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衆院選
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1 ルネサンスとヒューマニズム ルネサンス(Renaissance、再生の意味)とは、ギリシア・ローマの古典文化の再生を意味する言葉で、文芸復興と訳されてきた。 ルネサンスは、14世紀にイタリアで始まり、15世紀以後西ヨーロッパに広まったが、単にギリシア・ローマの古典文化の復興にとどまらず、人間精神の革新を求める文化運動であった。 ルネサンスの根本精神はヒューマニズム(humanism)である。ヒューマニズムの原義は人間主義と訳される。 十字軍以後、都市が成立・発展し、市民の活動が盛んとなると、市民達は封建制度や教会の束縛から解放された人間らしい自由な生き方を求めるようになった。 中世の人々の生活は、カトリック教会が定めたさまざまな規制によって束縛されてきた。 カトリック教会は、来世に天国に召されることを人生の目的と説いたが、市民達は人間のもつ欲望を肯定し、現世をより良くより楽しく生きるこ
3 ロシア革命 ツァーリズム(専制政治)のもとで近代化が遅れていたロシアは1914年末には早くも軍需品の不足に陥った。 1915年8月にはロシア領ポーランド全体がドイツ軍に占領され、ロシア軍は本国へ敗走した。その後東部戦線が膠着する中で、長期の塹壕生活を送る兵士たちの士気は衰え、兵士たちの間には厭戦気分が広まっていった。また1916年夏には、中央アジア諸民族の間で徴兵に反対する大蜂起が起こった。 この間、多くの農民が兵士として大動員されたので農業生産が低下して食糧難が深刻となり、またその他の生活必需物資も不足して物価の値上がりが起こり、国民生活が窮乏するなかで労働者の間でも戦争の継続に批判的な空気が強まった。 1917年3月8日(この日は1914年より国際婦人デーとされていた)、首都ペトログラード(大戦開始後ペテルブルクを改称した。1924年にはレニングラードとなり、1991年に現在のサン
3 オランダの独立 ネーデルラントは、「低い地方」の意味で、現在のオランダ・ベルギー・ ルクセンブルクを中心とする地方の総称である。ネーデルラントの南部、現在のベルギーを中心とする地方はフランドル地方と呼ばれ、中世以来毛織物工業が発達し、ガン・ブリュージュ・アントワープなどの都市が繁栄していた。ネーデルラントは、1477年に血縁関係によりハプスブルク家所領となり、カール5世の死後、フェリペ2世の支配下におかれることとなった。 商工業が発達し、都市が繁栄していたネーデルラントにはカルヴァン派が普及し、ゴイセン(乞食の意味)と呼ばれたカルヴァン派の新教徒が多かった。 熱烈なカトリック教徒であったフェリペ2世は、ネーデルラントに対しても厳しいカトリック政策をとり新教徒を迫害した。また都市の自治権を奪い、重税を課した。このようなフェリペ2世の政策に対してネーデルラントの民衆は教会を襲い、聖像を破壊
2 機械の発明 技術革新は、まず木綿工業の分野で始まった。 イギリスの伝統的な工業は毛織物工業であったが、17世紀後半以後、東インド会社がインド産の綿織物(キャラコ)を輸入するようになると、吸湿性・耐久性に優れ、しかも様々な用途に使えるインド=キャラコは物珍しさもあって、イギリス上流階級の間で一種のブームを呼び起こした。 そのため、毛織物業者は猛烈に反対し、インド産綿織物の輸入を禁止させた(1700)、しかし綿織物に対する需要は根強く、インド産の綿織物に匹敵する優れた綿織物を作り出すことがイギリスの新興木綿工業の目標となった。工程が多く、機械化が困難であった毛織物工業に比べて機械化が容易であり、また毛織物工業のような規制がなかったので、木綿工業の部門では次々と独自の技術が発明され、木綿工業は18世紀後半には毛織物工業 に代わって繊維産業の中心となった。 まず、毛織物工業の工場で布を織る職人
閉店のお知らせ 長きに渡りご愛顧いただき大変ありがたく厚く 御礼申上げます。 12月末をもちまして、閉店致しました。 お客様各位ならびにアマチュア無線業界の今後の 発展を祈念しています。 ご愛顧 有難うございました。 CQ水島 渡辺
1 学問と大学 西ヨーロッパの中世文化の特色はキリスト教文化という言葉で言い表すことが出来る。中世西ヨーロッパはカトリックの時代で、カトリック教会が絶大な権威をもっていたので学問・芸術なども教会の支配下にあった。最高の学問は、キリスト教の教理を研究する神学であり、建築や美術は教会とその装飾のために発達した。 中世の学問の担い手は、中世ヨーロッパの共通語であるラテン語が読み書きできる聖職者で、彼らが学者であり知識人であった。人口の大部分を占める農民はほとんど読み書きが出来なかった。 最高の学問は神学であった。「哲学は神学の婢(はしため、召使い・下女の意味)」ということわざはこのことをよく示している。 神学は、初めのうちはアウグスティヌスなどの教父の著述を読む程度であったが、十字軍以後はビザンツやイスラムからギリシアの哲学(特にアリストテレスの哲学)を取り入れてキリスト教の信仰・教義を哲学的に
