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鈴木芳樹さんの飼い猫の里親をさがしています 鈴木芳樹(id:yskszk)さんの愛猫「春野」ですが、無事に里親が決まり、新居に移りました。 春野の新しい家族になったのはmixi経由でご連絡をくださった名古屋在住のFさんです。同居人のKさんと、猫の里親になりたいね、と話し合っていたところに、荻上チキさんの支援リンク(id:seijotcp:20080612#p1)を見つけたのだそうです。昨日、さっそく上京されて、春野を預かっていたTさんのお家でご対面と相成りました。その場にはわたしと芳樹さんの妹さんもご一緒しました。Kさんに「実際に会ってみて、ぱるちゃんはどうですか?」と聞いたところ、一言、「本当にうつくしいですね……」と。Tさんがいろいろ準備やアドバイスをしてくれて、Fさん・Kさんに連れられて、春野は名古屋に向かいました。電話をしたときには、名古屋に無事到着して、今はさっそく家の中を見て回
鈴木芳樹さんの愛猫「春野」の新しい家族が決まりました 6/15、無事に里親が見つかりました。みなさまのあたたかいご支援のおかげです。本当にどうもありがとうございました。 5月末に急逝された鈴木芳樹(id:yskszk)さんの愛猫「春野」の新しい飼い主になってくださる方をさがしています。 芳樹さんの新潟のご実家には飼い犬がいるので「実家では猫が飼えない、春野を連れて行くこともできない」と芳樹さんご本人から聞いた記憶があります。一昨日、電話でお話しした、芳樹さんの妹さんから聞いたところによれば、現在、東京都内で春野を預かってくれている方は、今後もずっと春野を飼うことはできないので、新しい飼い主さんを見つけないといけない、とのことでした。わたし自身も、春野を引き取ることは、いくら考えてみてもどうしても無理なので、せめて、新しい飼い主をちゃんと見つけてあげたい、と思っています。 春野の新しい飼い主
「自分が想像できる、一番、酷いことをしなくてはならない。」 吉田アミ、初の単著!(ちなみに、木村カナ、初めての編集本でもあります……!) ブログとは一味も二味も違う、血と涙の味のする、吉田アミが、ここにはいます。 衝撃のティーンエイジ・ノンフィクション!! サマースプリング [文化系女子叢書1] 作者: 吉田アミ,郡淳一郎/木村カナ,タナカカツキ出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2007/07/06メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 111回この商品を含むブログ (43件) を見るサマースプリング (文化系女子叢書) [ 吉田アミ ] ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > ノンフィクション > ノンフィクション(外国)ショップ: 楽天ブックス価格: 1,404円 吉田アミ 日日ノ日キ 文化系女子叢書公式ブログ Scarlet Lette
ARTIFACT@ハテナ系 - ネットに出ているのはその人の人格の一部だけ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070415/character それって、あなたがやって欲しくないことでは…?と不思議に思って指摘したくなるのだが、指摘したところで逆ギレされるのがオチなのでだまっておくのが吉。 この記事が誰を念頭に置いて書かれているのかをわたしは知らないし知りたいとも思わない。そのあたりについてはあまり興味がない。 それから、ネット上に書かれた言葉によって構成されている人格が、書き手の人格の一部であるのかそれとも全人格なのかという問題についても、そんなに関心がない。なぜなら、作者と読者の関係性によって、それは変動するのであろう。ましてや、ネット上の情報を介してしか繋がりがないのならば、読者にとっては、ネット上という、その表層に見えていて、そこから彼/彼女が読み取って
