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2019-05-20 當山日出夫(とうやまひでお) 2019年5月17日(金)に、日本近代語研究会が関西大学であったので行ってきた。この研究会は、近年では、日本語学会の開催にあわせて、前日の金曜日に開催ということになっている。 朝の10時ごろに家をでて、近鉄から地下鉄にのりかえて行く。駅でおりて、簡単に昼食。会場は、この前の国語語彙史研究会の時と同じところ。まようことなく行くことができた。 発表はいろいろと面白かった。 質疑のときに、いくつか発言してみた。 一つには、もう「今昔文字鏡」はつかわない方がいいということ。JIS規格を越える漢字については、Unicodeで対応する方がいい。その時、実装されているフォントのバージョンと、どの範囲のUnicodeの漢字を収録しているのか、確認しておく必要がある。 第二には、HNGを見ていなかったということについて。漢字の規範の歴史を考えるとき、HNG
2018-12-07 當山日出夫(とうやまひでお) 続きである。 やまもも書斎記 2018年12月6日 日本漢字学会に行ってきた http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/06/9007758 漢字学会の二日目は、会場を変えてシンポジウムと講演。 シンポジウムのタイトルは「電子版漢和辞典のいま―漢和辞典はここまで来た!」であった。 電子化と漢和辞典ということで、角川、学研、三省堂、大修館、この四つの会社の辞書編集部、営業のひとがでてきて話し。 このシンポジウム、私は、黙ってきいていた。私としても、いろいろ言いたいことはあるのだが、それはあえて言わずに、発表者、それから、フロアからの質疑などを聞いていることにした。 印象に残っていることを書けば、漢和辞典の編纂という仕事は絶滅危惧種であるという意味の発言があった。そして、全体の流れとしては、将来になにがしか
マックス・ウェーバー.野口雅弘(訳).『仕事としての学問 仕事としての政治』(講談社学術文庫).講談社.2018 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000310640 従来は『職業としての学問』のタイトルで知られているものである。その新訳。 私が『職業としての学問』(岩波文庫版)を読んだのは、いつのころだったろうか。たしか、大学生になって、日吉の教養の時のことだったように覚えている。そのころ、この本は「必読書」であった、といってよいであろうか。 新しい訳が講談社学術文庫で出たので読んでみた。タイトルが『仕事としての学問』に変えてある。また、かなり丁寧な註解がついている。その当時(ウェーバーがこの本の講演をおこなった当時)の、学問的な、社会的な背景などについて、解説してあるので、読みやすかった。 この本については、これまでにいろんなとこ
2018-07-23 當山日出夫(とうやまひでお) 2018年7月21日は、京都大学人文科学研究所で、 シンポジウム「文字情報データベースの保存と継承」 があったの参加してきた。記録の意味で、プログラムを転記しておく。 漢字字体規範史データセット http://hng-data.org/index.ja.html 保存会設立記念シンポジウム「文字情報データベースの保存と継承」 http://hng-data.org/events/2018-07-21.ja.html =============================== 第1部 研究集会「文字情報データベースの保存と継承」 13:00-13:05 趣旨説明:守岡 知彦 13:05-13:35 報告1:高田 智和(国立国語研究所) 「『石塚漢字字体資料』と『漢字字体規範史データベース』」 13:35-14:05 報告2:守岡 知彦(
島崎藤村.『夜明け前』第一部(上)(新潮文庫).新潮社.1954(2012.改版) http://www.shinchosha.co.jp/book/105508/ 今年は、明治維新、日本の近代についての本を読んでみたいと思っている。そのなかで選んだうちのひとつ。再読になる。最初、この作品を読んだのは、若い時、高校生のときか、大学生になっていただろうか。読んだことだけは憶えているのだが、その内用についてまでは、さっぱり忘れてしまっている。 新しく改版してきれいになっている新潮文庫版で読むことにした。まず、第一部の上巻から。 この小説、言うまでもなく、島崎藤村の代表作であり、日本近代文学、自然主義文学の最高峰に位置づけられる作品である。信州馬籠の庄屋に生まれた青山半蔵を主人公とする。これは、藤村の父親がモデルになっている。 時代設定は、幕末から明治維新にかけて。そして、この作品が書かれたのは
2017-05-12 當山日出夫(とうやまひでお) 先日の日本語史の講義。古事記についてであった。 まず、黒板につぎのようなことを書いて説明する。 712年。太安万侶が、稗田阿礼の暗記していたことを、文字(漢字)で書いて書物にした。漢字だけで日本語を書いた、最古の文献である。ここには、日本の神話、歴史が書かれている。 このように書いたうえで、さらに次のように言った。 この黒板に書いてあるようなことを、そのまま文字通りに信じているような日本語史研究者、古代史研究者は、いません。書いてあることは嘘ではないが、しかし、専門家は、これらのことについて、さらなる疑義をさしはさむことで、研究をすすめている。だから、専門の研究書や辞典などをひいて調べようとすると、まず、このことを知らないといけない。 嘘ではない。しかし、研究者が本当のことと信じているわけではない、ということがある。大学以上の勉強は、そこ
