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ameblo.jp/uchino-toramaru
アルカディア(理想郷)と名付けられた牛舎があります 楢葉町の警戒区域内に作られました 取り残された牛を 何とか生かしたい という 農家さんを中心に サポートするボランティアの方々によって運営されています
まだ間もないものもありました 飼い主様が苦しんで苦しんで なんとか生かそうと餌を運ばれたことが想像できます しかし力が及ばなかった 結果 牛は餓死という 一番苦しい死に方をすることになってしまったのでしょう もう餓死という死に方だけは させないようにお願いしたいです この死に方だけは 絶対に絶対に避けてやらねばいけません
更新が滞って ごめんなさい 体調もイマイチだったのですが 気持ちの問題でした 今回の この記事が年末から 書けなくて 書けなくて ずっと苦しかった でも これを乗り越えないと次に進めない そう思うようにして 更新します 去年の9ヶ月間 ほぼ週一のペースで福島に行き ブログや週刊誌 写真集まで作っていただき 写真展もさせていただいて 情報を発信してきました 自分では自分なりに一生懸命 動物たちのために動いていたつもりでした これで何かが変わってくれれば 動物たちに何か助けができれば なんて思っていたのです けれど それは自分の傲りでした 20キロ圏内の牛たちは 何も変わっていなかった ある牛舎 ここは畜主さまが 必死で餌やりに通っていた牛舎 そのおかげで 牛たちは数を減らしながらも ずっと生き延びてきていました しかし 餌やりでは この牛舎がある警戒区域に入る許可が出ないため 畜主さまは あ
彼女 (メスかどうか知りませんが何となく彼女) 彼女は生きています どんどん歩け どんどん ここは双葉町と浪江町の中間地点 このまま北上すれば 20キロ圏内を脱出できるよ 圏内は 一時帰宅の車が行き交います 一般の方々が自分の車で おのおの入っている 防護服も任意 それほど危険ではないということでしょう それなりの動物を扱う方にお願いすれば あっという間に保護できるはず なぜできないのですか ダチョウを保護してしまったら ほかの動物もと言われるから? もうすでに馬は全頭を保護しているじゃないですか もういい加減にしましょうよ いつまで こんな情けない規制を続けるつもりですか 動物を守るために餌やりに入るボランティアさんを捕まえる いつまで 警察の方に こんなつまらない職務をさせるのですか まだ犬も猫もいっぱい生きています 今からでも助けましょう まずは餌やりから 遅くはないんです 国 行政
その成れの果てがこれですよ 5日から始まった行政による捕獲活動も たった6人との報道 半年もたっているのに この程度の活動しか出来ないなんて 原発に何かあっても 動物たちは見殺しですよ 全国の皆さん お気をつけくださいね
7月2日 見かけたときの くるみ 望遠レンズで撮影して さらにトリミングして拡大しています この日から3回は訪れていますが 姿は確認できていません
その中に 慰霊碑と思われるものがありました 一時帰宅のときに作られ 皆でお参りをされたところをニュースで見た記憶があります
地獄は続いています今 この瞬間も
福島に通い始めて 3ヵ月半がたちました 気がつけば福島関連の記事が48コもあります なるべく大勢の方に 20キロ圏内の実情を知って欲しいと思い 撮影しブログにアップしてきました 約1ヶ月前 突然 出版社の飛鳥新社のかたから連絡があり ブログに掲載してきた写真を1冊の本にしませんかとお話をいただきました その後すぐに編集の方とお会いしたのですが お若い女性の編集者 この方ご自身も福島の動物たちのことに心を痛めておられました 私が見てきたこと感じたことを話すと 黙って聞いてくださり そして私のしていることに共感してくださいました 私の気持ちを理解してくれている この人となら 一緒に本が作れる すぐに そう思いました それからはどんどん話は進み 本の製作が始まりました 写真はブログでも使用した それまで撮りためたもの プラス 印刷に間に合うぎりぎりの 先週までの撮影分を入れました そして分かる限
