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アメリカ大統領選
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アイヌの伝統歌「ウポポ」の再生と伝承をテーマに活動するグループ、MAREWREW(マレウレウ)。 彼女たちが肌で感じる不寛容な社会。そのなかで自由に響くアイヌの歌。 押し付けられる「アイヌ」というイメージについて思うこと。 後藤 「MAREWREWはアルバムを出したばかりですね」 Mayunkiki 「そうなんですよ。前のフルアルバムはいろんな楽曲が入ったりして遊びがあったんですけど、今回は聞いてくださって分かるとおり、遊びがないので」 後藤 「ハードコア・アイヌだなって思ったんです(笑)。ハードコア・ウポポとも言ったんですけど。前作はポップスに歩み寄ろうという意思のあったアルバムで。その路線でもっと開けた作品になるのかなと思っていたら…」 Mayunkiki 「うん。閉じましたよね。本当に、制作過程としては、同じような気持ちでやってたんですけど、やっぱりMAREWREWが10年、10年経
台湾出身、日本育ちの作家、温又柔。 台湾語、中国語、日本語を行き来しながらユニークな創作活動を続ける彼女と語り合う、言葉をめぐるさまざまな境界について。 国籍や母国語とは何か、そして、言葉はいったい誰のためのものなのか――。 後藤 「温さんの小説『真ん中の子どもたち』を読んで興奮して、その後ですぐにエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』を読みました。本当におもしろかったです。たとえば、母国語と母語の違いとか。ご両親は台湾人で、温さん自身は日本で育った。だから、日本語で考えて日本語を話すけれど、母国語とは言い切れない。しかも台湾国籍について語る場合には中国との関係や政治的な問題もある。温さんの立っているところはとても難しいですよね、言語化するのが」 温 「立ちながらつま先がプルプルしてます、いつも(笑)」 後藤 「正直、僕にはうまく想像できない部分もあるんだけれど、だからこそ余計に興味深かったで
私たちは日常的に意識せず、様々なことをアウトソーシングしながら暮らしている。地理的にも遠く離れ、辿ってきた歴史も大きく異なる地域の距離と時間を編み直すことによって、得られるヒントとは。小説家・古川日出男と巡る福島と沖縄。 後藤「この号の記事のために赤坂憲雄さんの東北行脚に同行させてもらったんですけれど、距離や規模というのは、体で感じないとわからないことがたくさんあるなって思ったんです。でも、それって、ツアーをしていて感じることでもあるんですよね。〝日本は思ったより広いぞ〟っていう。そういうことで気がつくのは、普通の暮らしの中では自分の想像力が追いつかないような場所にいろいろなものがあるということで、それは原発とか基地とか、センセーショナルなものだけじゃなくて、たとえば、ゴミ焼却場や火葬場もそう。そういう普段は縁遠い場所に置かれているものを、目の前に再提示するものって、パッと思い浮かぶのは文
『宝島AGES vol.2』にインタビュー記事が掲載されました。許可を得て、この「編集長通信」へ転載することにしました。一読いただけましたら嬉しいです。 『THE FUTURE TIMES』に関するインタビューはいろいろなところで受けていますが、まだまだ、どういう経緯で立ち上げたモノなのか上手に説明できている実感がありません。 これまでの「ミュージシャンは政治性を持つべきではない」という言説がまだまだいろいろなところで抑圧的に働いて、とにかく誤解を受けることが多いというのも、正直なところです。 とはいえ、このくらいの社会活動/参加が過剰な政治性だと捉えられてしまう社会は、とても遅れているとも感じます。僕が仲間たちとやっているようなことが、とりわけ特別ではなくなるようになって欲しいし、そうなろうとしていると感じます。いろいろな人たちが、それぞれの場所で様々な活動していますから。市民の社会参加
