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アメリカ大統領選
d.hatena.ne.jp/Hiromu24utti
昔からタコとかイカとか最初に食ったやつ一体何考えてんだよって話はよく聞くけど、それ言ったら絶対パンの方がハードル高いだろう。 だってタコとかイカはたまたま漁やってとれたら、捨てるのもあれだし、これ刻んで塩つけたら案外旨いんじゃね?っていう発想はまだなんかわかる。先にたぶん貝とかエビとか普通に食ってたろうし。 でもパンて、すげーハードル高くないか。 例えば米を食うようになる仕組みはすごくよくわかる。鍋に水入れて、野山で取ってきたもんぶちこんで、適度に煮えたやつ食ってみたらもうそれは雑炊なわけで「これ旨いから他のもの混ぜずに食ってみようぜ」とか、「ちょっと水分量少なめにしてみようぜ」とか、そういう思考でものすごくナチュラルに食ったのだろう。 でも小麦はあのままだと食えない。 ふすまだかなんか、食べられない部分があって、普通に軽く煮込んだぐらいだと全然食えないのである。 もうその時点で我々の先祖
(今日のネタは↓の人の話にインスパイアされております) http://d.hatena.ne.jp/md2tak/20091121/p1 最近アホめな女の子と飲むときには興味本位で「鎌倉幕府作った人誰かわかる?」とか聞いてみてる。 もし何ならアホめじゃない女の子とか含めてもこれがものっそい低い正答率を見せ「おお、日本やべぇ」とか心配になるのだけど、よく考えたらあれ、教育の方が悪い気がせんでもない。 例えば自分が大学で授業する機会なんかには ・相手が現在どれだけのことをわかっているか・相手がどれだけ新しいことを学ぶキャパがあるか・どこまでのことをわかっていれば意味があるか みたいなところを分析しながら、授業のゴールとか内容とか、説明の詳しさをデザインしたりするわけなんだけれども、中学高校の内容がここまで定着してないこと考えると、そのあたりのデザインの方向性が彼女たちを置き去りにしてるのだ。
幼少期からエクストリームに「ふつう」とかけ離れた感覚を持ちつづけた自分であるので他人の「ふつう」がけっこう興味深く映る。 例えば飲み会で女の子と話していて、聞くこと聞くこと全てが「ふつう」な人とか、逆にすげー!とかむしろ怖えー!とか思ったりする。 「学生時代部活とかやってました?」「中学は軟テでー、高校も部活全入だったから映研入ったんだけど 結局すぐに帰宅部みたいになっちゃいました」「ふつうだー!」 「じゃあ得意科目とかありました?」「こう見えても数学とか得意だったんですよー。 高校時代三角関数とかで挫折して文系行っちゃいましたけど」「ふつうだー!」 「じゃあ好きなアーティストは?」「えー、最近聞いてるのはバンプとラッドですかねー?」「今っぽいふつうだー!」 とか、片っ端から全て、ふつうな話しか出てこないという人。そこに酢豚とか出てくると「パイナップル合わないですよねぇ」とか、以前もネタに
突然で恐縮なのだが、以下のような文章を声に出さずに読んで欲しい。 ある日僕が道を卷いてると、靜るようにして竈く人と嫂した。 このおそらく4文字ほど読めない漢字があったと思うのだが、その過程はどう処理しただろうか。 「みちを…いてると」と読み飛ばす人、想像で適当に読みを当てる人、いろいろいるだろうが、発音もできなければ意味も解らない言葉なのに何となく読んでたいていの人は何となく勝手に情景を浮かべたり、そこから判断出来る最低限の情報を抽出したりするだろう。 たぶん僕も含めてあまり語学が得意でない日本人はこういう、日本語だと自然にやってる「わからないなりに空気を読む」みたいな思考法が他国の言葉でコミュニケーションをとる際に働きにくいのかもしれない。 さらにもう一段階、これらの感じの読みが与えられたとする。 ・卷(いさか)う・靜(しののめ)る・竈(すたな)く・嫂(でくわ)す こんな感じで読みを教え
若い人としゃべる時、「誰かの役に立つ人」ではなく「自分の考えでちょっとだけ世界を幸せに出来る人」になりなさいとかいう話をよくしてる。 この話には2つ意味がある。 まず一つは「何が自分にとって幸せな世界なのか考えなさい」ということ。 人から与えられた価値観とか優越感/劣等感とかでなく、本当に自分の胸の底から出てくる「幸せ」は一体どういう部分にあるのですか?と。 そこが明確でさえあれば、例えどこにいようが、何をしていようが、どんな立場だろうが、やり方しだいで絶対不幸になりようがないわけですよ。 なのであくまで第一に「自分にとって」の幸せな世界を考えてもらいます。 そして次に、誰かに幸せを与えられる人生はめちゃくちゃ素敵だということです。 人間に生きる意味がありますか?と聞かれたらたぶん僕は「おそらく基本的にはノーだ」と答える。 そしておそらくさらにこう続ける。「生きてるだけなら意味はないけど、
