サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
copywriterseyes.hatenablog.jp
2014-05-05 本当に「電通と博報堂は丸投げで中抜きしかやらない」のか 電通と博報堂は丸投げで中抜きしかやらない という記事が出ていましたが、これはいくらなんでもひどいじゃないか、ということで一応書いておきます。できた大人なら「言わせておけばいーじゃないか」ということになるのだと思うけど、僕はできた大人じゃないし、明日も休みだし、ということで書きます。 先に言っておくと、僕はこのキャンペーンに関わった人間ではないので、事実は知りません。でも内部にいる人間として、だいたいの予想はつきます。これはその予想の範囲での記述です。 「チーム・マイナス6%」は確かに博報堂が一時下請けのポジションにいた仕事です。 でも博報堂本体には、細かな制作部署がありません。したがって、制作作業(とくにWEBシステムやプロモーションツール制作など)は、外注することになります。どちらも、博報堂グループ会社である
2016 - 02 - 04 東京コピーライターズクラブ(TCC)は、いますぐ解散すべきだと思う。 この場を借りて、愚痴をぶちまけようと思う。愚痴であり、嘆きでもあり、怒りでもある。そして悲しみとも言えるほど、僕はいま怒っている。それで眠れなくなってしまったので、 mac を引っ張り出して書き始めてしまった。何に怒っているかといえば、この広告に関してです。 いくらなんでも酷すぎる。何かひどいか、きっとみんなわからないと思うので説明します。 これは TCC (東京コピーライターズクラブ)という、「コピーライターの賞」の応募広告である。そしてここに写っている方々は、広告界の超大物、重鎮の三人です。そしてコピーはこう書いてある。 誰に、ほめられたいんですか? 「いいね!」と 仲間うちに褒められるのも うれしいんでしょうけど、 本当は、誰よりも、 一番厳しいあの人に褒められたい。 ですよね? いや
2015年は「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉が日本で割と一般的になった年だったような気がします(この一年で「デザイン思考」にまつわる本が100冊近くもでたとか)。しかしながら、その本質を理解している人はとても少ないようです。当たり前なのですが「デザイン思考とは何か」を理解するためには、「デザインとは何か」を理解する必要があります。日本はデザインに対する教育が、義務教育はもちろん大学ですらほとんどないので、デザインのことを理解するビジネスマンがとても少ないのが現状です。 デザイン思考語るのは、一筋縄でいきません。なんとか一言で言い切ってしまうとこうなります。 ①本質的な問題の発見/設定し、②「感性」に則った「創造的」問題解決を目指す思考。 ①を「水平思考」と呼んだりもするようです。何か課題に直面した時に、「どこに問題があるのか」を正確に把握する必要があります。常識
「ごはんはちゃんと残しましょう」 という記事を昔Facebookで書いたらみんなから怒られました。 なんてもったいない!何を言ってるんだ!!!と。 もう少し賛同してくれる人がいてくれてもいいと思ったのでけっこう凹みました。 僕の文章がヘタだったのもあるのだと思う。 なので、もう一度チャレンジしたいと思った次第です。 -------------------------------------------------- 「ゴハンは残さず食べましょう」 そういう教えがこの日本には確実に存在している。 (世界ではそうでない国もたくさんあると聞きますが) それがどこから始まったのかは、浅学の僕は知りません。 でも僕はこの教えが、小さい頃から理解できなかった。 「自分にとっての適量を自分の机の上に用意するように努力すべきだ」という教えなら、よく理解できます。僕だってできるだけその努力をしている。家で食
