サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
francesco3.blog115.fc2.com
*軍艦島全景① 卒検に合格した翌日、大浜のバス停で福江港行きの始発をまちながら、びゅんびゅんとながれゆくしろい雲をながめていると、あまりのど田舎ぶりにいいかげんうんざりしていたとはいえ、さすがにセンチメンタルな気分になった。空すら見上げない引きこもりの日々にわたしはまたもどるのだろう。あのうつくしい青のグラデーションも、巨大なタイドプールをつくる魔法のような潮の満ち引きも、水面に反射するきらきらした陽光も、しばらくはみられない。そうおもうとやはりせつなくなる。かといってここにとどまりたいわけではなく、これからおとずれる廃墟の島へも同時におもいめぐらせていて、きゅんとしたりしゅんとしたりわくわくしたりそわそわしたり、胸中はふくざつだった。そうしているうちにバスがきて、女子高生とわたしを乗せ、市街地へはこんでいく。長崎へむかう船の出航は7時40分。到着は正午まえだから、午後のツアーに充分まにあ
*高浜海水浴場① 撮影が冬だったのだろう、びゅうびゅうと風が吹きすさび、黒い雨雲のたれ込める、映画「悪人」のクライマックスシーンはひどく寒々しくて、だから大瀬崎灯台も、この世の果てみたいにみえたのだけれど、夏のおわり(といっても10月だが)におとずれてみたら、碧瑠璃の海を眼下にのぞむ見晴らしのよい岬で、家族連れやカップルで賑わう、むしろのどかな景勝地だった。切り立った崖にそびえる白亜の灯台とあおく澄んだ東シナ海のコントラストがうつくしい。崖下の水面に漁船が一隻うかんでいる、ただそれだけの景色がまるで絵画のようだ。たどりつくまでのながい林道も、木陰に入ればすずしく心地よく、急勾配がつづいても、行きはそれほど苦にならない。ただ、かえりの傾斜はつらかった。峰から突き出た岬の突端に建つ大瀬崎灯台は、福江島の最西端、五島市玉之浦町にある、西海国立公園の代表的な観光名所。水平線に対馬海流のぶつかる絶海
このくらく重々しい、それでいてひどくまぶしい、目がくらむようなノンフィクションと出会ったのは月刊誌の連載で、はじめてそれをよんだとき、そこにえがかれていたのは、ナズマという女乞食が、少年マフィアのすむ集合住宅の、配水管のこわれた共同便所で、汚水と排泄物にまみれて障碍者とまじわっている場面だった。その三十絡みのホームレスは少年マフィアのリーダー、ラジャの情婦で、耳あかをほじってはそれを口にはこぶことから、耳くそ女とよばれている。相手はラジャの部下たちで、皆からだのどこかが欠損していた。ストリートでうまれそだったかれらは、物乞いとして稼ぐほかにいきるすべがない。しかし、五体満足ではわずかな施しすらうけられない。そのためたいていはおさないうちにマフィアが、少年になってからはまれにみずからが、その手足を切断し、耳を削ぎ、目をつぶす。ナズマはラジャをあいしていたが「身体の動かない子たち」も「裏切れな
*海老と帆立のピラフ、豚肉とニンニクの芽の炒めもの、冷製南瓜スープ、コンソメジュレ *シーフードピザ、海老とアボカドのサラダ *冷麺 *魚介のトマトパスタ、アスパラとベーコンのサラダ 真のナポリピッツァ技術教本 (2007/09) 「真のナポリピッツァ協会」日本支部西川 明男 商品詳細を見る
