですけれども) なお、新大系の補注によれば、 天平勝宝四年四月の大仏開眼の時着用された衣服には左襟のものがあり、左襟の風は以後も残存したらしい(田中
「今上」の「上」は皇帝という意味なので、「今上皇帝」「今上天皇」という表現は重言となってマズいという議論は、それ自体は全くその通りとしか言いようがありません。しかし、「今上皇帝」「今上天皇」という表現はかなり古い時代から文献上にちょこちょこ現れるので、「この表現は誤りだ!」とドヤ顔でいうほどのものでもありません。 ツイッターで「明治以前の『今上天皇』の用例を知りたい」という質問があったので、超大物による、とびっきり古い例を指摘しました。淡海三船の「大安寺碑文」(宝亀六年、775年)です(参照、CiNii 論文 - 大安寺碑文を読む)。 寺内東院皇子大禅師者、是淡海聖帝之曽孫、今上天皇之愛子也 碑自体は亡逸してしまい、偽作説もありますが、ともあれ中世以前の用例です。作者は「淡海聖帝」の対となる四字句をひねりだすのに苦慮したのかもしれませんが、漢籍(たとえば『広弘明集』の目次や『法苑珠林』等
「風が吹けば桶屋が儲かる」のは何故? - Togetter 風が吹けば桶屋が儲かる - Wikipedia なお、『日本国語大辞典』は『雨窓間(閑)話』を挙げています。 思いがけないところに影響がでるたとえ。また、あてにならないことを期待するたとえ。大風が吹けば砂ほこりのために盲人が多くなり、盲人は三味線を習うから猫の皮の需要が増し、猫が殺されるから鼠がふえ、鼠が桶をかじるので桶屋が繁盛するというもの(随筆・雨窓間話(1850))。 この『雨窓間(閑)話』はGoogle Booksで読めますよ。 雨窓閑話: 3巻 - Google ブックス お!初心者が変体仮名を読む練習にちょうどいいじゃん!三行目の「桶屋が曰、大風がふく時は・・・」云々以下のところを例のアプリを使いながらどうぞー 岡田一祐「「変体仮名あぷり」「くずし字学習支援アプリKuLA(クーラ)」「木簡・くずし字解読システム―MOJ
学生たちに日本関係の辞典・事典のごくごく初歩的なことを手短に教えてくれないか、というご依頼。それは得意分野(?)ですし、こちらでお世話になっているお礼も兼ねて快諾して、実際に手にとってもらいながらいろいろと説明したり注意点を教えていたところ、図らずも久しぶりに「先送り語釈」を見つけました。 「先送り語釈」(私の造語)とは、2回以上語釈が先送りにされる例、要するにAの項目で明快な語釈が与えられずに「Bを参照せよ(Bに同じ)」とあり、Bを見ると「Cを参照せよ(Cに同じ)」と出てくるアレです。昔、面白がって探したことがあります。今となっては一例も思い出せませんですけれども。どこかにメモしているはずなので、それが出てくるといいな。 我が東洋の訓詁学には「互訓」という、「先送り」「たらい回し」ならぬ「循環」語釈といえる恐ろしいものがあって、「AはBなり」でBを見ると「BはAなり」と出てきたりして目を
我が家にもこのプラスチックのものではなくて本物(?)のバランが生えています。 この葉に握り寿司を乗せて食べるのも一興・・・と思うのですが、まだやったことはない。 それはそうと、私はバランは外国語だと思っていたのですが、辞書を引いて少し驚いた。これ、本当はハラン(葉蘭)らしい。 御承知の通り、基本的に和語は語頭に濁音がこない。だとすると、この「バ」ランという語形は一体何なのかということになるのですが、wikipediaには、 寿司などの食品に付属する緑色のプラスチック装飾品をハランまたはバランというが、これはハランを真似て作ったプラスチック製のものを人造ハランと呼んだのが起源である。前に「人造」が付くため「ハラン」が連濁して人造「バラン」となり、「人造」が取れて短縮された結果である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%83