2016-11-16 當山日出夫 語彙・辞書研究会、第50回の研究会に行ってきた。記念のシンポジウムで、テーマは「辞書の未来」。 2016年11月12日。新宿NSビル。 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/ その質疑の時、私が言おうとして十分に語れなかったことについて、ここに書いておきたい。つぎのようなことを私は言いたかった。 もし、日本語が漢字というものをこれからも使い続けていくとするならば、書体・字体・字形をふくめて、安定した形で見ることのできる紙の辞書は、ある一定の需要、あるいは、必要性があるのではないだろうか。たしかに、世の中の趨勢としてデジタル辞書の方向にむかっていることは否定できないであろう。であるならば、デジタル文字ほど、不安定なものはない。特に漢字について、その書体・字体・字形をきちんと確認することは、あ
2016-08-17 當山日出夫 『なつかしの高校国語』にもどってみる。この本、『羅生門』(芥川龍之介)からはじまっている。確認してみると、凡例では、『現代国語1 二訂版』(1979-1981)、とある。 筑摩書房(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2011 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/ ここで問題にしてみたいのはその最後である。 「下人の行方は、だれも知らない。」 これは改作後のもの。一般には、この形で流布している。普通の文庫本や、もちろん、くだんの筑摩の国語教科書も、この文章になっている。だが、ここの初出の文章は、 「下人は、既に、雨を冒して、京都の町で強盗を働きにいそぎつゝあつた。」 である。(この箇所、『なつかしの高校国語』による。p.49) 今、確認する余
2016-06-12 當山日出夫 すでにWEB上その他で、いろんな人が発言している。私にとってみれば、ああ、また一つ雑誌が減ったのか。あるいは、岩波書店は、これから本当に大丈夫なのだろうか、といった感想であった。 『文学』休刊のお知らせ http://www.iwanami.co.jp/bungaku/ 『文学』(岩波書店)休刊のニュースからやや時間がたったので、ここで自分なりに思うことをすこし書いてみたい。 まず、いうまでもないことであるが、日本文学・国文学関係の各種雑誌の衰退ということがいえよう。『国文学』『解釈と鑑賞』は、すでにない。『月刊言語』もなくなってひさしい。 また、これもよく指摘されることであるが、全国の大学から、日本文学・国文学の専攻が減少傾向にある、ということもいっておかねばなるまい。 だが、こんなことは、私がここで今さら書くほどのことでもないだろう。 ただ、私の立場で
2016-05-23 當山日出夫 小田中直樹.『歴史学ってなんだ?』(PHP新書).PHP研究所.2004 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-63269-8 いわば、歴史哲学の入門といってよいであろうか。 この本を知ったのは、 野家啓一.『歴史を哲学する-七日間の集中講義-』(岩波現代文庫).岩波書店.2016 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/0/6003420.html で、参考文献にあがっていたからである。 大学で歴史学を学んでいる学生を相手にして、歴史学の意味とは、歴史的事実とは、などについて語ってある。いわゆる言語学的転回を経たのちの歴史学は、構成されたものとしての歴史を記述することになる。言い換えれば、神の視点からみた客観的な事実としての歴史は存在しないと考える、まあ、
2011-10-13 當山日出夫 京大人文研での、安岡孝一さんの連続セミナー。4週連続で、木曜日の6:30から、京大までというのは、ちょっときつかった。最初の2回は、まだ、夏休みのうちであったが、後の2回は、もう後期の授業がはじまってしまっている。 4時間目まで授業して、自動車を適当なところに移動してとめて、百万遍まで通うというのは、かなりきびしい。でも、何人かの人は、私と同じで、連続して聴講していた。(まあ、顔なじみの人も、幾人かはいたのであるが。) このセミナーの基本的内容は、 『新しい常用漢字と人名用漢字-漢字制限の歴史-』.安岡孝一.三省堂.2011 に書かれていることが基本となっている。 ただ、最後の第4回(㐧四夜)は、ちょっと、範囲を拡大して、戸籍用の文字の話し。(これについて、個人的には、いろいろ考えることがあるが、まあ、おいおい書いていくことにしよう。) ともあれ、セミナー
2011-06-03 當山日出夫 Twitterから流れてきた情報であるが。一般社団法人大学出版部協会というのがある。そこが出している冊子に、『大学出版』がある。そのバックナンバーが、インターネットで読める。 第86号(2011年5月)は、デジタル学術情報流通の現状と課題、という特集になっている。 目次は、 1●大学出版部のビジネスモデルを求めて 2●学術出版はどこへゆくのか 3●大学図書館の変化とロングテール 4●電子ブックと大学図書館 となっている。 PDFでダウンロードできる。 http://www.ajup-net.com/daigakushuppan 當山日出夫(とうやまひでお)
