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主義主張、思想信条、経験知見その他の全ては人ぞれぞれですが、何かのトレンドが世の中的に一気に広がる事が時々あって、多分AIを取り巻く今の状況はそういう説明ができるかもしれません。因みに個人的には今でもAIというと1990年代の「第五世代コンピュータ」を思い出してコネクションマシンがどうのLispやPrologがどうのルールベースな手続き型言語がどうのとか思い出してしまい、それを口外すると単に老害とか生きた化石とか何それ知らねぇよ黙ってろと忌み嫌われるわけですが、まぁそれは甘んじて受け入れます。 大変申し訳ございません。 勿論その流れに対して自分自身思うところは幾らでもあるんですが、そんな小さい個人の感情とは全く関係なく世の中は進んでいて、実際つい最近自宅の自前自分用のWindows10のPCに見切りをつけて手に入れたWindows11のThinkPadにはCopilotキーがついていたりし
イーロンマスクがTwitterを買収して形をガタガタに変えて、ドナルドトランプが追放されたからと政治的に同じ方向を向いた周囲の関係者がParlerを立ち上げ、中国は他国と全然関係なく国内向けのSNSを鎖国状態で運用し、そんな中でMetaがthreadsをローンチさせ、入口がInstagramだってことでユーザーが大増殖してる今日この頃。 threadsは明確に比較対象となるTwitterと較べて機能がどうのとか、Twitterから流入してきたユーザーの立ち居振る舞いってどうよとか、あるいはInstagramとつながりが深く見えるのをふまえてどういうスタンスで接してよいのか迷っているとか、Twitterで市場調査的なことをやってる関係各位はどうするんでしょうねとか、TwitterはMetaを訴えるのかとかとりあえず過去のSNSの栄枯盛衰の流れの中での新しいサービスのローンチとは違う風景がそこ
みなさまご無沙汰しております。 たまにしか書かない希少ブロガーとの声も聞こえる岩永です。 もともとIT業界が長かったつもりが、通信業界に鞍替えして既に足掛け12年。居場所が破綻したり買収されたり合併したりとそれなりにフル装備の歴史を歩んでまいりました。で、そんな私もそろそろ会社員人生の消費期限が訪れる今日この頃なのですが、自分的には割と身近な案件が。 「もろもろ相談する先」という避難所的な存在 きっかけは例のパソコン屋のもめごとなのですが、それを踏まえつつ自分の最近の担当している仕事を振り返ったとき、金額や契約形態の話はともかくよろず相談所的機能が無いと困る人が実はいっぱいいて、そこから受けられるサービスに対価を支払ってもよいと思っている人も実は意外といっぱいいて、しかもおそらくその層はこれからどんどん増えるだろうということに思い至るんです。 ちなみにそれがPCだとかスマホだとかタブレット
「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」と言うTweetから始まった一連の流れに対する、その場に居た自分の思うところ 前の1月3日の東海道新幹線大混乱を堪能して幕を開けた2014年は波乱の予感?というエントリーでも書いたのですが、例の1月3日の新幹線大混乱の場に私はいました。朝9時半に新神戸駅で呆然と立ち尽くしたところから始まったその日は流石に疲れつつも帰省先からなんとか自宅に戻り、土日はバタバタと諸々用事を済ませている中で「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」という主旨のTweetから大炎上が起きていた事を知りました。 勿論誰が何に対してどんな意見を持とうが自由な訳ですが、色んな意見やら何やらをツラツラと眺めつつ、とりあえず混乱する新神戸で3時間+新大阪駅で2時間弱待って最終的に最終的に臨時ののぞみで新大阪から新横浜まで立って帰ってきた私が知ってる範囲での現場の事を書い
誰であっても一応これは自分の専門分野だと自分で思っている事柄についてはそれなりの見識なり知見なり経験なりがあると思います。そしてそれらの事柄について明らかな事実誤認や誤解に基いた意見を見聞きしたときには色んな事を思うものだと思うんです。それが科学技術的な話であれ、哲学的な話であれ、あるいは日常生活の中の事柄であれ。 もちろんそれが絶対的に正しいと言える種類のモノなのかっていうはそれぞれだとは思いますし、例えば私ごときが知っていることというのは大した事無いんだとは思うんですが、それでも流石にそれってどうよと思うコトが無いかと思うと嘘になる。尤も、そういった事柄について自分の理解とは異なる理解や解釈をしている方本人と直接話をすることはそれほど多くは無いかもしれませんが。 「わかっている人には、わかってない人が何をわかっていないのかよくわからない」 これは昔から良く思うことです。自分よりある事柄
