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「母の老いも最期も、全部味わい尽くした」90代の父とともに、認知症の母を介護した経験を映画にした信友直子さん ここ最近、実家に帰る度に気になるようになったのが87歳の祖母のこと。大きな病気をしているわけでもないし、“認知症”ではないのだけど、脳の前頭葉が萎縮しているようで、なんだか以前と言動が変わってきています。 同じことを何度も言ってきたり、自分だけ変わった食事を取ったり、家の離れで眠ったり。これが正しい!と思い込むと突き進み、家族の言葉に耳を傾けない。なんだかやたらマイナス思考で、「死んじゃう……」とつぶやく姿も見られます。 たまに帰省するだけの孫の私は「おばあちゃんが老いている……」と多少客観的に見られるけれど、ともに暮らす母は、イライラも募らせつつ、かなり参っている様子。 とにかく元気で、ステーキなんかもぺろりと平らげ、孫の友だちの輪の中に入ってきて、自慢のカラオケを披露する。そん
「私は〜だから、きっとできない」 そんな考え方は、しばしば私たちの前向きに行動しようとする足を引っ張ります。「子どもだから」「大人だから」「男だから」「女だから」。 「女の子は勉強なんてしなくていい、いい大学になんて行かなくていい」 今から30年くらい前の話ですが、私が生まれ育った田舎の小さな町では当たり前のようにそんなことを口にする大人がいました。当時小学生だった私にとって、それは学びへの意欲を風化させるには十分な呪いの言葉でした。 高校生になって、それでも自分の行きたい大学に進もうと考えたとき、私の中に渦巻いていたのは未知の環境へひとりで飛び込んでいくことへの不安だったように思います。経験したことのない「大学」という場での学び。親元を離れての一人暮らし。自分にできるんだろうか……。 そんな不安を打ち消そうと情報をせっせと集める中で、実際の学生生活を思い描くために役に立ったのは、自分とバ
何かを「諦めた」、「手放した」。そんな経験が、誰しもあるのではないでしょうか。 私もここ数年で、いくつかのことを諦め、手放しました。ふとした瞬間にそれが頭に浮かぶと、そのたびに心がきゅっと痛むような感覚になります。 でも、こう感じるのはもしかしたら、私が過去の経験のネガティブな面しか見ていなかったからかもしれない。むしろ本当は、手放したからこそ得たものがあるのではないか。 その人とお話をしながらそんなことを思ったのです。 2016年4月、36歳のある日、突然視力を失い視覚障害者になった石井健介(いしいけんすけ)さん。石井さんの今の視力は、近くのものであればシルエットや光が見える程度だといいます。 石井さんにインタビューをさせてもらえることになったとき、一番最初に浮かんだ質問は「見えていた時の自分や見えている他者と比べてしまうことはありませんか?」というものでした。インタビューを終えた今、改
「誰かに話を聞いてもらった」ことで、自分の中に新たな気づきが生まれたことはありませんか? 私はライターという職業柄、聞き手に回ることが多く、話すのはちょっと苦手。でも不思議と「話せてしまった」という経験をしたことがあります。なぜか次々に言葉が出てきて、自分の素直な気持ちを言語化できてしまった時間。相手にアドバイスをもらったわけでもないのに、「私が言いたいのはこういうことだったんだ」と自己完結してしまったのです。 その“不思議”の謎が解けたのが、フリーランスのライターとして活動を始めた頃に参加した「インタビューのワークショップ」でした。講師は、著書『自分の仕事をつくる(2003年・晶文社)』を通して知っていた西村佳哲さん。 ワークショップの中で、きく側のあり方によって、話す側に「話せる・話せない」、「思考が深まる・深まらない」という大きな違いが表れてくることを体感しました。「話せた」と感じた