「漁師とコンサルタント」という有名な話がある。 僕はこの話がとても好きです。 たぶん、有名なので知ってる人は多いと思いますが、だいたいこんな話。 メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。 ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。 コンサルタントは聞いた。 「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」 「そうだな、数時間ってとこだな。」 「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」 「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」 それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。 「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」 漁師は聞き返した。 「どうして?」と。 「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと
大学にいかなくちゃいけないものですか。というようなことを、高校の頃に先生に聞いたことがあった。どんな答えが返ってきたかはよく覚えていない。それくらいには曖昧な回答だったのだと思う。今とは比べ物にならないくらいに無知だったので(今も無知なんだけど)、そんなものかと諦めて大学勉強をはじめた。受験勉強はゲームのようで割と楽しく進めることができた。 そんなわけで、早稲田大学の理工学部に入学した。大学時代について語れることはあまりに少ない。そこそこに勉強し、そこそこにアルバイトをし、そこそこに遊んだ。何かを成し遂げることもなく、自分の人生の中でも極めて微妙な時期だったことは間違いない。あまりに暇だったので、たくさんの本を読めたことは、とてもいいことだったと思っている。 結局、その大学でも自分のやるべきことを見つけることができず、その後東京大学の大学院までいくことになった。6年間も学生をしてしまい、そ
新潮文庫の100冊を筆頭に、今年の夏も恒例『文庫祭り』が始まりました。今年の新潮文庫のサイトはこんな感じです。 さて、本を読むことの意義に関しては、昔からずっと議論されています。 本を読むには時間がかかる。これだけSNS(主にTwitter、Facebook)で小さい単位の情報に触れている人にとって、一冊の本は長過ぎる。それでも、本を読むことに意味はありますか?と思っても仕方ない。 僕は本が好きだし、できるだけ多くの人に読んでもらいたいと思う。そして、それでも本をよんだほうがいいと思う理由が、僕にはひとつあります。一言でいってしまえば、物語は人を救うからです。 とても個人的な話ですが、僕は大学時代、高田馬場の駅前で酔っぱらってみんなで校歌を熱唱しているような早稲田大学のノリにうまく馴染めず、4年間のほとんどを独りで過していました。自分が何のために生きているのかさっぱり分かりませんでした。頭
「言葉の力」という言葉を、たまに耳にします。 その度に、こんなに気持ちの悪い言葉も中々ないよなと思う。ザワザワします。それがもしコピーライターが使っている言葉だとしたらなおのこと。その違和感を強く感じたのは、ちょっと昔の朝日新聞の広告でした。 言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。 それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。 ジャーナリスト宣言。 どうですかなんとなくモヤモヤする何かがありませんか?僕も最初は、そのモヤモヤの在処を突き止めることはできなかったのですが、小田嶋さんがとてつもなく鋭く射抜いてくれました。それがこの「コラムニスト宣言」です。とても好きな文章です。一部を引用します。 マジレスをすると、言葉を信じることより、言葉のうさんくささを自覚して、常に自らをいましめることが、ジャーナリストたる者が持つべき心構えの第一条だと思う。…中略…そう。言葉の残酷さを、言葉のせいにしては
久々にいい感じに酔っぱらったダメな大人として就活生にいくつか偉そうに言いたいと思う。 最近、会社の近くで就活生をよく見かける。(不思議なもので、就活生からは「就活生だオーラ」が溢れ出ているからそれを見ればわかる)会社のラウンジでもよく見かける。たいてい社員がなんだか偉そうに話し、就活生が必死にメモをとっている(仕草をする)ことで、社員が満足して帰っていき、就活生は心躍らせ帰っていく。 ここでひとつ。 「社会人の言うことは1割」 社会人の言うことは、なんだかスゴそうに聞こえる。見たことも聞いたこともない、すごい話をしている気がする。俺もそうだった。最初の方は先輩に話を聞くだけでドキドキしたし「この会社にいきたい!」とその度に思ったものだ。それはモチベーション維持にはよかったけど、恐いことでもある。 OB訪問を受けて、悪い気がする社会人はあまりいない。「自分はスゴいだろう」という自慢話をしたく
