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ドラクエ3
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1994年より南アフリカに在住し、農村や貧困地区の村人たちのパートナーとして、環境保全型農業やHIV感染者への支援活動などを行っている、日本国際ボランティアセンターの津山直子さん。人の心を大切にし、品格を大切にする津山さんに、支援活動を行うときに欠かせない大切なことや、南アフリカの様子などを伺いました。佐々木とは11年ぶりの再会とあって、和やかなムードでたくさんお話くださいました。 津山 直子 (ツヤマナオコ) 日本国際ボランティアセンター(JVC)南アフリカ現地代表 名古屋出身。慶應義塾大学卒業。スウェーデンに留学した際、反アパルトヘイト活動に触れ、草の根運動に参加。帰国後1988年から、ANC(アフリカ民族会議)東京事務所に勤務。'92年より特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター(JVC)に勤務、'94年より南アフリカ在住、現地代表として活躍。農村や貧困地区の村人たちのパートナ
学生のころ、人が笑ったり、感動してくれたりする文章を書くことが大好きだったという竹田圭吾さん。現在は、『ニューズウィーク日本版』編集長として、またテレビの情報番組コメンテーターとしてご活躍中です。アメリカンフットボール専門誌の編集記者として海外へ取材に行ったお話や、新聞の記事とは異なるニューズウィークならではの取材方法と表現、編集者として伸びる人の特徴など、貴重なお話が満載です! 竹田 圭吾 (タケダケイゴ) 『ニューズウィーク日本版』編集長 1964年、東京生まれ。慶應義塾大学卒。スポーツ雑誌の編集記者として、アメリカのプロスポーツの現地取材多数。93年より『ニューズウィーク日本版』編集部に勤務。国際情勢、アジア経済、社会問題などを取材。98年より副編集長、2001年より編集長。フジテレビ「とくダネ!」のレギュラーコメンテーターも務める。 ※プロフィールは対談公開時 (2005年12月)
正しい判断が出来れば「成功」でしょう? 野口 長年ヒマラヤに行っていつも見てるんですが、ゴミを捨てる隊ってあるんです。ゴミを捨てる隊と遭難者を出す隊がね、重なってくるんですよ。 佐々木 えっ? ゴミを捨てる隊と遭難者を出す隊? 重なるっていうのは? 野口 同じ隊ってことです。どういうことかっていうと、まあ、これは僕の考えですけどね。たとえば、悪天候が続きますよね。5月の下旬になって悪天候が直らないと5月の下旬にはもうモンスーンが来るんで、だいたい5月の10、15、20日くらいで、「今シーズンはもうダメかな」とか、だんだん見えてくるんですよ。 で、悪天候がワーッと続くと、5月20日頃ね。ベースキャンプにいるイタリアもスペインもカナダもそうなんですけどね、ワインを持ってきて、コンコンコーンってあちこちから夜、コルクを抜く音がしてくるんです。それから、ダンスパーティーが始まって。 佐々木 へえ。
25歳で七大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立した、アルピニストの野口健さん。次々と世界の最高峰に挑む傍ら、エベレストや富士山の清掃登山や『シェルパ基金』の開設、小・中学生を対象とした『野口健 環境学校』の開校など、その活動は多岐に渡っています。そんな野口さんが語る、「神秘的な世界で、誰もいないところをこつこつと過酷に」というイメージのあるエベレストの驚くべき本当の姿や、登山を始めた意外なきっかけなど、興味深いエピソードをお楽しみください。 野口 健 (ノグチケン) アルピニスト 1973年8月21日、アメリカ・ボストン生まれ。父が外交官であったため世界各地で幼年時代を過ごす。1999年3度目の挑戦でエベレストの登頂に成功し、10年の歳月をかけ、七大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立する。その後は、以前から気にかけていたエベレストのゴミ問題を解決するため、4年連続で世界各国の人たちと連
日本株ストラテジストランキングで、全国第一位に名前が刻まれるキャシー・松井さん。子どもの頃にカリフォルニアで花農家を営む両親の手伝いをしたことが、今の彼女の大きな力になっているようです。”Money does not come from trees, or sky” とおっしゃる松井さんの仕事への想いや取り組む姿勢は、私たちがロールモデルとして見習いたい点がたくさんあります。 前半は家族のお話を、後半では「ウーマノミクス」で注目される、働く女性が日本経済に与える影響のお話などを中心にうかがいました。目指したいワーキング・ウーマンがいない、という言い訳はもう通用しないかもしれません。ワーク・ライフ・バランスに取り組む人事担当者にもお勧めの対談です。 キャシー松井 (キャシーマツイ) ゴールドマン・サックス証券株式会社マネージング・ディレクター/チーフ・ストラテジスト/汎アジア投資調査統括部長
