サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
アメリカ大統領選
q.livesense.co.jp
「女性活躍推進」という言葉に、あなたはどういう印象を抱くだろうか。女性も仕事を辞めなくていい、女性も管理職になれる、そういうポジティブな印象を持つ人が多いのでは。 仕事において女性であることが不利に働かないことは、当たり前のようで当たり前ではない。少なくとも、五〇年前は「結婚したら退職」が当たり前だった。その時代、女子は四年制大学にいくと就職に不利だからと、学力が優れていても短大を選ぶのがふつうだった。一般職として入社した職場では、総合職のサポートや事務作業ばかりの雑務をするのがふつうだった。それが、男女雇用機会均等法だったり、女性活躍推進法だったり、人々の努力の積み重ねによって今日の姿がある。 けれど、こう思ってしまうのはあまのじゃくだろうか。女性は「活躍」を強いられている。女性は、社会や企業に「推進」してもらわなければ「活躍」できない。そう言われているような気がしてしまうのだ。 社会が
落ちているボールを拾う、という比喩がある。職場で使われるときはもっぱら、ボールという言葉は仕事を意味している。 だから、落ちているボールを拾うという比喩は、誰も手をつけていない仕事に自ら手をつける、ということを指す。ボールというくらいだから、だいたいそれは軽微な仕事に限られる。 落ちているボールを拾うことは、基本的にはいいことだとされている。ボールが落ちていては、仕事が進まない。 ちょっと資料を直したり、誰かに依頼の連絡をしたり、スケジュールを引き直すほどではない、小さな仕事は日々たくさん生まれる。会議の終わりには「これは誰のボール?」と聞いて、TODOが零れ落ちないよう確認したりする。 それでも落ちてしまうのがボールというものの(つまり仕事というものの)困った特性で、拾ってくれた人には「拾ってくれてありがとう」と声をかけることもある。 落ちるボールはさまざまだが、誰でもできるようなものが
心理的安全性という概念がある。ここ十年ほどチームづくりの最重要ファクターであるともてはやされ、他方では粗雑な理解によって批判されてきた。急に人気の出たアイドルの宿命みたいなものを背負っている。 世間的なイメージがどのようなものか、少し羅列してみよう。 なんでも言える。否定されない。安心して働ける。不安がない。感情を大切にしてもらえる。あなたはあなたのままでいいと肯定される。 こうしたイメージを抱いている人もいるかもしれないが、残念ながらこれらは、心理的安全性の正しい姿からは遠くかけ離れている。ただ安心してほしいのは、こうした誤解をしている人は決して少なくないということだ。 手持ちのグーグルで「心理的安全性 誤解」と検索してみると、何ページにもわたって理解を正す記事が並んでいる。NewsPicksも、プレジデントも、朝日新聞も、Qiitaも、東洋経済も、あらゆるメディアが心理的安全性の誤解に
性格診断、才能発掘、強みに目覚めよう。というような、自分自身を深く知るためのコンテンツをよく見かける。 説明文には「自分について不思議なくらい正確な説明が手に入ります」とか「あなたの才能はダイヤモンドの原石だから、磨いて輝かせよう」というようなことが書かれていて、自分の仕事ぶりやキャリアに不安があるときは、つい頼ってしまいたくなる。 自分自身もまだ知らない「本当の自分」に出会いたいという欲望がある。 自分の才能を知って、もっと自分に合う仕事を見つけたい。強みを活かして、自分らしく活躍したい。性格のタイプと相性を理解して、人付き合いを円滑にしたい。コンテンツはそういう欲望に応える。 人それぞれには得手不得手や、向き不向きがあるのだろうし、営業に向いている人と、デザイナーに向いている人が異なっているということは、直観的にも正しいように思える。 しかし、「本当の自分」という不確かなものに、どこま