IOCがオリンピックでの自転車競技の状況データの送信に支障が起きるのでソーシャルメディアの利用を控えてと呼びかける事態にみる落とし穴 オリンピックだからといって別に専用の通信インフラを作ることなど出来ません。よってもって競技記録の集計でも放送での中継でも商用の通信インフラを使うわけですが、占有利用できる種類の回線を使うならいざ知らず、一般のユーザーも普通に使っているインフラを使う場合には状況によっては色々と問題が起きるのは容易に想像できるもんです・・・ が・・・ やってることは一言で言うと商用モバイルネットワークを使ったM2Mのテレメタリング 自転車競技、特にロードレースは走る距離も長いこともあるんですが、選手の位置確認にGPSを使っていわゆる携帯電話のネットワークを経由してデータを収集しています。いわゆるM2Mの世界な訳で、これ自体は別に難しい話でも何でもありません。もちろん位置データの
以前にも書いた事がある機内誌症候群の話。LLCはともかく、通常の航空会社のフライトでは大抵座席のところに入っている機内誌という媒体があります。非常にコンパクトに何かを伝えるための媒体として随分前からあるわけですが、何かしらとても深い事情がある話であっても限られた紙面と情報量で伝えるのがひとつの役割。ただし読者の知識レベルに一定の線を引くわけには行かないので、専門家からみると「こういう省略の仕方をするか?」というような内容が無い訳ではないのですが、とりあえず機内での暇つぶしには悪くは無い媒体です。 因みに個人的には今でも非常に好きです。ここ数年は殆ど航空機を利用する事がなくなってしまったので自分が手にする事は滅多になくなりましたが、子供の頃、それこそまだ個人がそれほど簡単に航空機を利用できなかった昭和40年代に親や親戚、あるいは親の知人が何かの用事で飛行機に乗った折に持ち帰ってくれたものを貰
四半世紀以上前、データセンターの営業として社会人生活をスタートさせ、その後宣伝やらプロモーションやらも経験した私として、あまり他山の石と傍観できないのが例のファーストサーバのデータ消失の話。技術的な検証や補償に関する話は進行中ですから多くの事を語る必要は無いと思うのですが、とりあえず本籍地はマーケティングと今でも信じている自分として思うところというのはあります。流石にあります。色々あります。別に誰を弁護するとかそんな気は全く無いんですけれど。 何かを100%と謳うのは悪魔の証明を必要とする どのような種類のモノであれ、100%の完全性を謳うことはそれを立証する必要があると私は考えています。ただし100%では無い事を立証できないと反論も出来ないわけで、この部分は倫理観が支配するものだとは思います。ただ、たとえば今回の事例のようにネットワーク上で提供するサービスに対して、たとえそれが何であれ1
JINS PCは発売直後くらいから愛用しています。何時の頃からか蛍光灯の光だけだと頭が痛くなる事が多かった人で、ドライアイが酷かった15年くらい前には酷いときにはオフィスでサングラスを掛けていた事があるくらいな私の場合、もう本当に救世主くらいの勢いだったりします。 因みに色のバリエーションが多いのですが、一応オフィスで使うのがメイン(=別にこれを掛けたまま外に出歩くわけではない)と考えつつも保守的なところで最初からあったSQUAREというタイプのCOLOR92のクリアグレーのモデルに落ち着いてしまいました。いや、別に青とか赤でも良かったんですけれど… というところで落ち着いていたはずなんですが… なにこれすごいJINS PC for HACKERS 発表されたばかりのJINS PC for HACKERS。まるでゴーグルです。しかも微妙にミリオタな私の心をくすぐるシューティングラスのような
目標とは今現在は実現出来ていない事、という企業トップの発言の読み方と、自分のなかで維持し続けるべきコンテクストの親密な関係 何か行動を起こそうとするとき、多くの場合には何かしらの目標とか目的があるわけです。これが純粋に個人の話であれば何も考えずにただフラフラってのがアルとは思いますが、それが何かしらの組織であれば必ず目標なり目的があるわけです。で、その目標ってのは当然設定時点では実現できていない事な訳ですが、逆に言うとそれを裏側から見ると弱みの部分が透けて見えるというコトもあるわけでして・・・ 企業のトップの年頭所感にみる、その企業の弱み 随分昔、営業をやっていた頃に先輩にも言われていた事なのですが、講演なり何なりで目標として掲げられるモノというのは基本的にその組織なり人なりが実現出来ていない事であるという理解ができます。もちろん積極的にこれをやるぞという部分はもちろんありますが、内容によ