中国人、標高5,300メートルで商売! 野口 世界中から来てますからね。アメリカ隊ならアメリカの国旗があるし。 佐々木 ああ、テントに国旗をつけていたりするのですね。 野口 特に中国のテントがすごいんです。 佐々木 すごいって、どんな? 野口 要するに、巨大なテントと提灯があるんですよ。どう見ても登山隊のテントではないんです。開けてみるとね、ワインとかビールがズラーッと並んでいて、バーがあるわけです、テントの中にね。中国人がバーを経営するわけですよ、テントで。 佐々木 経営? さすが! 野口 さすが、生命力があるでしょ? 佐々木 いや、私はニュースステーションのリポーターとして世界各国に行って、アフリカを始めいろいろな所に行ったけど、必ず中華料理屋があるっていうのは、すごく驚いたんですよ。でも、エベレストの5,300メートルで中国人が店を開いているとは思いませんでした。 野口 まず、バーが
イー・ウーマンでは2000年9月の初登場以来、サーベイキャスターとしておなじみの顔、聖路加国際病院精神科部長 大平健さん。ソフトな語り口が人気を集めています。数多くの著書も執筆され、『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』はベストセラーに。今回は、精神科医という仕事について伺いました。わたしたちの日々の生活、人生におけるヒントがたくさん詰まった対談です。 大平 健 (オオヒラケン) 聖路加国際病院 精神科部長 1949年鹿児島県生まれ。73年東京大学医学部卒業。2000年9月よりイー・ウーマンにてサーベイキャスターを務め、人気を集める。すでに22本のサーベイを展開(2003年8月15日現在)。著書に『貧困の精神病理』『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』『顔をなくした女』『こころの散歩道』『精神科医のモノ・グラフ』 『拒食の喜び、媚態の憂うつ』(以上岩波書店)、『診察室にきた赤ずきん
あの家庭用ゲーム機の中身(LSI)は、進藤晶弘さんが創業された株式会社メガチップスが生み出したもの。進藤さんは、有名大企業の半導体研究所・所長の職にありながら、50歳を目前に独立、起業されました。 自社工場を持たず、顧客ニーズに応えるための研究開発に全力を注ぐファブレス企業として、現在は先駆け的存在となっている(株)メガチップスですが、起業に至るまでの想いとは何だったのでしょうか。大切に貫いた想いや行動指針、起業後の試練やそれを支えたチームワーク、さらにはリーダーの条件といったことを伺いました。「やりたいことをやり抜く」勇気と楽しさが伝わってくる対談です。 進藤 晶弘 (シンドウマサヒロ) 株式会社メガチップス会長 、株式会社メガフュージョン取締役兼代表執行役社長 1942年愛媛県新居浜市生まれ。愛媛大学工学部工業化学科卒業。三菱電機(株)入社。MOSIC製造部部長代理を務め1979年同社
ロープがいっぱいで、登れない 佐々木 この前のシシャパンマ登頂報告会、良かったです。お話の中で印象に残った事がいくつかありましたが、1つは、登山のロープを打つ場所がないくらい、上からロープがいっぱい吊り下がっている、というお話。なんだか、高い山に登るのは美しいというイメージでしたので、驚きました。 野口 そうなんですよ。だからこの間のシシャパンマでも、ロープだらけで、こんがらがっちゃいましてね。 佐々木 こんがらがっちゃう? 野口 稜線の岩稜みたいなところを登っていくんです、両側がなくてね。そういうところを、ずっと行くわけですね。まあ、基本的に狭い所なんですよ。 そこにロープを打ち込んで登っていくんですけれど、みんな、抜く作業が大変だから、打ち込んだまま帰っちゃうんですよね。張りっぱなしだから、何年もあるわけです。そうすると、みんな古いロープは怖いからって、新しいのを打ち込むわけですよ。
