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アメリカ大統領選
koikesan.hatenablog.com
文苑堂書店会長の吉岡隆一郎さんがお亡くなりになったようです。 【訃報】吉岡隆一郎氏 81歳(文苑堂書店取締役会長)2024.10.29 吉岡隆一郎氏81歳(よしおか・りゅういちろう=文苑堂書店取締役会長)10月25日に病気療養中のところ死去。 https://book-link.jp/media/archives/17360 吉岡会長は、高岡市が藤子先生のふるさとであることを誇りに思い、藤子先生の業績を顕彰し伝えていく地元の活動に熱心に取り組んでおられました。そういうご縁でお会いしたこともあります。 文苑堂書店は、高岡在住時代の藤子先生が手塚漫画や少年雑誌などを買うためよく通ったお店です。『まんが道』でたびたび描かれたことで有名になりました。私は、タコに似た風貌の店主さんが主人公2人(満賀道雄と才野茂)の夢を応援してくれるシーンが大好きです。 吉岡会長からこのタコ似店主のモデルとなった人物
今年10月のことです。 漫画家・しのだひでお(篠田ひでお)先生が8月20日、82歳で永眠されたことが公表されました。 ■「日本海新聞」2022年10月26日付 https://www.nnn.co.jp/news/221026/20221026042.html しのだ先生には個人的にたくさんの薫陶を受け、たいへんお世話になりました。イベントをご一緒したり共にお酒を飲んだり。旅館で宿泊をご一緒したときは、夜を徹して語り合う勢いで深夜まで面白いお話を聞かせてくださいました。東京のご自宅へ遊びに行かせていただいたこともあります。 しのだ先生との思い出をひとつひとつ振り返るたびに、先生が他界されたことが悲しくて寂しくて、やりきれない気持ちになります。 そして、深い感謝の念がわいてきます。どれだけ感謝してもしきれない思いです。 ああ、しのだ先生……。トキワ荘時代からの親友だった藤子不二雄Ⓐ先生と一刻
気がついてみれば、今年も残りあとわずか。この一年を条件反射のように振り返りたくなる時期となりました。 当ブログでとりあげたいと思いつつタイミングを逸してしまった今年の話題がいくつかあります。 たとえば、今夏に『「たま」という船に乗っていた さよらな人類編』が発売されたこと。 バンド「たま」が好きで藤子不二雄ファンの私にとって、この単行本はその2種類の嗜好をばっちり満たしてくれる一冊だったのです。ぜひここでとりあげたいと思っていました。 そんなわけで、今ごろになって『「たま」という船に乗っていた さよらな人類編』について語ってみようと思います。 比類なき個性をもった伝説的バンド「たま」(2003年解散)。そのメンバーだった石川浩司さんが2004年に上梓した活字の自叙伝を、熱狂的な「たま」ファンの漫画家・原田高夕己さんがコミカライズ、双葉社の漫画配信サイト「webアクション」で2021年1月か
長年のあいだその存在が噂されながら幻であり続けていたアニメ『フータくん』のパイロットフィルムが、ついに発見されました。アニメ史上に刻まれるであろう、歴史的な発見です。 『フータくん』は、正式なテレビアニメ化は実現しなかったものの、アニメ化の企画が持ち上がってパイロットフィルムが制作され、広島をはじめ一部地域ではそのパイロットフィルムがテレビ放送されました。 そういうところまでは、熱心な方々の調査で確認されていました。 しかし、当のパイロットフィルムの所在は不明のまま、長いあいだ幻の作品、謎の作品であり続けていたのです。 当ブログでも、2006年時点で得られた情報から『フータくん』パイロットフィルムの謎を追ったことがあります。 https://koikesan.hatenablog.com/entry/20061207 そんな長らく謎に包まれていた幻のパイロットフィルムがついに発見されたこと