三五歳。この年齢にどんな印象を持つだろう。働き始めて十年ちょっと経ち、キャリアに脂が乗ってきたり、自分という人間がわかり始めたりする、そんな頃だろうか。 三〇代に突入して、この先どうやって生きていくかライフプランニングめいたことを考えるようになった。二〇代の頃より生々しく。仕事に何を望むか、住宅は賃貸か購入か、生涯かかるお金はどれくらいか。独身だったわたしはその度に「そのうち結婚するかも」「子どもができたら状況も変わるしな」と、将来設計を棚上げせざるをえなかった。 何歳になっても、学び直せる。転職できる。新しいことに挑戦できる。行動を年齢と結びつける時代は終わった。ただ一つ、「産む」を除いては——。 結婚や子育て以外にも生き方は人の数だけあり、幸せの形は多様化している。それでも、体の仕組みばかりは変わらない。こと出産においては、三五歳以上の初産は「高齢出産」と呼ばれる。ついこないだまで二〇
「三カ月で戻ってきますから」 そう告げて、わたしは出産のため休みをとった。フリーランスなので育休手当が出ないという事情があったし、キャリアの断絶も恐ろしかった。そういう不安から、最低限身体を休めたらすぐに戻ろうと決めていた。 妊娠中に保育園の見学と申し込みを済ませ、レギュラーの仕事に関しては不在にする三カ月分の原稿を先出しし、産後のポストを確保した。身重ながらなかなか周到に備えられたように思えた。そして予告通り、産後三カ月でまた仕事を始めた。 しかし、今はこう思う。「一年の産休・育休は理にかなっている」と。一つ誤算があったのだ。というか、考慮できていないことがあった。母乳育児の労力だ。母乳育児をしながら働くことがこんなにしんどいとは。 あなたの周囲に母乳育児をしながら働いている人はいるだろうか。ほとんどの人はこう思うだろう。「知らない」。それだけ母乳の話は表に出てこない。恥ずかしいし、タブ
はじめに、短いフィクションをご覧いただきたい。 ある会社で、事業部長のAさんが育児休業をとった。Aさんはその事業を成功へと導いてきた立役者で、経営陣も部下もAさんのことを信頼していた。そんなAさんが育休を取ることになった。まずは一年間の予定で、Aさんがその間不在となるので、会社はべつの人を事業部長として立てることになった。 新しく事業部長に登用されたBさんは、Aさんのもとで副事業部長を務めていた。事業部長には時期尚早だと思われていたが、Aさんの育休がきっかけとなって抜擢された。臨時の登板とはいえ、一年間は短くない。もともと事業部長を目指していたBさんにとっては、絶好の機会だった。 事業部はBさん体制のもとで、再編成されることになった。副のポストが空いたので、新たな副事業部長も登用され、組織の若返りも起きた。Aさん体制は素晴らしかったが、Bさん体制もなかなかだった。 事業部が傾いてはAさんが
一筋縄でいかないような難解な仕事を抱えていると、何をしているときでも、頭の片すみにずっとその仕事が居座っている感じがする。 憂鬱というほどではないけれど、邪魔になるときもある。楽しい飲み会の最中とか、ゆっくり休まるはずのバスタブでも、ふと気づくとそのことについて考えてしまったりする。気分転換が下手になる。 それはしかし、少なくともぼくの場合は、半分くらいは意図的にそうなっている。チャレンジングな仕事に携わるのは幸運なことだし、基本的には楽しいことだ。難しい問題について考え続けたい、考え抜きたいという前向きな気持ちもある。通勤路を歩いているときに仕事のことを考えるのは、ちょうどいい暇つぶしにもなっている。それゆえ、塩梅が難しい。 「シャワーを浴びているときに、いいアイディアが降ってくる」みたいな話とも、ちょっと近い。移動中の電車、お昼ごはん、夜寝る前のベッドの中。考える仕事は、わりとどこでで
二〇二二年の四月一日に、米アマゾンで労働組合が結成された。立ち上げの中心的人物となったのは、元ラッパーのクリスチャン・スモールズ氏。一九九四年の創立以来、無労組経営を貫いてきたアマゾンにとって、初めての出来事だった。アマゾンは組合設立を阻止するためにコンサルティングを雇い、キャンペーンを展開していた。 労働組合の組成の動きは、アマゾンだけの話ではない。ここ二、三年でグーグルやアップルでも労働組合の動きが報道された。シリコンバレーの労使関係は、新たな展開を迎えつつある。 以前のテック企業は労働組合を持っていなかった。そういうものは時代遅れの制度だとさえ思っていただろう。 シリコンバレーに勤める人たちは、みな高待遇で転職しやすい人たちだった。産業の発展とともに彼らの待遇はインフレを続け、高い給与、手厚い福利厚生、遊園地のようなオフィス、そして十分なストックオプションが用意された。 そうした環境
