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編集部からの依頼は、埼玉県川口市・蕨市あたりのクルド人コミュニティについて、東京の「際」という観点で紹介せよ、というものだった。2年ほど前、クルド人が増えているらしいからと誘われ、蕨駅周辺を知人たちと歩いたことがあった。その後、浅子佳英さんがコーディネートした展覧会「東京デザインテン」★1にエスニック・コミュニティをテーマに出展する機会があり、研究室メンバーと同地域を歩き直し、クルド人十数人にインタビューをした。 他方で、筆者の研究室ではこれをトウキョウ・アウターリングと称する都市研究のプロジェクトに位置づけていた。本稿ではこの「アウターリング」の視座について概要を述べ、後半にエスニック・コミュニティの今日的現象にふれることにしたい。 最初は漠然とした気づきだった。東京の都心と郊外との「あいだ」にはかなり複雑な様相をもつエリアがあるのに、まとまったリサーチも議論もないのではないか、と思った
ポストモダンの非常出口、ポストトゥルースの建築 ──フレドリック・ジェイムソンからレザ・ネガレスタニへ ボナヴェンチャー・ホテルと世界の終わり 地球温暖化、あるいは人新世というトラブルは、私たちの厄介な友である。この友が私たちの前に初めて現れたのはいつかを考えるとき、私たちはフィッシャーのあの「資本主義の終わりより......」のイディオムを通じて、その言葉が初めて使用されたフレドリック・ジェイムソンのポストモダン論に行き着くことになる。私たちの「危機」はたしかに〈実在論的〉には18世紀末の産業革命とともに、蒸気機関の発明や熱力学の勃興とともに始まった。つまり、いわゆる「近代」とともに。しかし、はたしてそもそもそれ以外の仕方で、私たちは私たちの文明を発展させることができたのだろうか、それは可能なシナリオだったのだろうか。そのような共(不)可能性の問いを立てるや否や、私たちの思考はふと立ち止
ポストモダンの非常出口、ポストトゥルースの建築 ──フレドリック・ジェイムソンからレザ・ネガレスタニへ トラブルの複数の名 批評家のマーク・フィッシャーはその著書『資本主義リアリズム』のなかで、現代の政治文化の出口(イグジット)なき状況を端的に言い表すべく、「資本主義の終わりよりも世界の終わりを想像するほうがたやすい」という古い警句を引いている。この印象的な台詞は、フィッシャーによれば、アメリカのマルクス主義批評家フレドリック・ジェイムソンがかつて発しスラヴォイ・ジジェクによって広められたものであるそうだが★1、私たちはその出所についての文献学的興味を掻き立てられると同時に、そこで述べられている「世界の終わり」とは具体的にはいかなるものなのかという意味論的な問いを立てずにはいられない。「世界の終わり」とは、巨大隕石が降ってきて地球に衝突したり、どこかの国で核ミサイルの発射ボタンが押されたり
ANNOUNCEMENT 更新終了のお知らせ 2000年4月開設の「10+1 website」は、逐次刊行物『10+1』(1994年~2008年、全50号)を引き継ぎつつ、今日までの20年間、建築や都市をめぐる言論のよりよいプラットフォームとなるべく活動を続けてまいりました。2020年3月をもって更新は終了いたしますが、引き続き学術・文化・社会の発展に寄与するため、これまでのコンテンツを継続して公開いたします。 なお、当サイトに掲載されている文章や写真等の著作権は、各執筆者・撮影者等に帰属しています。特に断りのない限り、著作権法に定められた例外の場合を除いて、複製・転載・翻訳等を禁止いたします。 LIXIL出版 更新日:2020年3月30日
第二次世界大戦に際して、日本政府は寒天の輸出を禁じるという奇妙な措置を講じている。この背景には、19世紀末に細菌学者のコッホが(彼の助手であるワルター・ヘッセの妻ファニーのアイデアで)細菌培養に寒天を使用して以降、世界中の研究所で寒天の需要が激増したという事実があった。寒天は日本特有の輸出品であることから、これを禁止することは他国の細菌兵器研究を遅延させるうえできわめて重要な意味をもつ。ただその結果、日本の漁村には大量の天草(寒天の原料)が余ることとなった。この余剰寒天を大胆にも特撮映画に採用したのが円谷英二である。1942年の映画『ハワイ・マレー沖海戦』(監督=山本嘉次郎)においても、一部の海面のシーンに寒天が使われているという。ミニチュアの軍艦を水に浮かべての撮影では波や水しぶきの不自然さが際立ってしまうという弱点を、寒天は見事に解決してくれている。寒天は人々によって食べられ、細菌培養