新年を迎えて間もなく藤子的に大きな新発見がありました。 今月8日のことです。En Mshrさんという方がTwitterでその貴重な情報をあげてくださいました。 https://t.co/UTaMweGCuQ 藤子先生のリスト漏れ作品が発掘されたのです! その作品は、「中国語」(大修館書店)という語学テキスト誌の1975年4月号から76年3月号にかけて連載されました。「文:富井義則 え:藤子不二雄」とクレジットされています。この「藤子不二雄」とは、絵柄からしてⒶ先生のほうですね。『劇画 毛沢東伝』(「週刊漫画サンデー」1971年1月2日号~5月1日号連載)を描いた漫画家、ということで依頼があったのでしょうか。 とくに作品タイトルはない感じですが、“会話”ページに掲載されているので、タイトルは仮に『会話』としましょう。 それにしても、この情報には驚きました。 藤子マニアや研究家が地道かつ精力的
先々月の話になるが、映画『猿の惑星』(1968年公開)と『続・猿の惑星』(1970年)のレンタル落ちビデオが、それぞれ100円で売っていたので購入した。 『猿の惑星』は何度観ても面白い。相対性理論のウラシマ効果から始まって、未知なる異世界の冒険、人間と猿の立場の逆転、科学と宗教の相克、痛烈な文明批判などなど、SFの魅力が分かりやすいかたちでふんだんに盛り込まれていて、“センス・オブ・ワンダー”の面白さにどっぷりとひたれる。 『猿の惑星』を初めて観たのは、子どものころテレビで放送されたときだった。衝撃的な結末と猿のメイクのリアルさに驚嘆した。世界が裏返るかのような意外性のあるどんでん返しの結末を観たときは、本当にショックだった。 猿のメイクのリアルさも、子ども心に鮮烈に焼きついた。猿を演じている役者さんたちは着ぐるみをかぶっているはずなのに、その着ぐるみの目や鼻や口が本物の生き物のようにリア
15日(水)発売の「コロコロアニキ」第8号を購入しました。 今号は「コロコロコミック」生誕40周年記念号でして、「コロコロコミック」創刊号の全ページを読めるシリアルコードが付録です。 人気マンガ家40人によるコロコロトリビュート祭がにぎやかで楽しいです。こんな漫画家さんまで参加しているんだ!という驚きも感じました。この祭のラストを飾るのは藤子不二雄Ⓐ先生で、忍者ハットリくんを描かれています。 私は、コロコロ創刊号はリアルタイムで読めなかったのですが、創刊まもない号から読んでいるので、コロコロとの出会いから40年近く経ったことになります。もともとドラえもんが好きな子どもだった私ですが、コロコロはそんな私をさらに熱烈なドラえもんファンへと導いてくれました。そして、現在まで続く“藤子ファン”としての私の強固な礎となったのもまたコロコロなのです。そればかりか、コロコロは、私の個人史のなかで“マンガ
11月28日(月)、てんとう虫コミックス『パーマン』新装版の最終巻(7巻)が発売されました。 7巻の中に「キテレツ大百科かわら版」が折り込まれています。来月から『キテレツ大百科』の新装版が発売されるのです♪ http://www.shogakukan.co.jp/pr/tencomi/kiteretsu/ 『キテレツ大百科』に続き、来年2月からは『エスパー魔美』の新装版も刊行開始です。 http://www.shogakukan.co.jp/pr/tencomi/mami/ 『パーマン』7巻は完結巻ですから、やはり最終エピソードの「バード星への道」が収録されているのがまずは大きな要点でしょう。パーマンのなかで4番目に優秀な1号がバード星の留学生に選ばれたその理由が、『パーマン』という作品を支える主題的な精神です。 なぜ1号が選ばれたのか。 バードマンは「みんなのなかでいちばん頭が悪くて弱虫
3月28日、てんとう虫コミックス『オバケのQ太郎』11巻(新装版)が発売されました。 今巻のQちゃんは、要人の暗殺を命じられたり、猛獣公園をつくろうとしたり、わんこそばに挑んだり、男性的魅力を獲得しようとがんばったり、キノコ狩りに出かけたりします。 収録作の一つ「結婚しよう」では、ドロンパがP子ちゃんにプロポーズします。大人になったら結婚しよう、という話ですから、結婚の早期予約みたいなものですね。P子ちゃんが想像するP子ちゃん自身の花嫁姿が(失礼ながら)笑えます。とくに、文金高島田をかぶった彼女の姿!全身まるごと文金高島田(笑) ドロンパは、P子ちゃんのお兄さんだからという理由でしぶしぶQちゃんを誉めます。Qちゃんの毛が3本もあることが何よりすごい、と誉めるくだりが私のお気に入りです。頭髪がふさふさの人がそんなことを言っても嫌味っぽいけれど、毛の一本もないドロンパが言えば(ドロンパの心にも