大学卒業後、ニューヨークの会計士事務所で働き、その後帰国。30歳で起業した井上英明さん。 井上さんが経営する株式会社パーク・コーポレーションは花の世界に新風を吹き込んだ青山フラワーマーケットを運営する会社です。 ewomanサーベイキャスターとしてもご登場いただいている井上さんとともに、キャリア、独立、経営そして人生観、価値観を話しました。 井上英明 (イノウエヒデアキ) パーク・コーポレーション代表取締役 1963年佐賀県鹿島市に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業後ニューヨークに渡り、ピート・マーウィック会計事務所に現地採用される。帰国後88年 12月、25歳で株式会社パーク・コーポレーションを設立。1年後に生け込み専門の「花職人」部門を創設。企業のイベントやブティックなどの生け込みを中心に、出張生け込みを展開する。その後、良質の花を提供し、花のある生活を楽しんでほしいとの考えから、1
日本語に近い言語を一つ習得しておきたいなと 平田 そうです。それは本当に、すごく意図的に。 前に、仏文学者の森有正先生が、「日本語は主語がよく省略されるので、日本人は主体性がなくて自己主張ができないんだ」っていうことをエッセイでお書きになっていたことがあります。これは結構有名な話なんですけど。それに対して韓国の学者が、「そんなことはない。韓国語も主語を省略するけど、別に主体性がないわけじゃないし、東アジアの中で、もっとも自己主張が激しいじゃないか」っていうことを書いていて、これは一本取られたなっていう感じで。 それを高校生の時に読んでいて、これは英語とかフランス語だけを勉強しても、日本語のことはよく分からないんじゃないかと思って、日本語に近い言語を一つ習得しておきたいなと思ったんですね。 佐々木 その前に、フランス語をやっていらっしゃったんですか? 平田 いや、フランス語は、ほんのちょっと
説明しようと思って、本を読むんです 佐々木 月並みな質問で恥ずかしいんですけれども、お忙しいのにそんなに本を読んでいる時間っていうのは……。 池上 時間はね、こういうと大体の人に納得していただけるんですが、私は酒が飲めないんですよ。 佐々木 私も飲まないのですが、何なんでしょう(笑)。でもお酒の時間といっても、NHKの時代って、番組にもよりますけど、勤務時間がそんな短いわけでもないですよね。 池上 長いです、長いですねえ。でも行き帰りの電車の中で往復2時間あれば、本、一冊ぐらい読めますよね。勉強方法って気がついたんですけど、なんかね、この話がわからないから理解しようと思って読んでもなかなか理解できない。あるいは時間かかるんですね。これを人に説明できるようにするためにはどうしたらいいかって思っていろんなものを読むと、非常に理解が早いんですね。 日銀ってなんだろうかって勉強しようと思って読むと
今、テレビや雑誌で頻繁に取り上げられている「脳」。まだ解明されていないことが多く、また年齢に関係なく鍛えることができるという無限の可能性を秘めていることなどから、多くの人々の関心を惹きつけています。今回お話をお聞きしたのは、脳科学者の茂木健一郎さんです。自分を知るために脳科学の研究を始めたという茂木さんに、脳を鍛える方法、「クオリア」との出会い、記憶力についてなど、お話していただきました。 茂木 健一郎 (モギケンイチロウ) 脳科学者 ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー 東京工業大学大学院客員助教授(脳科学、認知科学)、東京芸術大学(美術解剖学)、東京大学、大阪大学、早稲田大学、聖心女子大学などの非常勤講師もつとめる。1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て
マイクロソフト時代は日々プレッシャーと戦い、髪も真っ白になりました。でも、今じゃ仏のサムと呼ばれています 1991年32歳でマイクロソフト株式会社の社長に就任し、2005年6月に同社を退社するまで、IT関連の先端技術開発に携わってきた古川さん。 当時のご苦労話や、思わず笑ってしまうビル・ゲイツとのエピソード、そして趣味のカメラについてお話を伺いました。 古川享 (フルカワススム) 慶應義塾大学大学院教授 1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979年(株)アスキー入社。出版、ソフトウェアの開発事業に携わる。82年同社取締役就任、86年同社退社、米マイクロソフトの日本法人マイクロソフト株式会社を設立。初代代表取締役社長就任。91年同社代表取締役会長兼米マイクロソフト極東開発部長、バイスプレジデント歴任後、2004年マイクロソフト株式会社最高技術責任者を兼務。05年