例えば「酢豚のパイナップルが許せない」という話あるじゃないですか。 よくゆるい飲み会とかでネタにされたりするあれです。何ならエンタの神様とかでもたぶんたまに言われてるあれです。だいたいその話の直後に「生ハムのメロンもヤバいね」と続くあれです。 正直に聞きたい。この話は面白いですか? 僕の個人的な見解を言うとそれはもう絶対ノーだ。覚せい剤とかそれクラスにダメゼッタイだ。本人的には面白感覚のあるあるネタ言ってるつもりなのがもうダメだ。これはもう、あるあるを通り越した「ふつう」である。 何なら「冬は寒い」とか「朝会ったからおはようと言った」とかそんなレベルの「ふつう」である。 それなのに、さも「俺面白いこと言った」みたいな顔をされて、こっちは「あはは、生ハムのメロンもっすよね」っていう同じような「ふつう」に関してコミュニケートしなければならないのだ。 この不毛さに、みんなそろそろ気づいてき
今の日本の社会だと高校時代に将来を設計するのが一般的だ。 でもさぁ、今一応自分が社会人とかになって思うんすけど、高校時代に人生決めるとか、無理じゃね? 社会の仕組みとか、当時の俺ら全然知らなかったじゃないすか。仕組みもそうだし、その中でどういう仕事してるどういう大人がいるかとか、リアリティ持って見れてない。 そしてなんで例えば若者がミュージシャンとか、漫画家とか、アスリートとかになりたがりやすいかっていうと、それが一番マスメディアに情報があふれてて、比較的想像しやすい仕事だからじゃないか、とも思う。 社会が複雑になるにつれて職業の数は増えるし、その人たちが実際に働いてるところって、外からはどんどん見えにくくなってくるのに、高校生ぐらいで「将来何をやりたいか選べ」と言われても難しいどころかそんなんわかるかって話だ。 でも一個だけ、コツがあるとしたら、「自分の好きなことの本質をつかむ」って部
あんまりネタ的に面白くもないし、普段書いてる感じと毛色も違うし、匿名日記ってやつ試してみたかったからって理由で、思いついたネタそっちに回してみたらやたらブックマークされてウケた。 ちなみに↓がその匿名ダイアリーに回した話。http://anond.hatelabo.jp/20080520044844けっこう長いし、読んでもけっこう毒にも薬にもならない。 さっき見た時点で150人ぐらいがブックマークしてて、なんかはてな全体の「注目のエントリ」みたいなところにも載ってた。 5年間ぐらいここにダラダラ文章書いてるけど、たぶんそんな扱いされたことって2,3回ぐらいしかないのに。 もしかしたらこのへんからネット社会云々とかそういうことが考察できるのかもしれないけど、あんまりそういうところに興味もないのでやめとく。
紀元前二世紀頃、現在の房総半島付近を治め、漢に朝貢していた豪族、訃那馬氏により制定されたとされている。(漢書山海誌) 後に訃那馬氏は大和朝廷により滅ぼされたため一部の条文を除けばその内容は現存しないが、争いを諫め、道徳的規範を定める内容は後の十七条の憲法などに大きな影響を与えたとする説もある。 現存すれば日本最古の法律であり、ハンムラビ法典や十二表法に次いで世界で最も古い法律の一つということになる。 なお船橋という地名は鎌倉時代以降に訃那馬氏にちなんでつけられた当て字であり、そのためこの法典を船橋法典ではなく訃那馬氏法典と呼ぶのが適切ではないかとする意見もある。 (民明書房 2007)
あなたの夢は何ですか、と聞かれた場合の返答に困るんすよ。 それは僕がもう大人になってしまって夢がなくなってしまったからとかそういうことではなく、「そんなものアホほどあるわ」という方向である。 小学生ぐらいからなりたいものが腐るほどあったわけだけど、それが大人になって色々なことがわかるに従い縮小されるどころかどんどん拡大の一途を辿っているし、それらは現実の僕とリンクしてリアルタイムで変化する。身近なところからものすごく壮大なところまで僕の「夢」はあらゆる分野、あらゆる段階に広がっている。 教授になるとか、友達と会社を興して成功させるとか、そのあたりはもう完璧に俺の夢版図の中で通過点であると言っていい。物欲ないのでお金とか使い道ないし、たぶんどんだけ偉くなっても小心者だから威張れないんだけど、「社会への影響力」とか「自由度」とかそういったものは欲しい。 で、自分の考えに従って世界をちょっとだけ
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そういえば先日海辺の花火大会を見に行った時浴衣姿でウロウロしているギャルがいた。 ギャル、というのは服装の系統を示す概念であり、当然その中にはかわいい子もいれば残念な子もいて、真に遺憾ながら彼女は後者だったのだが、気になったのは「ウロウロ」の仕方である。 普通にそのへんを歩いている人とすれ違っただけでも、そのわずかな観察から「変な人がうろついている」と人に報告されたり、場合によっては公のメディアで報道されることも日本語ではありえる話だが、彼女の「ウロウロ」はそんな生易しいものではなく、何度そこを通りかかっても、特に目的もなく、狭い範囲を歩いては立ち止まり、歩いては立ち止まりしていたのだ。 通常だったらありえないような行動であり、もし人間を一動物として観察するようなドキュメント番組があれば、「ヒトのメスにしては珍しい行動ですね」とナレーションされたんじゃないかと思う。 でも今考えると彼女はレ
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