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パリ五輪
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大竹弘二+國分功一郎『統治新論──民主主義のマネジメント』(太田出版)「あとがき」より 本書では、現代政治を巡る諸問題が思想と歴史の観点から論じられている。おかしなことを言うようだが、私はいま大竹さんとの議論を振り返りながら、そうした観点がどれほど有効であるのかを実感している。たとえば、行政と主権の関係、立憲主義の定義、法の制定と運用の問題などといったトピックは、近年の政治上の論点に直結するものであると同時に、思想と歴史の知識がなければなかなか理解が難しい、そうした難題でもある。おそらく我々はいま、思想と歴史の知識が直接に必要とされ、また直接に役に立つ、そのような政治状況を生きている。 もちろん、「いつだってそうであったはずだ」と言われるかもしれない。おそらくそうなのだろう。だが、少なくとも私の肌感覚としてはこの20年で事態は大きく変化した。大竹さんと私がともに大学生として政治学を学んでい
最近、精神分析に対する自分の考えを表明してほいた方がいいかなと思うことがありました。 岩波版『フロイト全集』第19巻(2010年6月配本)によせた文章をここに再掲します。 少し前の文章ですが、自分の考えは変わっていません。 素人による精神分析読解の問題 國分功一郎 フロイトは医者だった。一八八一年にウィーン大学医学部で学位を取得しており、一八八六年にはウィーンでクリニックを開業している。フロイトの名は精神分析から切り離せないが、これはフロイトが医者として患者に接するなかで自ら創始し、様々な変更を受けいれながら発展させていったものである。つまり、それは、彼がヒステリーや神経症に苦しむ患者を治療するために作り出した理論である。 すると次のような疑問が出てくるのは至極当然のことであるように思われる。たとえば筆者のような、医者でもなく、心の病の治療に携わるわけでもない人間が、フロイトの精神分析につ
【以前、プラネッツのメルマガに掲載した「ヴィジュアル系」論です。】 本稿は私が昨年2012年の秋、世界最大の書籍見本市「フランクフルト・ブックフェア」を訪れた後に執筆した報告書である。報告書であるため、公表を目的には書かれていない。そのため、本文では昨年同フェアを訪れた大澤真幸さんの報告書を紹介している。それを読んでいないと少しわかりにくいところもあるかもしれないが、全体を通して言いたいことは最後まで読めばお分かりいただけると思う(なお、大澤さんには、今回のこのメルマガでの拙文公表の許可をいただいている)。題材はちょっとおふざけのように思われるかもしれないが、真面目に書いたものである。このたび、プラネッツ・メルマガ編集部のご厚意により、ここに公表する。 國分功一郎 フランクフルト・ブックフェア出張報告書 ──日本の人文系研究の「ヴィジュアル系」 國分功一郎 私は2012年10月10日から1
【1】『SPA!』で浅田彰さんが僕に批判的に言及されているというので読んでみました。いくつか説明しておかなければならないことがあると思うので、すこし連投したいと思います。 【2】まずこれです。《京大の人文研にいる〔…〕王寺賢太が、國分を呼んでスピノザ論を聞いたことがあるんです。〔…〕國分は、驚くべきことに、ドゥルーズやネグリのみならず、 古典的なスピノザ研究の蓄積についてもほとんど言及せず、ひたすら「僕のスピノザ」を大声で得々と語るわけ》。 【3】最初にはっきりと述べておくと、僕はいままで一度も、「スピノザ論」を語って欲しいと依頼されて京大の人文研にお伺いしたことはありません。これをまず確認しておきます。 【4】ただ二年ほど前、一度京大にお招きいただいたことがあります。その時の論題は市田良彦さんの『革命論──マルチチュードの政治哲学序説』(平凡社新書)で、合評会をやるからこの本を論じて欲し
【再掲】「インフォ・プア・フード/インフォ・リッチ・フード」(『ユリイカ』B級グルメ特集号) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 『ユリイカ』の「B級グルメ特集」(2011年9月)に寄せた文章です。 インフォ・プア・フード/インフォ・リッチ・フード 國分功一郎 B級グルメと言われる時の「B級」とは何を意味しているのだろうか。それは「A級ではない」という意味でしかあり得ない。ではA級グルメとは何だろうか。 「グルメ」とはフランス語でgourmet、「食通」や「美食家」を意味する。日本語ではすこしその意味を変えて、食通や美食家が愛する「うまいもの」という意味でこの「グルメ」という語を用いている。ということはつまり、A級グルメもB級グルメもうまいものであるという点では変わらないことになる。 ならばA級グルメとB級グルメの違いはうまさにはない。どちらもうま