「優しい人でありたい」全身に炎症がおこるベーチェット病になり、多くの人に支えられたからこそ願うこと/サトウリョウタさん はじめまして、サトウリョウタです。現在、フリーランスの編集者兼ライターとして活動しており、ウェブメディアや雑誌で文章にまつわる仕事をしています。 見た目ではあまり分からないかもしれませんが、僕は約3年前に指定難病である「ベーチェット病」を発病し、現在も闘病中です。 ベーチェット病とは、全身に炎症を起こす病気です。口内炎ができたり目が見えにくくなったり、関節が痛くて動かしにくくなるといった症状があります。今のところ病気の原因は不明で、完治させる治療法もありません。 今でこそ楽しく毎日を過ごせていますが、病気になった当初は、人生が終わったと涙ばかり流していました。その後たくさんの人に支えられてきたおかげで、病気と向き合い、少しずつ前向きに捉えることができたという背景があります
2021年3月29日 各位 特定非営利活動法人soar代表理事 工藤瑞穂 問い合わせ先 soar.office@soar-world.com 理事解任のお知らせ 特定非営利活動法人soar(以下、「当団体」といいます。)は、2021年3月10日に開催された臨時社員総会において、以下のとおり、当団体理事の鈴木悠平(以下、「鈴木」といいます。)を解任することについて決議いたしましたので、お知らせいたします。 1 解任決議に至った経緯について 昨年、当団体又は当団体スタッフの各関係先の個人(複数名)の方から、鈴木との飲食の席またはその直後において鈴木より加害行為を受けたとの被害申告があり、鈴木本人がそれら申告内容の事実関係については概ね認めたため、当団体として、被害申告を受けたことやその内容を重く受け止め、また、NPOとしての法的・社会的責任を果たすべく、昨年末に内部調査チーム(当団体監事を責任
互いの意見を交わす「対話」、ともに答えをつくる「共話」。他者と“ウェルビーイング”に生きるために取れる行動を考える 地方は人が限られているから、いまいるメンバーで何とかやっていくしかない。そうすると、「目の前の人とうまく関係を築くための工夫や知恵」が積み上がっていくんですよ。 数年前、とある地方でまちづくりをしている方にインタビューをしたとき、こんな言葉が返ってきました。どきり、と胸を突かれたように感じたことを、いまでも鮮明に覚えています。 なぜそんなに衝撃を受けたかというと、わたしは東京に住んでいて、フリーランスで、結婚していますが子どもはいません。ご近所づきあいとか、職場での人間関係とか、ママ友づきあいとか、“自分で選んだわけではなく、逃れられない関係性”をほとんど持たない人間です。そして、それを「なんて快適なんだろう」と感じてきました。 東京は色々な人がいるから、「自分の好きなものを
ダウン症のある娘が30歳ではじめた一人暮らし。自分らしい「自立のかたち」を見つけた書家の金澤翔子さん・泰子さん親子の歩み 「自立」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか? 自分で稼いだお金で、生活できるようになることでしょうか。それとも、問題を自分の力で解決できるようになり、誰にも頼らずに生きていけるようになることか。 誰でも今の社会で自立して働いて生きていくことは大変だけれど、障害があるとさらに、自分自身も周囲の人も不安が増します。 私が障害のある子どもたちに教える仕事をしていたとき、最終的にたどり着く問いは「自立」でした。 困ったときに助けてくれる人や使えるサポートがあれば、すべてを一人でできるようになる必要はない。その子らしい自立の形があるはずだと思う一方で、将来その子が暮らす地域や働く職場をイメージできないままではどうしても、具体的に自立を描くことができませんでした。 今回お話
