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猛暑に注意を
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「男女共同参画社会づくりに向けての全国会議」の中でのカルロス・ゴーン氏によるスピーチと対談の主題は、「ダイバーシティ」だった。このスピーチじたい、おそらく日産内の担当社員が書いたものを読んだのかなと思われるもので、けっして面白いものではなかった。(まあ内閣府イベントだし、面白いものを期待するほうが間違っているのかもしれないが。)ゴーン氏のスピーチは本来もっと面白いと聞いていたので、ちょっと残念だった。 ひとつ面白かったのは、アメリカをモデルとしたお話が多かった江上氏に対し、ゴーン氏は女性の活躍を快く思わない管理職がいた場合、その人をルーマニアに送るという話だった。なぜかといえば、ルーマニアは工場においても女性が半数おり、管理職もそれくらいだそうだからだ。旧共産圏だから、といったお話だった。ルーマニアに送られ、女性が多い職場状況を実体験してきた社員たちは考え方を変えるのだという。 「日産
週末に、アトランタで開かれたアジア研究学会に行ってきた。といっても授業などの関係で、金曜日に出て日曜に帰ってきた。金曜、日曜は実質上移動で終わってしまった(モンタナからはどこに行くにも大変なのだ)ので、しっかり学会で過ごしたのは土曜一日だけだった。 そんな中、私がアトランタに到着する前に開かれたパネル(日本の若者に関するパネルだったようだ)において、なんと「ジェンダーフリー」がそれなりに著名なアメリカ人日本研究者によって、保守派が意味するところの意味をもつ「日本語」として紹介されていたと聞いた。それを聴衆として聞いていたほかの日本在住アメリカ人研究者が発言して訂正したというのだが、それにしても笑えるというかなんと言うか、、アメリカ人学者の書いた論文を日本人学者が誤解したことから始まった「ジェンダーフリー」という言葉が、巡り巡って今度はアメリカ人学者に誤解されるとは!すごい展開である。
坊主マンに帰ったら、すごいニュースがはいってきた。東京福祉大の総長の中島恒雄氏が、強制わいせつ行為で逮捕されたというのだ。 私はこの人に個人的に会ったことはない。が、、ひそかにこの人物には注目してきた。10年近く前のことだが、この人が経営する、福祉専門学校の非常勤講師の面接を受けにいってしまったことがあるからだ。 ここの面接は最初から変だった。なぜって、普通専門学校の非常勤の試験や面接は、仕事内容についてや、担当する教科の力をみるようなもののはず。だが、この学校の場合、中嶋氏が「茶屋四郎次郎の末裔で、、」といった、どんなにすごい家柄の人であって、しかも留学してドクター取得、そしてその後「ハーバード大学」に招聘教授として呼ばれた云々と、彼個人に関する自慢話としか思えないような内容を、学校のスタッフの人が延々としたことである。面接をうけにいっている人たちは、それをじっくり聞かざるをえない状
一年半ほど前に、『「アメリカの大学は卒業が難しい」神話』というエントリを書いた。それに関連するが、アメリカの大学の卒業率について。 「アメリカの大学は入学は簡単だが卒業が難しい」という説のサポートとしてよく使われるのが、アメリカの大学における卒業率の低さだ。最近は50%近辺だという。(5年前のデータだと、平均51%となっている。)しかも、傾向として、卒業率が落ちてきているようだ。 ある意味、典型的な「卒業率の低さ」に関する説明は、以下のようなものである。 (「米国大学スカラーシップ協会」サイトより引用。) アメリカでは大学の卒業率は50%を下回ると言われています。 しかも6年以内に卒業する割合ですので、いかに卒業が難しいことか想像できると思います。 卒業率の低さは「勉強しているか、していないか」に尽きます。 要するに、「アメリカの大学は勉強が大変だから卒業率が低い」というもの
「アメリカ社会学」といっても、研究の最先端とか、一部エリート大学の社会学部のことではなく、地元密着型州立大学や、いわゆる「エリート」大学ではない私立大学の教育現場の話。 私が今いる大学は、地元密着型州立大学といえるだろう。そして、所属する学部は社会学と人類学がいっしょになっている学部なので、私自身の分野は人類学でも、社会学側の話も日常的によくでてくる。 私の学部の社会学サイドは、近年、犯罪学(Criminal Justice)専攻をやめる決断をし、プログラムがなくなった。しかし、これは全米的にみると、かなり珍しい決断のようだ。なぜ犯罪学専攻のプログラムを廃止したのか、という話を聞くなかで、私の大学のみならず、全米で起きている状況がみえてきた。 私の昨年の就職活動を通じても、よく聞いた話だが、社会学が犯罪学にどんどん浸食されている状況があるというのだ。「社会学・人類学・犯罪学部」のよう