『文藝春秋』2012年8月号 〈政権交代は何をもたらしたのか——民主解体「失敗の本質」〉 に寄せた文章です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 思想はあった首相から思想もない首相へ 國分功一郎(高崎経済大学准教授、哲学) 三年前の政権交代は歴史的な必然であった。少し遡って説明する。 自民党は経済成長の果実を公共投資で国民に再配分して支持を得てきた。この政策モデルは経済成長が前提のため、経済が失速すると効果がない。日本は56年から73年までの高度経済成長期には経済成長率が九%ほどあったが、74年から90年ごろには四%ほどに落ちている。 政権交代時、民主党の中枢にいたのは90年代前半の政治改革の際に自民党を離脱した政治家たちである。彼らは経済成長を前提にした自民党の政策モデルの無効を直感していた。この直感は正しかった。自民党もまたその後、小泉政権下で政策モデルを転換し、構造改革による成長戦
『文學界』2012年2月号に掲載された 東浩紀著『一般意志2.0——ルソー、フロイト、グーグル』 の書評です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この本には三つの苦しさが刻まれている 東浩紀『一般意志2.0——ルソー、フロイト、グーグル』(講談社)書評 評者:國分功一郎 本書は東浩紀が雑誌連載した論考をまとめたものである。その着想は次のように要約できる。 グーグルなどのウェブサービスは、全世界の人々のネット上の行動履歴を巨大なデータベースとして蓄積している。これは人々の行動履歴である限りにおいて、その欲望を探るための手がかりになる。ところでフロイトは、人間の行動は無意識の欲望によって規定されているが、その欲望は精神分析家の分析を通じてはじめて明らかにされるものだと主張した。ならば、情報技術によって記録された人々の行動履歴を適切な仕方で分析できれば、社会そのものの欲望を明らかにできるだろ
朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』2012年5月号に掲載されたエッセイの再掲です。 同じようなことをここでも書いてます(【UTCP Juventus Afterward】)。 ・・・・・・・・・・・・・ 「民主主義」について考えるのを中断する 國分功一郎 政治哲学では伝統的に政体を三つに分けてきました。一人が統治する君主制、少数人が統治する貴族制、全員が統治する民主制。現在の日本の「議会制民主主義」と呼ばれるものは、少数人の国会議員が統治しているわけですから、政体としては貴族制です。しかも、二世、三世の議員が増えていますから、本当に〝貴族〟制ですね……。 大学で哲学を講じる際、政体が話題になるといつもこの話をする。学生は割と驚く。そして実は私自身も驚いている。我々は「民主主義」という言葉を平気で日常的に使っているが、それが何なのかははっきり言って今もよく分かっていないからである。 読者はすぐ
【再掲】「パリのデモから考える」(スタジオジブリ小冊子『熱風』2012年2号「デモ」特集号掲載) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 昨日、日比谷公園であったピースオンアースというイベントに行ってきました。 デモにも少し参加しました。 そこでいろいろ考えることがあって、 それをツイートしました。 たとえば… これとか、これとか、これとか、これとか、これとか、これとか…。 ツイートしながら、 この前ジブリの『熱風』二月号に掲載していただいた拙文のことを思い出し、 またそこで書いていたことの妥当性を再確認しました。 既に三月号が発行されていますので、 その文章を再掲します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スタジオジブリ小冊子『熱風』2012年2号「デモ」特集号掲載 デモについて 國分功一郎 私は学者の端くれであって社会運動家ではないし
