アジア・太平洋戦争末期の東京大空襲からきょうで70年です。1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機約300機が投下した大量の焼夷(しょうい)弾で東京の下町一帯は火の海にされ、約10万人の命が奪われました。米軍の民間地域への無差別空襲は東京だけでなく全国の都市などを焼き払い、甚大な犠牲を生みました。生き延びた人たちも心や体に深い傷を負い苦難の人生を強いられました。日本政府はいまだに民間人の犠牲者・被害者への補償を拒み続けています。「命あるうちに解決を」。高齢化する被害者らの悲痛な叫びに、国は今こそこたえるべきです。 「防空法」が悲劇拡大 アジア・太平洋戦争は、日本の無法な侵略によって引き起こされ、アジア各地に多大な犠牲と被害を強いましたが、戦争末期の日本各地への米軍の無差別空襲は、軍人ではない一般市民・労働者の住む地域を標的にした非人道的な作戦でした。広島と長崎への原爆投下と並んで、国際法