なぜ女子ブロガーは日記に生理中であることを書くのですか? [はてなブックマーク - なぜ女子ブロガーは日記に生理中であることを書くのですか? なぜ「女子ブロガーが日記に生理中であると書くこと」が気になるのですか? まあ、はてなダイアリに限らず、実際によく目にしているようなことであるような気がします、女子ブロガーによる自分の生理についての記述って。わたしの実感は、id:kmizusawaさんが書いてらっしゃるブクマコメントおよびエントリと、非常に近いです。つーか、ほぼ同感です。 まず、生理以外の健康状態にまつわるその他の記述と、そんなに距離感がないのではないか、と。たとえば「風邪引きました」「転んで足を挫きました」といった記述は、ブログ(日記)に限らず、近況報告として話したり書いたりすることでしょう、日常生活においても、男女を問わずに。体調不良として、保健室や病院に行くときや、仕事を休んだり
ニホンリス、新巻きザケを完食中 岩手・宮古 そうか、リスって、魚も食うんだな……と考えながら読んでいて、そういえば、と思い出した画像があった。 【微グロ注意!】中国の掲示板: リスは肉食動物? そう、リスって草食というよりは雑食の動物なのである。だから××だって食べるのである。それにしても、この写真のリス、目が怖いよ! リスの仲間 小動物図鑑 - goo ペット ↑こちらの飼育方法にもちゃんと書いてありますね。 また煮干(低塩のもの)やゆで卵などの動物性タンパク質も適量与えると、健康管理に役立つだろう。 辞書で調べてみると、英語の"squirrel"はリス科の動物の総称である。ただし、シマリスについては"chipmunk"と呼んで、他のリスと区別する。ちなみにモモンガやムササビは"flying squirrel"である。ふむふむ。 米旅客機操縦室の天井に「リス」、ハワイに緊急着陸(2007
8月に新聞に掲載された小説家・坂東眞砂子さんによる「子猫殺し」の告白は(子犬殺し疑惑も浮上して)ネット上で波紋を呼び、それがマスコミに伝播するような流れになったわけだけれども、その後、炎上は次第に鎮火して、坂東さんの「「子猫殺し」でついに訴訟騒動に」というエッセイ*1は、ご本人による騒動終結宣言のようにも読めなくもない。訴訟騒動の原因は悪意に満ちた誤訳と伝言ゲーム、タヒチでは自分が動物虐待で訴えられるような雰囲気などまったくない、とそこには書かれていた*2。 同エッセイによると、タヒチでは、坂東さんの行為は、罪に問われるとすれば「シートベルト無着用と同程度の罰金刑」なのだそうであるが、日本では、先日、2ちゃんねるに猫殺し画像を晒した男が、有志からの嘆願書運動によって、逮捕・起訴されている。*3当然ながら容疑は「動物愛護法違反」である。 もしも、坂東さんが、日本在住で、マスコミで同じ告白をし
死後40日依然凍ったままのナカちゃん…NewsX http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061009-OHT1T00099.htm 骨むき出しの骨格標本案にも賛否両論があり「学術的にはいいが、見た目がかわいそう」「子供がショックを受けるので、外に展示できない」との意見が噴出しているという。 新江ノ島水族館のアイドルだったミナミゾウアザラシの「みなぞう」君急死→骨格標本→一般公開のときにも同様の意見があったと記憶している。 こういう骨格標本は「見た目がかわいそう」とか「子供がショックを受ける」っていう意見がわたしにはよくわからない。いや、気持ちは理解できるのだ。親しんだ存在の骨を目の当たりにすることは確かにショックが大きい。でも、そういうショックって、大人が心配して隠蔽し、子供からわざと隔離するようなことじゃないような気がする。だってそれは必然なの
木村カナお気に入り猫動画シリーズ、その五。 兄弟姉妹(?)猫同士による壮絶な猫キックの打ち合い! ぱしぱしっ! ぷしぷしっ!