28日(木)、てんとう虫コミックス『オバケのQ太郎』9巻が発売されました。 Qちゃんが、魚拓ならぬ顔拓を集めたり、花見をしたり、探偵業を始めたり、潮干狩りへ行ったり、母の日にママへプレゼントしたり、ガードマンをやったりします。 冒頭に収録された話が「国際オバケ連合」です。1989年に「黒人差別をなくす会」からクレームを受けて、この話が載っている単行本が回収されたことがあります。その一件で話題にされがちですが、この話はなんといっても各国代表のオバケたちが大原家に大集合するところが醍醐味です。子どものころからとても印象深い話です。 「国際オバケ連合」がクレームを受けて単行本が回収されたのち、『オバケのQ太郎』という作品自体が封印状態になってしまったわけですが、藤子・F・不二雄大全集の刊行によってその封印が解かれ、「国際オバケ連合」は2010年刊行のF全集『オバQ』4巻に収録され現在の世に蘇りま
11月にメディコム・トイからVCD No.235「浦見魔太郎」が発売されました。 『魔太郎がくる!!』はアニメ化・ドラマ化などのオファーがあっても断っているそうですし、魔太郎グッズが市販されるなんて当面は難しいだろうなと思っていました。それだけに、メディコム・トイから魔太郎のフィギュアやTシャツがリリースされると知ったときは興奮しました。とくに、VCDシリーズの魔太郎フィギュアは画像で見るだけでも非常に魅惑的で、ぜひ欲しいと思いました。 ・注文にちょっと手間取って遅くなったのですが、ついに我が家に届きました! ・ワクワクしながらケースから取り出しました! ・横から見るとこんな感じです♪ ・この魔太郎フィギュアは、少年チャンピオン・コミックス第1巻の表紙を立体化しています。完成度の高さに満足。近ごろ手に入れたフィギュアのなかでは断然気分が高揚しました♪
本日25日(火)は、藤子・F・不二雄大全集の第2回配本『ドラえもん』第2巻、『キテレツ大百科』第1巻、『エスパー魔美』第1巻の発売日です。発売日が近づくとわくわく感が高まります。今後も数年間は、毎月のように25日あたりになるとF全集の新刊が発売されるわけで、このわくわく感がまだまだ持続すると思うと、さらにテンションが上がってきます。 『ドラえもん』第2巻は、「小学一年生」1970年1月号で『ドラえもん』第1話に遭遇してから「小学六年生」1975年3月号までのお付き合いだった世代が読んだ全63話が収録されています。1962年度生まれの人が小学生のあいだに読んだ『ドラえもん』が順番に読めるわけです。この「世代別学年繰り上がり方式」という収録方法は、想像以上に素晴らしいと実感しています。当時の読者がリアルタイムで読んだ順番を追体験できるということ自体がまず貴重ですし、1話完結型の話でありながらそ
6月30日ごろ、『まいっちんぐマチコ先生』で知られるえびはら武司先生の新著『藤子スタジオアシスタント日記 〜まいっちんぐマンガ道〜』(竹書房)が発売されました。 えびはら先生は1970年代のある時期、藤子先生のアシスタントをしておられました。本書では、そのアシスタント時代のさまざまなエピソードや藤子マンガの創作舞台裏などを、4コマ・8コマといったコママンガの形式で軽妙に描いています。 藤子ファンには興味深くてたまらない話題が満載!とくに、藤子先生のお人柄やふるまいや癖や創作態度などが伝わるエピソードには胸が熱くなります。 巻末には、A先生が寄せた「えびはら君へ」という文章や、F先生がえびはら先生にプレゼントした21エモンの色紙の画像が掲載されています。
「藤子不二雄Aランド」で読める作品のレビュー第2弾として、今日は『少年時代』をとりあげたい。 『少年時代』は、第58回芥川賞を受賞した作家・柏原兵三氏の小説『長い道』に感銘を受けた藤子不二雄A先生が、その『長い道』を原作に使い、自らの体験や創作を加えて執筆した骨太の長編ストーリーマンガである。 小説『長い道』は、昭和19年から20年の終戦にかけて、東京から富山の山村へ疎開した柏原兵三氏の実体験に基づいた自伝的小説。柏原氏が疎開していたのと同時期に、柏原氏が疎開していた村の近隣の村に疎開していた藤子A先生は、この小説を読んで、「これは自分の物語だ!」と深く共感し、いつか自分の手でマンガ化してみたいと思ったという。そして、昭和53年、「週刊少年マガジン」編集部から連載の依頼があったさい、「このマンガは人気投票の枠外においてほしい。昭和19年夏から昭和20年夏までの話なので、人気が出ないからとい