市川──今日は、もうすぐ平成が終わるということで、日本の「平成」を「ポスト冷戦」の時代と捉え、その建築論や都市論を振り返りつつ、単なるレトロスペクティブな話というよりは、現在から将来に向けて議論を展開していければと思っています。よろしくお願いします。 連──八束さんのいち読者としても今日は楽しみにしてきました。近過去を教条的に語るのではなく、現在の状況への関係を見出し、生産的なものにしたいと思います。平成あるいはポスト冷戦の時代の建築を振り返ると言っても、私は平成になるちょっと前に生まれた人間ですし、歴史家でもないので客観的に語ることはできません。あくまで個人の興味と感覚からお話することになるかと思います。 八束──僕は最近古希を迎えましたが、昭和を40年間、平成を30年間生きてきて、これだけ世代が離れた人たちと話をする機会は初めてです。おふたりとは時代に対する批判的な眼差しが、ある部分で
建築を情報の観点から再定義しその体系化を目指す建築情報学会。その立ち上げのための準備会議が開催された。「10+1 website」では、全6回にわたってこの準備会議の記録を連載。建築分野の内外から専門的な知見を有するゲストを招き、建築情報学の多様な論点を探る。最終回となる第6回は、これまでの準備会議を振り返りながら、あるべき建築情報学の「教科書」のかたちを議論する。 スピーカー 石澤宰(株式会社竹中工務店 設計本部アドバンストデザイン部門) 木内俊克(木内建築計画事務所、東京大学建築学専攻ADS Design Think Tank担当) 角田大輔(日建設計 DigitalDesignLab室長代理) 堀川淳一郎(Orange Jellies) ゲストコメンテーター 藤井晴行(東京工業大学環境・社会理工学院教授) 渡辺俊(筑波大学システム情報系社会工学域教授) 中西泰人(慶應義塾大学SFC教
本年(2018年)の春、東京大学中央食堂壁面に展示されていた宇佐美圭司の作品《きずな》(1977、所有権者は東京大学生協)が、昨年の9月に廃棄処分されていたことが明らかとなった(文中、敬称はすべて略す)。この事実とそこにいたる経緯は社会的な関心を呼びもしたし、少なくともこの事件を比較的身近で経験した筆者にとっては一種の衝撃であり、いまだに鎮められない鈍い痛みとなって心底に沈澱している。 岡﨑乾二郎『抽象の力──近代芸術の解析』 (亜紀書房、2018) この出来事をきっかけとしたシンポジウムやワークショップでは、宇佐美の作品および著作がふたたび活発な議論の対象となった。そのなかで宇佐美の業績の再評価を先導したのが、とりわけ1970年代に宇佐美と密接な関係にあった岡﨑乾二郎である。そこでその一端が披露された岡﨑の歴史観は、『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001)以来の久方ぶりの単著『抽
ここ最近読んだ本のなかで、刺激を受けたいくつかのものについての書評を行いたい。最後にそれらの本の内容がどのように建築の創作に有益な知見を与えるかについて、手短に考察をしたいと思う。 グレアム・ハーマン『四方対象 ──オブジェクト指向存在論入門』 (岡嶋隆佑監訳、人文書院、2017) まずはグレアム・ハーマンの『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』(岡嶋隆佑監訳、人文書院、2017)から。これは、哲学の世界では最先端の動向である「思弁的実在論」の流れのなかにある「オブジェクト指向存在論」について、それを主導するアメリカの哲学者グレアム・ハーマンが簡明にまとめ上げた、いわば「オブジェクト指向存在論」の入門書とでも呼べる書籍である。この書籍が目指しているのは、ひとえに「存在論の立て直し」とでも言えるものである。哲学の世界では、伝統的に実在論と観念論が論争を繰り広げ、さまざまな思想的な立場が生
刊行記念対談:石川初『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』 石川初──本日はお足元が悪いなか、こんなにたくさんの方にお集まりいただいてありがとうございます。たくさんの皆さんのお世話になりながら、ようやく出版することができました。今日は大山さんと一緒に、普段とは違う視点から面白い議論ができればと思います。 石川初『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い── 歩くこと、見つけること、育てること』 最初に、今日は刊行記念ということで、『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』の内容について喋ります。タイトルが長いので、僕の研究室では略して『思ラ本』と呼んでいます。はじめに、第1章で書いている神山町の「FAB-G」とそれに絡めて最近考えていることを紹介します。その後、今日お迎えした大山さんにもお話をしていた