立場上通信関係の話、特にケータイを含む無線通信関係の話には触れないようにしているのですが、昨今のWiFiのアクセスポイントに絡む話はやっぱりちょっと思うところがあって触れる事にします。もちろん1人のユーザーとして通信サービスを利用できる場所や方法が増えるのは歓迎しますし、それで自分が今までより便利になるなら嬉しいのは事実。でも考えないといけない事があるのも事実なんですよ。え?なにそれって? 物理法則は誰にも変える事はできない 3G携帯電話でもPHSでもWiFiでもWiMAXでも、全て電波を媒介として通信を行います。通信規格や利用できる帯域幅、伝送のための技術、そして周囲の建物やら何やらの環境によって通信できる速度やら何やらが変わるわけですが、空間を飛ぶ電波のところは基本的に同じ物理法則に基いているわけです。これが商用無線であればお互いに干渉が極力起きないように調整しますし、自分自身のネット
それなりにスマートフォンやらタブレットを持ち歩いている事が多い私。別にアプリがどうのこうのとかにはあまり興味は無く、知り合いとの連絡のほかにはニュースサイトやら何やらを巡回するのがメインの使用目的。となると当然どこで繋がるどこは繋がらないとか色々と気にはなります。自分の職業柄多分一般的な方に較べるとそのあたりの判断とか考え方にはちょっと違うところがあるのですが、それはそれ。でも、例えばWiFiが利用できるところであればそっちに繋いだほうが比較的速い事があるわけで、そうなると色々と調べたくなります。 ただ、別にどこの場所でのベンチマークがどうのこうのとかそういう話じゃなくて・・・ どこでどんなアクセスポイントが見えるのかってのがむしろ気になったりするんですよ。 そういえば昔は入り放題なアクセスポイントがうじゃうじゃあった時期もありました 今でこそWiFiの利用って当たり前と言っても良い位にな
多分私自身、多分基本的に人と話をするのが好きなんだと思います。もちろんメールやソーシャルな何かの世界でしか話をしたことが無い方は大勢いるわけですが、そこは人情ってのもあるわけで、ごく一部の例外を除いて基本的に一度ならず直接お会いした事がある方の方が諸々気が楽なのは事実。 ただし、実はそこに本質があるわけじゃなくて、そもそも直接だろうが間接的にだろうが、誰かと話をして得る何かというのがとても好きなんだとは思います。どんな話であれ、その人というフィルターを通ってくるわけですが、別に何を評価するとかそういう打算的な話じゃなく、まずその人なりのモノの考え方に触れるというコト自体が好きなんだとは思います。 もちろんたまには「何やねんこいつは」と思うことが無いわけじゃないですが 当然根本的なものの考え方が違う方もいれば、それなりに共通点があると感じる方もいらっしゃいます。でも、それを否定しても何も生ま
いわゆるタブレット系の端末の興隆の中でiPad独り勝ちという話がMediaを中心に喧伝されつつありますが、とりあえず諸般の事情により私の手元にはiPadがあったりします。諸般の事情の中には別にiPadじゃなくても良かったとか色々含まれるのですが、とりあえず手元にある。で、世の中的にこういう端末をビジネスの場で色々生かそうぜという話が渦巻いていたりしますが、とりあえず私の場合には仕事用途4割、私用6割くらいでしょうか。ほんでもってその私用の中には家族がそれらに触れるという時間も含まれているような状況でありまして・・・ PCじゃ面倒くさいけれどちょっと見たいもの、という何かの存在 もうかれこれ30年近く仕事の場で朝から晩までPCの画面を睨みつけている私の場合、正直家に帰ってまでPCを立ち上げて何か作業をする気にはそれほどなれません。勿論そういう考えは人に寄るでしょうけど、少なくとも私の場合、何