大学生が選ぶ日本の人気経営者のトップにランキングされた牧野社長。パワフルな語り口は、エネルギーに溢れ、話す相手を瞬時に引き込みます。 メディアから高い注目を集めている独自の採用制度について、また、優秀な若者には、社会的に意義ある起業をして欲しいと語る起業家としての理念。そして、「人」以外は大事じゃないと言い切る、その「人」への熱い思いについて、たっぷり伺いました。 牧野正幸 (マキノマサユキ) 株式会社ワークスアプリケーションズ 代表取締役最高経営責任者 1963年、兵庫県生まれ。大手建設会社、システム開発会社を経て、1994年に情報システム構築のコンサルタントとして独立。その後、1996 年にワークスアプリケーションズを設立。2001年、JASDAQ市場に上場を果たし、代表取締役最高経営責任者(CEO)に就任。同社の製品であるERPパッケージソフト「COMPANY」は、人事・給与システム
医療という閉ざされたフィールドの現状を、ファインダーを通してみつめてきたフォト・ジャーナリスト、伊藤隼也さん。医療事故に関連する市民団体や研究機関の代表でもあり、さまざまな媒体をとおして医療現場の取材・報道活動に携わっています。婦人雑誌のカメラマンからの転身について、今の日本の病院に対する考え方、また、ご家族で取り組まれている農業のことなど、じっくり語っていただきました。活躍の場を精力的に広げながらも、その根底に一貫した哲学をお持ちの、とても魅力的な方です。 伊藤 隼也 (イトウシュンヤ) 写真家・ジャーナリスト(医学ジャーナリスト協会会員) 主婦の友社を経て1982年よりフリーランスカメラマン。94年に自身の父親を医療事故で亡くしたことをきっかけに医療問題に深い関心を持ち、フォトジャーナリズムという視点から、全国の医療現場を精力的に取材し、週刊現代、フライデーなどをはじめとする雑誌メディ
ゲストは、一橋大学イノベーション研究センターの教授、米倉誠一郎さん。米倉教授の考えるイノベーションとは? 起業家が成功する方法とは? ビジネスに役立つ話が盛りだくさんの対談となりました。 米倉 誠一郎 (ヨネクラセイイチロウ) 一橋大学イノベーション研究センター教授 1953年、東京都生まれ。81年一橋大学大学院社会学研究科修士課程を修了後、同大学商学部産業経営研究所助手、専任講師、助教授を経て、90年ハーバード大学で博士号を取得(歴史学)。92〜95年はミシガン大学グローバル・リーダーシップ・プログラム・コアファカルティーに。95年一橋大学商学部産業経営研究所教授、97年同大学イノベーション研究センター教授に就任、99〜2001年には同センター長に。現在、大学教授だけでなく、六本木アカデミーヒルズの「アーク都市塾」の塾長も務める。イノベーションを中心とした戦略と組織の観点から研究を行う。
植村直己さんの最後の日記 野口 僕もエベレストで2回「失敗」しましたけどね。2回目なんかは山頂まで行って、あと300メートルのところで天気がパッと急変したんです。そこで、行く、行かないってなりながらも、下りてくるわけです。 僕とパートナーを組んでた奴が行っちゃいましてね。彼は僕より100メートル登って、突風でやられてゴーグルが飛んじゃいまして、紫外線で目を潰されました。結局は遭難して、彼は手の指を10本中7本なくしちゃいました、凍傷で切断して。足の指も落としたんです。命だけは助かりましたけど……。 佐々木 もう登れない。 野口 登れないですよ。僕は引き返したから、全部あるわけじゃないですか。でも、帰ってきたらね、一般的な扱いはもう「失敗」ですよ。 佐々木 まあ、端から見てると、「あと300メートル」って言われれば、なんか「もう少しじゃない。登ってきてよ」っていうふうに思っちゃうんでしょうね
1970年代に「ダイナブック」を開発しその後のMacintoshやWindowsに大きな影響を与え、「パソコンの父」と呼ばれるアラン・ケイ氏。もう一つのライフワークは、子どもたちに対するコンピュータ教育です。今回の対談では、小学校の恩師から受けたすばらしい教育の話から、子どもたちの持つ可能性について、ご自身の将来に向けての新しい計画のこと、ITの可能性までたっぷりと語ってくださいました。 アラン・ケイ (アランケイ) HP研究所シニア・フェロー、Viewpoints Research Institute プレジデント アラン・ケイ パソコンのパイオニアの一人であり、1967年から77年にかけてエド・チードルとともに、初期のデスクトップマシン「FLEX Machine」を開発、1970年代には理想のパソコンの概念を考え「ダイナブック」と名付けてそのプロトタイプを開発し、その後のMacinto
これは、「しおり」です。毎週月曜日には、左下の点線から切り取ります。すると、右下を押さえて「アクションプランナー」を開くと、当該週がさっと開きます。 革カバーは使い込んでいくうちに、キズがついたり,色合いが変化したりします。その変化も楽しんでいただきたいのですが、本革製品は最初に少し保護をしていただくと、より長くお使いいただけます。
