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戦争と災害に関するmsyk710513のブックマーク (3)

  • 主張/戦後70年と大空襲/被害解決へ国は責任を果たせ

    アジア・太平洋戦争末期の東京大空襲からきょうで70年です。1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機約300機が投下した大量の焼夷(しょうい)弾で東京の下町一帯は火の海にされ、約10万人の命が奪われました。米軍の民間地域への無差別空襲は東京だけでなく全国の都市などを焼き払い、甚大な犠牲を生みました。生き延びた人たちも心や体に深い傷を負い苦難の人生を強いられました。日政府はいまだに民間人の犠牲者・被害者への補償を拒み続けています。「命あるうちに解決を」。高齢化する被害者らの悲痛な叫びに、国は今こそこたえるべきです。 「防空法」が悲劇拡大 アジア・太平洋戦争は、日の無法な侵略によって引き起こされ、アジア各地に多大な犠牲と被害を強いましたが、戦争末期の日各地への米軍の無差別空襲は、軍人ではない一般市民・労働者の住む地域を標的にした非人道的な作戦でした。広島と長崎への原爆投下と並んで、国際法

    主張/戦後70年と大空襲/被害解決へ国は責任を果たせ
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/10
    一連の空襲が国際法違反で、日本政府が不当にも賠償請求放棄したことも知らない人が多いのでは?加えて防空法、政府は二重の罪がある。民間人賠償を拒否する正当性はゼロ、勝つまで闘おう。
  • “平和の大切さを学ぶ”/東京大空襲語り継ぐ集い

    (写真)500人以上が参加した「東京大空襲を語り継ぐ集い~東京大空襲・戦災資料センター開館13周年~」=8日、東京都江東区 東京大空襲から70年の今年、「東京大空襲を語り継ぐ集い~東京大空襲・戦災資料センター開館13周年~」が8日、東京都江東区の江東区文化センター・ホールで行われ、500人以上が参加しました。 1945年3月10日、約300機の米軍爆撃機B29によって東京の下町は一夜にして焦土と化しました。推定10万人以上の市民が犠牲になったと言われています。 当時、城東区(現江東区)第一大島国民学校で2年生の担任をしていた田近治代さん(88)が、もんぺ姿で登壇。田近さんは当時、千葉県の市川に住んでおり、空襲を逃れましたが、学校の教え子全員を失いました。「あたり一面の死臭で息ができなくなりました。人や馬の焼死体につまずきながら子どもたちを探しましたが、会えることはありませんでした」 田近さ

    “平和の大切さを学ぶ”/東京大空襲語り継ぐ集い
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/09
    空襲の恐ろしさを知っている人から今の世代へ語り継ぐ。きな臭い今こそ、平和を守るために過去に目を向けよう。
  • 機銃と津波 刻んだ鉄橋/「恐ろしさ後世に」市民が運動/岩手・宮古市

    東日大震災の津波によって流された岩手県宮古市のJR山田線の鉄橋には戦争の傷痕が刻まれていました。「津波とともに戦争の恐ろしさを後世に伝えたい」と市民の運動によって、その一部が保存されています。 (武田祐一) 「いくつも穴が開いているでしょう? 1945年8月10日の宮古空襲の、米軍のグラマン機による機銃掃射の銃弾痕です」と説明するのは「流出した銃弾痕の鉄橋を保存する会」の岩間滋事務局長(64)です。 市内を流れる閉伊(へい)川河口部に架かっていた山田線の鉄橋は約240メートル。橋桁1の長さは約23メートルで、10あるうちの6が津波で流されてしまいました。 市が保存 「戦争の恐ろしさを伝えるものとして、これを後世に残さなければと思っていたら津波で流されてしまった。ほうっておいたら鉄くずとして処分されるところでした」と岩間さん。 同会が宮古市とJRに働きかけ、市が保存することにしました

    msyk710513
    msyk710513 2011/10/13
    戦争の恐ろしさ刻んだ鉄橋が津波で流される被害。一部を何とか保存することになった。落ち着きを取り戻したら、貴重な財産に注目する余裕が出る事を願う。
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