さて、前回、ハイデッガーが技術(テクネー)を 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」 (フランス語ならpro-duction) として考えていたということ、 そして、 それと区別される「現代技術」は、 その圏域を逸脱し、 自然を「挑発するHerausfordern」 ようになっているという点を紹介しました。 しかし、この 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」 っていうテクネーの定義、 これがなんだかよく分からないわけです。 風車ならいいと言っているから、 ハイデッガーの技術論をそのまま現代に持ってきてもダメだろう と前回書きました。 そうなんですけど、 この 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」という表現で ハイデッガーが何を言いたいのか、 それをもうちょっと実感をもってつかめないと 安易な批判で終わり
いま発売している『atプラス』という雑誌で、中沢新一さんと対談しています。 「〈原子力の時代〉から先史の哲学へ」ってタイトルなんですけど、 この〈原子力の時代〉ってのはハイデッガーの言葉なんですね。 ハイデッガーは彼が生きた時代をそういう時代だって思ってた。 atプラス 11/中沢 新一 ¥1,365 Amazon.co.jp 福島第一原発の事故以来、 ずっと原子力について考えてきました。 哲学に携わる者に何ができるかって視点から 考えてきました。 その成果の一つが上の中沢さんとの対談です。 で、 あの後もいろいろ読んだりして 考えるところがあって 追加したいと思ってることがあるんで ここに書きたいと思います。 何回かにわけて連載します。 まず原子力発電は「原子力の平和利用」という言葉とともに現れるんですけど、 この言葉の起源はおそらく アイゼンハウアーが1953年に国連で行った「Atom
やっとこの日が来ました。 『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社) が今日発売です。 とにかく強調したいのは 多くの方に読んでいただきたいと思い、 平易な書き方を目指したということです。 最初の「はじめに」のところなんかも 問題の所在がイメージとしてつかめるよう 工夫してみたのですが、 いかがでしょうか? 是非、見かけたら書店で手に取ってください。 たぶん、 目立つ表紙です。 暇と退屈の倫理学/國分 功一郎 ¥1,890 Amazon.co.jp 鈴木成一さんのすばらしい装丁。 写真は勝又邦彦さんの作品です。 表紙を外して開いてみると分かりますが、 両袖にまで及ぶ長大な作品です。 今年は年始めに『スピノザの方法』(みすず書房)を刊行できました。 続いて『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)を刊行できました。 前も書きましたが、 本を出したくても出せない時代がありました。 スピノザは『神学政治論』が招
この前、8月12日 朝日新聞に 民主主義について俺が思うところを述べたインタビューが載りました。 その時の考察の出発点になっているのが、 次のエッセイです。 去年の夏に『文學界』に掲載していただいたものです。 インタビューではマイルドにするために 民主主義そのものへの疑問は述べませんでした。 「民主主義」と言うならこれぐらいのことはしないとダメだ という口調で書きました。 このエッセイでは そもそも民主主義でいいのか という疑問を提示しています。 よかったらお読みください。 民主主義を眺めるミネルヴァの梟(『文學界』2010年9月号掲載) 國分功一郎 ミネルヴァの梟は夕暮れ時に飛び立つ。 ミネルヴァの梟が飛び立てば、夕暮れ時が訪れる。 ミネルヴァの梟は飛び立った。夕暮れ時は既に訪れている。 最近、出色のレーニン論『「物質」の蜂起をめざして』(作品社)を出版した白井聡氏と対談する機会を得た。
スピノザに近づいてみる ——「倫理」と「思考」のための60冊+α(再掲) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 夏休み読書リスト 追加です。 こちらは今年の五月に 紀伊国屋書店新宿店の 「じんぶんや」というコーナーでやらせていただいたフェア。 こちらをご覧ください。 このリストは これまでに上げてきた読書リストの中では 比較的専門性が高いものになっています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スピノザに近づいてみる ——「倫理」と「思考」のための60冊+α—— 國分功一郎選 スピノザ『エチカ』岩波文庫 言わずと知れたスピノザの主著。はっきり言って、冒頭から読み始めたために脱落するひとが多い! 確かに「自己原因とは、その本質が存在を含むもの 云々」なんて始まってたら、なかなか読み進められません。ですので、まずは第四部から、特に