わたしはこの事件をよくおぼえている。つたえられたあらましがあまりに奇妙だったからだ。行方がわからなくなった、というのがたぶん第一報で、つれさられた、との続報がながれたのは、それからすこしあとだとおもう。報道された断片によれば、被害者は小学5年生、祖父母と叔父と暮らす10歳の女児で、加害者はその近所にすむ40代の中年男。女児がかえってこないので、家族が警察に相談し、逃亡、いや誘拐か、があかるみにでたのだけれど、といっても、どうやら交流は以前からのようで、かれらの小旅行は、今回がはじめてでもないらしい。しかも、おとずれた沖縄で、ふたりは親子だといつわり、男がはたらく運転代行業者の寮に住み込んでいた。それまでの逗留先では、少女がみずから宿帳になまえを記していたという。金銭を管理していたのも男ではなく、女児で、那覇行きのチケットを買ったのも彼女だそうだ。男にたいする少女のふるまいは、傍目にかなり傲
*海に浮かぶ寺院、タナロットの夕日① 「アイハブノーマニー!」老人の形相がいきなりかわったので、内心ひどく狼狽したが、それでも毅然といいはなった。つもりだ。成功していたかどうかはわからない。さっきまで相好を崩していたのに、光の速さで微笑を封印し、真顔になるやいなや、かれは手のひらを突き出してくる。予想もしなかった事態にただ動揺するしかなく、いつのまにかまた半笑いになっていた。ライステラスの対岸には「テラスパディ」という名の瀟酒なカフェがあり、土手にいくつかのちいさな東屋がならんでいる。川沿いの棚田を望むその席で、観光客が何組かお茶をのんでいて、わたしもそこへ加わりたかったのだけれど、老人の奇襲にひるんでいたからか、車へ呼びもどされてしまう。ここは物売りがおおいからと、なぜかそわそわしながらガイドはいう。おおいからなんだってはなしだし、爺さんは物売りですらないが、どうやらかれは先をいそぎたい
*応接室の内装① 去年OLとこのへんを散策したとき、っていうかするまえ、どうせならせっかくだし鯛よし百番にもいきたいなーそうだねいきたいねって、いやどうだったかな、いきたいっていってたのおれだけのような気もするけれどとにかく、OLの出張まで一週間だか二週間だかをきった頃、憧れの元遊郭に(OLが)予約の電話をいれた。しかし、いまは営業を見合わせているとのことで、楽しみにしていた料亭での食事はかなわなかった。サミットが近かったので土地柄いろいろあったのかもしれない。それ以来すきあらばなかんじでたずねる機会をうかがっていたが、そのすきがなかなかなくて、いつかいきたいとおもいながらでもままならない、そんな日々を過ごしていた。のだけれど、さっちゃんが急遽大阪へくることになり、じゃあっていうのですかさず百番いきを提案、すると予約もすんなりとれて(っておれがとったんじゃねえけろ)念願かなってやっとおとず
*有馬玩具博物館5階「現代のおもちゃ」のフロア① そこは山峡の斜面にひろがる坂だらけの街で、その中心部に位置する有馬玩具博物館もまた、旅館や土産物屋が軒をつらねる石畳の急勾配に建っている。駐車場スペース(?)が半オープンの、バーのようなカフェのようなところになっていて、1階にミュージアムショップ「ALIMALI」と、ワークショップや工作教室がたびたび催されるガラス張りのアトリエ、2階にレストラン「花居森」を併設する、煉瓦づくりの真新しいビルは6階建てだ。むかいは赤褐色のしおからい湯(金泉)が噴きだす公衆浴場「金の湯」おなじ通りにはからくり細工をほどこされた人形筆の「灰吹屋 西田筆店」めのまえの坂道をあがった先に釜飯がおいしい食事処「くつろぎ家」このへんではいちばんにぎやかな地域で、近辺には複合温泉施設「太閤の湯」や瀟酒な木造旅館「陶泉 御所房」透明な銀泉が湧く外湯「銀の湯」のほか、さまざま