4次元の立方体を描く それはちょっと考えると不可能なような気がします。しかし、下の図は3次元の立方体ですが、 2次元の平面上に描けています。それなら、4次元の立方体が、2次元の平面上に描けてもかま わないはずです。 このとき、注意すべきは、下の図は立方体そのものではなく立方体の投影図だと言うことです。 4次元の立方体についても同様で、考えるのはその投影図です。 図1 つぎに、2次元の立方体は正方形であると考えて良いと思いますが、2次元の立方体と3次元の立方 体の関係を考えると次のような図で表されます。
世界史ノート(現代編) 第15章 帝国主義の成立とアジアの民族運動 帝国主義の成立と列強の国情 帝国主義 イギリス フランス ドイツ ロシア アメリカ ラテン=アメリカ諸国 アフリカ・太平洋諸地域の分割 列強のアフリカ分割(その1) 列強のアフリカ分割(その2) 列強の太平洋諸地域分割 アジア諸国の変革と民族運動 中国利権の争奪 変法運動と義和団事件 日露戦争 日本の韓国併合 辛亥革命と中華民国の成立(その1) 辛亥革命と中華民国の成立(その2) インドの民族運動 東南アジアの民族運動 西アジアの民族運動と立憲運動 第16章 二つの世界大戦 第一次世界大戦とロシア革命 国際対立の激化 第一次世界大戦(その1) 第一次世界大戦(その2) ロシア革命 ソヴィエト政権の成立と干渉戦争 戦時共産主義と新経済政策 ヴェルサイユ体制下の欧米 ヴェルサイユ体制の成立 国際協調の高まりと軍備制限の進展 ア
世界史ノート(中世編) 第5章 東アジア世界の形成と発展 北方民族の活動と中国の分裂 三国と晋 五胡十六国と南北朝 大土地所有の発達 六朝時代の文化 朝鮮・日本の形成 東アジア文化圏の形成 隋の統一 突厥の活動 唐の盛衰(その1) 唐の盛衰(その2) 隋唐の社会 唐代の文化 唐文化の波及と東アジア諸国 中国社会の変化と北方民族の進出 五代の形勢 宋の統一(その1) 宋の統一(その2) 遼と西夏 金の侵入と南宋 宋代の社会 宋代の文化 モンゴル民族の発展 モンゴル帝国の成立 モンゴル帝国の分裂 元の中国支配 交通・貿易の発達 東西文化の交流と元代の文化 隣接諸国の変遷 第6章 イスラム世界の形成と発展 イスラム帝国の成立 ムハンマドとイスラム教 アラブ人の征服 イスラム帝国 イスラム帝国の分裂 イスラム世界の発展 東方イスラム世界 カイロの繁栄 西方イスラム世界 アフリカの諸国 インド・東南
世界史ノート(近代編) 第9章 近代ヨーロッパの誕生 ルネサンス ルネサンスとヒューマニズム あたらしい文学 美術の黄金時代 ルネサンス文芸の社会・政治的背景 技術と科学精神のめざめ ヨーロッパ世界の拡大 大西洋時代へ インド航路の開拓 新大陸への到達 スペインによるアステカとインカの征服 ヨーロッパの変動 宗教改革 ルターの宗教改革 スイスの宗教改革とカルヴァン イギリス国教会の成立 反宗教改革 第10章 ヨーロッパ近代国家の形成 絶対主義国家の盛衰 絶対主義の成立 スペインの隆盛 オランダの独立 イギリスの興隆 フランスの宗教戦争と絶対主義(その1) フランスの宗教戦争と絶対主義(その2) 三十年戦争 プロイセンとオーストリア ロシアの台頭 ポーランドの分割 イギリス立憲政治の発達 王権と議会の対立 ピューリタン革命 王政復古と名誉革命 議会政治と政党内閣 ヨーロッパ列強の植民活動 各
世界史ノート(古代編) はじめに 第1章 先史の世界 人類の出現 文明への歩み 第2章 オリエントと地中海世界 古代オリエント メソポタミアと小アジア エジプトの統一国家 地中海東岸の諸民族 古代オリエントの統一 ギリシア世界 エーゲ文明 ポリスの成立 ポリスの発展(その1) ポリスの発展(その2) 奴隷制度 ポリス社会の没落 ギリシア文化 ヘレニズム世界 ヘレニズム時代 ヘレニズム文化 ローマ帝国 共和政ローマ ローマの発展と内乱(その1) ローマの発展と内乱(その2) ローマ帝国 古代の終末 ローマ文化 キリスト教の成立と発展 キリスト教の成立 キリスト教の発展 第3章 アジアの古代文明 イラン文明 パルティアとササン朝 イラン文明 インドの古典文明 インダス文明 アーリヤ人の侵入 新宗教の成立 古代統一国家の成立 クシャーナ朝と仏教の革新 ヒンドゥー国家と古典文化 東南アジアの諸文明
初めまして、私のホームページを訪れていただき有り難うございます。 大した内容のものではありませんが、少しでも読んで頂ければ幸いです。 なお、このホーム・ページの作成には 大坂先生に大変お世話になりました。 ホームページを訪れてくださった方が10万人を突破しました。 4年半前にこのページを開設したときには、文字ばかりで堅苦しい内容の ページをこのように多くの方に見て頂けるとは夢にも思っていませんでした。 これもひとえに皆様方のお陰と厚く御礼を申し上げます。 「世界史ノート」もやっと終わりに近づきました。書き終わったあとは、 世界で起こる重要な出来事を年表風にまとめていきたいと思っています。 従って当分の間はたいした更新もせずにこのままの形で存続させて頂く ことになりますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。 2002.10.28 ホームページを訪れてくださった方がついに50万人を突破
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