livedoor ニュース - 女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2349351/detail?rd 痛いニュース(ノ∀`):作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/770743.html 鬼畜子猫殺し坂東眞砂子 http://news.80.kg/index.php?%B5%B4%C3%DC%BB%D2%C7%AD%BB%A6%A4%B7%BA%E4%C5%EC%E2%C3%BA%BD%BB%D2 このニュース、問題とされているエッセイの本文、その周辺の書き込み(はてなブックマーク含む)、はてなダイアリでの言及記事などなど……にざっと目を通して、ずっと胸がムカムカしている。あーもう。 2
今日、久々に会った5歳の女の子に、いきなり「カナおじさん」呼ばわりされた。 短髪でノーメイク、楽ちんすぎる服装(バンドTシャツに迷彩柄アーミーパンツ)、さらには立ち居振る舞いが、彼女がわたしを「おじさん」と判断した基準だったらしい。 彼女と、来春の小学校入学について、おしゃべりをしていたときに、こどもの頃の自分が赤いランドセルが大嫌いで、本当は赤じゃない色のランドセルが欲しくて(もちろん黒でもよかったし、赤やピンク以外なら何色でもよかった)、入学と同時にすぐに買い与えられた真っ赤なマイランドセルを豪快に破壊しようとして失敗、以後、すっかりボロボロになったランドセルを、ますます憎悪を募らせながら、卒業まで同じランドセルを使っていた、という思い出話をしたせいもあるかもしれない。いや、赤いランドセルが嫌だった、というよりも、ランドセルそのものが好きじゃなかったんだけれどもね、なんとなく。でも、そ
「『オタク女子研究』個人的まとめ」も「文化系女子」ももうやめようと思っていたのですが、2ちゃんねる関連スレッド@801板*1が、非常に興味深い状況になっているので、思わず追記。 今週月曜日に発売された「AERA」の杉浦由美子氏による記事「社会/文化系女子vs.東池袋オタク女子」において、モテ格差の対立軸が『オタク女子研究』において文化系女子/腐女子であったのが、文化系女子/東池袋オタク女子と置換されたことにより、『オタク女子研究 腐女子思想大系』というエッセイ本は、「腐女子」の趣味嗜好を紹介するのが主眼なのではなくて、「オタク女子」の中の「モテ格差」ヒエラルキーが最大のテーマなのでは?*2という、これまでも何度か指摘されてきた疑問点が、より明確になって、その観点から書き込みが流れているからかなあ。 さらに、定期的にやってくる変なのがまた登場したけれど、その人がなぜか「『腐女子は非モテじゃな
「カタログ」というフォーマットに冠されていた造語が、いつのまにか「カテゴライズ」のフォームとして、チェックリスト付きで使用されたことで、すでに自立して機能するようになった、この現在において。「ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ」の執筆者のひとりとして、「文化系女子」というその新しい言葉について、自らの立脚点として立ち戻り続けていても、あまり意味がないような気がしてきた。 だって、わたしは、自分が「文化系女子」であるか否かを、自問自答したことがない。寄稿のご依頼をいただいて、自分に与えられたお題であった「文学少女」については、さんざん考えたけれども。昔も今もしつこく考え続けているけれども。自分が「文学少女」であるか否か。その問いを突きつめれば、誰でも否応なしに気が付くはずなのだ、「文学少女」をめぐるダブルスタンダードについて、イメージの二重化について、幻想世界の対象としての
「文化」とは、常に・すでに、階層化されている、と、まずは確認しておこう。ハイカルチャーとサブカルチャー、主流文化と傍流文化(これをあえてカウンターカルチャーと言い換えることもできるだろう)、ブルジョア文化とプロレタリア文化、インテリ文化と大衆文化、アカデミズム文化とその外部の文化、複製技術時代の文化とそれ以前の文化、植民地主義とそれ以後の文化(ポストコロニアリズム)、あるいは、ジェンダーに基づいて、セクシュアリティに基づいて、世代に基づいて、階級に基づいて……例を挙げていこうとすれば、まだまだ終わらない、区別。その階層化の境界線をどう引くのか、境界線をどう捉えるのか、は、たぶん、論者に委ねられた自由だ。価値判断も、肯定も否定も、境界が侵犯された/されないことへの批判も。つまり、その階層化の構造を、どう語るのかは、論者によって異なって当然である。要するに、何がどうあるのが面白くて、何がどうあ