ドラえもん、誕生日おめでとう! あと98年たったら生まれてくるドラえもん。98年前に生まれた誰かをお祝いするのではなく、98年後に生まれる存在をお祝いするですから“すこしふしぎ”です(^^ そんな素敵で不思議な未来に精いっぱいの祝福をおくります♪ 記念すべき今日に合わせて藤子・F・不二雄ミュージアムへ足を運ぶ人も多そうですし、映画『STAND BY ME ドラえもん』を再び(あるいは初めて)観に行くという人もいるでしょう。私はそこまで出かけられないので、ささやかながら家で『ドラえもん』を読み返してお祝いしようと思います。 『STAND BY ME ドラえもん』といえば、8 月30・31 日の映画動員ランキングで4週連続1位を獲得しました。累計動員438万人、累計興収58億円を突破。歴代映画ドラえもんでこれまでの最高動員だった『のび太の日本誕生』(1989年)の420万人を抜いてトップに立ち
のび太くんの誕生日の翌日、8日(金)から公開の始まった映画『STAND BY MEドラえもん』を、公開2日目の9日(土)に名古屋ピカデリーで観てきました。もう少し早く感想をアップしようと思っていたのですが、タイミングを逸して今日になってしまいました(笑) (以下、映画の内容に触れていますので、ご覧になっていない方はご注意を) 藤子・F・不二雄先生の描いたマンガの『ドラえもん』から7つの短編(主に感動エピソード)を選んで再構築した映画……ということで、原作ではそれぞれ別個の短編をどうやって結びつけるのか気になっていました。が、ストーリーの全体をつらぬく明確な主旋律(ドラえもんがのび太を幸せにすることが目的であり、のび太の幸せとはしずかちゃんとの結婚であり、目的を達成したら未来へ帰らねばならないという条件が課せられていること)で7つの話を有機的につなげていて、自然にストーリーラインに乗ることが
先月30日、藤子・F・不二雄大全集別巻『藤子・F・不二雄の異説クラブ』が発売されました。 同作品は、1988年から91年にかけて小学館のスーパーサイエンスマガジン「ワンダーライフ」で連載され、単行本は、1冊目が1989年、2冊目が1991年に刊行されました。F先生が、地球空洞説、幻の動物、超能力、幽霊現象、終末論、恐竜などの不思議現象について、科学的知見や知的好奇心たっぷりに語っています。 ・『藤子・F・不二雄の異説クラブ』、過去の単行本2冊と、今回発売された全集版。 ・My First BIG『ドラえもん』[みんなよろこぶぐうたらの日編]の裏表紙に掲載された『藤子・F・不二雄の異説クラブ』の広告。 今回は、元の2冊の単行本に未収録だった「タイムマシン」「ロボット」の章を加え、初出順に収録した完全版です。どのテーマも、藤子F作品の題材となっているものばかりなので、F作品をより深く読むための
5月11日(日)、阿佐ヶ谷ロフトAで開催された「マチコ先生とハゲ丸が語るF先生」を観覧しました。『まいっちんぐマチコ先生』のえびはら武司先生と、『つるピカハゲ丸』ののむらしんぼ先生が藤子・F・不二雄先生について語るトークイベントでした。 えびはら先生はF先生の面接を受けて藤子スタジオに入り、一時期は1人でF作品のアシスタントを担っていたこともありました。しんぼ先生は、「コロコロコミック」などを舞台にF先生と同じ児童マンガのフィールドを歩み続けてきました。そんなお2人がF先生にまつわる(秘)エピソードを愛情たっぷりに楽しく濃く語ってくださいました。 私が阿佐ヶ谷ロフトAに到着したのは開場時間の昼12時をわずかに過ぎたばかりの頃合だったのですが、すでに大勢のお客さんが入っていました。最終的に、この会場における記録的な動員になったとか。 ・小学館第二コミック局などから花が届いていました。 ・MC