DV被害者が「逃げる」だけでなく、加害者に「変わってもらう」という選択肢を。加害者更生プログラムを行う「ステップ」 身近な人を大切にするって、どうしてこんなに難しいのだろう。 頭では「やさしくありたい」と思っているのに、いざその関係性のベールのなかに入ると、噛み合わず分かり合えない「もやもや」が次第にかさを増していく。 それでつい口に出してしまうのだ。相手が傷つくと分かっている言葉をわざわざ選んで。 けれども、冷静になって気付く。私があのときしがみついていた、自分の思い通りにしたいという「願望」は、相手との関係性を上回るほど大事なものだったのだろうかと。どうして怒る代わりに、その裏にある「悲しい」「寂しい」という気持ちを素直に伝えられなかったのだろうかと。 イライラしちゃダメだ、もっと大人にならなければ。心の中で唱えてみるものの、ベールのなかに入るとやっぱり上手くいかない。生まれ持った性格
この悲しみを伝えたら、あなたは戸惑うかもしれない。そう考えてしまう人へ。入江杏さんに聴く「悲しみとともにどう生きるか」 小さな頃から不思議と、親密な仲になる人たちに、ご家族を自死や事件で亡くされた人が多かった。中学校でいちばん仲のよかった友達や長く付き合った交際相手は、きょうだいや親を突然失ったときの戸惑いや悲しさを、ときどき私にこぼしてくれた。 突然の大きな喪失をまだ経験したことのない自分には、その話に耳を傾けることはできても、波のようにやってくるという悲しみがどんなものであるかは、想像することしかできない。相手と完全に同じ気持ちになれることはないと頭ではわかっていても、ずっとぼんやりとした無力感があった。 前職の同僚であり、soarの編集部メンバーである木村和博くんから久しぶりに連絡がきたのが、ちょうどそんなことを考え、悩んでいたときだった。 1年前におじいちゃんを自死でなくしました。
親密な関係性のなかで、“繰り返してしまう台本”はありませんか?東畑開人さん、鈴木悠平と考える他者との関わり方 分かってもらえているはず。 そう思い込んでしまったことですれ違ったり、「なんで気づいてくれないんだろう?」と、期待を募らせて傷ついたり。 家族や恋人、仕事上のパートナーなど、通常よりも一歩踏み込んだ近しい間柄であればあるほど、衝突やトラブルが多くなりがちなのは、なぜでしょう。 また以前、友人からこんな悩みを相談されたことがありました。 当たり障りのない会話ばかりをする人間関係は疲れる。そう思っているのに、特定の人やコミュニティと距離が縮まりそうになると、逃げ出したくなってしまうんです。 大切な人との親密なつながりは、大きな安らぎや自信をもたらしてくれるとわかっているからこそ、信頼できる人とは一歩踏み込んだ関係を築きたいし、深めたい。けれど深入りして傷つくくらいなら、近づかないほうが
中学生から15年間母親の介護をしてきた私が、過去の自分に伝えたいこと。ヤングケアラーを支援する宮崎成悟さん こんにちは!Yancle株式会社の代表をしている、宮崎成悟です。 ぼくは「ヤングケアラー」や「若者ケアラー」と呼ばれる、家族の介護をする若者たちの就職転職の支援やオンライン上のコミュニティを運営しています。 実はぼく自身も16歳のころから、難病の母を介護してきました。そして31歳になった現在も寝たきりの母の介護を続けており、その約15年間の介護経験が、事業立ち上げの原体験になっています。 今回は、ぼくの人生や介護を通して感じたこと、事業への思いをお話したいと思います。 母とぼくは、似ているところが多かった ぼくの家族は、父と母、2歳上の姉と4歳下の弟の5人です。幼いころは夏休みになると毎年のように、家族で温泉や海へ旅行していました。 母とぼくは二人とも海に入って身体がベタベタするのが