高崎経済大学学生用、夏の推薦図書(再掲) | Philosophy Sells...But Who's Buying? うちの大学では 教員が毎年三冊推薦図書を掲げるんですが、 結構提出を忘れている先生も。 ってわけで、 じゃあ、俺がたくさん出しますよ ということで、 昨年たくさん出させてもらったのが、これ。 先のエントリーと重なるのもありますが、 コメントだけでも参考にしていただければ。 繰り返しますが、 夏休みですので、 みんなで本を読みましょう! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 推薦図書 國分功一郎 【自然科学】 チャールズ・ダーウィン、『種の起原』、上下巻、岩波文庫 # ISBN-10: 4003391241 # ISBN-13: 978-4003391242 # ISBN-10: 400339125X # ISBN-13: 978-4003391259 有名な本ほど読ま
〈子どもへの生成変化devenir-enfant〉——絵本フェアのリスト(再掲) | Philosophy Sells...But Who's Buying? さて、夏休みですね。 夏休みと言えば読書であります。 五月に 紀伊国屋書店新宿店にて 俺のセレクトした絵本フェアというのをやりました。 好評をいただきましたので、 そのリストをそのままにしておくのはもったいないかなと思い、 ここに公開する次第です。 フェアの模様はここで。 上のサイトではフェアに際して作っていただいたキレイなデザインの冊子もダウンロードできます。 今年の前半はこのほかに 二つの選書フェアをやらせていただきました。 その二つの内容も 順次ここで公開していきたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 絵本セレクション 「こどもへの生成変化 devenir-enfant」によせて 民話研究者の大川
倫理的思考を更新するための50冊+α——選書フェアのリスト(再掲) | Philosophy Sells...But Who's Buying? ブックリストの続きです。 こちらは「倫理的思考を更新するための50冊+α」と題された俺の選書フェアで、 7月まで東京と大阪など各地で開催していただいたものです。 全何カ所であったか、 俺自身も把握していないのですが 7箇所ぐらいはやっていただけたんじゃなかったかな。 夏休み読書の参考にしてください! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 倫理的思考を更新するための50冊+α スピノザ、『知性改善論』、岩波文庫 スピノザの出発点となる著作です。『スピノザの方法』ではこの本の謎めいた性格の解明こそが探究の出発点となりました。冒頭で描かれる決断とその失敗の物語が読む者を引きつけます。しかもスピノザは「絶対的な善を探求するぞ!」と二度も決断してお
知性の最高の状態——内田樹『最終講義』(技術評論社) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 昨日は久しぶりにブログを更新した。 原発に関するもの。 原発についてはもう考えざるを得ないし、 毎日考えているし、いろいろ調べてもいる。 けれど、 それについて意見するのは 本当にイヤになる。 なぜかというと、 あらかじめ反論を見込んだ上で 反論に答えられるということを第一に考えて議論を組み立てなければならないからである。 つまり、 何か真理を目指すというよりも、 議論で「勝つ」ことを目指さなければならないからである。 議論で「勝つ」というのはくだらないことである。 そして 「勝つ」ために知識を蓄え、議論を組み立てていくのも くだらないことである。 学問というのは真理の探究であると 俺は堅く信じている。 真理の探究は「勝つ」ためになされるのではない。 「勝つ」
意味不明のコメントがあったので、エントリーで書いておきます。 以下の記述、今のところ俺が知っていることですが、 間違いや勘違いがあったら 是非とも教えてください。 よろしくお願いします。 ・・・・・・・・・・ はっきりとした見通しのないままに始めたのが原子力発電。 原子力発電という目標が国策として掲げられたのが1950年代。 戦後の復興を原子力の平和利用で、ということだったが、 結局原発が使われ始めたのは1970年代ごろ。 つまり戦後復興には全然役立たなかった。 しかし、1950年代当時は甘い見通しのもと 原子力発電がすぐに可能であると思われていた。 1950年代、世界中のどこでも原子力発電の見通しはたっていなかったのに。 核廃棄物の処理方法もそのうち見つかるだろうと思われていた。 見つかってない。 見つかりそうにない。 全く非科学的な態度。 なし崩し。 電気代がここまで高くなってしまった
