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ドラクエ3
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1979年ソ連侵攻以来紛争が絶えず、子どもを含む多くの民間人が戦闘やテロに巻き込まれ、世界で最も長く続く難民危機となったアフガニスタン。2021年1月以降、戦闘が急速に拡大、約55万人のアフガン人が政情不安と暴力により国内で今年新たに避難を強いられる*緊急事態となっています。そのうち、約80%は人権侵害へのリスクが懸念されている女性と女児です。(* 2021年8月15日現在) 戦闘激化により避難を強いられる避難民 避難を強いられた家族は避難の主な原因として、悪化する治安状況を挙げています。武装グループによる強奪事件や主要道路における即席爆発装置(IEDs)の存在についてUNHCRに語った避難民もいました。アフガニスタンにおける和平合意や暴力行為の阻止に失敗したことが、国内のみならず近隣諸国等へのさらなる避難をもたらしています。 新型コロナウイルスの発生件数も増加傾向にある中、気候変動による
支援が不足しているなか、感染爆発に備えた感染症検査のキャパシティの拡大など、課題は尽きない 水すらないのに、どうやって? 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)から難民を守る力をUNHCRにお貸しください 「ソーシャルディスタンスをとるようにいいますが、どうやって?」と、バングラデシュにある世界最大規模の難民キャンプで避難生活を送るロヒンギャ難民のサイドゥ。86万人が暮らすキャンプは混み合い、十分な医療施設もなく、新型コロナウイルスの感染拡大の危機に直面しています。サイドゥは「十分な数の手洗い場やトイレがありません。必要最低限の水すらないのです」と窮状を訴えます。新型コロナウイルスの感染リスクは、いちばん弱い立場にある人たちを、さらに苦しい立場に追いつめています。今、難民キャンプで感染が拡大したら……。誰もがどうしようもない不安を抱えています。 人であふれた通り、近所や市場でのおしゃ
「子どもたちの目の前で、家は焼かれ、人々が殺されていました」 命がけで故郷から逃れた約85万人のロヒンギャ難民は今、新型コロナウイルス感染の危機にさらされています。 今すぐのご支援が必要です。難民を感染から守ってください。 ニューヨークの2倍以上の人口密度の中で暮らすロヒンギャ難民 ミャンマーから命がけで逃れてきた約85万人の難民が暮らすバングラデシュ南東部コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプ。水回りを始めとする衛生環境は悪く、狭いシェルターで密集して暮らしています。難民キャンプの人口密度は、感染爆発が起きたニューヨークの2倍以上もあります。 このような環境で感染が広がれば、感染拡大を食い止めるのは極めて難しく、この難民キャンプは世界でも最もリスクが高い場所の一つです。バングラデシュ全体で感染者が大きく増加する中、今まさに危機が難民キャンプに迫っています。難民キャンプ内で初めて感染
ロヒンギャとは、主にミャンマー西部のラカイン州に暮らす約100万人のイスラム系少数民族で、国籍を持たず、1990年代から数十年にもわたって差別と激しい迫害に苦しめられ、多くの人が国外に逃れてきました。 2. 今、なぜロヒンギャの人々は避難を強いられているの? 2017年8月25日、ラカイン州北部で新たに激しい衝突が起こり、ロヒンギャの人々が一気に隣国バングラデシュへ避難を始めました。避難してきた人々からは、一般の市民が激しい暴力や性的暴行を受け、家族を殺されたり家屋を焼かれるなど残虐な行為を受けたことが証言されています。人々の多くは険しい山の中を徒歩で避難しましたが、避難の混乱で家族と離ればなれになったり、命を落とした人もいます。また、粗末な漁船に乗って海から避難しようとする人もいますが、モンスーンの影響を受けて海は荒く、子どもを含む犠牲者が多く出ています。
UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つです。 紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。
ミャンマーでは軍隊に脅され、家業である農業もできず、移動することも許されなかったモハマド(40歳)は、2017年8月、ミャンマーでの暴力行為から避難するため、15日かけてバングラデシュまで歩いて逃れました。2歳の娘・フォーミナの目は感染症にかかり、ずっと腫れあがったままです。 ミャンマーのラカイン州北部で起きた暴力行為により、2017年8月以降72万人以上の人々がバングラデシュに流入し、未曽有の人道危機となったロヒンギャ難民危機。国境を越えて避難してきたロヒンギャ難民の半数以上は、子どもたちです。そんな中、2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが発生。難民キャンプの過密な環境下で生活をしているロヒンギャ難民の命を危険にさらしています。 UNHCRは「ロヒンギャ難民を決して見捨てない」という決意で、ロヒンギャ難民の命を守る最終的な責任を負う国連機関として、切迫
「知ること」から始めてみませんか? 国連UNHCR協会メールニュース(メールマガジン)では、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民支援活動、ご支援による成果、最新のニュースやキャンペーン、イベント情報などをお届けします。
皆さんは覚えているでしょうか。イラク第二の都市、モスルで起こった悲劇を。 過激派組織による約3年の過酷な支配。町を奪還するための激しい空爆と戦闘。多くの尊い命が犠牲となり、ついにモスルが解放されてから約2年。激しく破壊され無残な廃墟となった町は、今も変わらず瓦礫の山のままです。 「食べ物がありません」「電気もないのです」「子どもたちは学校に行っていません」。 モスル市内でも、避難先の避難民キャンプでも、人々の暮らしは良くならず、帰還した人も避難を続ける人も、悲痛な声で助けを求めています。 幼い子を抱えて。寝たきりの家族を看護しながら。夫を亡くし帰る家も失いながら…。 想像を絶するような迫害が終わってなお、支援なしでは日々の生活もままならない人々。 世界の関心が薄れ支援が急速に減っている今、イラクの人々は希望を失いかけています。 今こそ、皆様の温かい支援の手が必要です。 2014年6月 モ
©国連UNHCR協会 「今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです」 日本人初の国連難民高等弁務官として1991年から2000 年までの約10年間、難民援助活動の最前線に立ち、紛争の犠牲者たちに向き合い続けた緒方貞子さん。UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)(国連難民高等弁務官事務所)を離れた後、2003年から2012年まで国際協力機構(JICA)理事長として日本の国際協力分野を牽引されました。 UNHCRを離れて15年。今振り返って国連難民高等弁務官在任中どのようなことを感じておられたのか、また、今の難民をとりまく状況についてどのような思いをお持ちなのか、お話を伺いました。 国家の崩壊――国内避難民を支援する 緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した1991年、トルコに入国拒否されたイラク北部のク
「難民はなぜスマホを持っているの?」という素朴な疑問の答えから見えてくること公開日 : 2016-02-29 トルコの海岸から17キロの場所に位置するリゾート地、ギリシャのレスボス島。毎朝夜が明けると、朝靄の中、頼りなく航路をとる難民を乗せた船が現れます。船上にはスマートフォンで自らの姿を写真におさめる人の姿があり、また島に上陸し、すぐさまwi-fiのネットワークを探す人の姿もおなじみの光景です。 スマホを片時も離さないその姿は、私たちの日常とそう変わらない風景なので、不思議な気持ちになる人もいるかもしれません。また、「なぜ難民なのにスマホを持っているの?」そんな疑問を持つ人もいるでしょう。変らぬ日常のなかでスマホを使っていた人が、ある日難民になるということ。そして、それがいま、世界で起きているということ。「難民なのに…」と思うとき、私たちはこのことを思い出す必要があるのではないでしょうか