例のようにネタですが、どれほどの期間あるもの・状態が継続すれば「伝統」として扱われるのか。みなさんはどうお考えですか。 決まった定義があるわけではもちろんなく、人によってだいぶ開きがあるでしょうけれども、だからこそ日本人の平均的な「伝統」観というか、平均値・中央値・最頻値が知りたい。どなたかアンケート調査してくれないでしょうか(あるいは、もうあるのかな)。 「〇〇は近代に創られた『伝統』」という言い回しは、世間で信じられているよりも〇〇は新しい、人工的に作りだされた慣習や制度であるということで否定的に用いられるわけですが、仮に明治時代に突如あらわれて定着したものであれば、それは百年以上前のものであり、世代でいえば、四、五世代。十分に「伝統的」なのではないか?とも思うわけです。 どうやら、〇〇の古さが偽装される際に問題が生じる(そしてそれが論文等のタネになる)ようなのですが、正直な場合はどう
欲しかった本を学友が買ってきてくれました!多謝。 詳細に検討したわけではないのですが、90頁という分量で手際よくコンパクトにまとまっているように感じます(なお、書名は「律令」ですが、主に「律」を取り扱っています)。 体裁は参考書そのもので、練習問題([設問])と解答がついているのが楽しい。一例、 皇太子に対して薬を調合するのに処方を誤った。いかなる罪か? 医者は職12に皇帝の薬を調合するのに誤れば絞とある。また、名51に皇太子に対する罪は皇帝から1等を減ずるとあるため、絞から1等を減じ流3000里とする。 監視役の官司は医者から1等を減ずるため、流2500里とする。 なお、故意に処方を誤れば謀反となり、着手しているため結果の如何に関わらず斬。 (53頁。「職」は職制律、「名」は名例律、その後の数字は『唐律疏議』における条文番号) 以前、司法試験のための参考書を法学部の友人から見せてもらった
新校古事記 作者: 沖森卓也,佐藤信,矢嶋 泉出版社/メーカー: おうふう発売日: 2015/11/25メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 積ん読になっていた本書の序文の訓読文を読み始めて「おや?」と思いまして。「混元」(こんぐわん)「気象」(けざう)「乾坤」(かんこん)等々・・・。そうなのです、漢字の音読みを徹底して呉音で読んでいます。 序文も(本文と同様に)徹底して訓読みするという試みがある一方で、漢文訓読の通例として序文は漢語を適宜音読みするということも普通におこなわれているのですが、その場合でも読みは漢音もしくは慣用に従う場合が多かったわけです。その点で本書は斬新でしょう。 しかし、斬新なために「皇帝陛下」のルビが「わうたいへいげ」だと、やはり少しむずむずしますね。私が不勉強のために気になる点もあって、「化熊」を「くゑう」とするのですが、「熊」の呉音が「う」と
注釈書や論文を拝見していると「語釈」と称して『日本国語大辞典』や『大漢和辞典』といった辞書の語義説明を引用してそれっきりということが往々にしてあります。 〇大乗経 大乗の教えを説いた経典(日国大)。 たとえば、このような「語釈」に何の意味があるのか。いろいろな考え方があろうかと思いますが、もし私が指導している学生がそのようなレジュメを出してきたら即刻やり直しを命じます。大漢和の語釈は誤っている、日国の初出例よりも古い例だ、という指摘ならまだ有意義なのでしょうけれども・・・ あえて書名は伏せますが、昨年刊行された注釈書がその点ですごかった。本書は校異が詳密で、補説にも見るべき点が少なくないように見受けられるのですが、語釈については凡例で、 語義は、以下のものを参照し、引用・摘記する場合は略称をもって示した。日国大(『日本国語大辞典第二版』小学館。なお、縮刷版も適宜参照した。略称、日国大縮刷版
今年のセンター試験の古文は『今昔物語集』巻16・32語からの出題だったようです。 巻16第32話 隠形男依六角堂観音助顕身語 第卅二 [やたがらすナビ] この話、男が鬼に唾をかけられることでいわば透明人間になってしまうところが面白く、典拠は未詳、類話もちょっと見つからない奇妙な物語です。 ちなみに、唐土の志怪小説では、鬼のほうが人間の唾を嫌がるという話が古くからあり、たとえば魏の文帝(曹丕)あるいは張華の撰録とされる『列異伝』には以下のような有名な話が収録されています。ほぼ同じ話が干宝『捜神記』にも入っていますので、そちらで知っているという方もいらっしゃるでしょう。 宋定伯 南陽宋定伯。年少時。夜行逢鬼。問之。鬼言我是鬼。鬼問汝復誰。定伯誑之。言我亦鬼。鬼問欲至何所。答曰。欲至宛市。鬼言。我亦欲至宛市。遂行数里。鬼言。歩行太遅。可共遞相擔。何如。定伯曰。大善。鬼便先擔定伯数里。鬼言。卿太重