未来に待ち受ける問題を予測して、それに立ち向かう。そのために、関わる人々の意見を全て集約して一歩一歩、着実に設計する。そんな藤村龍至さんは、従来の建築家像とは大きく異なっている。「社会は変えられない」と諦めている人々に向けた、実践に基づく提言の数々だ。 後藤「藤村さんの著書『批判的工学主義の建築』(※1)を読ませていただきました。途中の建築の専門的な話は難しかったんですが、とても面白かったです。ミュージシャンからするとやっぱり、設計するうえでの3つの決まりが面白かったですよね」 藤村「ああ、考えるな、イメージするな……」 後藤「そう。考えるな、イメージ(想像)するな、振り返るな。この一直線の設計の進め方が、とても腑に落ちました。完成形がイメージできた時点で既存の枠組みのような何かにつかまってしまうというのは、その通りだと思います。曲作りでもそういう場面がありますから」 藤村「そうですか。あ
9条改正、集団的自衛権の解釈変更など、この数年、折に触れてクローズアップされる憲法に関する議論だが、私たちはそれにきちんと向き合えているといえるだろうか? シリーズ「憲法特集」では、憲法と出会い直し、考え直すためのきっかけを示していきたい。 第1回は、若き憲法学者との対話を通して、憲法と民主主義の関わり、私たちが市民として成熟していくためのヒントを学ぶ。 後藤「特に震災以降なんですが、誰かと政治について語り合ったり、デモや集会っていうのに参加するたびに、〝民主主義ってうまく機能してるんだろうか?〟〝自分たちは市民として民主主義や政治に参加できているんだろうか?〟っていう疑問を持つことが増えて。僕たちは長い間、放棄っていうわけではないけど、民主主義に対して無責任というか、当事者意識が薄かったんじゃないかという想いがあるんです。そんななか、この数年、憲法改正の機運みたいなものが高まってきて、す
私たちが進歩すると、ものの本質に気づくようになる。すると、時間の流れや技術の進化とは、反対の方向へ眼を向けることがあるかもしれない。美術作家の奈良美智が語る、ドイツ、東北、アイヌ。現在につながる過去や伝統に向きあうと、いったい何が見えるのだろう。 後藤「奈良さんのエッセイで『震災があっても自分のやっていることはあまり変わらない』とあったのが印象的でした。ずっと大きな視点で活動されているんだと理解したんです。僕は震災が起きてから、今でもなんですが、詩を書くときにヨタヨタしてしまうんですよ。言葉にしなきゃいけないとき、いろんな迷いがあります」 奈良「たしかに、自分もテーマとしてやってきたことは一貫性があったんだと気がついたのね。ただ……音楽も小説も、芸術と呼ばれるものはすべて、ある程度の裕福さというか、余裕がないと生まれないのが分かったの。ああいう、ものごとがすべてなくなっちゃう状況があったと
THE FUTURE TIMES 6号の特集は「三年後の現在地」。福島県出身が二人、茨城県出身が一人いるバンド、THE BACK HORNは、震災後、自分たちに何ができるかをメンバー内で模索し、『世界中に花束を』をすぐに制作。3月30日に配信をスタートさせた。2014年4月9日には、10枚目のオリジナル・アルバム『暁のファンファーレ』をリリース。これまで同様に、メンバー4人全員がそれぞれ作詞を手掛けている。そこで綴られているのは、それぞれの表現による“希望"だ。THE BACK HORNのドラマーでありリーダーである松田晋二さんに聞いた、震災以降の音楽への向かい方とは? 松田「『THE FUTURE TIMES』は断片的に読ませてもらってるけど、こないだの教授のインタビュー、『東北は植民地だった』っていうのは衝撃的だった。そんな歴史、自分が住んでいても全然知らなかったから」 後藤「赤坂先生
津波が到達した浄土寺は、旧海岸線から1.8kmもの地点。2011年11月、樹齢15年ほどのカワツザクラを5本植樹。この春も花を咲かせた。 桜と同じ目線の先に、かさ上げされた土地が見える。 岩手県沿岸の陸前高田市。本紙取材班の訪問は2号から1年3ヵ月ぶりだ。その間、市内にうず高く積まれた土砂と瓦礫の山は1ヵ所に集められ、土砂再利用のための分別が進んでいる。防波堤の整備も着工され、街区の整地がなされているが、まだ住む人がいない地区が大半を占める。自然公園、工業用地、またはかさ上げ(盛り土)をして宅地とするのか、いまだ検討中のためだ。 東日本大震災で最大18メートルという高さの津波に見舞われた陸前高田は、市の中心部が壊滅状態となった。いくつかの商店街は高台にある仮設店舗に移り、いまだ仮設住宅の入居率も9割近くに達しているという。〝災害に強い街〟を目指して、これから何年もかけて取り組まれる事業がス