職場から怒りが消えつつある。 ドラマや漫画の描写の影響か、実際にそういう人が多かったのか、むかしの上司はよく怒っている印象を持っていた。灰皿を投げつける、というのはあまりに古典的だとしても、大声で怒鳴り散らしたり、机の前に立たせて説教したり、その机を音を立てて叩いたりするのは、怒る上司の典型的な表現だった。 でも現実にはそういう人を、ぼくはほとんど見かけない。世の中全体からいなくなったとまでは思わないけれど、少なくともリブセンスや周囲の会社では、派手に怒りを振りまく上司像というのはあまりイメージできない。 とうぜん怒りという感情それ自体がなくなったわけではない。滲み出ていることはあるだろう。ただ多くの人たちは、それをあからさまに表に出すのをやめた。 要因はいくつも思い当たる。会社が従業員の精神的健康にも注意を払うようになったこと。心理的安全性が組織のパフォーマンスを向上させると発見されたこ
同僚から妊娠の知らせを受けたとき、あなたは何を思うだろうか。おめでとう。よかったね。いなくなっちゃうの寂しい。育休はどれくらいとるのかな。チームの体制どうしよう。 純粋な祝福と、現実的な体制変更への対応と、頭にはいろいろと浮かぶだろう。四ヶ月後には産休? もっと早く教えてほしかった。そう思う人もいるかもしれない。 近しい間柄でない限り、産休の知らせを聞いて初めて同僚の妊娠を知ることも少なくない。リモートワークが浸透してからは一層、職場で同僚の大きくなったお腹を目にして、妊娠をそっと理解することもなくなった。 一方、妊娠した当人も、妊娠をいつ誰に伝えるかには苦慮している。わからないことだらけの妊娠。多くの人はマタニティ誌や情報サイトから知識を積み重ねていくが、それらには妊娠を周囲に報告するのは安定期に入ってからが望ましいとされている。直属の上司など、仕事の采配に関わるメンバーにはもう少し早い
マイノリティを学ぶだけでなく、マジョリティについても考えたい。 そんなことを思ったのは、発達障害をテーマにした研修の準備をしているときだった。リブセンスはここ二年くらい差別やマイノリティについて学ぶ研修をやっている。「常識を考え直すワークショプ」 という。最近では十一月に株式会社MIMIGURIの協力を得て開催した。 これまでの研修では女性について、同性愛について、トランスジェンダーについて学んできたが、今回の研修ではジェンダーを離れて、発達障害を取り扱った。 発達障害は、身体の障害とちがって、見た目にわかりづらい。本人が自覚していないケースもあるし、不得意なシーンに遭遇しなければ障害性が現れない人や、なんとか自分なりにリカバーする術を身につけてきたという人もいる。 なんの問題もなく日常生活や仕事をこなしているように周囲からは見え、人知れない苦労を抱えやすいのもこの障害の特徴である。 児童
あなたの周囲に、こころの病気と共に生きている人はいるだろうか。あるいは、あなた自身がそうだろうか。 一昔前と比べて、メンタルヘルスはだいぶ身近なイシューになった。生涯で五人に一人がこころの病気に罹患すると言われるほど、精神疾患は一般的なものである。コロナ禍による社会変容が大きなストレス要因となり、人々のメンタルヘルスに影響を及ぼしているのも既知の事実だ。 しかし、今なおメンタルの問題は語られづらい。社会にはびこる偏見、恥の意識に罪悪感、先の見通せなさなどから、当事者は口をつぐむ。 メンタル不調を抱える人がもれなく周囲に〝告白〟すべきだとはまったく思わないが、「言えない」と「言わない」は別物だ。特に職場においては、罹患者への理解がどれほどあるかがダイレクトに働きやすさに影響する。今回の記事では、うつ病、適応障害、双極性障害を抱える複数の社員に話を聞き、働くこととメンタルヘルスについて考えた。