恋愛から自然へ(論文再録) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 昔書いた論文です。 よかったらお読みください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恋愛から自然へ シャルル・フーリエ『愛の新世界』(福島知己訳)についての書評論文 (『思想』、岩波書店、第一〇〇八号、2008年4月、44~53ページ。) 國分功一郎 我々は恋愛をするが、恋愛について知らない。ニーチェは、身体こそは意識よりもはるかに驚嘆すべきものなのだと語り、スピノザを創造的に読みかえたドゥルーズは、『エチカ』から、人は身体が何を為し得るのかを知らないというテーゼを取り出した。彼らに倣って言うなら、フーリエの『愛の新世界』は、次のように語る書物であるだろう――恋愛こそは驚嘆すべきものであり、ひとは恋愛が何を為し得るのか知らない。 一九世紀のユートピア
歓待の原理——クロソウスキーからフーリエへ(論文再録) | Philosophy Sells...But Who's Buying? 昔書いた、「歓待」についての論文です。 よかったらお読みください。 歓待の原理 クロソウスキーからフーリエへ 國分功一郎 歓待(hospitalité)を巡る議論は、或る対立の中に閉じ込められているように思われる。一方には、異邦人を受け入れる義務を唱える者がいる。他方には、それによる秩序の壊乱を危惧し、受け入れを拒否する者がいる。歓待の概念は、亡命者や移民など、共同体へと不意に来る訪問者への対応が論じられるなかで急浮上してきた。しかし、上のような対立を土台にする限り、歓待という概念の可能性を問うことは困難であるといわねばならない。そこでは、「異邦人を受け入れよ」という命令と、それに対する拒否が平行線をたどるだけである。そして、歓待とは何であるのかが不問に付さ
まずこのCM を見ていただきたい。 (この映像は安冨歩氏のブログ記事 から拝借した。) 少し前にツイッターでも紹介したのだが、 原発の安全性をPRするCMには 多くのタレントが使われてきた。 草野仁 星野仙一 岡江久美子 中畑清と川合俊一が確か福島の原発の必要性を説いたCMがあったと思うのだが、 見つからなかった。 (どこかにあるようだったら、教えてください。) さて、以上を見れば分かる通り、 こうしたCMで用いられている口調は 我々が日常的にメディアで接している口調である。 たとえば 最初に引用した 【東京電力】安全をうたった福島原発CM集 では、 若い女性の素朴な声が ゆっくりと 現場の人たちのがんばりを伝える。 わざと、 現場で働いている人、 すなわち素人に台詞を言わせ、 そのぎこちなさ、 木訥さで視聴者に訴えかける。 こうしたCMは テレビをつけていればいやというほどやっている。
今週号の『週刊現代』(4月23日号)は読み応えがあった。 保存版だ。 若い人は おっさん雑誌 と思っているかもしれないが、 とりあえず手に取ってみて欲しい。 最初のグラビアページ。 これまでにどれだけ原発が事故を起こしてきたか、 そしてそれを どれだけ電力会社が隠してきたか、 非常に分かりやすくまとめられている。 ここでは 少しそれを紹介したい。 ## 1973年、 田原総一郎のところに 73年3月に燃料棒溶解事故が起きたが、関電はこれを隠蔽 という内部告発書簡が届く。 田原はこれを記事にしたが、 関電は黙殺。 76年には国会でも取り上げられ ついに四年後 関電は約四年間、事実を隠していたことを認める。 ## 1981年、 敦賀原発で 大量の冷却水漏れ、放射性廃液の大量流出事故。 これも事故の報告をせず、 発電しながら修理していたことが発覚。 ## 1999年、 北陸電力志賀原発は 操作ミ
前回、 「計画停電の時代」 という記事を書いた。 その後もいろいろ考えるところがあったので、記したい。 この前の日曜日、2011年3月27日付け東京新聞朝刊に 「哲学者」内山節氏の「システム依存からの脱却」 というエッセイが載っていた(「時代を読む」の欄)。 内山氏によれば、 わたしたちは「さまざまなシステムに依存して暮らしている」。 ところがその「システム」は何らかの想定の範囲内で維持可能なように設計されている。 原子力発電もそのひとつで、「これ以上の地震は発生しないという想定にたってシステムは設計されていた」。 だがここ数年に世界で起こっていることは、 市場システムにせよ、 年金・社会保障システムにせよ、 そうした想定が人間の思い込みに過ぎなかったということである。 これが内山氏の議論の骨子である。 ここから彼は次のように結論する。 想定に基づいたシステムは、想定外の事態が起こると崩壊