“当たり前の日常”が壊れたら、私たちはどう生きていく?臨床心理士の岩倉拓さんに聞く、先行きの見えない不安との向き合い方 私たちが当たり前だと思っている日常は、ある日突然、変わってしまうことがあります。 たとえばここ数ヶ月では、新型コロナウイルスの影響で、人と対面で会ったり、自由に移動したりすることが難しくなり、私たちの生活はそれに合わせて自然と変化していきました。非常事態宣言は解除されたものの、これからどんな変化が起こるかは未知数です。 そしてこの数ヶ月のあいだで、仕事がなくなってしまうといった大きな喪失を経験した人もいれば、家から出られないこと以外は特に変化がなかったという人もいるでしょうし、もしかすると「家族で過ごす時間が増えた」など、いい変化があった方もいらっしゃるかもしれません。 変化は十人十色ですが、多くの人が「これからどうなっていくのか」という、先行きの見えない漠然とした不安を
“マイノリティ“は、つらい状況を生き抜く知恵を持った先駆者だと思うんです。レビー小体型認知症である樋口直美さんが発信を続ける理由 障害や病気、セクシュアリティなど、世のなかには知らないことがたくさんある。そして“知らない”という状態は、いつの間にか自分と他者との間に過度な境界線や分断を生み出してしまう。 それをなくすために必要なのは、まず“知ること”。けれど、決してそれは容易ではない。限りある時間を使って、どんな情報に触れればいいのか。なにを手がかりにしたらいいのか。途方に暮れてしまい、結局、“知らないまま”でいることに甘んじてしまうことだってある。 そんなとき、ぼくが手がかりにしているのは自己開示をする“当事者の声”だ。 彼らがどんなことに悩み、苦しみ、あるいは喜び、幸せを感じるのか。それを知ることで、自分のなかにある境界線が薄くなっていくような気がする。 これを書いているぼく自身も障害
生き延びるために逃げてきた、それでいいと思ってた。”逃走”の果てに家入一真さんが「逃げない」と決めたこと 家庭、学校、企業、コミュニティ、インターネット…それぞれの場所で、それぞれに求められる役割を演じながら、どうにかこうにか僕たちは生きている。 周囲から求められる役割が、自分自身のやりたいことや好きなことと合致していれば幸福だ。もちろん人生そんなことばかりではないが、面倒くさいことやつまらないことも、自分に余力があれば多少は我慢してやり過ごせる。最初はしんどかったが、やっていくうちに慣れてきたり、楽しくなってきたりすることも、時にはあるだろう。 でもやっぱり、「どうしても無理」ってことはある。やっていることに意味が見いだせない。周囲の人と価値観が合わない。安心・安全を脅かされるような仕打ちを受ける。理由は人や状況によってさまざまだろうけれど、とにかく噛み合わない、フィットしないということ
努力すれば大抵のことはどうにかできる。 これまで、私はそう思って生きてきました。しかし、昨年、「自分ではどうにもできない」と感じる場面に出会いました。 体と心のバランスを崩し、仕事が思うようにできなくなってしまったのです。 毎日のように夜中に目が覚めて眠れなくなってしまったり、会話の中で投げかけられた些細な言葉に傷ついて、一日中涙が止まらなくなってしまったり。体の調子が悪くて思考がうまく働かず、たった1通のメールを返すのに2時間以上かかってしまう時もありました。 運よく周りの方の助けもあり、半年ほどで元の状態まで回復できました。しかし、これから先の人生には心身の不調以外にも「自分だけの力ではどうしようもできない困難」が必ず起こると思います。 厳しい経済状況や親子関係の不和、身近な人の死など、自分ではコントロールできない困難の数々に直面した時、どうすれば現状を受け入れて、次の一歩を踏み出せる
“目が見えないエンジニア“として、多様性ある社会をつくりたい。情報アクセシビリティーの向上に取り組む中根雅文さん こんにちは、中根雅文(なかねまさふみ)です。 僕は幼少期から全盲で、光も何も見えていません。そこで「見えない」自分の視点を生かして、障害がある人も含め多様な人の情報アクセスを向上させるための、情報アクセシビリティーという分野に長年取り組んできました。 現在は、会計ソフトや人事労務ソフトを提供するfreee株式会社でエンジニアとして働いている他、個人事業主としてWeb全般、翻訳などの仕事を請け負っています。 「目が見えない」と聞いたとき、みなさんはどんな生活を想像しますか? 僕は“視覚障害”という人との違いはあっても、様々なICTツール(情報通信技術)を使用したり、コミュニケーションの工夫を重ねることで、それほど困ることなく日常生活を送ることができています。今回は、僕のこれまでの