最近更新したらしい、「日本ジェンダー学会」のHP。 トップページに、日本語と英語で、以下のような学会についての記載がある。 日本語版 日本ジェンダー学会は男女両性の研究者によって1997年に創設された学会であり、男女の共同参画によって学際的・国際的なジェンダー研究を進めている。日本学術会議の学術研究協力団体としての認定も受けている。 会員の性比は女性対男性が6対4、意思決定にかかわる役員の性比は5対5である。研究誌「日本ジェンダー研究」を年1回、情報誌を年2回刊行するほか、 2000年4月には冨士谷あつ子・伊藤公雄監修、日本ジェンダー学会編『ジェンダー学を学ぶ人のために』(世界思想社)を刊行した。 毎年9月に学会大会を開催しており、その他にもさまざまな研究会やセミナーを企画・実施している。2001年9月23日(日)には国立京都国際会館において『世界女性文化会議・京都2001』を、
中学校で、武道とダンスを必修化する方針を中教審が打ち出したらしい。 debyu-boさんが、さすが!な突っ込みをいれておられる。 http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20070906/1189041121 私は、毎日日の丸掲揚を欠かさず、君が代歌いまくりな小学校に行った訳だが、そこで毎年行われていたのが「相撲大会」。「相撲大会」は、毎月(!)行われていた小運動会のひとつで、私の小学校の小運動会にむけての熱のはいった練習ぶりといったら、そのへんの中学校の必修体育なんてはるかに超えたものだった。一ヶ月間、毎日ひたすら相撲の練習をさせられるわけだ。 そして、相撲をとる相手こそ同性がほとんどだったが、相撲大会は女子生徒も上半身裸で行われていたのだ。なんて過激なジェンダーフリーっ! もちろん、「武道」というからには、日本の国技である相撲は欠かせないに違いない。
前エントリが教育関係だったので、久々に思い出して教育再生会議サイトをみてしまった。 なんか第二次報告が出たという報道があったけど、あまりフォローしてなかったし、、 で、思わずあけてしまったのが分科会要旨。5/28に開かれたらしい、合同分科会の内容だ。 相変わらずすごかった。 ぱっと見て印象に残ってしまったものが以下。要旨をざっと見ただけだが、議事録をちゃんと読むともっと凄い発言が出てくるんだろうなあ。。 留学生政策について。 (川勝委員) ・留学生政策推進の理由に、教育政策と同時に産業政策、外交政策でもある となっているが、少子化対策でもあると加えていただきたい。日本に憧れ を抱く、優秀な学生を日本への誘導する機会になる。 「少子化対策」って、ひどすぎ。。 そして、なんだかんだいって東大のことしか考えてないらしい委員たち。 (塩崎官房長官) 東大は世界のランキング
日曜日に開かれた、マスコミ学会ワークショップ「「バックラッシュはどのように起きるのかーマスメディアとWeb言説空間との呼応関係」については、すでに荻上チキさん、今井紀明さん、斉藤正美さんのブログにて報告がアップされている。繰り返しになる箇所もあると思うが、とりあえず私の簡単なレポート&感想を書いてみたい。 1)「いわゆる『弱者男性』=ネット右翼/バックラッシャー」説への疑問 このワークショップの重要なポイントは、よく言われる「いわゆる『弱者男性』=バックラッシャー論」を検証し、疑念をはさむという方向性が提示されたことだった。果たして若者の右傾化といった現象は本当に起きているのか、ネットにより、右傾化しているように「みえる」のではないのか? 2ちゃんねるは「若者文化」といえるのか?2ちゃんねらーは本当に「右派男性」たちなのか?などといった疑問が提示された。とくに、北田さんによる、2ちゃん
石原都知事の政策として、校庭の芝生化というものがあるのを知った。(今頃、な話題なのかな?) この何となくよさげに聞こえる「校庭の芝生化」。石原の施政方針演説によれば、 また、校庭の芝生化は、ヒートアイランド現象の緩和に寄与するだけでなく、屋外で遊び回る子どもたちの元気な声が学校に戻ってくるなど、うれしい効果も生み出しておりまして、都内のすべての公立の小中学校で、校庭の芝生化を進めてまいります。 ということらしい。すべての学校か。。 私がこの「校庭の芝生化」に反応してしまう理由。それは、やはり以前、このブログの「千葉県管理教育シリーズ」で書いた、私がいった管理教育バリバリの某K小学校の校庭が、芝生化されていたからだ。おそらくK小学校は、校庭の芝生化の面で先駆的な学校だったのだろう。『みどり豊か」だとか、「芝生の校庭が自慢」とか、よく学校で言われていたのを覚えている。校庭が芝生になって