2011-01-27 當山日出夫 ウィキペディアについてはいろんな意見がある。その中の一つとして、ざっくりとした概略をつかむのに便利というのが、ある。あるいは、参考文献や関連リンクなどをたどる入り口としての利用、である。 このときに有効なのが、ISBNが記してあるかどうか、ということ。 参考文献にISBNが記載してあると、そこから、書籍情報源にリンクすることなる。そして、ここからは、 PORTA(国立国会図書館) Webcat Plus(国立情報学研究所) カーリル などに、リンクしてある。また、Amazonなどにも。 いくら、ウィキペディアの情報が信用できないという発想の人間でも、国立国会図書館の「PORTA」まで信用しない、ということはないであろう。国立情報学研究所の「Webcat Plus」も同様。図書館でさがすとなると、「カーリル」の利用になるだろう。 私自身、特に、ウィキペディア
2011-01-26 當山日出夫 これは危険である……と、思わざるをえない。 学生にレポートを書かせてみた。ウィキペディアについてのものである。そのなかで、幾人かが書いていたこと……ウィキペディアは、ブリタニカに匹敵するだけの正確さをもっているので十分に信用できる。 さて、これは、ただしいことだろうか。 このこと、「ウィキペディア ブリタニカ」で検索してみればわかる。調査したのは、ネイチャー誌。項目は、自然科学にかかわる42項目。(いいかえれば、すべての項目にわたって網羅的に調査したというのではない。そんな労力があったら、新しい百科事典がつくれてしまう……)。 日本語版のウィキペディアの記事を、いくつか見ただけで、書きかけの項目、不十分な記載で問題があると指摘されている項目、いくらでもみつかる。 ところが、この言説=ウィキペディアは正しい、が一人歩きしてしまている。そりゃ、項目をえらんで調
2011-01-25 當山日出夫 先日の、ウィキペディア10周年の会で話したこと、特にその結論部分を、まとめておく。 結論を整理すると以下のようになる。いまのウィキペディアについての議論は錯綜している。それを整理するならば、(特に、教育、それも高等教育という観点から考えてみよう、) 第一に、ウィキペディアからであれ、なんであれ、剽窃(コピペ)はダメであるということ。ウィキペディアからのコピペ(剽窃)がよく話題になる。しかし、剽窃がいけないのは、別に、WEBにかぎったことではない。紙の本からだって、書いてあることを、そのまま、ことわりなしに、書き写しておくのは厳禁である。きちんと「引用」し、さらに、その「出典・典拠」を明記しなければならない。これは教育の基本。 第二に、信頼できるかどうか、という点。ウィキペディアだから信用できない、という判断は、短絡的にすぎるであろう。なかには信頼にたる項目
2010-08-22 當山日出夫 やっと夏の一番いそがしい時期がおわって、すこし時間に余裕ができてきた。今日から、このブログも再回、夏休みも終わりである。 小学館の出している小冊子に『本の窓』がある。この9-10月号に、ジャパンナレッジに、『国史大辞典』がはいったいきさつの記事がのっている。吉川弘文館の社長である前田求恭さん、それから、ジャパンナレッジの社長である相賀昌宏さん、この両名の対談である。 まず、こういっては、みもふたもないが、出版社のPR冊子であるから、その分を適当に割り引いて読むことになる。しかし、そうでありながら、これはと気になる箇所もある。 『国史大辞典』が最初から、「デジタル」を視野にいれた出版を考えていたこと。そのスタートは、昭和40年にさかのぼるよしであるから、当然ながら、パソコンなど、何もない時代である。それが、具体的に、書物として刊行する段階になった時点で、「デ
2010-07-20 當山日出夫 植村八潮.『電子出版の構図-実態のない書物の行方-』.印刷学会出版部.2010 昨日から読み始めている。なかなか面白い。というのは、今の時点で書いた本ではなく、かつて書かれた文章を集めたものであるから、ということもある。『印刷雑誌』に1999年から書いてきた文章をあつめたものである。 かつてのはなし……「フロッピーで渡したんですが、写植のオペレータを僕が代行したのに、手書き原稿と印税が同じなのはおかしいのではないか」(p.21)と言った人がいたらしい。いまから、10年以上も前の話しであるが、いままさに、電子書籍の印税が何%になるかと、同じレベルの議論を、むかしもしていたのだ、ということがわかる。 時代が変わっても、コンピュータの環境がかわっても、そう人間の発想は変わるものではないらしい。 過去10年あまりにわたって、電子書籍をめぐって、どんなことがおこって
2010-07-17 當山日出夫 昨日は、国立国会図書館(関西館)に行って、「電子図書館の可能性」の講演会。その様子は、次のURLにまとめられている。(他にもあるかもしれないが。今の時点で気づいたところで。) http://togetter.com/li/35818 当初、どれほど人があつまるか危惧されていたようであるが、実際に行ってみると、非常な盛会であった。関西館のような場所で開催したとしても、(言っては悪いが、非常に不便な場所にある)、これほど人があつまるというのは、やはり関心の高さを示すものだろう。 全体的な印象を記すならば、だいたい次のようになるだろうか。 第一に、長尾真館長の考え方は、基本的に一環していている。 第二に、だが、それをとりまく周囲の電子図書館についての考え方の方が、その時々の状況によって非常にゆれうごいている。昨年からのグーグルブックス、それに、最近の、Kindl