レトリック事典 作者: 佐藤信夫,松尾大,佐々木健一出版社/メーカー: 大修館書店発売日: 2006/11/01メディア: ハードカバー購入: 1人 クリック: 36回この商品を含むブログ (12件) を見る この本は間違いなくスゴイ本です。その名も「レトリック事典」。 文章を書くことを仕事にしている人は多い。仕事にしてなくても、ブログを書いたり、Twitterでつぶやいたり、メールを打ったり。文章を書く作業は全ての人にとってどんどん身近になっています。 文章の文法は学校教育のどこかで習うけれど、"効果的"な文章の書き方を習う場所は少ない。いろんな本を読んで、何となく吸収していく。それがほとんどの人(僕も含めて)の文章の書き方だと思う。 この本は「なんとなく日々文章を書いている」という人たちに是非読んでもらいたい本。 まずページ数がスゴイ。800ページを越えてます。重い。値段も 6,825
「はあちゅう」とは、社会人同期で、彼女が電通に入社した同じ年に、僕は博報堂に入社していた。 まったく面識はなかったのだけど、その頃から「はあちゅう」という名はよく聞いていた。彼女は、東京の都市伝説のように存在した。見たことはないのだけど、なぜかよく耳にする。「女子大生ブロガーで有名なあの子が、電通に同期で入社したらしい」。もういけすかない感じがするじゃないですか。 そんなわけで、僕は「はあちゅう」という生物を「敵視」していた。なにが「はあちゅう」だ、と。失礼な話なのでけど、会ったこともないのに敵視している人はけっこういる。とくに「広告界クリエイター」は嫌いな人だらけだった。よくわかっていないけど、「はあちゅう」は、「あっち側」にいる人だと思っていた。 しかし悔しいことに、「敵視をする」ということは、「無視できない」存在であるということでもある。 だから「はあちゅう」の動向は、なんとなく視界
みなさんもご存知であろう「アリとキリギリス」。 この話、もともとは「アリとセミ」だったとか。イギリスには蝉がいないのでキリギリスに置き換えられたらしいです(東欧ではコオロギになっている例が多いらしい)。 だけどもとが「セミ」だというのは納得です。なんせ「夏の間は歌ってばかりいる」と言えば、日本でもやっぱりセミですから。 この話の前半部分はきっとみんな同じだと思います。 1. セミは夏の間歌って遊んでいる。 2. アリはせっせと働いている。 3. 冬になり、セミは食料がなくなる。 4. セミはありに「食べるものをください」と言いに行く…… ここまでのストーリーはこれできっと異論はないはずです。 しかし結末はいろいろあるようです。 「冬になって、穀物が雨に濡れたのでアリが乾かしていますと、おなかの空(す)いたセミが来て、食べ物をもらいたいと言いました。『あなたは、なぜ夏の間食べ物を集めておかな
少し前に「1.01の法則」というのが流行りました。そうですこれです。 どこかの学校に貼ってあったとかで、誰が最初に考えたのかは知りません。 みんな共感して、シェアしていました。僕もそのときは、なるほどと思ったものです。 しかしちょっと冷静に考えてみれば、なんと残酷な教えでしょうか。 「がんばれ!」「努力しろ!」「さぼるな!」 そんな「人の人生を破壊するやっかいな根性論」を数値化したにすぎません。 まるでたったの0.01 を頑張れない人間はゴミ人生を送るしかないようです。 因にこれを50年にいったいどうなるのでしょう。計算してみた。 1.01の人は、7.3294525e+78 (0が78個) 0.09の人は、2.1993857e-80 (.0が80個) となります。本当にそうでしょうか?断固言いたい、答えはノーだと。 これはただの数字です。人間の成長はそんな単純な方程式では紐解けない。 逆の
2015年に取り組んだ最も大きな仕事は「会社を辞める」ことでした。 たかだか会社を辞めるということが、どうしてあんなに大仕事になるのだろうかとも思いつつ、半年がたち、振り返ってみて「辞められたこと」は、やはりとても意義のある出来事だったと考えています。 どうして博報堂を辞めたのかに関しては、大きなところから小さなところまであるし、ネガティブもポジティブなこともあるしと、数えだしたらキリがありませんが、いくつかキーになったことだけ書いておこうと思います。 ⑴ 6年周期信仰 「会社の常識は、社会の非常識だ」と誰かが言いました。本当にその通りだと思います。どれだけ大きな会社だとしても、そこはとても小さな社会です。 なかでも博報堂という会社は、とても独自的であるがゆえに閉鎖的で流動性のひくい会社でした。その中に留まることに対する危機感は絶えずありました。大前提として、一つの場所に留まることは、成長