まあ、一応、ユリイカ執筆者のひとりなので、ついつい気になって、議論を読んでしまうのですが。 まず感じることは、「ユリイカ」をちゃんと読んでいる人はほとんどいなくて、「ダ・ヴィンチ」の「文化系女子」チェックリストにのみ、反応している方が、あまりにも多すぎるように思えます。しかも、「ダ・ヴィンチ」の特集すらも目を通してなくて、二次以降の情報として、ウェブに上げられたチェックリストからの過剰反応が、大半を占めているように思えてしまいます。あのリストを、特に、三十代女性が見た場合に、嫌な気持ちになるのは、ようくわかる。わたしだって、あれは嫌だなあ、と思ったし! でも、「ダ・ヴィンチ」の特集名が、「カワイイ文化系女子としたい!」であることを考えると、あれは、「文化系男子」のフィルターを通した、幻想の「文化系女子」像であって、それに、現実の「文化系女子」的に生きている方々が、違和感を覚えるのは、むしろ
男性で、何の留保も抵抗感もなしに「フェミニズムが好きです」と平気で言い切る人が、いきなり信用できないのはどうしてなんだろうか?「フェミニズムは害悪です」「ジェンダーフリーは有害です」と主張する人ならば、男女を問わず、腹は立つけれど、それとなく無視ができるのに。ほとんど日本独自の誤用に近いレベルで「私はフェミニストです」と言う男性ならば生温かく笑い飛ばせるのに。そして、自分から「私はフェミニストです」と名乗ることを、今まであえて避けてきたし、今でもそうしようともそうしたいとも思わないのはどうしてなんだろうか?フェミニストであることは、自分にとって、確かに前提ではあるのかもしれないけれど、必然ではないような気がする。自称「フェミニスト」な女性たちには、たいていは違和感ばかりを感じてしまうし、同志として認めて受け入れてもらえないことも、経験的に知っている。だから、いつもひとりで勝手に考えてきたし
個人的な印象だと、1980年代の「ニューアカデミズム」の影響をまともにくらったのは、1972年生まれまでで、そこでくらっちゃった人たちからの影響を受けて事後的に学習をしたのが73〜78年生まれぐらいまで、そこで一度、断絶みたいなものがあって、それよりも若い人たちは、ニューアカについて、知識としては知っていても体験的には知らなくて雰囲気ぐらいしかわからない、または、そもそもそんな過去のことには興味がないしどうでもいい。 そういう知識の体系化の微妙な違いが、読書傾向や思考・議論・活動のスタイルの違いに現れている、そんな気がしている。最初からそのような知識の体系化を指向しない人、というのはもちろんたくさんいるし、それに、早熟な人というのがいつでもどこにでもいたりするから、こんな世代論には、あまり意味がないのかもしれない。 現在に至るまで、自分と同世代=1970年代生まれの書き手がやけに少ない、そ
墓場でお花見して酔っ払った。帰宅してうたた寝したら、「公開質問状への回答が来たこととその内容の報告が『HAPPY HOUR』に書かれたのを読んでガーンとなって落ち込む」という夢を見ましたよ…。無意識レベルにまで侵蝕されているのか。我ながら相当にキテる、いや、キレてる?起きてから「あー…」と思いながら、まとめの更新はしないつもりで、ボーっとした頭で2ちゃんの該当スレをチェックしたら、「今日の夕刊にこの本載ってた」という書き込みを発見。 303 :風と木の名無しさん :2006/03/32(土) 22:57:27 id:RlvtCVqL >301-302 日本経済新聞の土曜夕刊『さぶかるウォッチング』から。 すでに複数のブログで感想載ってるが、『サラリーマン二人を 前にしてカプ妄想している女性』のイラストが出てるそうだ。 あらあら、「オタク女子」についての解説記事ですってよ。 にゃー、ネットで
オタク女子研究 腐女子思想大系 作者: 杉浦由美子出版社/メーカー: 原書房発売日: 2006/03/16メディア: 単行本購入: 11人 クリック: 945回この商品を含むブログ (171件) を見る 著者関係 杉浦由美子のこんなもの見ました。 http://sugiura170.cocolog-nifty.com/sugi170/ 受け・攻め・萌えで世界を語れ! 『オタク女子研究 腐女子思想大系』の著者・杉浦由美子氏に聞く http://www.bk1.co.jp/contents/booklist/0603_fujo.asp 原書房・編集部の窓から http://www.harashobo.co.jp/editor/bbs/mbbs.cgi オンライン書店 Amazon.jp:オタク女子研究 腐女子思想大系 ビーケーワン:オタク女子研究 公開質問状 HAPPY HOUR 金巻ともこの