「ジェントリフィケーション gentrification」という言葉に注目が集まっている。関連するシンポジウムが次々に開催され、学会誌は特集を組み(『都市社会学年報』18号、2017など)、議論を整理する本や論考が出版されている(eg. スミス、2014/藤塚、2017)。マスメディアにおける注目も見られる。今、再開発や立ち退きといった従来からの表現にとどまらない何かが起きていると研究者を含む多くの人々が感じているがゆえであろう。 用いる人々が多くなると、その指し示す内容も多様化する。バズワード化してきたと言ってもよい。その功罪はさまざまあるが、ときにこの語を都市のポジティヴな変化、あるいはそこに導かれるまでの段階として捉える人も出てきた。ここでは、その姿勢だけははっきりと否定したい。都市再開発(urban redevelopment)や都市更新(urban renovation)、あるい
──本対談では建築と彫刻の交点から「記念性」を考えます。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかさんは、今年6月に上梓された『彫刻 1』(トポフィル、2018)をはじめ、作品制作や執筆、出版活動を通して彫刻の議論を展開されています。また建築史家の戸田穣さんは2017年に『建築雑誌』で「建築は記念する」という特集を企画されました。今日は、建築・彫刻の分野における記念性について、きわめて今日的な問題提起を行なっているお二人にお話しいただきます。 戸田穣──このところモニュメントやメモリアルに関心を持っています。最近は特に20世紀後半の日本における世俗の慰霊空間について調べていて、2016年には『10+1 Website』に「千鳥ヶ淵から考える慰霊の空間」という文章を寄稿して、谷口吉郎の設計による《国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑》(1958)や海外につくられた慰霊碑について紹介しました。また、日本建築学会が
第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が5月に始まった。この文章はその日本館で行なわれている展示のレビュー、ではなく、すでに日本で出版されているこの展示のカタログのレビューだ★1[fig.1]。したがってこれは「書評」で、書評は好きなので書けて嬉しいのだが、「会期中の展示のカタログの書評」となると話はややこしい。しかし同時に、これが書評でよかったとも考えている。なぜならこのややこしさはこの文章の置かれている状況に関わるものであると同時に、この展覧会の「貧しさ」を増幅させるという肯定的な機能をもってもいるからだ。 貝島桃代+ロラン・シュトルダー+井関悠『建築の民族誌 第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館カタログ』(TOTO出版、2018) 竣工主義とドローイング主義 「建築の民族誌(Architectural Ethnography)」を掲げる本展は、従来の建築展が平面図、写
水野大二郎(慶應義塾大学環境情報学部准教授、デザインリサーチャー)+松本篤(NPO法人remo研究員、AHA!世話人)+大橋香奈(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科博士課程) ──近年、「コミュニティ・アーカイブ」と呼ばれる草の根の活動が各地で行なわれています(コミュニティ・アーカイブについては同特集の佐藤知久氏の論考を参照)。情報環境や交通手段の変化によって社会の枠組みやコミュニティが複雑に流動化する現在、アーカイブの意義はどのように考えられるでしょうか。座談会では、生活空間の記録と記憶の継承のあり方をめぐって、デザインやエスノグラフィーの観点から考えます。 大橋香奈さんは、トランスナショナルな生活世界をテーマに映像民族誌的な研究方法を実践されています。また松本篤さんは、8ミリフィルムや古い写真を収集し利活用するコミュニティ・アーカイブの批判的実践を全国各地で行なわれています。デザ