「女性と政治キャンペーン」。統一地方選挙のたびに行われる、とくに地方議会に女性議員をふやすためのキャンペーンで、今年で3回目になるという。 http://www.josei-seiji.com/ このHPの冒頭に、このキャンペーンがいったい何なのか、という説明書きがある。 女性と政治キャンペーンとは、ジェンダーにとらわれない平等社会実現にむけて、現状のジェンダー構造を変革するために、ジェンダーに敏感な視点を持った女性(男性も)を政治・政策決定の場に送る全国キャンペーンです。 たった3行のこの短い文章に、「ジェンダー」が3回も出てくる。 そして「『ジェンダーにとらわれない』社会実現にむけて『ジェンダーに敏感な視点』をもった女性(男性も)・・」って・・。とらわれないことを目指すのに、敏感な人たちを支援するのか。 まあ、言いたいことはわからないでもないが、「ジェンダー」って言葉に何通
所用でカンザス州に行って来た。 アメリカのど真ん中、竜巻がくるオズの魔法使いの世界の州であり、"Red State"として知られるところだ。 そして、進化論を州の公立学校で教えるべきかどうかの議論で、注目を集めてしまった州でもある。 州の教育委員会が保守派が支持により、進化論を州の教育カリキュラムから排除する決定を行ったのだ。最近の最近の動きに関する、AP通信による報道によれば、2005年に共和党が多数派となった教育委員会決定として、進化論は問題がある理論であり、宗教の影響を色濃くもつIntelligent Design (ID)論をすすめる派が求める表現をとりいれた標準が導入されたが、昨年の選挙により、民主党と共和党穏健派が多数派となったことで、また進化論をとりいれる方向に決定が変わるだろうと言われているようだ。 カンザスで子どもを育てている人たちの話では、カンザス州内でも進化論
来学期に日本のポピュラーカルチャーに関する授業を教える予定なので、ぼちぼち準備活動をしている。 英訳されているマンガ状況を調べたりしているのだが、圧倒的に最近のマンガのほうが訳されているのに驚いた。私が昔読んだ、記憶に残る「名作系」マンガより、むしろ今日本で流行っている旬のマンガが多く出版されているようだ。リアルタイムに近い形で、日本のマンガを、英語で読めてしまうのだ。ついでながら、amazon.comで"yaoi"で検索したら、けっこうたくさん出てくることもわかった。どうやらamazon.comは、わざわざやおい系マンガに(yaoi)と記述してくれているようだ。ある意味便利ではあるのだが、購買者から苦情でもでた結果の(yaoi)印なんだろうかな?? 私がアメリカにきた90年代初期は、日本語を学んだり、日本に関する授業をとる学生は、大部分がビジネス関係に興味をもつ人たちだったように思う
「教育再生会議」の教育再生分科会、12/9開催の第三分科会の議事要旨(p.10): http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/3bunka/dai2/2gijiyoushi.pdf 教育ジャーナリストであるという、品川裕香氏のご発言より。 (品川委員) 奉仕活動は、何歳から何歳の間で何ヶ月行う等期間に幅を持たせて弾力的に行うことができるようにすればいいのではないか。ボランティアとは違い、強制力のあるものが奉仕活動など、定義をはっきりさせる必要もある。奉仕活動は規範意識を育てるのに大きく貢献するといわれている。またアメリカ等徴兵制のある国はそこで規範意識や自国民という意識が高まるとの意見もある。奉仕活動の意味は多角的に検討されてもいいのではないか。 「アメリカ等徴兵制のある国」って、現在アメリカには徴兵制なんてないんですけど。 しかし、奉仕
「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調 もうあきれるばかりだな、教育再生会議。「普通以上の子ども」と「以下の子ども」ってどうやって区別するんだか。 で、塾禁止で盛り上がったという、「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)の議事要旨もみてみた。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiyoushi.pdf (野依座長) 塾をやめさせて、放課後子供プランをやらせといけない。塾は出来ない子が 行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだと思う。 どうも、野依良治氏は、できる子は塾禁止にして、かわりに「放課後子供プラン」に行くべきだというご意見のようだな。で、できない子はその時間帯、塾に行けということか?それじゃあ、「放課後子供プラン」がエリート養成の場所になって(公的なエリート塾か