彼女は死体の中で生きています こんな場所 早く離れればいいのに と思いますよね でも イチゴはここしか知らないのです そして イチゴのお母さんがいる場所 彼女をを自分の命と引き換えに育てた お母さんが眠る場所なんです イチゴが自分から離れられるわけがない
原発の水素爆発などの事故で 立ち入りが制限された20km圏内にある 浪江町の牛舎 約50頭ほどいた 肥育用ホルスタイン雄牛たちは 事故以降 飲まず食わず状態になってしまいました しかし この惨状を知った ボランティア団体さんや個人の方々が動いてくださいました 皆で協力し情報交換しながら 給餌給水をして なんとか生きながらえさせようとする活動が始まりました 牛の餌 数百キロを南相馬に送りつけた 滋賀県のボランティア団体 そしてその餌を2トントラックで牛舎まで運んでくれた千葉の若者 実家が南相馬だということで協力してくれた埼玉の主婦 皆がそれぞれの役目を果たし活動したのでした みんな牛たちを助けたい一心で活動しました もちろん他の方々で世話をされた方は絶対いらっしゃったと思います が・・・ 全頭の 牛たちのお腹を継続して満たすには 餌も水も 圧倒的に足りなかったのでした
今回は 私がいつもお世話になっていて 4月にも福島にご一緒していただいたことのある 猫の保護を得意とするボランティアさん2チームと 今回初めて 車の提供と運転をして頂いたボランティアさんとで 福島に行きました 行きも帰りも ずっと雨 私たちにとっては 鬱陶しい雨ですが 残された動物たちには 恵みの雨です これでしばらくは 渇きを忘れることができるでしょう ここは海の近く 幸いこの地区だけ小高い丘になっていたので 津波の被害を免れました この丘の両側は津波で全滅していて ほとんど孤立している地区なのです そんな地区に 犬や猫が取り残されているという情報を受け ボラさんたちにお願いして来ていただいたのです 降り注ぐ雨の中 ゆっくり車を走らせていますと 家に通じるアプローチに猫発見 猫がいると情報を得ていた場所よりずいぶん手前だ 1 2 3 4匹いる! これは見捨てては置けない さっそく車から降
「福島原発20キロ圏内犬猫救出プロジェクト」で活動をしておられる おーあみさんは 用意良く しっかり鳥の餌も持っていらっしゃったので 餌をやりに行くことに さすがに鳥までは保護できないのです せめて餌をやり なんとか生き延びてもらうしか 方法がないのです しかし放された鳥などは 猫やその他の動物に食べられてしまうことが多く そう長くは生きられないのが普通です 現実に食べられてしまったところを 私は何度も目撃しています かわいそうですが この地は弱肉強食のルールがある土地に変わってしまっています ところが不思議なことに ここは鳥たちが一羽も死んでいず 元気に牛たちと共存していたのです しかも ここで一匹の猫の姿を見かけたので その疑問は大きく膨らむばかりでした 犬がいる! 納屋の奥に入った おーあみさんが叫びます いったいなぜこんなことに・・・ 犬はかなり弱っています 保護して病院に運んで診
まだ行くことができていた頃の 原発20km圏内の あるお宅 ワンワンとほえる犬がいました 長めのロープでつながれていた とても元気な子でした なかなか凶暴な子で(笑) しっかり番犬の役割を担っている ご飯をやろうとした時に 咬みつかれそうになったくらいですからね 奥には放し飼いの鶏もいて なんとものどかな感じでしたが 置いてあった容器には もう餌は入っていませんでした 吠える犬をけん制しながら なんとかドッグフードを 空になっていた容器に入れ与えることが出来ました もちろん水もたっぷりと 鶏も腹をすかせて出てきたので 食べるかどうかも分からなかったけれど フードを地面に撒いてみたのです
初めて牛たちに会った時 私の心は破裂しそうで でもどうすることもできなくて 写真を撮って 皆さんに伝えるしかないと思っていました 私にできるのはそれしかないと 翌日 猫のボランティアさんと動くことになり 猫の捕獲に行く前に 行く途中にあるこの牛舎を どうしても見ていただきたくって 無理を言って寄っていただきました 私はひとりでも多くの人に この惨状を見てもらい 原発が引き起こしたこの悲劇を 胸に刻んで頂けたらいいと思って お連れしたのです 近づく人の気配を察知して 静かだった牛たちが一斉に鳴き始め 皆の心が萎縮します でも見て欲しい そう 私は見てもらうだけで良かったのです 川崎からこられた女性二人のボランティアさん 南相馬市に実家がある埼玉から来られた女性 この3人 この3人が 何も話さず すぐ動き始めたのです まず餌をそこら中から集め始めました よくよく見ると水がない 出るはずのところ