*アムールトラのセンイチ(オス)とアヤコ(メス) 新世界ほど混沌としている地域をわたしは他にしらない。なにしろ街の一画に通天閣とじゃんじゃん横丁とスパワールドとフィスティバルゲート(の廃墟)が寄り集まっているのだ。区を分かつとはいえ、5分もあるけば釜ヶ崎だし、そのさきは飛田新地。つまり平たくいうと魔境だ。そこに隣接して、旧住友家の名園慶沢園や茶臼山古墳、市立美術館などを有する天王寺公園がひろがっている。そしてここは、敷地面積の約半分を占める都市型動物園。入場門は新世界とつながっており、道を隔てたその正面に「SINSEKAI」のきいろいネオンもはなやかな東ゲートが立つ。園を一歩でたら極彩色の繁華街、裏側は高層ビルのたちならぶ商業地帯、というふしぎな立地は、動物園事情にうといため実際のところはよくわからないけれど、日本では(もしかしたら世界でも)かなり稀なのではないだろうか。 わたしはここへだ
*水面に色とりどりの玉が浮かぶスーパーボールすくいの露店 ここ数日は西宮神社のあたりをずっとうろうろしていたのだけれど、境内へはいった(というかはいれた)のは比較的すいている初日の午前中と最終日の終了間際だけだった。歩行者天国になっている神社まえの公道でさえ、ひとがあふれていてなかなかさきへすすめないくらいなので、とてもじゃないがその行列にくわわって参拝する気にはなれない。門がみえるところまでいってひきかえすということを幾度かくりかえした。十日えびすは商売繁盛を祈願する年初めの祭典で、全国のえびす神社の総本社である西宮神社のそれには、毎年100万人を超す人々がおとずれるという。屋台は阪神西宮駅から周辺の商店街をぬけて神社へむかう道路すべてに軒をつらねていて、えびす口の改札をでて階段をおりたらもうそこはお祭りだ。 このへんだけなのかいまではどこもそうなのかわからないけれど、焼きそば、お好み焼
封筒の消印と写真だけをてがかりに、実在するモニカをさがしだすまでのくだりは、まるでミステリーのようだった。そのスリリングな展開に、冒頭から不謹慎にも魅了されてしまう。つまびらかにされていくのはおぞましい現実だが、次第に謎がとけていく快感、そして昂揚がたしかにあった。ドキュメンタリーだけれども、文体はわりあい叙情的で、そのためかもしれない。ノンフィクションノベル風というか、あたかもサスペンス小説のような読みごこちだ。でもこれはフィクションではない。現実だ。やがてあきらかになるモニカの過去と現在、それはあまり過酷で、あまりにおぞましい。児童ポルノの被写体になったこどもたちの、その後をしりたいと、わたしはひそかにおもいつづけてきた。それはただの下世話な好奇心だ。もしも声をあげたならきっと、わたしのような不届き者の、不躾な視線にさらされてしまう。だからかれらは声をひそめている。よってそれはどこへも
「妹ジョディー・フォスターの秘密」が上梓されたのは1998年。妊娠が発覚して父親はだれだとさかんにさわがれていた時期だ。著者は実兄のバディ・フォスター。つまり身内による暴露本。なにそれひどい、とおもいつつよみはじめたら、さほど扇情的な内容でもなく、よかったようなそうでもないような。ジョディにしてみればやはりいやだろうけれど、ゴシップ記事のような書きぶりでないのが、まだすくいだとおもう。ややかたよった(とかんじられる)記述はあるものの、生い立ちと女優としてのキャリアを築くまでの詳細は、兄がつづる妹の伝記といった趣。うまれたときすでに両親が離婚していた彼女は、母親とその恋人、ジョーおばさんにそだてられたそうだ。芸名ジョディーはおばさんのあだ名「ジョー・D」からきているらしい。おさないころから利発で、とてもおとなびていた彼女。ずっとその日をまちわびていた、幼稚園の登園初日、ジョディはかえるなりこ
*いちごのショートケーキ(こどもがつくった) *海老と帆立のパエリア *ローストチキンとフライドポテト *ローストビーフ *メロンとプロシュートのサラダ *アンチョビポテトグラタン *チョコレートケーキ *クリスマス・イブの食卓 クリスマスブック―聖夜のための手づくりレシピ (2002/10) 藤沢 セリカHFC 商品詳細を見る