広告会社には「クリエイティブ」と呼ばれる部署、というか「肩書き」があります。ほかの言い方では「制作」と呼ばれたりもする人たちです。そこにはコピーライターがいてデザイナーがいてCMプランナーがいるわけですが、いかんせん、名刺を交換するときに「クリエイティブです」というのは、とても恥ずかしい感じがするものです。 僕は博報堂に新卒で入って、思いもよらずその「クリエイティブ」に配属されました。入社研修までは「コピーライターなんて変わった職業、専門職として採っているのだろう」と考えていました(実際デザイナーはデザイナー採用があります)。しかし驚くべき事にコピーライターという仕事は「総合職」の中から配属されるのです。100人入社したら5人くらいが配属されます。営業志望だった僕にとってはたいした興味もないことです。まさか自分がコピーライターに配属されるまで。 コピーライターに配属された当初、少しは戸惑っ
小田嶋隆のコラム道 作者: 小田嶋隆出版社/メーカー: ミシマ社発売日: 2012/05/21メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 4人 クリック: 35回この商品を含むブログ (18件) を見る 僕はオダジマ先生の文章が好きです。 どのあたりが好きかと言えば、いろいろあるのだけど、一つあげるとしたら「素直なところ」かと。 執筆の前に結論を出すのではなく、書き始めてからその文章の流れに、ある意味では、身を任せながら、思考をたどり、整理し、新しい発見をしていく。その道筋をありのまま描写していくところが、読んでいてとても心地がいい。 「コラムは道であり、到達点ではない」 「海図通りに進む航海は、冒険としては失敗だ」 そう、文章を書くことは、思考の旅なのだ。 文章とは書きながら、自分の思考を遠くまで飛ばすツールなのだ(もちろん一つの役割だけど)。オダジマさんの文章が面白いのは、その旅の道筋が
最近、ちょっと気になるサイトがありまして カクン.com というやつです。 みんなの家にあったカクンを共有しあおう、ということなのですが、 確かに他人の家のローカルルールって面白いものですね。 「漢字の勉強は、ジャンプでじゅうぶん。」 僕はこれ好きでした。なんていいお母さんだと思います。 僕の家のカクンは、あまり思い出せません。 でもいつも隣で夜な夜な仕事をしているデザイナーのケンタンと話していたときのこと。 「ケンタンの実家のカクンってあるの?」 「あるよ」 「どんな?」 「さいごは人柄。」 クールに言い放つケンタンに、僕は言葉を失いました。 「さいごは人柄。」 なんていいカクンなんだろう。言葉にしてたった8文字。 これほど的確端的な教訓も他になかなかお目にかかれない。 ふだんあまり話さないお父さんが、お酒を飲んだ席で語ったらしいが、 なんと鋭く深くかっこいいのだお父さん。 そんなわけで
この前、ちょっと面白い話を聞いた。 とあるコーヒーチェーンの話だ。 そこは僕がいつも行くお店なんだけど、 あるビルのオフィス棟の"中二階"的なところであり、 とても変な場所にあるせいか「人の入り」はあまり芳しくなかった。 だけどある日の夕方行ったらとても混んでいた。 いつもと活気が違うのだ。客層もなんとなく違う。 次の日にいってもやっぱり混んでいた。 それはやはりどう見ても混んでいたのだ。 そこで僕は店員さんに何気なく聞いてみた。 「どうして最近こんなに混んでるの?」 それで返ってきた言葉に、僕は大きな衝撃を受けた。 「あぁ、向こう側に看板がついたんですよ」 すごい答えだった。その何気ない一言は僕が5年間かけて学んだ広告クリエイティブ論(のようなもの)を根底から破壊する威力を持った何気ない一言だった。 「何をそんな大げさな」と思うかもしれない。 「看板をつける?そんなの当たり前じゃないか」
先日、博報堂の先輩と飲みながら、昔話をした。 とある「コピーのかけないコピーライターの話」だ。 そのコピーライターは、本当にダメコピーライターだった。広告のイロハもわからず、きちんとした文章を書く訓練もされていなかった。出身が理系だったから、理屈はわかるが、おもしろくない。そういうやつだ。 とある新規プロジェクトが始まったとき、上司のCDは言った。「この仕事はお前がメインのコピーライターをやろう。」そのコピーライターにとって、始めてメインではいる仕事だから、そいつはとても喜んだ。半人前から、一人前になったような気がしたのだろう。その仕事に全身全霊で懸命にとりくんでいたし、実際に眠る時間も家に帰る時間も惜しんでコピーを書いていた。 だけど、彼には何も書けなかった。気の利いたキャッチコピーも、深みのあるボディコピーも書けなかった。PCと紙とを交互に向かい合って書いたりしていたけど「広告になる文