2010-07-17 當山日出夫 電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。 電子書籍は、デバイスに依存する。紙の本であれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。 この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。 これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。 紙の本でも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写本の時代から、版本の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存す
2010-07-12 當山日出夫 漢字文献情報処理研究会での、シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」 2010年7月10日 慶應大阪リバーサイドキャンパス 代表挨拶 報告1 田代真人氏((株)メディア・ナレッジ代表、(株)アゴラブックス取締役) 報告2 守岡知彦氏(京都大学人文科学研究所助教) 報告3 石岡克俊氏(慶応義塾大学産業研究所准教授) ディスカッション http://togetter.com/li/34725 上記に、まとめられている。 ここにも書いてあるが、私が質問したこと……電子書籍のすぐ隣接する問題としては、電子図書館の問題があるのではないか。 この質問については、「とりあえず、そのことは考えていない」ということで、かわされてしまった。(田代真人さん)。 しかし、電子図書館の問題を無視して、いくら、電子書籍のビジネスモデルを考えたとしても、空論にしかならない危惧を感じる、と
2010-07-04 當山日出夫 昨日の、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムの感想をすこし。 何度も書いているように、これは、旧来からの内村鑑三研究の立場のひと、DVD版の製作にあたったひと、それを使っている新しい研究者、実際にそれを作った印刷業、さらには、将来の電子書籍論……このようなひろい範囲を包括するこころみとして企画した。 そのなかで印象に残ったことを述べれば、これからの人文学研究の方向性であある。 第一には、資料のデジタル化。これはいうまでもないだろう。 第二には、ソーシャルメディアの活用の環境。その研究対象の資料の専門家が、それだけで閉じこもって「ムラ」を作ってしまってはいけない。社会にむかって開かれていなければならない。そのような方向に、いやおうなしに、向かっている。いわゆる、ソーシャルメディアがどんどん、研究者のコミュニティにも浸透していくだろう。 ここでは、自分たち
2010-07-02 當山日出夫 国立国会図書館は、納本制度がある。できた本は、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。 ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容の本がでてくれば、うけれざるをえない。 まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。 次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙の本のようにはいかないにちがいない。 さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的とし
2010-07-01 當山日出夫 いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。 iPad、Kindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人で本が出せるなどの発想からのもの。 ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、 1.それでも紙の本は残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。 2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。 3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。 だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。) このうち、「残す」とい