25日(金)、藤子・F・不二雄大全集・特別追加巻『名犬ラッシー』が発売されました。 http://www.shogakukan.co.jp/fzenshu/lassie/index.html ・初版のおまけとして、オールキャラ・ミニポスターがついています。 これをもって、2009年7月から刊行されてきた藤子・F・不二雄大全集(115冊)が完結となりました。「F先生の本格的全集が刊行される!」との一報に触れたときの驚嘆…、それから実際に刊行されるまでのあいだ「どんな全集になるんだろう」「どんな作品がどんなふうに収録されるんだろう」と期待した日々…、ついに第1期第1回配本が発売されたときの歓喜…、その後毎月のF全集発売日を楽しみにしてきたおよそ5年間の出来事を思い返すと、じつに感慨深いです。 今巻の巻末には、F全集完結に寄せたF先生の奥さまのコメントが載っており、読んでいてジーンとしてきました
先月の末ごろインフルエンザにかかってしまいました。20年以上発症していなかったので、ほんとうに久しぶりのインフルエンザ体験でした。 発熱がピークに達している最中はつらくて何もできませんでしたが、薬の作用で熱が下降状態に入ったとき(平熱までは戻っていないものの)退屈しのぎに本でも読みたくなりました。せっかくなので、身体が病的に熱を帯びたこの状態で読むからこそ特異な効果を得られそうな本を読みたい、と思いました。 かといって、あれこれ本を探索する余裕はなく、結局、寝床の近くに積んであった本の中から芥川龍之介の『地獄変』を手に取りました。この小説には、牛車の中の女が生きたまま焼き殺される炎熱シーンがあります。それが発熱でモウロウとした私の意識とどこかしらシンクロするのではないか…と少しだけ期待したのでした。 牛車もろとも若い女が焼き殺される場面は、まことにおぞましいです。そんなふうに生身の女が焼き
毎年この時期恒例の「このマンガがすごい!」(宝島社)が9日ごろから発売されています。 今年もランキング投票に参加させていただきました。個人的にはSF系の短編集が豊作だった気がして、それが私のランキングに反映しています。(私の投票結果は130ページに掲載) 「SF系の短編集が豊作だった」との私の印象にしたがって、今年単行本が刊行されたSF系短編集で印象深かったものを紹介してみます。(「このマンガがすごい!」に投票した作品かどうかは関係ありません) ●高橋聖一『高橋聖一のよいこのSF劇場』(小学館、2013年9月4日発行) この単行本が発売されたばかりの頃たまたま書店で見かけ、帯に記された「すこし不思議なSF劇場」という文言と、ひとつひとつの収録作品を紹介するコメントに心惹かれました。 以下の6編の短編が収録されています。 「よいこのSF劇場」シリーズ ・『紙製地球救出装置』 ・『宇宙船撃墜命
21日(月)に放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK総合)のテーマは「The Legend 僕は、のび太そのものだった 漫画家 藤子・F・不二雄」でした。 http://www.nhk.or.jp/professional/schedule/index.html#20131021 こうした硬派のドキュメンタリー番組でF先生が特集される、というだけで大歓喜でしたが、放送前から漏れ伝わってくる諸々の情報に触れるたびに期待値が上がっていき、放送がますます待ち遠しくなりました。待ち遠しいのだけれど、その待ち遠しい時間がもう少し長くてなってもいい、と思えるくらい、放送日を待っている時間も心地よかったです。 同番組で故人がテーマになるのはこれが初めて、というのも私の心を駆り立ててくれました。番組初の記念すべき試みにF先生を選んでくれたことに感謝です。 当日夜10時、ついに放送が始まります
ベトナムで販売されているドラえもんのCampusノートをいただきました。 ありがとうございます! ベトナムといえば、藤子・F・不二雄先生が最後に行った外国がベトナムだったことを思い出します。 F先生は、1995年12月に入院したさい、お医者さんから「もし何かやっておきたいことがあれば、今だったら無理してでもできるから」と言われ、翌年1月にベトナムへ出発しました。 なぜベトナムを行き先に選んだのか。 ベトナムでは1992年からキムドン社が海賊版の『ドラえもん』を売り始めました。海賊版だけで1000万部も売れたそうです。しかし、海賊版がそんなふうに流通してしまっているのは、もちろん大問題です。小学館とキムドン社の交渉によって、それまでに売れた海賊版『ドラえもん』の著作権料に相当する金額(10億ドン→約1000万円)をキムドン社が支払う、というかたちで話がつきそうでした。 ところが、F先生はその