立花隆に耳を傾けずに立花隆著『サル学の現在』を読む | Philosophy Sells...But Who's Buying? まずタイトルについて説明。 俺は立花隆の本は結構好きです。 特に 『日本共産党の研究』とか 『中核対革マル』などは 政治や政治学、政治哲学に関心あるひとは 是非読むべきだと思っています。 日本共産党の研究(一) (講談社文庫)/立花 隆 ¥730 Amazon.co.jp 中核VS革マル(上) (講談社文庫)/立花 隆 ¥520 Amazon.co.jp タイトルで書いたことは嘘ではありませんが、 タイトルをキャッチーにするために多少演出している ということもご理解ください。 とはいえ、 今回紹介する『サル学の現在』という本は 著者に耳を傾けずに読む必要がある本であり、 名著です。 もう結構古い本なんですけど なんでこれを今回書くことにしたかというと、 いま俺は
この前 安冨歩先生の『経済学の船出』について書きました。 その後、本を読み直したり、 実際に安冨先生にお会いする機会に恵まれたりして、 またいろいろ考えが進んでいます。 俺は『スピノザの方法』でこんなことを言っています。 デカルト哲学は説得の要請に貫かれており、 そこから真理の公的な共有が目指されている。 スピノザはそれを感知していた。 その説得の要請こそがデカルト哲学を歪めていると考えていた。 スピノザ自身は、 説得を求めない。 だから真理の公的な共有も目指さない。 「真理は真理に到達した人にしか理解できない」というテーゼで表されるであろう、 体験の対象としての真理 なるものを考えていた。 我々の常識で考えたら 説得を求めないというのは変なことです。 だって、 分かるヤツには分かる、分からないヤツには分からない と言っていることになるわけですから。 さて、 俺は スピノザのデカルト読解を
『文學界』の1月号に いま話題の 佐々木中の本についての書評を 掲載しました。 もう雑誌も書店においていないので ここで公開します。 なぜこの口調が必要か? 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』書評 國分功一郎 本書は『夜戦と永遠』で注目を集めた佐々木中の第二作である。その中心テーマは〈読む〉ことである。読むことがどれほど爆発的な力をもっているか。たとえばルターは聖書を読むことで、この世界の秩序の無根拠を知った。ルターの起こした〈革命〉(=宗教改革)はそこからこそ説明されうる。かくして佐々木は、文学こそが「革命の本体」であり、「革命は文学からしか起こらない」と断言するに至る(八〇ページ)。この断言を、ルターはもちろんのこと、ムハンマド、更には佐々木がルジャンドルに依拠しつつ注目する中世解釈者革命を通じて確認していくのが、本書の大筋である。その中途では、諸領域をまたがる溢れんばかりの知識が惜し
前に安冨歩先生の著書を紹介しました。(ここ ) その安冨先生が昨年末に『経済学の船出』という本を出版されました。 経済学の船出 ―創発の海へ/安冨 歩 ¥2,520 Amazon.co.jp これを読んで以来、 どうこの本を紹介すべきか ずっと悩んでいたのですが、 今回書くことにします。 というのも、 この本は後半がスピノザ論になっており、 しかもそれが 俺にとって実に強烈というか、 自分の関心にぴたりときたというか、 まさしく目を開かせてくれたというか、 本当に驚くべき内容であったからです。 俺は高崎からの帰宅途中でこの本を読み始めましたが、 途中で最寄り駅を乗り過ごすところでした。 本に熱中して乗りすごしそうになったのは 久しぶりのことでした。 また、 我田引水のつもりはありませんが、 この本は俺が『スピノザの方法』で論じた デカルトとスピノザの違いを より大きなパースペクティヴにつな
『スピノザの方法』についていろいろ&感謝 | Philosophy Sells...But Who's Buying? 「スピノザの方法」(みすず書房)が発売されて、10日ほどたちました。 いろいろ感想をいただいております。 みなさん、ありがとうございます。 なんといっても、 ものすごくきちんと 緻密に読んでくださっている方ばかりで 本当に頭が下がります。 俺はこんなにきちんと本を読んでいるだろうか、と そういう気持ちにすらなります。 本当にありがたいことです。 ツイッターではこんなことを書いてくれた方がいらっしゃいます。 「「規範は行為そのものである」「反省的意識」は「方法が実現された際の状態を指している」。こういうのを目から鱗が落ちるというのだろう。」 これを読んで「目から鱗」と書いてくださるというのは 相当に読み込んでくださった証拠です。 そうです、 確かに「目から鱗」のはずなんです
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