「最近、人の悩みを聞くのが辛いんですよね」 そう打ち明けてくれたAさんは、多数の部下を抱えるマネージャーだ。柔らかな物腰で人当たりがよく、温和な雰囲気をまとっている。 部下からの信頼も厚く、悩みもよく相談されるらしい。丁寧に聞き入っているのだろう。ヒアリングの話しぶりからも、そういうふうに想像される。 そんなAさんだが、部下の悩みを聞くことに疲労感を覚えてしまうという。 「たまにカウンセラーみたいなことやってるな、と思うんですよね。悩みを聞いても、解決できることばかりじゃないし。なのに色んな人の悩みを聞いて、自分のなかで蓄積されちゃって」 人の悩みを聞くと、自分の心に負担がかかる。なんとなく引き摺られて、気持ちが沈んでしまう。そういうことは確かにある。多くの人から悩みを相談されれば、負担の量も増えていく。 相談事はさまざまだ。一朝一夕で解決できないことも多いし、聞くに徹するしかないときもあ
「最近感動したことは何ですか?」「どんな出来事が印象に残っていますか?」 そう聞かれて脳裏にいくつかの出来事を思い浮かべた際、その中にコロナ以降の記憶はいくつ含まれるだろうか。 リブセンスでは、コロナを機に二〇二〇年二月から全社員がリモートワークに切り替わり、早二年が経った。そして今後は「出社が基本、リモートはオプション」だった従来の働き方から、「出社もリモートも選択可能」とするハイブリッドな働き方にシフトすることを決めた。とはいえ、コロナ収束の目途が立つまではほぼフルリモートが実態だ。 内定者や社員にリモートワークについてヒアリングすると、次のような意見が聞けた。 メリットに多く挙がったのは「通勤が無くなったこと」「住む場所や働く場所の選択肢が広がったこと」「体調と相談しながら働けるようになったこと」だった。一方、デメリットには「他部署の人と関わることがほぼ無い」「チームの一体感や帰属意
みなさんは、自分が日々携わっている仕事について、その背景や文脈をどこまで理解しているだろうか。 あまり考えたことがない人から、誰よりも真剣に向き合っていると胸を張る人までさまざまだろう。どちらが良いか悪いかはいったん置いて、個人的な経験から思うことは、そこまで深く理解していなくても案外仕事は回るということだ。 これだけ言うと怒られそうな気もするが、ちょっと待ってほしい。イソップ寓話の「三人のレンガ職人」の話をご存じだろうか。簡単に紹介すると、旅人がある町でレンガ積みをしている三人の男に出会う話だ。 旅人はレンガ積みという同じ仕事をしている三人それぞれに「ここで何をしているのか?」と尋ねると、一人目の男は「見れば分かるだろ。レンガを積んでいるんだ。暑い日も寒い日も朝から晩までこんな大変なことをやらないといけないんだ」と嘆いた。二人目は「大きな壁を作っているんだ。この仕事があるから俺は家族を養
あなたには自信がありますか。 こう聞かれたら、あなたはどう答えるだろう。この質問にイエス・ノーで答えられるほど、自信というのは単純な概念ではない。けれど、持っていたほうがいいものと世間では認識されている。生活において、仕事において、自信があるほうが何かと得なことが多い。 わたしはこの秋、Q by Livesense 編集長の任務を授かった。その裏では、役割を打診されてから腹を決めるまでに三週間という時間を要していた。ありていに言えば、自信がなかったからだ。編集経験が豊富でないこと、前任者の存在感に圧倒されていたこと、業務委託の立場であること。辞退するに見合う理由をいろいろと探していた。けれど同時に「やらなければ」とも思っていた。仲間から差し出された稀有な機会を拒もうものなら、わたしはきっと自分のことを嫌いになる。使命感にも似た感情だった。 どうしてそのような気持ちが湧いてきたのかといえば、