この期に及んで、こんなタイトルの記事がダイアモンドから出てて悲しくなった。若者ががんばっているのに、大人が邪魔をしている構図。 「おにぎり2万個」握った女子マネージャーの美談に賛否両論! 「夏の甲子園」は本当に必要なのか? - ニュース・コラム - MSNマネー 勉学を犠牲にして、おにぎりを2万個握ることが、彼女のキャリア形成にどのように役立つのか。彼女の行為を賛美する人たちは、その視点が決定的に欠けている。 まず、彼女の行為を賛美する人たちも「その視点」は持っていると思う。ただ、高校生にとって、机にむかって勉強するより、遥かにそれが人生に役立つことだと知っているだけだ。彼女の経験は、これからの受験勉強にも活きるし、その後のつらく長い人生の確固たる支えになる。(そもそも、甲子園に出るまで選手と努力して、一緒に涙を流すような経験は、その時点で最高の「キャリア」だと思うのだけど) 部活だったり
この文章のテーマは何かと言えば、「これからの時代のいいアイデアは、経済を縮小させる」ということです。 この前、ある学生さんから、不思議な話を聞きました。 とある「アメリカの電気自動車メーカー」と、とある「日本の大手自動車メーカー」が提携を解消した理由です。その学生が日本の自動車メーカーの社員から聞いたところによると「電気自動車の生産は、通常の自動車の生産よりも、雇用人数が少なくて済んでしまう。だから、私たちは、電気自動車はつくらないことにしたのだ」と。 学生さんから聞いた話だから、真実かどうかはわからないし、その社員のただの詭弁だったのかもしれない。でもとにかく、こういう考え方が確かに存在している。そして本当に間違った考え方だと思う。働く人を増やすために仕事があるのではない。何かやる意義があるものごとがあるから働く意味がある。 しかし、経済を回すために、社会を成立させるために、雇用を生み出
なんだかHATENA界隈でも村上春樹の話題がいろいろ出ています。 村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察 村上春樹の「孤独」と西村賢太の「孤独」 村上春樹信者を公言している僕としては乗っからないわけにはいきません。 村上春樹は基本的にファンタジーです。「夢」であり「幻想」を描く作家です。本人も「夢を見るために僕は毎朝目覚めるのです」といってるくらいです。リアルだと思うと、気持ちわるくもなります。 そして、村上春樹が描く鬱や孤独や苦しみは「中流階級鬱」です。一定の社会的地位があり、生活や仕事に困ることは無く、コミュニケーション能力を持ち、誰とでも話そうと思えば話せるくらいの中流階級の人が抱える「鬱」です。そもそも「恵まれた人」の悩みなのです。憤慨する人がいるのも無理はありません。 さて隠してもしょうがないのではっきり書くと、僕は俗にいうハルキストと呼ばれる人種です。
クリエイティブ作業は、楽しくもなかなかしんどい作業です。 それは生みの苦しみともよばれます。アイデアを考える作業には終わりがないのもつらいところです。 ハイな時は気持ちよくアイデアを考えられるのに、人の心は不思議なもので、ちょっとダメになったら最後、どこまでも深く落ちていけるのです。 そんなとき、先人の言葉が暗闇に遠く輝く北極星ののように道しるべになる(ことも稀にある)のです。 例えば、広告の父オグルビーさんはこう言っています。 「ワタシなんか、ウィスキーの2、3杯ひっかけたほうがいいものが書ける」 さすがです。かっこいいです。 ダメなときはお酒の力を借りることもいいかもしれません。でもアルコールが入ると人は素の状態に近くなるという説もあるので、オグルビーさんは素がすごかったからうまくいったのかもしれません。 さて、博報堂にも、いくつかそういった先人の言葉が残されています。 本邦初公開。い