*神戸ルミナリエ2009/東遊園地・広場「光の宝石箱」「カッサ・アルモニカ」① 土日は混むのでそのまえにとおもい、赴いたのは金曜日の9時過ぎ。夫をさそうも乗り気ではなかったため、カメラをぶらさげてひとり。おもいかえせば去年もそうだった。旧居留地と東遊園地を占拠する巨大な電飾は、毎年かわりばえしない(ようにみえる)ものの、やはりうつくしい。でも、かの地ではたらく彼にとって、あれはうっとうしいオブジェでしかないようだ。人であふれる開催地周辺から、この時期はなるべく遠ざかりたいらしい。1995年にはじまった「神戸ルミナリエ」は今年で15回目。わたしが訪れるのはたぶん3度目。名の由来はイタリア語"ルミナリア"の複数形で、意味は"イルミネーション"今回のテーマは"L'abbraccio della Luce"「光の抱擁」使われた電球は約20万個だという。 最寄り駅は元町で、空いていればそこから10分
*陶器の置き物① ビエンナーレとは2年に1度という意味のイタリア語で、語源となったのは100年以上の伝統をもつヴェネチア・ビエンナーレ。世界中から美術作家を招いて2年に1度催されるこの芸術のお祭りは、徐々にひろがりをみせ、いまではさまざまな国や土地で開催されている。神戸で開かれるのは2007年に継いで2度目だが、日本では他に中之条、堂島、琵琶湖、姫路城でも実施されていて、初興行はやはりどれもここ数年のあいだ。ちょっとしたビエンナーレブームといえるかもしれない。また、3年に1度のトリエンナーレと呼ばれる芸術展もあり、これは東京,横浜、大阪、福岡などの大都市が会場となっている。主に80年代後半から90年代にかけて創設されており、こちらの方が日本での歴史はふるいようだ。ちなみに4年に1度だとクアンドリエンナーレ、年に1度はアニュアル、半年に1度はバイエニアル(wikiより) ビエンナーレをおとず
*第二展示室にそびえるナウマンゾウの化石 「きのこのヒミツ」展が催されていたネイチャーホールの真下もまた、ネイチャースクエアという展示室になっていて、大阪のおいたちと自然についてわかりやすく解説されていた。大阪湾で採れる海水魚や貝、淀川で暮らす淡水魚や水鳥、丘陵や山地に生える樹木、渓流に棲む昆虫や両生類、溜め池や水田の生きもの。各コーナーにはそれらの標本や剥製、化石がならべられ、生態や分布をしめすたくさんのパネル、周辺の地質図、近畿地方の活断層分布図などが貼られている。川魚のおよぐちいさな水槽もいくつか置かれていた。クジラの骨格標本が天井をかざるポーチをぬけて、別棟のホールへいけば、ナウマンゾウとヤベオオツノジカに出迎えられる。象牙色のタイルの壁にはマチカネワニの化石は張りついていた。ホールを半周すると第一展示室の入り口。テーマは「身近な自然」なかへはいると大阪の山林地帯にいきるシカやイタ
*変形菌って、なあに? 大阪自然史博物館で催されていた「第40回特別展 きのこのヒミツ きのこで世界はまわってる」ぼんやりしていたらいつものごとくいつのまにか最終日がちかづいており、ぎりぎりになってやっとおとずれたのは文化の日。博物館があるその公園はおおきくて、たどりつくのにすこしまよう。広場では縁日がひらかれていて、おでんや焼き鳥、牛串や焼きそばなどの露天がならんでいた。特別展の会場は花と緑と自然の情報センター2階、ネイチャーホール。常設展や植物園も観覧できるセット券は700円。あざやかな朱色のタマゴダケと、さびしげな名のついたヒトヨタケ(の置物)に出迎えられ、なかへはいると、マイナス40度で冷凍乾燥した原型とさほどかわらない標本群、繊維質が克明にえがかれた断面図の模型、直径20~30センチくらいはありそうなカラカサダケの実物大レプリカ、カメムシやアブラゼミの冬虫夏草、それからその日北海
