サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
blog.goo.ne.jp/ayakashi1154
朝日新聞1月31日付朝刊「私の視点」に、早稲田大学教育・総合科学学術院教授、石原千秋氏による教員養成6年制問題についての提言が掲載された。昨年秋、民主党が2011年から実施したい旨を明らかにしている問題である。これは小中高のみならず、「養成」を行う大学側にも大きな影響を与える改革であり、今まで現場の(小中高の)教員を中心にブログ等で意見が出ていたが、石原氏の場合は養成を行う機関からの問題提起として貴重なものであると思われる。 私が六年制問題に関心を持つに至った理由は、非常に内輪的なものも含めていくつかある。それは以下の通り。 1、数年前に『検定絶対不合格教科書 古文』(朝日新聞出版)という本を書いてしまい、そのときに国語教育を中心として教育制度の問題に直面したこと。 2、勤務する大学には教員免許状を取得できるシステムがあり、かつ、大学院(修士、博士課程後期)を擁しているため、「専修免許」も
小谷野敦氏については、このブログに取り上げないことを決めているのだが、氏が勝手に「淀君論争」と呼んでいる問題について、本日の氏のブログに「田中貴子にだまされた」とある点だけは、研究上のことなので少し言及しておきたい。 (小谷野氏に関しては、氏の大学院の先輩に当たる方から「相手にするほど喜ぶだけだから、放置しなさい」とのアドバイスを受けていたためもある。したがって、氏について書くのは今回に限り、あとは論文にてやりとりを行いたいと思う。小谷野氏がブログで書いたことについては、「論」と認めないので、ぜひ論文で「論争」していただきたい)。 なお、私は氏と「論争」した覚えはなく、氏も何ら論考を書いていないため、これは「論争」とは認められない。「論争」するのであれば、ちゃんとお互いが論文を発表するなり、学会で報告するなりすべきであろうと思う。 さて、氏の指摘している小和田哲男氏の『戦国三姉妹物語』(角
今年は山田孝雄没後五十年のようらしい(未確認情報、来年だったかも知れぬ)。山田一家といえば、息子を総動員して岩波の日本古典文学大系本の『今昔物語集』の校注を行ったことで、私などには知られている。国語学者一家なのである。 岩波大系本の注はほとんどが語学的な注なので、内容の理解についてはあまり役に立たない。また、同じことばが出てきたら「→○○頁注○」とされているので、別の巻をめくらなければならないのが大変面倒くさい。 ただ、この時代に今昔の天竺・震旦部の注をよくつけてくれた、という「学恩 はたいそうなものである。 さて、今年度は二年次生の演習で『今昔』巻二十八を読んでいる。 うちの大学では、二年生から各ゼミに所属して演習発表をすることになっている。私の学部時代では、三年生(関西では三回生、というが)から演習があり、それも一人の先生ではなく二人くらいの先生の演習が選択できた。二年生からの演習はち
かなり前のことになってしまったが、十一月九日に名古屋で行われた「エンジン01 文化戦略会議 IN 名古屋」の1パートにゲストとして出かけた。実は以前この会議のメンバーであったのだが、目的が当初とかなり異なってきたのと、単なるお祭り騒ぎのような気がしたので、やめたのである。今回は、源氏物語の現代語訳、というよりも源氏を題材とした小説を小学館の『和楽』という雑誌に連載しはじめた林真理子氏のいつものお相手である山本淳子さんが欠席なので、ピンチヒッターである。 だいたい、源氏物語を私に語らせようというのが間違っているのだが、しかし、古典文学に詳しい人が誰もいないということで、かつ、ファンの某氏ともお目にかかれるとのことで、出演することにした。 源氏千年紀のためか、この講座がいちばん最初に売り切れたという。 林氏とは三回目の顔合わせとなろうか。もう十年以上前、秋田で佐伯順子氏、竹山聖氏との四人で女性
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『夏への扉、再びーー日々の泡』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く