ユスラのストーリー リオ五輪を見つめるシリア難民ユスラは長年、オリンピックを夢見てきました。現在はドイツで難民として、リオ五輪に出場することを望んでいます。 公開日 : 2016-04-14 船の乗客を助けたユスラ 20人ほどの人で混み合ったもろい船が、トルコの海岸を出発してちょうど開けた海へ出たとき、エンジンが故障しました。いやな静寂が訪れました。ユスラ・マルディニは、ふくらませて使う救命ボートが水上に降ろされはじめると、同行の旅行者の目に恐怖が浮かぶのを見ました。ほとんどの乗客は泳げないなかで、17歳のユスラは泳げました。 トレーニングを重ねたアスリートとその姉のサラは、ひるむことなく海にもぐりました。彼女たちは一緒に暗い水を蹴り、ボートを押し、故障したエンジンから音が聞こえないかと精一杯耳を澄ましましたが、聞こえることはありませんでした。 3時間半後、姉妹と彼女らの行動を真似て水中で
ブータン難民のデビ・マヤ・サパ(左から2番目)は、ネパールの難民キャンプで家族と共にベンチに座っています。彼女は、定住することになった10万人目のブータン難民です ネパールから第三国へ、10万人目の思い ネパール、カトマンズ ―国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国際移住機関(IOM)は、11月19日に、画期的な出来事に立ち会いました。それは、ネパールから第三国へのブータン難民の再定住が、2007年にプログラムを開始して以来、10万人を超えたのです。 デビ・マヤ・サパ(53歳)は、ネパールから再定住することになった10万人目の難民です。他の家族がすでに暮らしているアメリカのオハイオ州での新たな生活を送るため、彼女は夫と子供、孫と共に、12月の初めに出発しようとしています。 「私は、ネパールで20年以上ずっと過ごした難民キャンプを去ろうとしています。家族と新しい国で一緒に過ごし、子どもた
携帯電話で自分の居場所を確認し、ギリシャに無事到着したことを家族に知らせようとするシリア難民。 トルコの海岸から17キロの場所に位置するリゾート地、ギリシャのレスボス島。毎朝夜が明けると、朝靄の中、頼りなく航路をとる難民を乗せた船が現れます。船上にはスマートフォンで自らの姿を写真におさめる人の姿があり、また島に上陸し、すぐさまwi-fiのネットワークを探す人の姿もおなじみの光景です。 スマホを片時も離さないその姿は、私たちの日常とそう変わらない風景なので、不思議な気持ちになる人もいるかもしれません。また、「なぜ難民なのにスマホを持っているの?」そんな疑問を持つ人もいるでしょう。変らぬ日常のなかでスマホを使っていた人が、ある日難民になるということ。そして、それがいま、世界で起きているということ。「難民なのに…」と思うとき、私たちはこのことを思い出す必要があるのではないでしょうか。 また、彼ら
シリア、そしてレバノンやイラクなど周辺国に厳しい冬がすでに到来 これからの数か月、難民たちにとって生き残りをかけた闘いになります シリアでの紛争で、数百万ものシリア人が、主に5つの周辺国(トルコ、ヨルダン、レバノン、イラク、エジプト)へ逃れて難民となる一方、多くの人々が家を追われ、シリアの他の地域に逃れることを余儀なくされました。 今ではシリア危機以前の人口のうちの半数以上が深刻な影響を受け、避難を強いられていることになります。そうした難民、避難民の多くは安全とはいえない、劣悪な住環境の中で生活しています。 11月も半ばとなり、シリアや周辺国ではすでに厳しい寒さとなっています。この地域では冬の気温は0度~-5度にもなり、凍てつく寒さとなります。 すでに劣悪な住環境に暮らす難民にとって、冬の数か月間は、命の危険と隣り合わせの闘いです。 UNHCRのこれまでの防寒支援活動で得た教訓から、11月