ついに先日パソコンを手にいれた娘がマウスではじめて描いたもの。 *海と砂浜と貝殻とヨットとカモメと太陽 *ひだまりで目をほそめるしろい猫 ペイントであそぼう―パソコンのきほんをみにつける (子どものためのパソコンはじめてシリーズ 1 自由国民版) (2009/07/29) 山口 旬子 商品詳細を見る
*沈ませたカメラを空にむけ、水面ちかくを浮遊するクラゲを撮影したもの ロックアイランドの島々のうちのひとつ、マカルカル島のジャングルの奥、舗装されていない、道ともよべないような急勾配を、ロープにしがみつきながらのぼったさきに、その湖はあった。早朝PPR(パラオ・パシフィック・リゾート)の船着き場を出発し、さびついた大砲がいまだのこる洞穴や、沈没した戦闘機、石油缶の残骸が放置された、かつてのゼロ戦の給油地など、太平洋戦争の戦跡をめぐりながら海をすすんで30分、たどりついた島の桟橋からはおよそ10分。たいした距離ではないけれど、足場がわるいため息切れがする。滞在3日目に訪ねたジェリーフィッシュレイクは「ナショナルジオグラフィック誌」が紹介して以来、にわかに脚光を浴びたふしぎな汽水湖だ。くすんだ緑色のその湖は、大昔の地殻変動により、四方をロックアイランドにかこまれて、誕生したのだという。 おびた
*まるいトンネルのさきの、アンダマンを臨む石の池にうかぶ4つの東屋 エヴァソン・プーケット&シックスセンシズ・スパは、滝や蓮池のあるうつくしい庭園にかこまれた、瀟酒で、とても居心地のよいホテルだ。敷地のところどころ、階段の踊り場や屋外にも、おおきなふかふかのソファが置かれており、わたしはたびたびそこでうたたねをした。さらっとした麻のカバーに包まれたそれは、たいへん肌ざわりがよく、ねそべっているとついうつらうつらする。幸福な時間だった。場所は島の南端ラナイビーチの、アンダマン海を臨む丘、というか岬だろうか、すこし盛りあがったところで、そこにひろがる64エーカーもの土地すべてを、そのホテルが所有している。空港まではすこしとおく、1時間を欠けるくらい。周囲には海以外ほとんどなにもない。でもたいていのものはここにそろっていた。レストラン、バー、スパ、図書室、宝石店、土産物屋、卓球場、テニスコート、
*九条駅から徒歩1分のナインモール九条、アーケードの北が松島新地 *アーケードと新地をつなぐ道路にある立て看板、チリトリ鍋とホルモンの店 *松島新地の地図 ふとおもいたってそこをたずねたのは7月下旬、蝉がひっきりなしに鼓膜をふるわせる午後のおそい時間だった。塀のない飛田、というのが一瞥した感想で、それはそのままの意味もあるが、それだけではない。街にとけこんでいるというか、侵食されているというか、周辺とそれとを隔てるものがないせいだろう、さかいがあいまいになっている。通りの一画にマンション、料亭のとなりに居酒屋、むかいに町工場。国道とのつなぎめにはラブホテルも建っていた。あの陸の孤島のような、閉塞感はここにない。遊郭は娼妓を捕らえておくための牢だ。嘆きの壁はそれをいやでもおもいださせたけれど、ここはちがう。戦前からつづく遊郭の跡地ではないからかもしれない。 松島新地の前身である松島遊郭の