植字の際に起こりうるミスとしてはそれほど稀なものではないのですけれども、たとえばいざ人に紹介しようなどという時にはとっさにその例を見せることができないので備忘のために。 (『日本文学研究資料叢書 平安朝物語II』有精堂出版、1974年。142頁) どこに誤植があって、どのようにしてそのような誤植が起こったのか。(配点:10点)製版やDTPだったら起こりえないことですよね。
ことばの重み 鴎外の謎を解く漢語 (講談社学術文庫) 作者: 小島憲之出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/02/10メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログ (2件) を見る 日本近代漢詩文の研究はこれからますます発展するでしょうから、このタイミングの講談社学術文庫での復刊は喜ばしいことだったと思います。 とはいえ、小島氏の(分量の小さい)著作のなかで復刊すべきは『萬葉以前』だと思うのですが、これは岩波書店が版権を持っているから学術文庫には入らないでしょう・・・。萬葉以前―上代びとの表現 作者: 小島憲之出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1986/09/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 万が一復刊された暁には、付録として「『佩文韻府』・『文選』を読まぬ日はなし」(『漢語逍遥』*1所収)を収録すれば大いに後学の指針となるのではないかと。
書I-I 「積善之家厥福惟昌」 明治10年(1877) 狩野は11歳11ヶ月の明治10年5月9日に第一番小学校下等第2級を卒業し、学業優等につき書籍を授与されているので、2月か3月の習字作品。この句は「積悪之門必有余殃」と対句。出典は『芸文類聚』巻23人部7鍳誡。 (「教育者・蒐集家・鑑定人 狩野亨吉 生誕150周年記念展」展示目録、30頁) 楷書と行書による習字作品でしたが、小学生の手とはとても思えない端正な字でした・・・オレもあれくらい上手だったら・・・ それはさておき、「出典は『芸文類聚』巻23人部7鍳誡」の一文が、文学教育に携わる者としては気になります。 出典を挙げる、という場合には二様の考え方がありまして、 1 大元(原典)の資料を指摘する 2 実際に依拠した資料を指摘する ということになるわけですが、本目録の出典表示はそのどちらの側から見ても問題がありそうです。 まず1の側から
校訂文・読み下し文(脚注付き)・現代語訳を完備した最新の『風土記』の注釈書が文庫本で刊行されました。ありがたいことです。 風土記 (上) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 作者: 中村啓信出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 2015/06/20メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る風土記 (下) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 作者: 中村啓信出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 2015/06/20メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る 中村啓信氏といえば、『新版 古事記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫、角川書店、2009年)において「本文は、可能な範囲で底本の形態および字体を尊重して活かすことに努めた」(462頁)わけですが、その方針はこの『風土記』においても踏襲されています。そのことの意義については
今やっていることが少々つまらないので無聊を慰めようとちょっと調べたら、すぐに見つかった。新渡戸稲造『世渡りの道』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949253/16 (当該ページのリンク)
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