語りたくなる衝動に駆られるものの、次の瞬間、二の句に詰まる建築がある。例えば、アルヴァロ・シザ、ピーター・ズントー、谷口吉生──。彼らの作品は一般的に、光の濃淡、プロポーション、素材、色彩、スケールなどの「建築の美術的な側面」を論点として語られる。だが「美術的な側面」は語り手の「個人的な感性」をもとに語るしかない。プロポーション感覚や、スケール感覚、色彩感覚は、その良し悪しについて語ることはできても、そこで口をつぐんでしまう。彼らの作品を語るとき、私たちはある独特の語り難さに直面する。 それでも私たちは、この豊饒な世界について語らなければならない。「世界の多様さに比べて、言葉の数があまりにも少ない」ことに私たちが直面し、かつ言葉を用いて何かを表現せねばならないときに要請されるのが「レトリック」だ。 レトリック=文章の装飾術 レトリック(rhetoric)とは何か。レトリックにはいくつかの意
──本号では、現代の「装飾」について考えてみたいと思います。批評家の石岡良治さんは『10+1』No.40(2005)に思想・哲学領域と建築とを往還する論考を寄稿され、また、アドルフ・ロースを論じたテキストも書かれています。砂山太一さんはデジタル技術を用いた建築設計の研究者であり、実践者でもあります。これまでの過去の議論、とりわけ19世紀末から20世紀前半の近代建築の時代、それに対する20世紀後半のポストモダニズムの時代を振り返り、さらに、機械生産性(デジタルファブリケーション)と計算可能性(コンピュテーション)が向上した今日まで、装飾を切り口として対談を展開していただきます。 近代建築と装飾論──アドルフ・ロースの「図と地」 石岡良治──近代建築と装飾という意味では、『装飾と犯罪──建築・文化論集』(伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、2011[新装普及版])で知られるアドルフ・ロースを避けて通
エフゲニー・モロゾフ 「シリコンバレーの解決主義」の読み方 竹内雄一郎 ITの世界では、開発者つまりエンジニアが普遍性を勝手に想定することが多い。国境や地域差といったものはたいして重要視されず、まったく同一のサービスが、当たり前のように全世界でロールアウトされる。InstagramだってTwitterだって、サービスの内容を国ごとに細かく変えたりはしていない。ITエンジニアはすでに世界を本質的にはフラットなものとして捉えており、それは地域ごとの個別対応にはコストがかかるから、といった消極的な理由からだけではない。ITエンジニアの方法論や考え方、より正確に言えば彼らのメッカであるシリコンバレーの方法論や考え方で世界中を覆い尽くすことが、紛れもなく正しいことだと考えているのだ。シリコンバレーの起業家はすぐに自分たちのアイデアが「世界を救う」などと口にする。それは半分は方便だが、もう半分は本気だ
日々デザインをしていて思うのは、世界はすでによくできたモノで溢れているということだ。誰もが認める名作から100円均一で売っているような器まで世の中にはモノがすでにたくさんあって、ダメだったりよくできていたり、安かったり高かったりする。デザイナーとしてゼロから新しいものをつくってみたいという欲求はあるのだけれど、何か最小限のものを付け足したり視点を変えてみるだけで、いつもの風景が違って見えるようなことはできないだろうか。例えば有名なことば遊び「ここではきものをぬいでください」のように、句点を打つ位置によって「ここで、はきものをぬいでください」「ここでは、きものをぬいでください」といった具合に文章の意味が変わってくるように、最小限のデザインによって目の前にある見慣れた風景が少しだけよく見えたり、愛情をもって接することができるようにならないだろうか。もう少し現実味をもつように言い換えてみると、見
筆者の所属する竹中工務店は設計施工を得意とする会社である。そのなかで建築設計やBIM活用の視点から見た世界をもとに、建築・建設と情報をつなぐキーワードやこれからの課題について考えてみたい。 完璧なBIMモデルは、存在しないが必要だ IT分野に詳しいガートナー社の「ハイプ・サイクル」によれば、新しい技術は「過度な期待」をもって受け入れられたあと「幻滅期」と呼ばれる反動を経験する。それを乗り越えた技術は定着し、大多数の人々に広く受け入れられるようになる。 建築情報のプラットフォームであるBIMも例外ではない。大きな期待をもって導入されたBIMに幻滅が訪れる瞬間は、実務のなかで何度も経験している。幻滅の理由は、期待した情報が手に入らないケースと、必要とした情報が誤っていたケースの2つにほぼ集約されるようだ。例えば、前者は天井内の納まり検討をBIMに期待したのに、天井吊材やダクトのフランジといった