*韓国食材の店にならぶ各種キムチや味噌、海苔や生の唐辛子 鶴橋駅周辺は混沌としていた。わたしの知るどの場所よりもそこは面妖で、複雑怪奇で、そして野蛮なほど活気があった。地下鉄とJRと近鉄線の交差する鶴橋駅周辺には、それをとりかこむかたちで一大マーケットがひろがっている。鶴橋商店街、鶴橋西商店街、高麗市場、大阪鶴橋卸売市場、大阪鶴橋市場商店街、東小橋南商店街。駅を中心に東成区、生野区、天王寺区をまたぎ、これら複数の商店街で形成された大規模市場は、人と物であふれ、いりくみ、交ざりあい、混じりあい、巨大迷路の様相を呈している。敷地面積は甲子園球場の約2倍(といわれてもすごいのかすごくないのかいまいちわからないが)店舗数はおよそ800軒だという。ソウルの南大門市場をまるめておにぎりにしたような、つまりあれだ、なんかいろいろ凝縮されてるっていうか物理的にかたまってるっていうか、ソウルよりソウル成分が
*新地内で営業している食料品や雑貨の店 なんば線の開通を、わたしもそれなりにまち遠しくおもっていて、開通したらお試しチケット(三宮~奈良間1000円一日乗り放題)かなんか買って、沿線を散策にいくつもりでいたが、いつものごとくうすらぼんやりと日々すごしているうちに、いつのまにか発売日をすぎていた。チケットは即日完売だったらしい。今里、松島、生駒・宝山寺等、沿線には新地がいくつかあり、わたしはそこを巡りたかった。いちばんちかいのは松島新地。だけれど、鶴橋で食材を買いたかったのもあって、となりの今里新地をまずはたずねた。今里はなんばで近鉄奈良線に乗り換え、そこから4つ目。そのひとつまえが迷路のような商店街に包囲された鶴橋駅だ。とりあえず今里でおりて、メモをたよりに商店街をすすむ。「通りのなかほどに書店」「ハングルの看板が掲げられたきいろい建物を右」「入り口は交差点左側」ひじょうにこころもとないが
乾いた砂のうえに、ちょうど顎下からきりとられた、顔だけの死体が置かれている。置かれているのではなく、正確にはころがっているのだが、中央に映るその顔はまっすぐまえをむいており、わずかも傾いておらず、またねむっているような、薄目をあけてぼんやりとなにかをみているような、いずれにせよ幸福そうな表情をうかべているので、交通事故により切断された頭部だと一瞬のうちには判別しにくい。死体からは血がながれて砂地に沁みをつくっているが、白黒写真のためそれも影にしかみえず、オブジェか絵画のようだ。被害者はわかい白人男性。ととのった顔をしている。裏表紙にプリントされたこの死の場面は、しかし、まぎれもなく現実であって、それはほかの角度から撮られた、3枚の写真に、残酷なほど鮮明に映しだされている。一枚目は大破して横転した車と、その横につっぷした首無し死体、そして後方の道路に置かれた、いやころがった、被害者の端正な横
かつてくらしたぱっとしない田舎のありふれた風景を、一瞬にしてまがまがしいものにかえてしまった、あの不穏なポスターは、ある年の秋にいきなりあらわれた。それは街のそこかしこ、電柱という電柱にくくりつけらていた。むやみやたらと不安をあおり、情緒にゆさぶりをかけてくる、得体のしれない貼り紙。粗い筆でえがかれているのは、魂のみあたらない人間の顔だ。しろくてあおくてあかい。そのぎこちない、だが巧みにもみえる不吉な油絵(なのだろうか水彩画なのだろうか)のうえで「失神者続出!」「嘔吐注意!」「心臓のよわい方はみないでください」「ほんものの死体が映ります」などの物騒な惹句がおどっている。その筆致も殴り書きのように荒々しい。とうのむかしに見飽きていた、平坦な地方都市のたたずまいを、にわかにひずませたそれは、気配までもずっしりとおもくした。よく似たべつの、そしていまわしいどこかへまよいこんだかのようだった。よる
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『受難』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く