みんなで飲食店やら何やらに対するコメントや評価を入れてゆき、他の人にその「有益な」情報を展開しようという系のサービスは幾つかの有名な飲食店を対象としたサービスをはじめ色々とある訳ですが、私自身はそれらのサービスで参照できるコメントについては以前から「誰がどういう背景と意図と状況でいつ入れたのか判らない種類のモノ」と思っています。もちろん何らかの参考になることもあるのは事実ですが、基本的にはそういうサイト自体を殆ど当てにしないというのが基本的なスタンス。 もちろん、こういう種類のモノの受け止め方や使い方は人それぞれですし、ガンガン利用されてる方を批判するとかそういうのは一切無いんですけどね。 コメントされスコアを付けられる側の意思が反映されるほうが良い場合、良くない場合 ユーザー目線、利用者目線というところを意識すると、当然ですがコメントされスコアを付けられる側の意思が入り込まないほうが良い
良い悪いは別にして、誰しも能力に差はあります。持って生まれたものもあれば経験値が左右する種類のものもあります。それを自分を基準に考えるとどうしてもイライラしたり強く当たったりするわけですが、それでは組織運用は出来ない。そんなの当たり前でしょ?というのは尤もな話。基本中の基本ではあります。でも、その基本に忠実に行動するというのは中々難しいものでもあります。 それがたとえ仕事の場であっても、あるいは家庭や仕事を離れた何らかの活動の場でも。 自分が出来る事を他人が同じように出来るわけではない 自分の経験はあくまでも自分のものです。勿論正確的なことやら何やらも全部自分のもの。それを忘れると「これくらいのこと普通できるでしょ?」と一様に思い込むこと事態は非常に危険なこと。何かしら物事に対処する場合、だれしも自分の立場と経験と思い、思い入れ、あるいは思い込みをベースにするわけですが、残念ながら自分と同
スペシャリストとは、ある特定の分野なり技術なりのスペシャリストであって、その結集体である組織においては居場所が基本的に決まるという雇用形態があります。日本の場合純粋なスペシャリストという立場での雇用というのはそれほど一般的ではありませんし、途中で職種が変わっても雇用関係自体は継続するケースは多く見られます。 ただ、そうじゃない世界は当然あるわけです。そしてその雇用の要件自体に期限が設定されている場合はどうなるのかということですが… スペースシャトル計画の関係者は基本的にスペースシャトル計画に関するスペシャリストであるという位置づけ もちろん全員が全員そういう話ではありません。ただ、計画が終了する以上、その計画自体に直接間接に関わってきた人の状況は大きく変化します。その後の計画に向けて雇用が継続する人もいるでしょうが、NASA自体が終了する技術や設備、あるいは組織に関与している人の雇用を継続
基本的に「ソーシャルな何か」を提供するサービスに分類されるものの基本的な立ち位置は、誰かと誰かが何かを共有する場を提供する事。それが文字なり映像なり何なりを媒介として交換されるわけですが、基本的に誰か相手がある話であれば必ずそこに何らかの感情が入り込むのは当たり前。このあたり対面での人間関係と結局同じなわけで、完全に閉じた世界だけに生きてるのでなければ常に変化してるものです。 ある瞬間に距離を置きたくなる事もあれば、妙に近くに居たくなる事もある。他人の話であればこの精神的な距離感というのを論理的に説明するのはそれほど難しいことではないし、実際にいくらでも話題に出来ると思うのですが、同じ論調で自分の事を冷静に分析できたり、あるいは誰かの分析のネタにされるほど苦痛な事はないよね、と思うんですよ。 でも、時々は冷静に考えたほうが良いよねと思う今日この頃ではあります。 経験値が変える距離感という感
人が大勢いれば、そこで何かしら意見の方向性というのは出来るものです。みんながみんな同じ意見を持つというコトはありえない。それが有る一定以上の規模のクラスターになると「みんな」という表現になってくるのか、それともある一定以上の割合になれば「みんな」という表現になるのか。 でも、実態とは全く別に1つの意見の占有する規模を表現するときに意図的に「みんながそう言っている」という表現を使う事が無いか?そういいきる人がいたとすれば、完全に性善説に立ったお花畑の住人と断言しても良いんじゃないかと思います。ただし、そういう使い方が良い悪いという次元の話は別ですが。 多数決とは別の理論 ある意見を封じるために「みんながそう言っているんだ」という表現が使われる事があります。個人に対してもそうですし、何かしらの組織体に対して言われる事もあります。たとえば何らかの調査に基いて、その対象となった集団の中で例えば過半