女性のストレス、「夫の手を握ること」で解消=米研究 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061220-00000402-reu-ent 米研究によれば、幸せな結婚をしている女性が、ストレスを感じた際に夫の手を握ると、ストレスが即座に解消されることが、脳のスキャンではっきりと示されるという。・・・親密な関係が精神面に及ぼす利点を量的に測ったのは、今回の研究が初めてのことだ」としている。 なんだこの研究?「(ヘテロな)結婚したほうが精神的にもいいよん」というファミリーバリュー系保守的価値観の振興につなげられそうな予感。そもそも「量的に測る」って、どうやったんだ?と疑問に思ったので、オリジナルの論文を見てみた。 James A. Coan, Hillary S. Shaefer, and Richard J. Davidson, "Lending a
産経のサイトに掲載された以下の記事だが 日本は無縁ですが…恒例、米の「あいさつ論争」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/31653/ 米国民の84%はキリスト教徒といわれる。キリスト教保護団体アライアンス・ディフェンス・ファンドのマイク・ジョンソンさんは「キリスト教信仰が大多数なのに、検閲され、沈黙させられようとしている。95%の米国民がクリスマスを祝おうとしているのだ」と危機感を募らせている。 84%がキリスト教徒だといわれると書いてあるが、キリスト教保護団体のひとの「95%の米国民がクリスマスを祝おうとしているのだ」で文が結ばれている。何だこれ?この「95%」って数字、どっから出て来たんだ?まあキリスト教保護団体の人が勝手に「95%が祝いたいはずだ」と思いこんでいるんだろうが、それにしてもこの人のセリフを引用し、「危機感を募
はてなブックマークをみていたら、女性の「生理」関連のエントリーがいくつか注目を集めているようだった。 そこでふと思い出した、生理用品についての雑感である。 日本にたまに行くと違和感を覚えることのひとつに、そのへんのスーパーやマツモトキヨシとかで生理用ナプキンだのタンポンだのを買うたびに、ナプキンやタンポンを、わざわざ紙袋にいれて、そのうえでほかに買った商品といっしょにビニール買い物袋に入れられることがある。わざわざ紙袋にいれるということは、「それがナプキンやタンポンだということが表からみてバレないように」という心遣いのためなのだろうかなと思う。たぶん常日頃日本で生活していればそれが普通のことと思えてくるのだろう。 だが、アメリカのスーパーマーケットやドラッグストアでナプキンだのタンポンだのを買っても、べつに特別に紙袋にいれてくれたりはしない。普通の商品といっしょに、そのままビニール袋
日本において見たり聞いたりする「アメリカ」のイメージは、ニューヨークやDCの中心部(ホワイトハウスなど)の東海岸の一部と、カリフォルニアに偏っているのではないかということを前回書いた。 その後、『『リトルバーズ〜イラク 戦火の家族たち』というイラク戦争についての日本のドキュメンタリー映画のDVDを人から借りたので観る機会があった。 監督が危険なイラクに行って、病院などで起きている現実を撮影したり、3人の子どもを無くした父親や、クラスター爆弾の破片で眼を負傷した少女とその親や、不発弾による事故で手を失った少年やその親の悲しみや怒りを追った映像。イラクについて私たちが知ることができない、現実を撮った映像は確かにパワフルで、意味深いものだったと思った。 ただ、ひっかかった点がある。監督さんが、イラクの街を警備するアメリカ軍の兵士たちにむかって、責め、詰問するシーンがよくでてくるのだ。アメリ