漫画家・ヤマザキマリさんインタビュー『シリアへ寄せる想い』漫画『テルマエ・ロマエ』の作者であるヤマザキマリさんにとって、シリアは特別な想いを持った国。シリアでの生活が『テルマエ・ロマエ』を描くきっかけとなり、ヤマザキさんはシリアの人々のたたずまいや生き方に大きな影響を受けたといいます。長引く紛争で傷ついていくシリアのことをずっと考え続けているヤマザキマリさんに、シリアに寄せる想いをお話いただきました。 公開日 : 2014-07-25 私が2003年にシリアに移り住んだ時は、イラクとアメリカがちょうど戦争をしていて、イラクから逃れてくる難民がどんどんシリアにやってきていました。国境沿いの遺跡を観に行った時は、イラク側に向かう車は我々だけで、あとは全部車の上に布団など車の2倍くらいの高さのものを山のように積んでどんどんこっちにやってきました。これは決死の思いで家財道具を全部積んで逃れてきてい
当協会は、認定NPO法人です。当協会へのご寄付は、税控除(税制優遇)の対象になります。お送りする領収証は、確定申告にご利用いただけます。 給与の年末調整では税控除を受けることができませんので、当協会の発行した領収証を添えて確定申告を行ってください。 個人の方 所得税 年間合計寄付金額が2000円を超える場合には、確定申告を行うことで所得税の還付が受けられます。「所得控除」か「税額控除」、いずれか有利な方を選択できます。 「所得控除」:寄付金の合計額-2000円が所得金額から控除されます。その分税額が低くなります。 寄付金合計額-2000円=所得金額から控除される額 ※控除対象となる寄付金合計額は、総所得金額の40%が上限 「税額控除」:寄付金の合計額-2000円の40%が、直接、税額から控除されます。 (寄付金合計額-2000円)×40%=所得税から控除される額 ※控除対象となる寄付金合計
国連の難民援助活動に協力したい。そのための公式支援窓口です。国連UNHCR協会 〒107-0062 東京都港区南青山6-10-11 ウェスレーセンター3F
シリア緊急支援のお願い 10年間の紛争の影響と新型コロナウイルス感染症の脅威。 かつてない困難に直面する人々を、どうぞUNHCRとともに支えてください。 2021年3月 ― 、シリアの紛争が始まってから丸10年になります。 2020年はシリアの人々にとって、試練の年でした。未だ世界を覆っている新型コロナウイルスの脅威です。シリア周辺の一部の国では60%以上のシリア難民が収入源を失い、その日の食事に困窮するほど追い込まれている家族も少なくありません。そして、8月にはレバノンの首都ベイルートで大規模な爆発が起きました。 この事故でシリア難民の方々を含む何十万もの人々が住まいを失いました。「自分の家で過ごす」。コロナ禍の中、それさえできず、避難先でウイルスに怯えながら過ごしている人たちがいます。 10年間、国外に避難できず、紛争の中で生きてきた人たちもいます。包囲され、外を歩けば狙撃される危険と
新しく就任したUNHCR特使として、アンジェリーナ・ジョリー氏が今年、5回難民のもとを訪れました。2012年9月、彼女はヨルダン・レバノン・トルコを訪れ、故郷での紛争を逃れ近隣諸国に避難先を求めたシリア難民と面会しました。旅程の最後はイラクで、ジョリー特使はバグダッドへ帰還するイラク難民・避難民に会いました。
2012.09.24 スーダン難民、逃げる際に持ってきた最も大切なものは?2011年11月以来、10万5000人以上のスーダン難民が南スーダンへと避難しています。多くは徒歩で危険な紛争地帯を抜けて、豪雨のため裏道を通りながらやっとキャンプ地にたどり着いています。着の身着のまま故郷を追われ、手にした荷物はごくわずかです。着ている服が唯一の持ち物の人もいます。病気や怪我をして、多くの人が空腹を抱えて逃れてきます。フォトジャーナリストのBrian Sokolは南スーダンに避難する難民に、持ち出せたもので最も大切なものを尋ねました。写真とコメントを通して彼らの想いを感じてください。 10歳の少女Mariaが暮らしていたブルーナイル州Makaja村は、4か月前に襲撃を受けた。深夜、兵士らは家に火を放ち、中にあった食糧もろとも焼き尽くした。翌日、彼女は裸足で歩き始め、3か月かかって南スーダン国境に辿り
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