「65%」 これは、リブセンスにおける二〇二〇年度の男性社員の育休取得率だ。 厚生労働省が発表した「令和二年度雇用均等基本調査」(以下、厚生労働省の調査)によると、同年度の男性の育休取得率は「12・65%」だ。 二〇一九年度から5・17ポイントと過去最大の伸びを記録し、ようやく10%を超えたことがニュースなどで大きく報じられている様子を見ると、リブセンスはなかなか健闘していると感じる(ちなみに、厚生労働省の調査に比べるとリブセンスの育休取得対象者は少ないので、その分一人が与える取得率への影響が大きくなることは心に留めておきたい)。 リブセンスでは以前より、女性はもちろん、男性が育休を取得することがさほど珍しいことではない風土がある。男性社員の育休取得率でいうと、二〇一九年度は58%、二〇二〇年度は65%で推移しており、この実績をもとに「リブセンスは男性も育休が取りやすく、家庭と仕事を両立し
あなたは身元保証書という書類を会社に提出したことがあるだろうか。そのとき誰にお願いしただろう。 この記事を書くにあたって、周囲の何人かに「身元保証書って書きましたか?」「誰に頼みました?」と聞いてみたが「うーん覚えてない……出した気はする」「たぶん親だったと思うんだけど」というくらいの回答しか返ってこなかった。ほとんどの人にとっては、入社事務のうちの一つの、取るに足らない書類みたいだ。 しかし、そうではない人もいる。今日はそんな話である。 リブセンスでは(そして他にも多くの企業で)社員が入社する際には、身元保証書の提出をお願いしている。聞き慣れない方もいると思うので、まずはその内容を簡単に説明しておきたい。 身元保証書とは、その名が指すような「身元を保証する書類」、つまり経歴に嘘がないとか、人柄がそれなりにいいとか、そういうことを当人と別の第三者が保証するという書類ではない。そういう側面も
有給生理休暇という制度に、あなたは賛成だろうか、それとも反対だろうか。 賛否に強い意志を持っているかもしれないし、ちょっと結論を保留したくなるかもしれない。あればめちゃくちゃ助かるという人もいれば、どちらでもいい、無関心だという人もいるだろう。 こういう場所で書くのは気が引けるけれど、正直なところ、ぼくも昔はまったくの無関心だった。直接関係のない話だし、どっちがいいかもよくわからない。そういうふうに考えていた--というのもちょっと嘘で、そんなことすら考えていなかった。無関心というのはそういう残酷なものだ。 ちょっと質問を変えてみよう。 有給生理休暇という制度は、男女平等に資するだろうか。 こうするとさっきより、女性には客観的な、男性には考えやすい問題になるかもしれない。 平等が大事だということについて、多くの人は異論を唱えないと思う。でも平等ってどういう状態なのかとか、どういうふうに平等を
「すっぴんは相手に対して失礼だ」 社会人女性の大半の方は、きっとこの共通意識を持っているだろう。 何が悲しくて自分のすっぴんを失礼なものだと認識しなければならないのか、と静かに憤りを感じる。一方で、そうは言ってもこれが社会の当たり前、化粧をすることがビジネスマナーだから、と自分を納得させてきた。他人の容姿に意見することこそマナー違反だと思うのだが、「女性としてのマナー」という話になると正論としてまかり通ってしまう。 先日、「顔に泥を塗る」という漫画の1話目と作者のインタビュー記事が社内チャットで共有され、様々な意見が出て盛り上がった。 漫画の主人公はデパートの案内係として働く二十五歳の女性。控えめで自己主張は強くないタイプ。ある日、同性の先輩から「もう二十五歳なんだから、もうすこしきちんとメイクできない?」と叱られる。きちんとした印象を意識して買った赤い口紅を試しに自宅でつけてみたら、同棲
What’s Q by LIVESENSE? 格好いい正解に憧れたりもするけれど 会社は何を書くべきだろうか。企業のブログは、身も蓋もないことをいえば、宣伝のために行なわれる。わたしたちはこんなに素晴らしい。こんな面白いことをやっている。そういう発信がオウンド・メディアの名のもとに氾濫している。スマートな書きぶりと格好いい正解は確かに眩しい。でも、なんだか無理に答えを出したがっているようにも見えてしまう。 ほんとうは、もっと悩んでいるはずだ。悶えているはずだ。企業が事業成長だけを考えていればいい時代は終わり、今日ではその姿勢をこそ問われている。自由、格差、倫理、差別、生産性、疎外、幸福……。何が正しいんだっけ。正しさってなんだっけ。格好いい答えに憧れたりもするけれど、その一歩手前で考え続けていたい。 ここはそんな時代の企業のブログ。言いよどんだり、迷っていたり、結論がなかったり。ちょっと企