chikiさんの『永遠の法』&手相占いルポが面白かった。 chikiさんの手相占いの方々(どうみても統一協会系)との会話にて、「空回りしてしまった人生を修正すべく、一度生まれたての状態になって正しい価値観を身につける必要がある」「ビデオを見させられたあと、偉い人にあわされ・・」「心がきれいになれば、家族関係、人間関係・・と広がって行き」「一緒に勉強していくために12万円が必要らしい」などの情報が得られた(?)という。 こういう系統のセリフ、なんか以前よく聞いた気がするなと思い出した。そうだ、エステサロンだ。 かれこれ10年ほど前、エステサロンがかなり流行っていた時代、私はエステの無料体験コース行きまくり活動をしばらくしていたことがあるのだ。30件は行った気がする(もっとかもしれない)。そして、某Tサロンの支店だけでも7〜8件は行ったのだ。(まったく同じダイレクトメールが7〜8通ほど、
「秋田経済法科大学」にて、茶髪とピアスを禁止する法則をもうけ、従わない場合は「懲戒」もありえるし、指導に応じて改めた学生には学長賞として一万円を贈るというニュースを読んだ。 「秋田経済法科大学」のサイトに行ってみたら、このニュースについての補足なるものが載っていた。 茶髪・ピアスについて(一覧のコメントをご覧ください) 読売新聞やヤフーのニュース欄に取り上げられました記事について補足いたします。 この規則の主旨はあくまでも「社会に出してはずかしくない学生の教育」ということです。 そのために守るべきマナーを守ってもらいたい。服装や頭髪等の身だしなみも他人に不快感を与えないものにしてもらいたいということです。 どのぐらいの頭髪の色か、ピアスは耳もだめか等の細則や、褒章制度(1万円)等についても今後検討した上で具体的に制定していく予定です。 学生を社会に貢献できる人材に教育していき
「男女共同参画のための研究と実践の交流推進フォーラム」と名前を変えた、ヌエックでのフォーラムに一泊二日で参加してきました。 本当は参加する予定はなかったのだけど、急遽行くことに。 私がこのフォーラムに行くのは6〜7年ぶりくらいだと思うのですが、着くやいなや気づいたことが、「参加人数の少なさ」。募集期間も短かったし、実施ワークショップも少なければ当然の帰結なわけだけどね。土曜の午後に武蔵嵐山の駅に着いて乗った駅からの無料送迎バスには、私を含めて客は二人。(まあ変な時間についたからかもしれないが。)運転手さんに、ガイド役をしている行政の人も乗っていたのですが、なんかこれだけの人数でバス動かすのもったいないなあ、、とまず思ってしまいました。 会館では、まず本などの商品を市民団体が売るスペースの「情報のひろば」をのぞいてみたのですが、前にきたときに比べてスペースがすいていること。以前はぎゅう
女性運動界隈で、よく聞く言葉に「元気をもらう」というものがある。 「この集会で、元気をもらいました」とか、「皆さんと交流できて、元気をもらいました」とか、「○○さんに元気をもらいました」というように使われるのをよく聞く。直接会った時のみならず、メールなどでもよく見る表現だ。 だが、私はどうもこの「元気をもらう」という言葉に違和感を覚えてしまうのだ。聞くたびに、そしてメールなどで見るたびに、気になってしまう。 何が気になるのだろう?と考えてみると、女性運動界隈で「元気をもらう」という表現が使われるコンテクストに問題があるのかなと思えてきた。思いつくのが、東京など「中央」とされる地域で開かれる集会や、全国規模の集会(たとえばNWECフォーラムとか、日本女性会議とか、民間の団体にしても、様々な地域から人が集まる類いの集会)において、地方からきた人たちが「ここに来て元気をもらいました」という
日本女性学会宛に、以下のような質問状を5月31日付けで送付しました。 6月17日に到着した回答の概略とともに、紹介します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私どもは日本女性学会の会員として、学会ニュースを拝読させていただいております。 最近の『学会ニュース』および、日本女性学会の方向性について、疑問が生じています。とくに以下の2点についてお伺いしたく存じます。 1)『学会ニュース』106号について 『学会ニュース』106号において、幹事の伊田広行氏に関連する分量が図抜けて多くなっています。まずは、伊田氏が司会をされる6月の2006年度学会大会シンポのお知らせ記事が1〜3頁にかけてあり、同大会の分科会とワークショップのプログラムをはさんで、7頁には伊田氏執筆のジェンダー概念に関する「シンポジウム報告」記事、引き続き同頁に関連情報として伊田氏執筆の男女共同参画/ジェンダ