2013-11-16 博報堂に住む「ことばせんせい」 僕が勤めている博報堂には 「ことばせんせい」という先生がいます。 これです。 「ことばせんせい」は、博報堂のクリエイティブの師匠たちが放った言葉が言霊となり、集約され今も博報堂のクリエイティブの中に生き続けている先生なのです。 今博報堂で働いているクリエイターたちが、先輩クリエイターに言われた言葉の中から一番刺さった言葉を集めた一冊です。クリエイティブ局にいた人たちにしか配られず、門外不出の一冊です。社内でしか閲覧できません。外に出してはいけないものです。このブログが本邦発公開かもしれません。(もしかしたら後で怒られるかもしれません。) さて、そもそもクリエティブの教育というのはとても難しいテーマだと思うのです。 定まったアイデアの教科書もなければ、テキストもありません。もちろん明快な答えなどないからです。教えようと思って教えられるもの
まずな、宿題がない。 うまいもんが食える。 な、ええやろ。 やりたいことができる。 好きな仕事が選べる。 じぶんでお金を稼げる。 好きな人と結婚できる。 ええやろ? それからいちばんええのはな、 大人になってからでも いくつになっても なんぼでも やりなおしがきくことや。 好きなことやったらええ。 楽しみやなぁ。 家族で話そう。福井新聞。 ---------------------------------- 何年か前にこんな広告があった。コピーライターになりたての頃に読んだことを覚えている。その時は素敵なメッセージだと思い、自分もこんなコピーを書きたいと思ったものだった。 先日、久しぶりに見かけて読み直していたら、なんとも言えない大きな違和感を覚えた。今これを出したら、きっと炎上するだろうなとも思った。「宿題たくさんあるんですけど」とか、「働きたくても働けないやつもいる」とか、「好きな人と
「いいね!」しかない空間が気持ち悪い これにはタイムリーに共感した。まったく同じ理由で、俺も「はてな」ブログをはじめたところだったから。 Facebookはとてもすごいサービスだと思う。ザッカーバーグも、とても好きだ。Facebookを使うことで、世界中の多くの人が「いいね!」と周りからいわれるような暮らしや活動を率先して行うようになった。しかもそれは、早朝にランニングしたり、旅行にいったり、家で料理を作ったり、それで年に一度の結婚祝いだけは贅沢するような暮らしだ。それにみんなが「いいね!」という。うすくていい関係だ。うん、とてもいい。文句はない。いい世界だ。 でもそこにずっといると、違和感を感じ始める。 この世界に「いいね!」はたくさんあるけど「面白み」がない。 そのことに気がつき始める。なんとなく「いい空気」がずっと流れている。そりゃ飽きてもくる。だって、人間は本当はそんな緩くてぬるい
たまには自分がいる会社について語ろうと思う。いつの間にか会社に入って6年がたち、この会社のこともよく理解できてきた年頃になった気がします。就活の時期ですし、会社の宣伝になりますように。 結論から入ると、博報堂という会社の最大の魅力は「クリエイター」と呼ばれる人間が社内にウロウロウジャウジャしていることにある。デザイナー/コピーライター/CMプランナー/アートディレクター/クリエイティブディレクターなどがいて、みんなそれぞれ面白いのだけど、中でも、美大出身の「デザイナー」を150人くらい抱えていることが、社内外における最大の魅力であり、価値だと僕は考えている。 博報堂は、世間で言う高学歴な人が多い。東大も慶応も早稲田も全体の1割くらいずついる(たぶん)。彼ら(彼女ら)も、すばらしい力をもっているには違いない。でもそれらの存在も、美大卒のデザイナーの価値には遠くおよばない。東大も慶応も早稲田も
就活の季節になりました。(昨年から大分ズレてますが) 今年は、例年より少しOB訪問を多く受けています。「もっといいアドバイスができなかったのか」と後悔することも多いし、「こんなエラそうなコトを言えるほど、自分が頑張っているのか」と反省することもあります。 そして今日はそんな夜でして、眠れなくなってしまったのでPCをとりだし、「自分なら博報堂のESに何を書くのか」に挑戦しようと思った次第です。 あなたが大事にしている言葉(座右の銘) × 広告の仕事」というテーマで自由に論じてください。800 文字以内 こんな課題がでているそうです。「論ぜよ」というところが気になりますが、まぁあまり深く考えなくてもいいでしょう(博報堂の人は寛容だから)。 それを置いておいても、難しいですよね。エラそうなこというくせに、大したこともかけないのか、と叩かれるかもしれなけど、それはそれで「こんなものか」と受け止めて
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『文鳥社とカラスの社長のノート』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く