変化するのが怖い、他人からの評価が気になる。そんな「おそれ」を手放し、人生の主人公として生きるには?松本紹圭さん・モリジュンヤ対談 本当はやりたくないことをしたり、周りに合わせてしまって自分が出せなかったりする経験は、きっと多かれ少なかれ誰にでもあるもの。 多くの人が、「自分の可能性を活かし、自分らしく生きたい」と願っているはず。それなのに、どうして私たちは自分の意思とは違う選択をしてしまうのでしょうか? そこには、不安や心配といった「おそれ」の気持ちがあるのかもしれません。 そう話すのは、光明寺の僧侶・松本紹圭(まつもとしょうけい)さん。世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderにも選出され、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を運営する松本さんは、日常生活や組織のなかでも、この「おそれ」ベースの行動やコミュニケーションを変えていくことが大切だと考えているそ
高校の卒業式当日、ぼくは親友だと思っていた人から吐き捨てるようにある言葉をぶつけられました。 おまえって、もう負け犬だよな。 ぼくが通っていた進学校で、大学に進学をしない生徒はぼくだけだったからです。 その後、式を終えて、担任教師からは「きみみたいに大学にも行かない生徒は初めてだよ。恥ずかしい」と言われました。 そうか、ぼくは負け犬で、恥ずかしい人間なのか。周囲の子たちと足並みを揃えることができず、進学をしなかった。それだけで、まるで「落第者」という烙印を押されてしまったかのような感覚。 あまりの衝撃に、ぼくはそれから2年間、外に出ることができませんでした。常に人の目が気になり、社会に馴染むことができなかったのです。 その間も、事情を知らない遠縁の親戚からは、事あるごとに「大学にも行かず、どうしようもない人間だ」と言われ続けました。 そういった「負け犬」「恥ずかしい」「どうしようもない人間
「完璧な世界」に憧れるのは、人間の性だろうか。 整然として、余分なもののない、洗練された美しさ。 職人の手による工芸品、一流ブランドのファッションショー、トップアスリートの躍動する肉体。 理想への憧れや向上心が、人類を進歩させてきた面もあるだろう。 「完璧な世界」に挑み、自己研鑽を重ねるなかでこそ得られる体験もあるに違いない。 理想への挑戦は、芸能やスポーツの世界だけの話ではない。多くの人が働く企業の現場でも日々起こっている。 厳しい人材選抜基準、機能や役割の分担、人材育成プログラム、業務フローの効率化。個人として、組織として、日々改善を重ねて、高い成果を追求する。より良い物を、できるだけ、早く、安く、多く…。 出来ることが増えて、目標を達成する喜びはあるだろう。うまくいっているうちは居心地も良いかもしれない。だけど、業務の質やスピードに対する要求水準があまりにも高くなると、そこに適応でき
「ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど……」 真剣な面持ちで友人や家族からそう言われ、テーブルを囲む時間。 頼りにされることはもちろん嬉しいし、私だって同じように相談をすることはあるけれど、果たして私は相手の悩みを聴くことをどれだけできているか、いつも心もとない気持ちになります。 よかれと思って、ついお節介なアドバイスをしてしまったり、「そうだよね、でも……」と迷い続ける相手に、つい胸の内で苛立ってしまったり。ときには深刻な悩みを聴いたことで、私の方がしばらく落ち込んでしまうこともあります。人間関係の中で「悩みを聴く」というのはとても難しい行為だと日々、感じます。 人の悩みを聴く、その聴き方に作法はあるのか、相手の「聴いてほしい」に応えられるような聴き上手になるには、どうしたら? そんな、「“悩みを聴く”という悩み」をどう乗り越えるべきか、臨床心理士/カウンセラーとして日頃から多くの方