国道6号線より海側の家にいた子 家はかろうじて残っていましたが 地面は泥が乾いた状態 飼い主さんは面倒見ていたと思います 話は変わりますが 以前の記事で少し触れました つらい出来事 その話をさせてください 最近になってようやく少し情報が出てまいりましたが 家畜たちのことです 人づてに 飼い主さんや行政に見捨てられた 牛や馬がいるということは聞いてました 今回 私一人ボランティアさんより早く入ったので 牛がいるところを訪ねてみました 道路から数十メートル入ったところに牛舎はありました もちろんそこは20km圏内です 静かで不気味な雰囲気を感じながら歩を進めていきますと 私の足音を察知したのか 牛たちがいっせいに鳴き始めたのです 牛舎に辿り着き 中を覗いてみると そこは地獄でした 約40頭いた牛の10頭ほどはすでに息絶え 残った子たちもやせ細り しきりに私に向かって鳴くのです これほど私は無力
私の福島入りは 今回で3回目です 1回目は何か出来ないかと思い 原発20km圏内 10km圏内に ただがむしゃらに餌と水とカメラを持って 餌と水を ただただ置きまくって 写真を撮ってきました しかし事態は餌を置くだけではダメなんだと思いました 今までと現在 原発20km圏内は立ち入り禁止とはいえ 強制力がないので入る気があれば入れました (正攻法だと住民以外は入れてもらえません) しかし今後 強制的に立ち入り禁止になる可能性が高く そうなるともう餌を置きに行くこともかなわなくなります そうなったら自分の力ではもうどうしようもない 早い段階でもうそれを察知して 犬の捕獲活動されているボランティア団体さんもいらっしゃいます 危険区域から連れ出す もうその方法しか残っていないと思ったのです 東京に戻ってすぐに知り合いの猫ボランティアさんに相談したところ 快諾していただき 2回目 3回目と 猫捕獲
ぴた お腹のあたりは肉があまりないので お腹が減ってるのだろうと想像できます さっそくご飯を上げました 彼はすぐにドッグフードにむしゃぶりつきます 慌てなくて良いからゆっくりお食べ ムービーをご覧ください あまりにもお腹が減っていたところに固いドッグフードを食べたものですから すぐに吐いてしまいます これを何回も何回も繰り返すのです (この行為は他の犬でも見られました) 苦しそうなので水を与えますが飲みません 結局この後 猫用缶詰をあたえると吐かずに全部食べてくれました このお宅にはごはんも水もすべてが無くなっていました 解き放ってあるので何処かへ行こうと思えば行ける状態なのに この子は家で じっと飼い主さんが帰ってくるのを待っているのです きっと このまま ずっと 人間が便利さを追求したツケを この子が代わりに払おうとしています 原発は いりませんよ 本当に心からそう思いました
のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録 写真展を三重県で開催します これは それぞれの写真につけるキャプションの1枚 写真点数は30点 2011年3月~翌2012年3月 20キロ圏内で何が起きていたのか御覧ください 2016年(平成28年)9月28日 ~10月7日 9時30分~17時 三重県三重郡菰野町(こものちょう) 菰野町図書館ギャラリー 主催 動物愛護ボランティア オアシスの会 自然豊かな 地方の日本の風景の中に いてはいけない動物が彷徨っていたのです おいしいね うん おいしいね 与えたキャットフードを ふたりで仲良く ついばんで そう言っていたような気がしました 彼らは人間に捕まり 殺処分されていったのです 鶏を含めると数十万匹の動物たちが死んでいった かつてなかった動物たちの受難 それは原発のせいだけではなく 私たちひとりひとりの 彼らに対する意識が低かったからなの
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