2010-06-05 當山日出夫 別に宣伝をしようという気はない。しかし、これは価値がある、と思う。 ジャパンナレッジ http://www.japanknowledge.com/top/freedisplay 多くの人は知っていると思うが、日本国語大辞典など各種の辞典がひける、ポータルサイトである。これに、こんど(来月からか)、『国史大辞典』も加わることになっている。 これに、個人で加入している人は、案外、少ないらしい。月々、2000円ほどかかる。(ま、この前の日本語学会の時にもうしこんだので、少々、サービスで安くなっているが、最初の年度だけである。) 知識というものに、お金をはらう価値があると思うかどうか、その価値観の問題だと、私は感じる。オンラインで使用するから、モノではない。得られるのは、知識。だが、それは、典拠のある確かな知識である。 当然、Wikipediaをはじめ、Googl
2010-05-18 當山日出夫 ここで、『中央公論』を悪く言うつもりはまったくないが、どうして、こう新鮮みのない内容になってしまうのであろうか。いままで、さんざん、各種のブログやTwitterなどで、語られてきたことであるように思える。 強いて考えるならば、『中央公論』というような、総合雑誌であるからこそ、電子書籍というような新しいものについては、かえって、保守的で一歩おくれたような議論の場になってしまうのかもしれない。 気になったこと。一つだけ。 「グーグルベルグの時代」と本・読書の近未来形 対談:宮下志朗/港千尋 ここで、「出版社、図書館はいらない-文豪バルザックの直販方式」と題した箇所がある(p.173) 半分はナルホドと思ってよむのだが、しかし、半分は大事な部分が抜けているなと感じる。まあ、たしかに、本の直販方式というのは可能になるかもしれないが、それは可能性だけであって、実際に
2010-05-09 當山日出夫 佐々木俊尚.『電子書籍の衝撃』.ディスカヴァー・トゥエンティワン.2010 http://www.d21.co.jp/modules/shop/product_info.php?products_id=746 この本については、すでに多くのブログ、Twitterなどで、言及されている。いまさら、私が付け足すこともないだろうと思うので、ちょっと普通とは違った視点から見てみる。 書籍が電子化する……これは、同時に、日本語の表記とメディアの変化でもある。この視点から見るとどうなるだろうか。 言うまでもなく、今、改定常用漢字表をめぐって、議論の最中、というよりほぼ最終段階にきている。この基本にあるのが、日本語のコンピュータ処理、手で書く文字から、打つ文字への変化である。では、このとき、いや、さかのぼって、改定常用漢字表の議論が開始されたときに、今のような電子書籍、
2010-05-04 當山日出夫 この本を読んで、考え方が変わった。そう断言できる。文化財のデジタル・アーカイブ、これもなかなか捨てたものではない。いや、この方向に新しい未来がある、そう実感させてくれる。 『文化財アーカイブの現場-前夜と現在、そのゆくえ』.福森大二郎.勉誠出版.2010 http://www.bensey.co.jp/book/2225.html そう大部な本ではないのだが、読むのに時間がかかってしまった。それは、読みながら考え込んでしまったから、である。本当に、この考え方でいいのであろうか、しかし、こう考えざるを得ない……このような思いにとらわれながら、考え考えしながら、ようやく読み終えた。 これまでの私の考えを端的にいえば、たかがデジタル複製ではないか、実物の方がいいにきまっている、まあ、このように考えていた。しかし、この考え方が、この本を読んで変わってしまった。デジ
2010-04-19 當山日出夫 内田麻理香.『科学との正しい付き合い方』.ディスカバー・トゥエンティワン.2010 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10479372420.html を、読み始めている。まだ、全部読んでいないのに感想を書くのもどうかなとは思うが、まあ、思ったことを書いてみる。 この本、初級編・中級編・上級編とわかれている。初級編でつよく触れられていることの一つが、学校教育(小学校~高校)での、科学との出会い。これをもっと具体的にいえば、どんな先生に、どんなふうに習ったか、ということ。 このことは、自分自身の昔をかえりみて、なるほど、と思う。 誰も、好きこのんで理科(科学)が嫌いになっているのではない。そこには、何かしらの要因がある。また、これはやむをえざることではあるが、現実に、学校教育(高校から大学受験)においては、理系・文系に
2010-04-02 當山日出夫 この前、(これは書いてかまわないはずであるが)「センターネット」の会議を、立命館で行っている。「センターネット」って言われても、これだけでは何のことだかわからない。話しを聞いてみると、「デジタル・ヒューマニティーズ」の関係する「センターネット」ということらしい。(もうちょっとわかりやすい名前にしてほしいなあ。「デジタル・ヒューマニティーズ」も強いて日本語にすれば、「人文情報学」といったところか。) 私は、これには出なかった。別のところ、別の会があって(これは書かないでおく)に出ていた。同じように、デジタル化した文化資源についての集会。ちょうど日程が重なっていた。ちょうど東京に行く日程との都合を考えて、私としては、こちらに出てきた。 これから、デジタル・ヒューマニティーズの相互の連携を考えるとき、基本として、電子図書館(デジタル・ライブラリ)も視野にいれない
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