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戦争と日本に関するmsyk710513のブックマーク (5)

  • 2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/■ マレー半島での華僑虐殺

    軍による一般住民の虐殺はシンガポールにとどまりませんでした(4月27日付で「シンガポールの『華僑粛清』」掲載)。第25軍(山下奉文(ともゆき)=司令官)の戦闘部隊は、1942年2月15日にシンガポール戦が終了すると、一度南下したマレー半島に戻っていき、「敵性華僑狩り」という名で中国系住民の虐殺をはじめました。(山沢猛) 福岡県久留米市で編成された第18師団が南部のジョホール州を、広島城に司令部があった第5師団は、同州以外の半島全域を担当して分散します。そして軍司令官命令にもとづいて42年3月のほぼ1カ月間、マレー半島全域で蛮行を行いました。 東南アジアの被害者が証言 日軍の蛮行の被害者をマレーシアから招いて「証言集会」を開いてきたのが「アジア・フォーラム横浜」(吉池俊子代表)です。1994年以来毎年、アジア・太平洋戦争開戦の12月8日の前後に、東南アジアの証言者を中心に開催し昨年で2

    2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/■ マレー半島での華僑虐殺
    msyk710513
    msyk710513 2015/06/09
    まさに動かぬ証拠。これでも否認するのは通用しない、歴史の事実。なぜ大虐殺を実行したか、旧軍の体質が理解の助けになるかも。様々な文献で言及されているからそちらも。兎に角政府の責任とはいえ加害責任を忘れぬ
  • 2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/シンガポールの「華僑粛清」/一般住民を占領後殺りく

    今年は、第2次世界大戦が終結して70年です。日共産党は第3回中央委員会総会(1月20日)で、「戦後70年の年に、『あの戦争は何だったのか』について、国民一人ひとりが正面から向き合い、考えること」を呼びかけました。靖国神社の軍事博物館「遊就館」が日戦争を「アジア解放の戦争だった」と正当化するなど、歴史偽造の議論が日政治にもちこまれているなか、あの戦争がどのような戦争だったのか、シリーズで考えていきます。 シンガポール市街地の中心部に高さ約68メートルの塔がそびえています。この塔の名前は「日占領時期死難人民紀念碑」で、日ではよく「血債の塔」と呼ばれます。塔の下には、日軍によって虐殺された人たちの遺骨が数多く眠っています。 塔の台座には碑文があり、その一つには「深く永遠の悲しみとともに、この紀念碑は、日軍がシンガポールを占領していた1942年2月15日から1945年8月18日まで

    2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/シンガポールの「華僑粛清」/一般住民を占領後殺りく
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/27
    事実を無視する逆流に毅然と立ち向かい、真実に基づく認識と、過去に誠実な姿勢を。事実に学ばなくなったら破滅だ。
  • きょうの潮流 2014年8月1日(金)

    靖国神社の遊就館にラッパを口にしたまま倒れる兵士の額が展示されています。敵の弾に当たりながら、死んでもラッパを離さなかった、木口小平(きぐちこへい)の絵です。戦前まで美談として小学校の教科書に載りました▼木口兵士が英雄にまつり上げられたのは、日清戦争の最初の陸戦「成歓(せいかん)のたたかい」でした。日はそれに先立つ「豊島(プンド)沖海戦」にも勝利。その様子を従軍記者らは「文明日進の我帝国の海陸軍向う所敵なし」(『時事新報』)と大々的に報じました▼維新後の富国強兵や急速な帝国主義化のもと、領土拡張と他国支配を目的に格的な侵略戦争にのめり込んでいった日。その姿をあらわにしたのが、いまから120年前の夏に始まった日清戦争でした▼この戦争で日は朝鮮の内政改革と独立を掲げるとともに、国際法を順守すると宣言しました。みずからを文明国の一員として宣伝し、野蛮な清国との「文野の戦争」であると印象付

    きょうの潮流 2014年8月1日(金)
    msyk710513
    msyk710513 2014/08/01
    文明国装ってもメッキは剥がれる。日清戦争が近代日本最初の大規模対外戦争でここから軍国主義に向かったとは。歴史の歯車が逆戻りしようとしている今、過去の教訓から学べ。/70年戦争との表現も聞いたことある戦前
  • 日本軍中国侵略 盧溝橋事件77年/日中全面戦争の発端に/政府が「北支急派」を閣議決定

    77年前の1937年7月7日、中国の北京近郊の盧溝橋(ろこうきょう)付近で、駐留日軍の「夜間演習」のさい、中国の国民党軍との間に起きた軍事衝突を盧溝橋事件といいます。その後8年にわたる日中全面戦争の発端になりました。 盧溝橋事件は、北京近郊という中国の中心部で、中国の中止要請・抗議を受けていた夜間演習を強行、そこで何者かが日軍に発砲したとして起きた事件でした。北京近くに約5000人もの軍隊を送り軍事的緊張をつくりながら、部分的な衝突があったことを理由に全面戦争にのりだしたのです。 当時、日は朝鮮半島の植民地支配につづき、1931年に中国東北部への侵略を開始、翌年にはかいらい国「満州国」をつくりました。領土拡張の次の目標は「華北」から内モンゴルにかけての一帯でした。華北とは北京、天津などの中心都市がある中国の心臓部でした。日軍はこの地域を「自治政府」の名目で自分の息のかかった地方政権

    日本軍中国侵略 盧溝橋事件77年/日中全面戦争の発端に/政府が「北支急派」を閣議決定
    msyk710513
    msyk710513 2014/07/08
    靖国派が中国のせいにするのは強盗的な侵略者側の言い分、実態は逆だ。記事で学んで侵略美化を打ち破ろう。ここでも日本の負の過去を直視し誠実に向き合うことが必要。安倍らは眼をそむけるだろうが通用しない。
  • きょうの潮流 2014年1月29日(水)

    凍てつく寒さの中、アウシュビッツ解放式典で生存者が恐怖の体験を語っていました。高齢化で減りつづける“語り部”。一方で、収容所跡の博物館を訪れる人の数は増え、若い人の姿が目立っているといいます▼おととい、欄でホロコーストについて取り上げましたが、書ききれなかったことがあります。戦後、加害国のドイツと被害をうけたポーランドが共同し、子どもたちが同じ内容の歴史教科書を学べるように努めてきたことです▼同様な努力は独仏の間でも積み上げられています。ドイツをはじめ、それぞれの学校でナチスが犯した罪を学ぶ。欧州の国々はそれを歴史教育の中心にすえ、相互理解や戦後平和の礎にしてきました▼ひるがえって、わたしたちの日です。侵略したアジア諸国と共通の土台をもてず、とくに安倍政権の誕生で韓国中国との関係は悪化するばかり。いまも公共放送NHK会長の「慰安婦」発言に、内外の批判がひろがっています▼植民地支配下で

    きょうの潮流 2014年1月29日(水)
    msyk710513
    msyk710513 2014/01/29
    ドイツとあまりに対照的な日本。未だに謝った認識や信念にしがみつき声高に主張しセカンドレイプ繰り返す安倍一派。過去と真剣に向き合うドイツと負の歴史直視せぬ日本、歪んだ愛国心・誇り強要で国民は不幸で危うい
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