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2007年04月13日 ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』アントニオ・ロペス・ガルシア■前編■ (2) テーマ:ART<千年の愉楽>(22) カテゴリ:ART<千年の愉楽> ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』アントニオ・ロペス・ガルシア (LOPEZ GARCIA, Antonio, Victor Erice) ●マルメロの陽光● EL SOL DEL MEMBRILLO 1992/139分/スペイン/フランス映画社 監督・原案・脚本:ビクトル・エリセ 原案:ビクトル・エリセ/アントニオ・ロペス=ガルシア 撮影:ハヴィエル・アグィレサローベ/アンヘル=ルイス・フェルナンデス 音楽:パスカル・ゲーニュ 出演:アントニオ・ロペス=ガルシア/マリア・ロペス/カルメン・ロペス/マリア・モレノ/エンリケ・グラン/ホセ・カルテロ <カンヌ国際映画祭審査員賞・国際映画批評家協会賞/シカゴ国際映画祭グラン
■聖ならぬ、精なる性!畑中純の世界、不滅の金字塔「まんだら屋の良太」■ セックスレスの日本は好か~~~ん! 「まんだら屋の良太」月子と良太 「セックスレスの日本は好か~~~ん!」 性を無視して生は語れないんでないかい? 九州九鬼谷温泉の旅館“まんだら屋"を舞台に、そこの一人息子と彼の仲間たちの青春を描く名作「まんだら屋の良太」。『漫画サンデー』に1979年より十年間にわたって連載され、1981年、第10回漫画家協会賞を受賞した。全53巻にわたる大作であり、アシスタントを使わずの驚異の連載は300回を悠々と越えた。 主人公、良太は高校三年生。九州・九鬼谷温泉の旅館“まんだら屋"の一人息子。彼は性に対する興味は人一倍で、思春期真っ盛り。自慰行為とのぞきにあけくれる毎日。義理人情に厚く、涙もろい良太が温泉街という小さな世界で行き交う人の並みの中で成長していく物語。 九鬼谷温泉という温泉街を去来す
『ヴェルーシュカ 変容/序文 スーザン・ソンタグ』(リブロポート出版) ヴェルーシュカ―消滅し、遍在する身体―不在の願望と恐怖、そして美学 《デヴィッド・ヘミングス激写!ヴェルーシュカ》 『欲望 Blow-Up』(1966) <内的ネオ・レアリスト>ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni) も合わせてご覧ください。 『欲望 Blow-Up』(1966) 監督: ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni 音楽: ハービー・ハンコック/ヤードバーズ(ジェフ・ベックとジミー・ペイジのツィンギターで「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を演奏!) 出演: デヴィッド・ヘミングス/ヴァネッサ・レッドグレーヴ/サラ・マイルズ ジェーン・バーキン/ヴェルーシュカ(Verushka) この映画は当時最前衛であった60年代スウィンギング・
○o。奇想と純心の天才!五十嵐大介”想像の種子(キッカケ)”。o○ 『はなしっぱなし(上)(下)』(【出版社】河出書房新社) 以前から欲しかった『はなしっぱなし』、絶版になっていてオークションでもプレミアが付き入手困難でした。漫画ファンの間ではすでに伝説と化していたもので、一遍一遍が独立しためくるめく幻想綺譚の傑作集です。 五十嵐大介の細部まで非常に丹念に描き込まれた画面からあふれでる、エキゾチックかつミステリアスなイメージの奔流はまさに圧巻!寡作なことでも知られる彼の、ファンにとってはまさに待望の初短編集の復刊です。再販の情報が入ったときは嬉しくて泣きそうになったぐらいです。ファンタスティックなアイデアだけが次々とくり出され、ページをめくるたびに目くるめく新しい世界に出会える。現実の中に潜む非現実の顔は千変万化に表情を変え、楽しそうに、その奇想の数々をはなしだす。まさにオチなし話しっぱな
Man Ray & KiKi Man Ray <1890.8.27-1976.11.18> Autoportrait(1972 Lithographie) 「わたしは、写真には撮ることのできないものを絵に描く。 わたしは、絵には描きたくないものを写真に撮る。」 ダダイスト・シュルレアリスト マン・レイ 「ぼくは写真を撮り始める前に、何年にもわたって絵を描いていた。ある日、ぼくは一台の写真機を手に入れたのだが、それと言うのも、プロの写真家が撮ってくれた自分の絵の複製を好きになれなかったからだ。またその時代に、最初のパンクロの乾板が市場に現れ、誰でも色彩のヴァルールを保ちながらモノクロ写真を撮れるようになった。ぼくはとことんこいつの研究をやった。わずか数ヶ月で、ぼくは写真についてはもっとも老練な男になったというわけだ!なかでも興味があったのは人間で、それも彼らの顔だった。」 1890年、8月2