来年3月下旬にシカゴで開催される、アジア研究学会のプロポーザルが通ったとわかった。内容的には、こんな充実しているのに通らなかったらどうしてくれよう、、っていうものだと思うのだけれど、さてアメリカのアジア研究学会の人たちにの充実ぶりが伝わるかどうかとちょっと不安だったのだが、通って一安心。 で、このパネルだが、"Gender-free Backlash on the Internet and Beyond: National Politics and Feminism in the 21st Century Japan" というタイトルで、ジェンダーフリー論争とインターネットというテーマに正面から取り組む予定。パネリストはシカゴ大学で卒論をジェンフリネタで書いたローレン・コーカーさんと、荻上チキさん、小山エミさん、斉藤正美さんと私。「ジェンダーフリー論争」というテーマで、これ以上のメンバー
一連の日本女性学会、イダ氏関連の議論について、リンク集を作成してみました。 日本女性学会ジェンダー研究会『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』本関連の議論 『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』への意見 http://d.hatena.ne.jp/discour/20060616 日本女性学会本は学会幹事会が責任編集 http://d.hatena.ne.jp/discour/20060618 日本女性学会 「ジェンダーフリーバッシング」本の感想(1) http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/251.html 女性学会本の感想(2)男女平等教育運動の歴史認識 http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/253.html 女性学会本の感想(3) フェミ誤解仲間、突然激増の謎 http://d
毎年、夏の終わりに開かれる、国立女性教育会館(NWEC)のフォーラム。 http://www.nwec.jp/program/page02.php このNWECサイトのリスト最後に、フォーラムと思われる催しが掲載されており、日程は8/25〜27となっています。 だが、去年まで、「男女共同参画のための女性学・ジェンダー研究フォーラム」という名称だったのが、いつのまにか「男女共同参画のための研究と実践の交流推進フォーラム」に変わっている!? また、もう6月半ばにさしかかろうというのに、いまだにワークショップ応募関連情報がまったくない、というのも今までにないような? 何か情報お持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせ下さい。 ファイトバックの会のブログでも、「「ジェンダー」が(男女共同参画/女性センターなどの事業名から)消えてゆく」というエントリがでています。
千葉県管理教育シリーズ、中学、高校編である。 中学にはいると、小学校時代「ジェンダーフリー」だった体罰は、明らかに女に対しては少なくなったように思う。だが、当時世間は校内暴力全盛時代。暴力を防ぐ=暴力を通じて管理する、という公式だったのか、男子生徒に対しては、相変わらず殴る、蹴るの体罰が続いていた。自分自身が暴力をふるわれなくとも、他人がふるわれている様を目の前で見させられると、同じような心理的圧力がかかってくる。しかも、あの小学校時代を過ごしてきた記憶も生々しいわけだ。 中学にはいって制服が導入されると、生徒手帳に細かく書かれた校則により、髪型、制服のスカート丈などが細かく規制されるようになった。そして、体操服には名前が大きく書かれたゼッケンがあった。服装を通じての「管理」は、より細かいところまで行き届く状況になったわけだ。そして、前回エントリのコメント欄で出てきた、監視に基づいてお
前回エントリのコメント欄にも書いたが、私の小学校5〜6年のときの担任は、「叩く専用棒」というものを常に所持していた。最初は、直径2〜3センチくらいの木の棒をもっていたような気がする。だが、ある日、細い、しなる竹の棒の先の部分に、ひどく固い黒いもの(固く重いゴムのようなもの?)をつけた棒を開発してきた。そんなものが商品として売っているわけもなく、わざわざ工夫して、叩くためだけの用途に作ってきたわけだ。竹でしなり、先についているものが重いため、反動もついて叩く側はほとんど力を入れる必要がない。何度でも苦労なく叩ける。だが、その反動と、棒の先についている固いもののために、叩かれる側は非常に痛いという代物なのだった。そしてその棒を開発した彼は、かなり自慢気だった。 この棒でどこを叩かれるのか?頭である。頭をそんなに固いもので叩かれれば、当然、コブができる。当時の私の頭はコブだらけだった。毎日のよ
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