ケア空間に携わるなかで この2-3年で、高齢者や子どもを中心とする利用者の生きる空間に携わる機会が増え、いわゆるケアを必要とする人々にも多く触れてきた。そのなかで、会話が不自由になった高齢者や、まだ思うように言語化できない子どもたちが、何を欲しているのか、その意志や責任を確認することのできないもどかしさに、苦悩することが度々あった。 さらに、こうしたケアの現場では、基本的にはケアを「する」/「される」という立場の定義が明快で、サービスのシステムとしては疑いようのない関係である。しかし、現場で起きている事柄のなかには、例えば「ある介護スタッフが利用者である誰々さんと日向ぼっこしている」というように、サービスの「する」/「される」というパーススペクティブでは表現されえない場面は多々ある。 こうした悶々とした思いから解き放ってくれたのが、今回の書評で挙げる國分功一郎『中動態の世界──意志と責任の
21世紀に「制作」を再開するために ──ボリス・グロイス『アート・パワー』、中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』ほか マルセル・デュシャンの《泉》、2017年はこの男性用小便器がニューヨークの展覧会場に運び込まれスキャンダルとなった1917年から100年めにあたる。既製品をそのまま作品とするレディメイドとして知られ、20世紀美術に最も大きな影響を与えたと言って過言ではないものだが、こうした《泉》を含めたデュシャンによるインパクトの余波はあまりにも大きすぎるがゆえに、もはや現代美術の世界ではひとつの「環境」となっており、これを対象化して捉えること自体が難しい。 デュシャン・インパクトが20世紀以降の美術を不可視な仕方で規定しているとするならば、《泉》100周年という節目を1年間という有効期限つきの単なるスローガンとして消費するのではなく、デュシャン以降の現代美術のありようを改めて捉え直し
「建物」を設計している場合ではない──Samantha Hardingham『Cedric Price Works』、久保田晃弘『遥かなる他者のためのデザイン』ほか 環境が複層化・複雑化する時代の建築(家) 「環境」そのものの様態が急速に複雑化する現代社会のなかで、建築(家)の状況を冷静に考察することは難しい。物理環境、社会環境、情報環境など、さまざまなレイヤーにおいて急激的かつ構造的な変化が起きており、私たちを包囲する環境の全体像を把握することはもはや不可能である。ここ2、3年、AI、ビットコイン、シンギュラリティなどの言葉が飛び交い、想像もしなかった事象が当たり前のように実現している。2017年はそうしたことを強く感じた1年だった。そんな時代にどのように建築の現在を描くことができるだろうか。今年出版された3冊の本を通して考えてみたい。 Samantha Hardingham, Cedr
オブジェクトと寄物陳志 ──ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について』、グレアム・ハーマン『四方対象』ほか 思想、哲学の分野で、僕にとって今年(2017)に起こった忘れがたい出来事は、ブリュノ・ラトゥールの著作が続々と翻訳され始めたこと、そしてグレアム・ハーマンの『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』(人文書院)が日本語で読めるようになったことである。ちなみに僕自身が8月に発表した『実在への殺到』(水声社)でも、ハーマン論に2つの章が割かれており、第1章からラトゥールについて論じられている。だからというわけではないが、彼ら2人の間に立って諸問題を思考することは、思想や芸術の今世紀の世界的な潮流を視野に収めるためにも、今日とりわけ重要であると思うのだ。 来年はさらに、ハーマンについては『ゲリラ形而上学』が、ラトゥールについては『社会的なものを組みなおす』の翻訳が刊行される見通
今年の4月に大学で研究室を構えてから、久しぶりに大量の本を日常的に購入する生活に戻った。そして、気づいたら新刊よりも昔の本のほうにのめり込んでいる。たとえば、直近で深く読み解いた本は、1928年にパリで刊行された九鬼周造の『Propos sur le Temps』だ。長い時間を経て、多くの論者のフィードバックを受けることで、古い本は発酵していく。九鬼の本にしても、同時代のベルクソンやハイデッガーの考えに触発されながら、東洋的時間の深度にダイブしている。 私もまた、直観に従って好奇心を走らせてみたら、いつのまにか比較言語学から20世紀中葉のインタフェース研究まで、長い時間の尺度を行き来するようになった。去年よりJST/RISTEXの「人と情報のエコシステム」領域で、「日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」プロジェクトに参加し、日本の社会文化となじみの良い
