日本軍による一般住民の虐殺はシンガポールにとどまりませんでした(4月27日付で「シンガポールの『華僑粛清』」掲載)。第25軍(山下奉文(ともゆき)=司令官)の戦闘部隊は、1942年2月15日にシンガポール戦が終了すると、一度南下したマレー半島に戻っていき、「敵性華僑狩り」という名で中国系住民の虐殺をはじめました。(山沢猛) 福岡県久留米市で編成された第18師団が南部のジョホール州を、広島城に司令部があった第5師団は、同州以外の半島全域を担当して分散します。そして軍司令官命令にもとづいて42年3月のほぼ1カ月間、マレー半島全域で蛮行を行いました。 東南アジアの被害者が証言 日本軍の蛮行の被害者をマレーシアから招いて「証言集会」を開いてきたのが「アジア・フォーラム横浜」(吉池俊子代表)です。1994年以来毎年、アジア・太平洋戦争開戦の12月8日の前後に、東南アジアの証言者を中心に開催し昨年で2
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