災害への恐れ、死者への弔い、被災体験を残そうという意識。 古来から人々は記録や記念碑を残すほかに、災害の記憶を口承として伝えてきた。「妖怪伝承」もその1つ。水害が起こる地域に伝わる河童、津波の前兆として現われる白鬚爺。それらはなぜ生まれたのか? そして、各地に残るフォークロアを研究対象とする「民俗学」が私たちに問いかける、これからの災害伝承のあり方とは―― 後藤「特に震災以降ですけど、畑中さんが専門にされている民俗学や民間伝承というものにすごく興味があるんです。この先、僕たちが震災を語り継いでいく上でヒントになるものが必ずあるはずだという直感があって、是非、お話をうかがえたらと思いました」 畑中「そうですか。今日はよろしくお願いします」 ──そもそも畑中さんが民俗学に興味を持たれたきっかけは何だったんですか? 畑中「そうですね、僕は大阪の生まれなんですけど、大阪や京都あたりは小学校の5〜6
■映画『世界が食べられなくなる日』オフィシャルサイトはこちら 遺伝子組み換え(GM)と原子力発電。ジャン=ポール・ジョー監督は、それらを「命の根幹を脅かす2つのテクノロジー」として共通点を見出す。最新ドキュメタリー映画『世界が食べられなくなる日』に込められたメッセージを編集長・後藤正文が聞いた。 ジャン・ポール=ジョー(JPJ)「私の最新作『世界が食べられなくなる日』はご覧になりましたか?」 後藤「はい。実験用ラットの腫瘍がどんどん大きくなっていく場面には衝撃を受けました。まずは、このような映画を撮ろうと思ったきっかけを伺わせてください」 JPJ「それは『このような映画』ですか。それとも、『この映画』ですか?」 後藤「では『このような』でお願いします。たとえば、アメリカの穀物メジャーが世界中で行っている横暴を伝えることなどは、監督の一貫したテーマだと思いますので」 JPJ「分かりました。私
震災以降、誰もが強く意識し、様々に語られるようになった“東北”。しかし、私たちは本当にこの土地のことを知っていると言えるだろうか? 長いあいだ日本の〝辺境〟として位置づけられてきた東北の歴史をたどりながら、復興のビジョン、そしてその向こうにある日本の将来像を見つめ直す—— 後藤「僕がこの新聞を作った動機にも関わってくるんですが、おそらく震災や原発事故についての人々の声は正しく歴史に残らないのではないかという直感があります。政府が残していく大文字の歴史とは別に、きちんと人々の声を残そうとしたとき、民俗学というものがヒントになるんじゃないかと、僕の頭の中に浮かんだんです。そこで民俗学者で〝東北学(※1)〟を提唱されてきた赤坂さんのお話をうかがいたいなと思いました」 赤坂「なるほど。ただね、震災を経て、僕の東北についてのイメージはガラッと変わってきているんです。おのずとすべてのことは『3.11』
アナログ世代とデジタル世代の中間にいるDJ/ラッパー/プロデューサーとして、遊び心あふれる、ユーモラスな活動で多くの若者を魅了して止まないPUNPEE。インターネット時代のアナログ・レコードの魅力、サンプリング、ブートレグ、そして自身の創作活動についておおいに語ってくれた。 ――お父さんがかなりのレコード・コレクターなんですよね。 PUNPEE 「まあ、そうっすね。父親はビートルズやリー・ペリー(※1)とか聴いていた世代で、いま55歳ぐらいです。自分は物心ついたときには家に大量のレコードがあったんです。父親が毎朝かけている音楽とコーヒーの匂いが混じり合った記憶が残ってて。子供のころは朝からレコードがかかっているのがイヤでしたね。針をずらして音止めて怒られたりしてた(笑)。そういう環境で育ったので、レコードに特別なこだわりもなかったんです。いまの若い人は透き通ってるレコードとか見ると、“なに
後藤「マサムネさんと初めてお会いしたのは、たぶんラジオですね。僕らの番組にゲストで来てくれて。俺が『ナンプラー日和』という曲を『チャンプルー日和』って言っちゃって、真っ赤になって……“すみません!”って」 草野「(笑)ああ~、そっか。あの日、喜多くんとかとはよくしゃべったんだけど、“ボーカルの人はおとなしいのかな”と思ったの。それはそういう背景もあったんだ?」 後藤「はい、すごいショックでヘコんだんですよ(笑)。そのあとは『ロックロックこんにちは!in 仙台』(スピッツ主催イベント。アジカンは過去2回出演。現在は、『ロックのほそ道』。)に出させてもらったんです。野外ですごく楽しかったですね。あのときのスピッツのライブも良かったです。あと『NANO-MUGEN FES.』にも出ていただいて」 草野「あ、そうだそうだ。あれは2009年かな?」 後藤「2009年ですね。それに草野さん、たまにメー
