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東日本大震災から1カ月半。新潟県の調べによると、震災と福島第1原発の大事故から新潟県内へ逃れている避難者は、いまなお8000人以上にのぼります。日本共産党の竹島良子県議と笠井則雄長岡市議は26日、福島県南相馬市から長岡市内に避難している住民を訪ね、実情を聞きました。 (大星史路) 26日の県発表では、避難所に4535人、親戚・知人宅など避難所以外に3377人、病院や福祉施設に281人が身を寄せています。 長岡市には、9カ所の避難所に620人がいます。竹島県議らが訪ねた南部体育館には、150人が生活。多数が高齢者です。8人の子どもたちが体育館から市内の小中学校に通学しています。 宮内地区社会福祉協議会が毎日、みそ汁の炊き出しをボランティアで行い、温かい一品が喜ばれています。 見えない出口 4月に入り、南相馬市から看護師などの市職員が避難所に派遣されました。「地元の看護師さんが来てくれた」と住
3月11日、津波は子どもたちが通う小学校を襲いました。離ればなれのまま、子どもを失った親たち。悲しみはいえることなく1カ月が経過しようとしています。 北上川を4キロ以上さかのぼり津波は、宮城県石巻市立大川小学校の屋根まで達しました。市によると、学校にいた児童108人のうち64人が亡くなり、10人は行方不明のまま。校内にいた職員11人も9人が死亡、1人が行方不明です。今でも、小学校の近くでは消防などとともに子どもを捜す親たちがいます。 小学校5年生の息子さんを失った男性(47)は仕事中に激震に見舞われました。車で学校への道を走りましたが、津波で流され通行止めに。「学校だから大丈夫」。そう信じ、消防団の作業に加わりました。 翌日の午前中、ラジオで小学校の体育館に子どもと近所の住民が取り残されているもようと情報が流れました。「無事、戻ってくる」。母親たちは、冷たい水につかり、一晩寒い中に居た子ど
日本共産党の志位和夫委員長は26日、東日本大震災で放射能漏れ事故を起こしている福島第1原発周辺の住民が避難する東京都と川崎市の2施設を訪問。食料など支援物資を届けるとともに被災者の声に耳を傾けました。被災者からさまざまな悩みや要望が出されました。 都内の味の素スタジアム(調布市)には、福島県いわき市の住民など67世帯180人が避難。家族5人で避難してきた福島県浪江町の女性(47)は「生活費も身分証明書ももたず避難してきました。津波で家も漁船も失い、この先地元に戻れるか、仕事があるかもわかりません」と、志位氏に訴えました。 女性が、「友人も安否不明ですが、原発の問題があって現地の情報がまったくない。みんなバラバラになってしまった。早くもとの生活に戻りたい」と語ったのに対し、志位氏は、「まずは地域のみなさんの安否がわかるようにするとともに、みなさんが避難所で体をこわさず、もとの生活に戻れるよう
大震災から1週間。宮城県名取市の大沼宗彦市議は、雪や風をついて各避難所を回っています。 大沼市議は元教師。被災した2日間は、身内が見つからない子どもたちの支援のために児童センターに泊まりました。「身内が見つからないでいた子どもも、小学生のお兄ちゃんが迎えに来て、一緒に親戚を頼って行ったようだ」と話します。 避難所の館腰小学校では、「絵本やおもちゃがほしい」という要望にこたえ、町内会で集めて2回届けに行きました。中学生や高校生が、運ばれてくる物資を配るボランティアを始めたところもあります。 しかし、支援は避難所によって大きな差があり、家族の安否確認も自分の足だけが頼りです。「教職員が救援活動にあたっていますが、ガソリン不足で家に帰れないままの人もいます。ガソリン、灯油、食料、確かな情報の確保が急務です」と大沼市議は話します。 宮城県教職員組合役員の中学校教師は「被災の全容がつかめない。安否が
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