『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たち によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺(1967) 』 ペーター・ヴァイスの戯曲をそのまま、「三文オペラ」「雨のしのび逢い(1960)」のピーター・ブルック監督が映画化。おそらく映画史上最も長いタイトルでしょう^^; そのままのタイトルで公開されたが、余りにも長いので通称「マラー/サド」と呼ばれている。昔、文芸座で観たのですが、その演劇的な演出が斬新で圧倒的な映像美に魅せられ記憶に残る映画として再見を望んでいました。BSで放映されたことがあるようですが、ビデオ発売もなく4年ほど前に偶然検索でDVDを引き当てた時は驚喜したものです。 19世紀はじめのフランスでは、治療の一環として精神病院では演劇がプログラムに取り入れられていた。収監されていたサド侯爵は、フランス革命で活躍し後に暗殺されたマラーのドラマを患者達を使って
------------------------------------------------------------------------------ ♪背中のアヴァンギャルド、振り向けば愛♪セルジュ・ゲンズブール♪ジェーン・バーキン♪ -------------------------------------------------------------------------------------- 1928年4月2日、パリに生まれる。本名”ルシアン・ギンスブルク”ロシア系ユダヤ人。 フレンチ・ポップスは、この人なくしては語れない。時代の先駆者としてのその存在の大きさと功績は計り知れない。 寝ぼけ眼に、無精ひげ。酒太りで腹もデップリと出ている。咥え煙草に、汗くさそうな風貌。パッと見は小汚い酔っ払いのオヤジ。 攻撃的で、猥褻で、ナンセンスで、屈折していて、耽美的で...ダンディ
ゲオルギー・シェンゲラーヤ 監督作品 『ピロスマニ(1969年 ソ連作品)』 ロシアの“アンリ・ルソー”ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani,1862-1918) <ニコ・ピロスマニ略歴> 1862年 グルジア共和国のカヘチの農家に生まれる。 放浪をしながらプリミティブな画風の絵を描き続ける。 グルジアの自然、風俗、伝統儀式に始まり時には歴史上の人物をとりあげた民族色の強い画風はグルジアの魂そのもの。 特に鹿、ライオン、きりんなど動物を描いた作品は出色で、静ひつさが漂う画風が特徴。 死の数年前ロシアで初めて、民衆画家として紹介されるが、酷評され、生前認められることはなかった不遇の芸術家。自分で作った絵の具で、油布やトタン板、ボール紙などに、人物・風景・動物・静物などを2000点あまりも描き続けた。 1948年 孤独と貧困の中で世を去る。 近日、日本でもピロスマニの画集が出版される
2011年02月13日 美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川カズキ(かずき)■後編■
■いま、ぼくの孤独な夏休みが始まろうとしている・・・・■ ━━”狼少年”森田童子━━ 「人はそれぞれ崇高な孤独を持っていればいい。」 ぼくが愛してしまったともだち ぼくが愛してしまった小さな喫茶店 ぼくが愛してしまった街並や曲がりくねった路地 もうすぐ終わる ぼくが愛してしまった時代よ 森田童子(昭和54年) 目にしみるぞ 青い空 淋しいぞ 白い雲 ぼくの鳩小屋に 伝書鳩が帰ってこない もうすぐ ぼくの背中に 羽がはえるぞ 朝の街に ぼくの白いカイキンシャッが飛ぶ 母よぼくの鳩を撃て 母よぼくの鳩を撃て (「伝書鳩」) 都市は密集し、巨大化された私達の街は 急速に管理化されています。 私達が子供の頃、空き地や空家は、そして路地は 唯一のわたしたちの遊び場でした。 ....夜になっても遊び続けろ。 太宰治の遺作である『グッドバイ』と同名のタイトルで森田童子はデビューしました。 「……ある意味