泣き虫。 すぐ泣くなんてズルいわ。 泣いてすむと思ってるんやろ? 今までの人生で、嫌というほど聞いてきたこれらの言葉たち。そう、昔から、私は本当に「泣き虫」です。自分の感情をうまく表現しようとするたびに、自分の心の奥底にある気持ちを誰かに伝えようとするたびに、ポロポロポロと涙がこぼれてきてしまう…。 話したいことがあるのに、泣くことを気にして、うまく話せない。泣いて周囲にめんどくさがられるのがいやで、どんどん自分の気持ちを押し殺すようになっていく。 この「すぐ泣いてしまう」という体質は、私にとって、周囲と心の通ったコミュニケーションをする上で、とても大きな妨げとなるものでした。どうすれば、この体質とうまく付き合うことができるのでしょうか。 私が実際に日々生きながら感じている「悩み」について、内科医の鈴木裕介先生にお話を伺い、その悩みと向き合うためのヒントを模索するコラム連載、第2回。 今回
“人からの期待に応える”ことでしか、自分を認められない。そんな私が自分のための人生を歩み始めるまで/あかしゆか あかしちゃんってさ、自己肯定感が低いよね。 昔、そんなことを先輩から言われた経験があります。私はその時ぼんやりとしか「自己肯定感」を理解しておらず、漠然と「自分の自己肯定感は低くはない」と思っていたので、「えー、そんなことないですよお。前向きですし」と、ヘラヘラ返事をしていました。 ただ、今から9ヶ月ほど前。私は自分の「自己肯定感の低さ」と向き合わざるを得なくなったのです。 今回から3回にわたって、私が実際に日々生きながら感じている「悩み」について、内科医の鈴木裕介先生にお話を伺い、その悩みと向き合うためのヒントを模索するコラム連載をスタートします。 第1回目は、「他者の承認を通じてしか、自分のことを認められない」という悩み、つまり前述の自己肯定感の低さ、についてのお話です。 「
離婚は決してネガティブな選択じゃない。大事なのは“自分で決める”こと。シングルマザーとなった田中志保さんがはじめたひとり親支援 ある日、友人からメッセージが届きました。 実は離婚を考えているんだけど、経済力もないし、周りに話を聞けるシングルマザーもいなくて、何をどう動いていいかわからなくて…… 彼女は、結婚と同時に仕事を辞めて、それまで暮らしていた土地を離れ、専業主婦として幼い子どもを育てています。 すぐに会いに行って話を聞きました。子どもたちと自分のために新たな道を探る彼女の力になりたい。とはいえ、彼女も離婚は初めてのことだし、私も未経験。何をどうしたらいいのか、わからない。その時、これは、彼女だけでなく、私の問題でもあると思ったのです。 一児の母でもある私自身は、今離婚を考えているわけではないけれど、いざという時のことを考えておくことは、「結婚」という法律上の結びつきに甘えず、自立した
やりたいことを続けるのは、時にとてもつらいこと。 たとえば、子供のころ。好きなスポーツがあっても、自分よりも上手い人がいて、挫折した経験がある人がいるかもしれない。 たとえば、社会人になってから。趣味があったんだけれど、仕事が忙しくなり、それを楽しむ時間がなくなってしまった人がいるかもしれない。 僕も好きなことを諦めた経験があります。それは、高校生の頃。バスケが好きで中学生からバスケ部に入っていましたが、顧問の先生や先輩とどうしても気が合わず辞めることにしました。 好きなだけでは、やりたいことは続けられない。 諦めた僕は、これまでと違う好きなことを探すようになりました。数年経った今では、書くことが好きになり、それを仕事にすることができています。しかし、あのとき、どうすればやりたいことを諦めずにいれただろうとふいに考えるときもあります。 そんな思いの中、どんな困難があっても、やりたいことにま