後藤「今日は〝贈与〟をテーマにお話を伺えたらと思っています。僕はこの新聞の発行を続けていくうえで、おふたりが著書で語られているような贈与やお布施の考え方に、背中を押してもらっている部分があるんです」 内田「そうなんですか」 後藤「それで、はじめに少しだけこの新聞の成り立ちについてお話しさせてください。僕は震災が起こってすぐ、いてもたってもいられなくて、募金をしたんですね。でもそのお金がどこでどのように使われるのかがハッキリしないことに、歯がゆさというか、手応えのなさを感じました。そこでお金ではなく行動を社会に寄付するようなやり方はないだろうかと考えて、仲間たちと自腹で新聞を作ることを思いついたんです」 内田「なるほど」 後藤「僕はもともと音楽活動でも、気に入った若手や海外のバンドを紹介したり、プロデュースしたりしてきたんですね。自分がいるバンドの人気を高めるだけでは音楽の現場はいつか枯れて
いつしか接点を持つことが少なくなった日本の伝統芸能。何百年も続いている文化と、再び接続することで見えてくる、本当の “日本らしさ” があるのではないか。文楽の技芸員(三味線)の鶴澤清志郎さんに文楽の魅力についてうかがいました。 後藤「ここ何年かの話なのですが、音楽をやっていて、自分たちのナショナル・アイデンティティっていうんですか、例えば日本の伝統音楽なんかと上手く接続出来てないんだなってことをよく考えるようになったんです」 清志郎「そうなんですか?」 後藤「僕らは小学校の時からドレミファソラシドで音楽学びますよね?」 清志郎「そうですよね、はい。確かに日本の音階とは違います」 後藤「例えば文楽を観に来たときとか、能でもいいですし歌舞伎でもいいかもしれないですけど、その鳴っている音に対して “わー、懐かしい” みたいな感覚っていうのがやっぱりないんですよね。正月とか、そういう時に飲食店でか
90年代初頭にマイクロフォン・ペイジャー(※1)のメンバーとして日本のヒップホップに決定的な影響を与え、その後もDJ/ラッパー/プロデューサー/デザイナーとして活躍してきたMURO。承知の通り、彼は世界的にも有名なレコード・ディガーで、“KING OF DIGGIN`”の異名で知られている。かつては“世界一のレコードの街”と言われた渋谷だが、インターネットの普及とともに、オンライン・ストアに移行するレコード屋や閉店に追い込まれるお店が急増し、街の雰囲気も大きく変わった。そんな渋谷をホームに長年活動してきたMUROは今、何を思うのか? 彼が、2011年に渋谷ファイヤー通りにオープンしたセレクト・ショップ『DIGOT』で、レコードと音楽、今後の夢について聞いた MURO「やっぱりDJの入りがレコードだから、DJをするときに使うレコードは、野球をするときに使うバットやグローブのような道具と同じ感
音楽が、もはや一部では記号のような消費のされ方をしている今。あらためて音楽とは何か? ミュージシャンが作ったサウンドを複製し、リスナーに届けるということはどういう意味を持つのか? 佐野元春さんと語る“音楽と未来”について。 後藤「今はミュージシャンがリリースの形態も含めて、いろいろな方法を選ぶことができるようになった時代ですよね。それでいながら、音楽がもはや製品でもなく、記号のような消費のされ方をしているようにも感じます。その一方で、アナログが見直されてきているところもあります」 佐野 「そうだね。うん」 後藤「佐野さんに、これからの音楽とメディアについて、それからアナログレコードについて、俯瞰した視線から語っていただければと思って、今回オファーをさせていただきました」 佐野 「OK。たしかに統計で見ると、米国、英国ともにアナログ売上は前年比30%以上、40%以上、売り上げが伸びているとい