猫は私の上に乗っかり、私に枕のひとつを取るのを許すと、すかさずこう話かけてきた ━━━「私は夢先案内人だ・・・・・」 「現代の偉大な画家たちの中で、モダン・アートのいかなるエコールにも運動にも、直接結び付けられない画家が二人だけいる。バルテュスとフィニである。前衛画家の創始者たち自身がこの二人に捧げた尊敬の念(ピカソはバルテュスに、エルンストはフィニーに)は、二人が当代の中心に存在することの、何よりの証であろう。いかなる美術のエコールとも一度として関係を持たなかった孤高の画家。彼らの作品は、同時代の画家たちが大量に”生産”するのに比べ、極めて数が少ない。二人とも多国籍の血筋であり、教養の高い環境に育ち、生まれながらにして国際性を備えていた」 (コンスタンタン・ジェレンスキー「フィニ展」カタログより) "LEONOR FINI" Constantin Jelenski 著 澁澤龍彦 訳 河出
1/2のマキ...その2 淋しさには名前が...ある?!浅川マキの世界『Darkness』 「淋しさには名前がない」 {作詞・作曲 浅川マキ} ・・・・・そうね 気ままに暮らして行こうかな 何にも要らないこれからだけど これでいいのかしらね また ひとりよ 私 あの人のこと恨んでないの 男の人はいいものよ 何にも要らないこれからは 独りの夜はやっぱり長いけど また ひとりよ 私 寂しさには名前がない ・・・・・誰が言ったの 何にも要らないこれからは ドアを開けたら朝の光が また ひとりよ 私 血があつい鉄道ならば 走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう ーロング・グッドバイー 寺山修司(1935-1983) 『伊勢丹近く、明治通りに面した映画館、新宿文化・ATG(アート・シアター・ギルド)、その地下にある劇場「蠍座」で、わたしは初めてひとり舞台に立つことになった。寺山修司さん
美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川かずき 95 撮影・鈴木真貴氏 「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたことなのだ。 友川よ、久しく会わないが、元気か。 美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちに恵まれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、一人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。」(大島渚) 「東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時にかぎりなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目でみつめられ問いかけられたとき人びとがとまどうように
「激しく炎をあげて燃え、闘いを求めて成長する。ただ考えるだけの苦悩には意味がない」 溜息を誘う美と震えるほどのエロス。 夭折の画家エゴン・シーレの描く絵はエロティックで大胆。 これらの絵をみてどう感じるかはあなた次第。 「自画像」(1912) ー22才の時の自画像ー エゴン・シーレ(Egon Leo Adolf Schiele) 「大人達は忘れてしまったのだろうか? 皆、自分達が子供だった頃、どれほど堕落していたかを。つまり、性の狂おしい衝動のためにいかに活気に溢れ、そして興奮させられていたかを」 わずか28年の生涯、10年余りの画業で美術史に燦然と輝くエゴン・シーレ。 1890(明治23)年6月12日、ウィーン近郊ドナウ湖畔の小さな町トゥルンの駅舎の二階にて、オーストリア・ハンガリー帝国国有鉄道運営局幹部職員の父アドルフ・オイゲン・シーレ(1851-1905)と母マリー(旧姓ズークプ18
■バルテュス<Balthus>(Balthazar Klossowski) 1908-2001■ 「子供たちのいるところこそ黄金時代がある」(ノヴァーリス) photography: Shinoyama Kishin 伝説の画家バルテュスの眼光の鋭さとダンディな身ごなしに、観るものはたじろいでしまうに違いない。 バルテュス<Balthus> 「二月二十九日生まれという奇抜な日に生まれ、四年に一度の閏年しか誕生日が回ってこないこともあって、自分は大人たちの時間の流れを免れており、日付のない時間と幼年時代の絶対の世界という本質的な宝をいつまでも保持できるという感情を、バルテュスは抱いている。彼のヴィジョンはすべて、幼年時代にこそ根ざしているのだ。画家の名前として自分の呼び名を、より正確には呼び名の愛称を使い続けていることも、それを裏付けている。」(ジャン・レイマリー) 『猫と鏡 3』1990-
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