「反社会的勢力」という言葉がある。いつのまにか広く知れ渡ったこの言葉は、少し前に芸人の闇営業に関連してワイドショーを騒がせもした。反社が社会的によろしくない存在であることはみながなんとなくわかっており、つながりを持ってはいけないことも知られている。しかし、反社の正体についてはどうだろうか。暴力団、特殊詐欺、組織犯罪。そういったイメージの断片はある。でも、反社の定義について、あなたは答えられるだろうか。 本記事では「反社チェック」を取り上げる。反社チェックとは、企業が取引先に対して反社会的勢力でないかを確認するプロセスのことを指す。多くの人は反社チェックに深い興味を持っていないだろうし、そもそも何を行っているか知らない人も多いと思う。ずいぶん退屈なネタだと感じるかもしれない。 しかし、わたしにとってはようやく書けるテーマとなった。このブログも十五記事を重ねて、思慮深い読者にも恵まれ、こうした
仕事が終わって一息つき、ふと「あのドラマを見よう」と思い立つ。とりあえず、一話だけ。 ――そのはずが、気づけば平気で日付をまたいでいる。ひとたび動画配信サービスを起動させると、予告に心を掴まれたり、自動再生機能に背中を押されたりして、やめ時を見失う。 そして「おや、この俳優は誰だろう」とスマホに手を伸ばせば、数日前に検討したインテリアが広告としてカムバックし、今度はネットショッピングが始まる。俳優を調べようとしていたことなんてすっかり忘れて、いそいそとレコメンドの波をサーフィンする。 ビジネスは今や、可処分時間の奪い合い。自社サービスに時間を割いてもらうために仕掛けを施すことは、事業者としては当然ともいえる。最近は「ナッジ」という、特定の行動を促すための行動経済学の理論も注目されている。 しかしユーザーとしては、何かひっかかりを覚える。リターゲティング広告をクリックするのも、レコメンドに乗
「お疲れ様です……娘の体調が安定せず、本日は早退させていただきます。いつも申し訳ありません。よろしくお願いいたします」 これは、ある従業員からの勤怠連絡だ。連絡したのは2歳の子どもを持つ女性社員。時短勤務の制度を利用し、現在は1日7時間働いている。子どもが体調を崩して早退したり休まなければならなかったりするときは、こうした連絡をしている。 「いつも」と書かれているように、今回が初めてのことではない。だが、私も小さな子どもが二人いて、保育園の送り迎えなどで早退することがよくあるので気持ちは分かる。「お互い様だからそんなに気にしなくても良いのに」と感じたのが率直なところだ。 みなさんはこの連絡を見てどう感じただろうか。育児や家族の介護をしながら働いている人、あるいはそういう人と一緒に働いている人であれば、同じような場面に遭遇した人も多いのではないか。 一見、一人の従業員のなにげない連絡に見える
差別をなくそうなんて考えると、すぐに絶望におそわれる。 わたしたちの社会に深く根ざす差別構造は、少なくとも数百年、下手すれば千年単位で培われてきたものだから、一朝一夕でどうにかなるものではないし、一個人、一民間企業ができることなんてたかが知れている。どれだけ凄いことをやっても、あしたから差別がなくなるなんてことはない。差別の問題にはそういう徒労感がいつもつきまとう。 しかし、逆にこうも言えるだろう。仮に差別が部分的にでもなくなる日が来るとすれば、なくなって来たとすれば、それは不断の努力の積み重ねの結果でしかありえないのだと。努力を続けた先達の血のにじむ日々の上に、昨日よりもましな今日が続いている。 わたしたちもまたそうした先達に倣って差別と戦うことを決め、リブセンスは二〇一九年に経営の指針の一つとして「差別、ハラスメントの根絶と平等の実現」を決議した。上場企業としては当然の、むしろ遅すぎる
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Q by Livesense』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く