心身の不調と向き合うには、まず「自分を知る」ことから。ロコクリニック中目黒・瀬田宏哉さんと考える「長く楽に働く」ための方法 みなさん、体調はいかがですか? こういう「最近、調子どう?」って、会話の中でもよく出てくるフレーズだと思います。 ただ、よくよく考えてみると、これを聞かれた時に「いいです!」とか「絶好調です!」みたいに答えられることって、意外と少ないような気がします。その逆、実際に不調だったケースでも、正直に「不調です!」とは言いにくいですよね。 私たちが生きていく上で、「心身の不調」は避けて通れない問題です。多かれ少なかれ、「不調を抱えながらも頑張らなければならない」という瞬間は、誰でも経験しているかと思います。中でも、低気圧の日に具合が悪い、時々起こる偏頭痛や生理痛、気分の落ち込みといった「なかなか人に理解してもらうのが難しい慢性的な不調」というのは、ほとほと厄介な存在です。 漠
どうして、もっと相手を知りたいと思ったり、知ってほしいと思ったりするのでしょうか。 関係が近くなるほど、期待して、裏切られて、傷つけ合って、感情が揺さぶられる。それはとっても面倒なことでもあります。適度な距離感を保っていれば、心は穏やかでいられるはず。 それでもやはり、親密な関係性がもたらす安心や信頼感はかけがえのないもの。相手と親しくなりたいと思ったときには、傷つく覚悟と勇気もセットで必要になるのかもしれません。 この対談企画は、あるsoarスタッフの「親密な関係を築くことが難しいと感じている人は、どうしたらいいのか?」という問いから始まりました。その相手は、恋人かも、友だちかも、家族かもしれません。けれど、同じような悩みを抱えている人はきっと多いのではないでしょうか。 親密な関係が築けない人は、嫌な思いをしたくない、させたくないと考えているのでしょうね。でも、嫌な思いをすることが、親密
血がつながっていなくても、世界で一番あなたを愛してる。11人の子どもを里親として育ててきたホッブズ美香さん 血のつながっていない子どもと家族になれるのだろうか。 生まれつき生理と排卵がない私は、奇跡的に子どもを授かる前、何らかの事情によって親と暮らせない子どもを家庭に迎え入れる「特別養子縁組」や「里親」を家族をつくる選択肢の一つとして、真剣に考えていました。不妊治療を始め、その選択肢が現実味を帯びてくると同時に、ふと、そんな問いが頭を過ぎったのです。 当時の私は、さまざまな家族のかたちがあることは知りつつも、心のどこかで「子どもを産んだ=母親」であり、「血がつながっている=親子」という固定観念にとらわれていたのです。不安を抱えていたその頃の私に、一つの答えをくれた人がいます。 里親として16年間、計11人の血のつながらない子どもたちを育ててきたホッブス美香さんです。現在は、夫であるアイルラ
Wheelchair Traveler Miyoこと、三代(みよ)達也と申します。 僕は18歳の時にバイク事故で頸髄損傷という障害を負い、両手両足に麻痺が残り車椅子生活を送っています。 23歳の時に初めて海外に行ってから人生観が大きく変わり、28歳の夏には9ヶ月間かけて、車椅子単独世界一周の旅に出ました。 現在の仕事は旅人。障害者だから”こそ”の旅の楽しさを発信すべく、講演会や大手旅行会社エイチ・アイ・エスと提携したバリアフリーツアーをつくったり、2019年7月には世界一周の旅の経験を書いた旅行記も出版しました。 一人でも多く旅の楽しさを感じてもらいたい。そんな思いで活動する僕の人生について、お話させてください。 「僕の人生ってなんだろう」悩んだ日々から突然、交通事故に巻き込まれる 茨城県日立市で生まれた僕は、人を笑わせるのが好きな、ひょうきんな性格の子どもでした。兄と姉がいて、お母さん以
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