一般に軍用として作られたものは、いわゆる民生品と較べてそれなりに厳しい環境と状況に耐えられるようなモノが多いんだろうなというのは何となく判ると思います。ただ大抵の場合、その「モノ」を使用する状況と目的が規格化され、必要な試験を経て採用となると生産されて供用されるわけですが、要件が特殊だったり調達数の関係とかで非常に高価になるケースが多くあるのも事実。 因みにこのあたりの事情は日本の自衛隊でもアメリカ軍でも基本的に変わることは無いわけですが・・・ 専用品が必要なところと汎用品ベースでよいところ、そして本当に普通に手に入るものでよいところ これは様々です。いわば独立した自律組織として機能するわけですから、全てにおいて専用の資材を必要とするわけではない。たとえば情報端末的な話で言うとPCとかは普通に手に入るものと基本的に同じだったいりするのは世界各国共通ですが、それでも土砂降りの戦地や揺れ続ける
昔から「成田離婚」と呼ばれた一連の流れってのはありました。結婚するまではそれほど同じ時間を長くすごしていなかったのが、新婚旅行で初めて一日中ずっと一緒にいるという経験をし、「こんなはずじゃなかった」と揉めた挙句に成田空港に帰ってきて速攻で離婚してしまうという話。幸いな事に我が家の場合にはそのような危機も無く過ごして来たわけですが、何かしら環境が変わるとその人の新たな一面を見る事が出来るのは事実で、それが我慢できない種類のモノだとするとですね・・・ 震災という非常事態をキッカケに見えるその人なり 別に何が良い悪いの話ではありませんが、普段とは異なる状況に遭遇するとその人の新たな、というか普段見えない一面が露見する事ってのはよくある話。ひょっとするとクルマを運転すると人格が変わる系の話もそれに近いのかもしれませんが、天災に遭遇したという非常時にはそれが顕著に現れることがあるかもしれません。 そ
乱暴に言うと本来は図書館、博物館、あるいは公文書館などで資料の研究や鑑定を行うという役割を持った人がキュレーター。当然そこで必要とされるのは担当分野に対する非常に高い知見、知識であるわけで、概念的には日本で言う学芸員に近いのですが、その役割や権限の範囲はそれよりも大きいのが特徴・・・ という話をご存知の方は多くいらっしゃるとは思います。 その「キュレーター」が佐々木俊尚氏の提唱した「キュレーション・ジャーナリズムとは何か」という一文をある意味突端として、情報の収拾整理をし解釈を加え広くそれらを共有してゆく立場をキュレーション・ジャーナリズムと称し、それを行う人をキュレーターと呼ぶという理解が生まれたわけですが、よくあるこういう役割の話としてどこかでなんだか訳が解らなくなって来ることがあります。確かに最初は情報の荒波から必要な情報、間違いない情報、正しい解釈を拾い上げるという非常に小さな役割
今や日本でのユーザーが推定311万人という数字を記録している調査も発表されているFacebook。ある時期突然「日本でもFacebookだぜ!」キャンペーンが走ったりとか色々な動きがあったのを踏まえての今の状況ですが、ユーザー数としては日本は調査対象となった24のアジアの国と地域中で10位。因みに人口比では16位の2.5%。これが多いか少ないかというのは色々議論があるとは思いますが、それなりのポジションはあると理解してよいのだとは思います。 ただ、それが何を意味するのかっていうのはよく判りませんが。 元々はハーバードの学生の間のネットワークとして始まった=そもそもはプレミアムな関係者のみの繋がりを作るサービスであったという氏素性 いきなり商業サービスとして始まったものではないというのが、たとえばアメリカにあったMySpaceなどとは全く違う立ち位置で、実際のところ最初のプレミアム感を損なう
消費者であれ企業であれ、何かを手に入れようとするときに相手に対して支払う金額は総体的あるいは絶対的に安い方が良いという心理があります。たとえば同じ物、または同じ目的を果たす物であれば安い方が良いという考え方。これ自身は正しいとは思います。基本的には。でも、それも程度次第ではありますが。 たとえばジーンズの価格破壊が結果的にジーンズからの客離れを加速してしまっている現状 元々は作業着だったわけですが、それが日本に入って来た終戦後の事情あって日本のアパレル市場のなかで微妙だけど確実に一定のポジションをずっと持っていたのがジーンズ。これを指差して「ジーパン」と言った瞬間に世代がばれるとかってのもありますが、それはちょっと別の話として… 高いモノから安いモノまでとりあえず揃っていた訳です。 重要なのは「高いジーンズ」が存在できていたという事。 いわゆるビンテージ物もそうですし、新品でも実は高い物だ