『オタク女子研究』暫定まとめ http://d.hatena.ne.jp/cachamai/20060330/p1 ↓ 『オタク女子研究』個人的まとめ http://d.hatena.ne.jp/cachamai/20060330/1143685760 ちょっと思うところがありまして見出しを書き換えました。 ややこしくてすみません。特に早くもブクマしてくださった数名の方々、大変申し訳ありませんでした。
大学も大学院も人文系でした。同じ学校の同じ専攻で指導教官もずっと一緒。 修士課程に3年半在籍しておりました。満期退学ではありませんが、除籍でもありません。 退学理由は病気療養のため。今も病院に通っています。 派遣社員として数年働いた後に、現在はライターとして活動しています。 両親が共働きで収入が微妙に多かったので、奨学金に応募しても一度も受からなかった。今となって思うと受からなくてよかったのかもしれない。貰った奨学金がすべて返せない借金になっていたかもしれないから。 修士修了後に、正社員として入社して働ける会社があることは知っています。そういう道を自ら選んで、働いて活躍している友人も身近にいます。 わたしと同じように、大学院を途中でやめてしまい、どうにか正社員として就職はしたけれど、同年代のサラリーマンよりも月給が安くて、その上、過酷な労働条件下で、生活苦に喘いでいる男子が、身内にいます。
メルの本棚 - 大学院を出たけれど id:merubook:20060312:p1 pêle-mêle - 身につまされる id:yskszk:20060313:p2 大学を卒業して大学院を受験してそのまままっすぐ修士課程に入った。そして、修士論文を提出せずに、退学届を提出した。ほとんど夜逃げのように、大学を黙ってやめて去っていた人間のことを、誰も追いかけてこなかった。 その後に、派遣社員として働き始めて、現在に至る。しかしこれまでに正社員として就職したことはない。 何もかもが中途半端なままに生きてきて、今までどうにか生き延びてきた。回り道の連続を歩いてきたけれど、最近になって、そういう経験も、決して無駄ではなかったのだ、とようやく思えるようになった。それでも、書かなかった、というよりも、書けなかった、未完の修士論文のことを、時々ふと思い出す。思い出しては後悔する。だけど、あのまま大学院に
id:Panzaさんが「ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ」に言及してくださいました。ありがとうございます。 若い木村カナさんは、こういう感性の行く末を楽観はしていない。他の30歳前後の「文化系女子」にも共通して何か「明るく疲れた」ような感じを受けた。 「明るく疲れた」ような感じ、という一言に、はっとさせられた。 もしかすると、この特集そのものが、自分たちを「女子」と呼ぶ以外にない女の子たちの、大きな溜息のようなものだったのかもしれない。そして、それが溜息に他ならないと、どれだけの読者が受け取ってくれただろうか? この一冊は、ネット上で呼吸をしている、一部の女の子たちのお祭の記録なんかじゃないんだって、今頃になってやっと気が付いた、間抜けな参加者がこのわたし! 身近な顔見知りで、こんなシャープな感想を書いてくれた方もいた。 現在50歳を越えている女性は自分のことを女の子と
大波小波「野間文芸新人賞、紛糾?」(文壇賞勲局)*1 前回までの委員会を刷新すると主催者側の講談社が八月末に通告、候補作が送られてくる頃に突然の“解任”とあって、委員の一部が反撥しているのだ。 背景に今春の講談社文芸局の人事刷新があるようだが、選考会の二、三ヶ月前に、急に新・旧委員の全員交代というのは、拙速といわれても仕方あるまい。 もし、そんな出版社の商業主義的な意向に沿わない委員を切り捨てるというのなら、文学賞ひいては文学それ自体の首を絞めることであり、また、いろいろな意味で後ろ盾を持たない“もの書き”の委員にとってはたまったものではない。 不当解雇、慣例無視といった言葉も飛び交っているようだが、この際、互いの言い分を出し合い、良識的なルール作りにつなげてほしいものだ。 それにしても、山本健吉や吉行淳之介のような文壇の“人事部長”がいなくなったことが痛感される。 この匿名コラムが、野間
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