以前ジュークボックスを所要していたほど、アナログレコードには、相当な拘りを持つChocolat&Akito。ふたりを魅了して止まないレコードの魅力からオリジナル盤の音の違い、海外の音楽ファンのリスニングスタイルまで、レコードへの愛情をたっぷりと語ってもらった。 ――レコードとの出会いって覚えていますか? 片寄「僕はレコードの世代なので、物心ついたときには家にありましたよね。当時は家具調の大きなステレオがある家も多かった時代で……あれはいとこのだったのかな? うちは親戚とかも一緒に住んじゃうような大家族だったので、誰かが持ってきたんでしょうね。そこにあったマーヴィン・ゲイやアメリカン・グラフティのサントラとかを勝手に聴いたり、友達と当時流行ってた沢田研二の『勝手にしやがれ』とかピンク・レディーのレコードを聴いてましたね。自発的にレコードを買って聴いた記憶としては、映画『未知との遭遇』のサント
思い入れのあるアナログレコードを選んでもらい、音楽に対する愛情について語ってもらう――。今回の取材の主旨はそういうものだった。しかし、インタビューの場に現れたサカナクション・山口一郎は、それだけでなく、音楽のこれからに対して、沢山の語りたいこと、熱い思いを抱えていた。CDパッケージと配信とアナログレコードについて、この先の新しい音楽メディアのあり方について、ミュージシャンのあり方について。沢山の問題提起をしてくれた。 ――以前、Twitterで「音楽を手に入れるときはCDですか? 配信ですか? その他の方法ですか?」とフォロワーの人たちに質問していましたよね。かなりの返信が集まったと思うんですけれども、そこからどういうことを感じましたか? 山口「実際に聞いてみたら、“CDです"っていう言葉がTwitterのトレンドワードになるくらい、圧倒的にCDという答えが多かったんですよ。そこからわかっ
電気グルーヴのメンバーにして、日本を代表するテクノDJである石野卓球。彼の人生は、並外れてマニアックで熱心な音楽リスナーとしての人生でもある。DJとしてもリスナーとしても、いまだ止むことのない情熱で、毎月大量のレコードを買い続けている石野に、リスナーとしての半生を語ってもらった。 ――最初に買ったレコードは? 石野「オルガンの発表会の帰りに買ってもらった『ドロロンえん魔くん』の7インチ。保育園のときだね。自分の意志で買ってもらったものとしては、それが初めてかな。そのあとはピンク・レディとかたいやきくんとか。自分のお金で買ったのは、バグルス(※1)か、ポール・マッカートニーの『カミング・アップ』のどっちか。78年ぐらいかなあ」 ――では、一番最初にポップ・ミュージックでガツンときたのは何だったんですか。 石野「リップス(※2)の『ファンキー・タウン』。親戚のお姉ちゃんのとこに行ってよく聴いて
デイヴ・グロールが、「The Future Times」の取材に応じてくれました。 デイヴのレコードとの出会い、お気に入りのレコードについて、そしてこれからの音楽について。 ――レコードとの出会いを教えてください。 デイヴ「最初に手に入れたアナログレコードはいろいろなアーティストが入ったオムニバス盤だった。ケイテルという会社のもので、テレビの通販コマーシャルで売っている当時人気のアーティストの曲がたくさん収められたコンピレーション・アルバムだった。俺が持っていたのにはK.C.&ザ・サンシャイン・バンドなんかが入っていた。その中で俺が一番好きだった曲はエドガー・ウィンターの『フランケンシュタイン』だった。ハード・ロックのインスト曲なんだけどね。ドラッグ・ストアーまで行って買って、家に持ち帰って聞いたんだけど、『フランケンシュタイン』だけ何度も何度も繰り返し聴いたんだ。ドラム・ソロもギター・ソ
乙武「こんにちは。対談がようやく実現しましたね!」 後藤「これまでも、近い場所では何度かすれ違っていたんですよね」 乙武「あとは、Twitterのやり取りで」 後藤「そう。乙武さんはTwitterが本当におもしろくて」 乙武「ウッハッハ(笑)。ありがとうございます!!」 後藤「わりとフォロワーの皆さんとやり合うじゃないですか。端から見てて、僕はどこまで笑っていいか悩むというか。あっけらかんと自虐的なツイートもバンバンするし、エロいこともバンバン言うし(笑)」 乙武「後藤さんが『これって笑っていいの? 乙武さん的にはアリかもしれないけど、俺、素直に笑えねーし…』って考えるじゃないですか。僕の狙いもまさにそこにあるんです。その『考える』ということが大事で、別にその答えはどちらでもいいんですよ。笑っていいんだなと思う人もいるかもしれないし、やっぱり俺は笑えねーよ、って人もいるかもしれない。その答
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