時々Tumblrネタを書く私ですが、以前少し距離を置いていた(というかそんな大層なものじゃないですが)Tumblrに再び出入する事が最近増えてきた気がします。世間をにぎわせているソーシャルな何かの世界の中、あまりの取っ付き難さと判りにくさ故にそれほど急激な伸びを見せないTumblr。そんなところが私にとっては居心地良い場所ではあります。 使ってナンボの世界 世の中に数多いらっしゃる評論家諸氏もそうですし、身の回りの物知りな方もそうですし、たとえば企業の何かしらの物事を決めるトップの方あたりにも散見されるのが、自分は使った事が殆ど無いにも拘らず「これが今キテるらしいから云々」とモノを言うこと。勿論これは広く一般的に言える話です。正直言うと、私も時々そういう人になっちゃう嫌な人だったりします。 とはいえ、たとえば私自身が他の方に「使った事が無い(あるいはチャンと知らない)なら四の五の言うな」と
昨年の年末近くにテレビが壊れてしまって買い直したのですが、その折の値引き話の一環でインターネットのプロバイダーを新規に契約し、そこで「こいつを入れるともっと安く出来ます♪」という話にホイホイと乗っかって我が家に導入された「ひかりTV」。 でも我が家の環境では全然使い物にならないんですよ。 マンションでVDSLでというとなんとなく判る方も多いかと思いますが 元々光をそのまま入れることができない環境の我が家では、VDSLでの高速インターネット環境になります。それ以前はテレビもインターネットもまとめてCATV経由だったのですが、まぁこの際だからとネットワーク系は切り替え。元々それほどガンガンに何かデータのやり取りをしてるわけでもなかったので下り8Mbpsとかでも全然問題なかったのですが、早いに越したこと無いのも事実で、切り替えるとそれなりに快適です。 が! ひかりTVを見始めると何もできません。
震災で天井の一部が落ちた日本科学未来館の「たとえ落ちたとしても、大事に至らない天井」への改修という発想 お台場にある日本科学未来館は3.11の震災で一部のフロアの天井が落ちるなどの被害が出たため、2011年5月末まで休館です。が、6月からの開館に向けて目からウロコが落ちるようなメッセージを出してきました。壊れないようにする、じゃなくて、壊れるものは壊れるんだからという着目点。ある意味逆転の発想かもしれません。 落ちるものは落ちる 巷でいわゆる耐震基準などに起因する話題が毎日目に入ってくる今日この頃ですが、この日本未来館も御他聞に漏れず、3.11の揺れの中で一部の天井のパネルが落下する被害が出ました。実はこの天井パネルの落下というのは今回の震災でも各所で発生していて、たとえば都内でも九段会館では不幸にも死者が出る事態となってしまいました。 よくよく考えると建物としての天井構造がそのままむき出
あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。 とても有名な演説の中のフレーズです。1961年ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任した際の演説。時代背景もなにもかも今と違う時代の話です。その後暗殺された1963年11月の時点でまだ1歳ちょっとだった私は当然その演説に直接触れた訳でもなければ、暗殺のニュースを見た記憶もありません。全ては歴史のなかで学んだ事。 でも、今のこの日本の状況を色々と考える上で何かありそうな気がしています。 ニューフロンティア政策が目指したものと時代背景 第二次大戦後の冷戦の最中。アメリカが直面していたのは当時のソビエトとの対立構造。その中での演説ですから、実はその裏側にある事情は今とは全く違います。ただ、理由や原因はどうであれ国家の危機と言うものを感じ、そのなかで旧来のやり方とは
商用ネットワークと言うものを乗っ取るというのは簡単ではありません。たとえば携帯電話のネットワークの場合無線通信区間と固定通信区間に分かれるのですが、その何れも専用の機器なり暗号化なりプロトコルなりが使われている部分が多くありますから、たとえば傍受できてもその内容を掴むのはそれほど簡単な話ではありませんし、そもそもネットワーク自体を乗っ取ることはホボ不可能です。 ただ、あくまでも普通の状態であれば、ですけれどね。 それが出来てしまったリビアの情勢 元々政府側と反政府側に分かれて事実上の内戦状態になっているリビアですが、たとえば欧米の幾つかの企業などがスポンサーになって独自の携帯電話サービスをゲリラ的に提供してしまおうかというような話も随分前から出てきていました。ただ、この動きはあくまでも現在政府側に抑えられたネットワークとは別にサービスのために電波を吹いちゃえという話。もちろん電波の干渉とか
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