契機 豊田啓介──「建築情報学」とは、建築をデジタル技術による広がりの先に再定義するための理解や技術の体系だと考えています。この漠然とした必要性は認識されつつあるものの、いまだはっきりと体系づけることができていません。まさにこれから多くの方と議論しながら、かたちに落とし込んでいく作業が必要なタイミングだと感じています。 僕自身はそうした体系化の試みを、教育と実務の両面から推し進めることが不可欠だと強く感じています。2010年に東京大学建築学科で、コロンビア大学建築学部(GSAPP)と共催し、コンピュテーショナル・デザインとデジタルファブリケーションを一体的に扱うワークショップを行ないました。「Digital Teahouse」というテーマで、単にパヴィリオンを設計・施工するだけではなく、「Rhinoceros+Grasshopper」を制作ツールとし、デジタルファブリケーションも前提とする
千葉雅也(哲学者)+平田晃久(建築家)+門脇耕三(建築家)+コメンテーター:松田達(建築家)+モデレーター:平野利樹(東京大学大学院隈研吾研究室) ディスカッション 平野──まず3人のプレゼンテーションについて、コメンテーターの松田達さんからの感想を足がかりにして議論を進めていきましょう。 松田達氏 松田達──大変に刺激的なプレゼンテーションでした。想像以上に情報量が多かったため、建築と哲学との近年の関係も含めてざっくりと整理をしつつ、お三方へのコメントをしたいと思います。 平野さんから今日のテーマを提示いただいたとき、久しぶりに建築と哲学が交差する、ハードコアな議題だと感じました。今回のイベントは企画段階から関わっており、果たして様々な固有名詞すら聞いたことが少ないであろう現在の学生らにどれくらい関心を持ってもらえるかと多少心配しながら今日を迎えたのですが、平野さんの尽力もあり、このよう
村と東京 都市化を免れた日本の農村地域に行くと、いたるところに良質な環境がある。それは人々のたゆまぬ環境工作と生活の蓄積を物語る。これらが日本の国土を下支えしている。各場所に固有の問題があることを認めつつ、この風景が存在しているからこそ日ごろの都市生活が成り立つと思うぐらいである。村と都市とはお互いを対照している。 しかし東京に戻ると、すでに人がおちつくための居場所ではなくなった感じがする。私の住んでいる下町界隈は以前には経済活動も活発でその裏には低層の木造家屋が立ち並んで、人間が路上にあふれていた。いまは銀行も撤退したその商業地域は、大通り沿いに高層マンションが立ち並んでいる。古くから残る家屋の目線でその林立する様子を見ると、まるで自分が海底にいるような気持ちがする。人間生活の維持についてはもちろん考慮されているが限りなく仮設的だ。気づいてみればコミュニティの存在をしめすのは、たまに玄関
1. 関係の束としての「東京」──多位置的実存、写像としての「東京」 インターネットがまだ存在していない時代、僕たちは地図上の区画とそこに重なる広告的イメージによってのみ「東京」を把握していたのかもしれない。もちろん、「東京」の特定の地域に住んでいた人はその地域の口コミネットワークのなかでさまざまな場所と繋がっていたのだろうけれど、ほとんどの人にとって「東京」は物理的=記号的都市として存在していた。 しかし現在、僕たちは街を歩いている時でさえ、つねにスマートフォンによって情報空間に接続している。それは物理空間のなかでは〈いまここ〉にいながら、情報空間のなかでは〈いつかどこか〉にいることを意味している。もっと言えば、〈いまここ〉にいながら〈いまここ〉に意識はなく、さまざまな〈いつかどこか〉へと意識が散り散りになっていると言える。僕たちはひとつの時空間に存在することができない「多位置的実存」と
──写真や映画として定着する場所や風景のイメージは、どのように生み出され、読み解かれるのでしょうか。本対談では、終戦前後の日本を写した米軍の写真の調査研究を行なう佐藤洋一さんと、「映画による場所論」を実践する映像作家の佐々木友輔さんにお話しいただきます。 ダイナミックに変化する郊外 佐藤洋一──まず作品制作と場所や風景の関係からお聞きしたいと思います。佐々木さんは東京藝術大学の先端芸術表現科のご出身ですが、キャンパスは茨城県の取手ですね。 佐々木友輔──そうです。生まれ育った神戸から引っ越して、取手には学部から博士課程までの9年間住んでいました。ただし、主にアート(現代美術)を学ぶ環境にいながらも、実際につくっていたのは実験映画あるいは個人映画と呼ばれるような作品です。中学生のときに出会った小池照男さんという作家の影響で実験映画の道に進みましたが、いざ大学に入ってみると、実験映画はほとんど
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