「マック(Mac)からマック(マクドナルド)」という異業種への転身が大きな話題となった、原田永幸さん。「社長の転職」についてや、会社をグローバル・カンパニーに育てていくために行っているさまざまな改革のことを、力強く語ってくださいました。一方で、いたずらっ子だった少年時代や、一時はプロを目指したほど好きとおっしゃる音楽のお話も。経営から学校時代に受けた教育、趣味まで、いろいろなお話をうかがうことができました。 原田永幸 (ハラダエイコウ) 日本マクドナルドCEO (現 ベネッセ社長) 1972年東海大学工学部通信 工学科卒業後、日本NCRに入社。ヒューレット・パッカード社・シュルンベルジェグループを経て、90年アップルコンピュータジャパン株式会社入社。96年米国アップル社ワールドワイドコンシューママーケティング/SOHO担当副社長に就任、97年アップルコンピュータ株式会社代表取締 役社長兼米
「週刊こどもニュース」お父さん役で一躍有名に 佐々木 フリーランスになられたということで「とくダネ!」でお会いしたときには、本当に驚きました。でもご一緒できて光栄です。 また、このたびは、イー・ウーマンにて『池上彰の「解決! ニュースのギモン」〜イー・ウーマンリーダーズの「?」に答えます〜』をご担当いただくことになり、ありがとうございます。毎週火曜日更新の池上さんのニュース解説、楽しみにしています。 今日は、そんな池上さんにたっぷりお話を伺いたいと思います。まず池上さんといえば「週刊こどもニュース」。これを伺わないわけにはいきません。94年から11年間続けられましたよね? 池上 はい。そうですね。 佐々木 その前から記者やキャスターとしてご活躍でしたが、やはり一躍有名になられたのはこの番組、お父さん役だったのかな、と思うんですが、11年やっていて一番学んだことはどのようなことでしょうか?
文化の格差がものすごいから、大学生達を苦しめているんですね 平田 そういうおもしろい授業をたくさん受けて大学に来る子達。例えばミュージカルを観たり、美術展を観たり、海外に留学していたり、親の趣味もあるけれども、いろんな豊かな教育を受けて東大に来る子達と、単位未履修で世界史も知らないで、とにかく受験の科目しか勉強してこないで、脇目も振らずに東大に来た子達、特に女子の場合に、やっぱり文字通りのカルチャーショックを受けて、不登校になっちゃう子もいるんです。 要するに、教育の地域間格差は解消したんだけれども、文化の格差がものすごいから、その地域間格差が、今、大学生達を苦しめているんですね。 佐々木 でも、子どもが自分で「やっぱりミュージカルを観なくちゃ」とか、なかなか思えないから、親というか、家庭環境がものすごく大切だということですね。でも、それこそ格差というか、どう子どもを育てるか、どのくらい重
小さいサークルをたくさん復活していくしか、たぶん救いはないと思うんです 平田 だからといって、別に今、原っぱを作ったからといって、もう子どもが帰ってくるわけではないから、例えば大学でいえば、カフェを作ったりとか、演劇でも、音楽でも、美術でも、環境保護運動でも、ボランティアでもいいんだけど、そういうアートとか市民参加型の事業を通じて、様々なそういう地域社会を復活していく、小さいサークルをたくさん復活していくしか、たぶん救いはないと思うんです。魔法はないと思うんです。 佐々木 先日の高校生の母親殺害の事件に触れたとき、中学生の時はスポーツで優勝して、でも高校に進学後の1年か2年で、あんなに劇的に変わってしまうと思って、私は親として、どこまでどう育てていると安心なのか、とても恐怖に思ったんです。その話をしたときに、平田さんが、「重層性」っておっしゃったんですよね。 平田 他の場所がない。 佐々木
「伝えたい」というモチベーションは、「伝わらない」という経験からしか生まれない、という平田さん。他人と理解しあうための「対話」。自分を表現して、伝えるための「演劇」。日本語の特性や、他人とつながるためのコミュニケーションデザインなど、多岐にわたるテーマについて論理的に、かつ情熱的に、話してくださいました。今の日本の社会、学校、人間関係に大切なモノを教えていただいた対談です。 平田 オリザ (ヒラタオリザ) 劇作家・演出家・こまばアゴラ劇場支配人 1962年東京生まれ。82年、大学1年で初の戯曲を執筆。翌83年、劇団青年団を結成。自らが支配人を務める「こまばアゴラ劇場」を拠点に活動中。 その活動は演劇をはじめ、教育や言語学にまでおよび、日本はもちろん世界からも注目を浴びている。フランス、アメリカ、韓国、マレーシア、タイ、インドネシアなど、世界各国でワークショップや公演を開催。 舞台では、生活
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