26日(木)発売の「Cookie(クッキー)」11月号「ソウルコミック」のコーナーで、谷川史子先生が偏愛本を紹介しており、その一つとして『エスパー魔美』を挙げています。 高畑さんが「理屈じゃないんだよ、人を信じるってことは」と言う場面をピックアップしながら、谷川先生は「理想の男性をたずねられたときには“高畑君”と答えるほど、二人の信頼関係にはとても憧れる」と述べています。 「藤子・F・不二雄 生誕80周年記念イベントat KITTE」でも高畑さんのこのセリフが展示されており、私はそこに反応して当ブログで感想を書きました。 高畑さんって、本来は理屈っぽい人というか、論理的・科学的にものごとを思考するタイプなのに、この場面では理屈や合理性を超えて魔美を信じています。そこに私は心打たれました。そして、このセリフを噛みしめれば噛みしめるほど、高畑さんらしくないのに高畑さんらしい言葉だなあ、としみじ
終戦記念日の今日、藤子・F・不二雄先生の『T・Pぼん』「戦場の美少女」と、藤子不二雄A先生のコミックエッセイ『日本とぼくが生まれ変わった日 1945.8.15』を再読しました。 『T・Pぼん』「戦場の美少女」で凡とリームは、特攻が行われている真っ只中に飛び込みます。人の命が次々と散っていくのを目の当たりにしながら、その中でただ一人の命を救うことしかできません。救おうと思えば救えるのに、歴史の改変を防ぐため、特定の人しか救っていけない決まりなのです。そんな過酷な状況に置かれた2人の葛藤や苦しみが描かれていて、心が締めつけられました。 そして、ただ一人だけでも命を救えることの意味を、強く噛みしめました。 ・凡「落ちていく特攻機にも、ぶつけられる軍艦にも、それぞれ人間が乗っているんだぞ!! その一人ひとりに家族があるんだぞ!!」 ・リーム「どならないでよ!! あたしがへいきだとでも思っているの!
藤子プロさんから暑中見舞いハガキが届きました! ありがとうございます。 入道雲が、見憶えのあるかたちに!!(具体的には、バウワンコ王国の巨神像、ザンダクロス、パオパオ、天の川鉄道) 現在藤子・F・不二雄展開催中の東京タワーも見えます♪
本日(28日・火)、藤子不二雄A先生が「笑っていいとも!」テレフォンショッキングのコーナーに出演されました。 A先生ご入院・手術の報に衝撃を受け心配していただけに、A先生のお元気な姿を拝見できて感無量です。 「文藝春秋」のエッセイで“これからは病気自慢をしていく”みたいなことを書いておられたので、今回はご病気の話が中心になるのかなと思っていましたが、「歳をとって弱った」という表現はあったものの、病気について具体的に言及されることはありませんでした。 A先生がテレフォンショッキングに出演するのはこれが3度目なのですが、タモリさんの興味もあってか、毎度偏食の話題になります。 今回も、 “20歳のとき上京して手塚先生にウナギをおごってもらったことがある。ひと切れ食べたら鼻血が噴き出した” “食べることにあまり興味がない” “春先はタケノコ、夏はスイカ、秋はマツタケ、冬場は干した山菜を主に食べてい
本日(10日)発売の「文藝春秋」6月号に、藤子不二雄A先生のエッセイ“元気自慢がガン自慢に!?”が載っていると聞いて買ってきました。 A先生、以前の新聞記事では大腸ポリープとおっしゃっていましたが、実際は上行結腸ガンだったそうです。エッセイでは、診断から入院、手術、ICU、退院までが前向きに軽妙なタッチでレポされていて、A先生のその明るさにこちらが救われる文章でした。 A先生がガンだった、という発表は非常にショックですが、退院後のA先生に会われた方によると、退院後わずか10日でゴルフに2回行かれ、お酒も適度に飲まれているくらいお元気とのことなので、その点ではホッとしております。 A先生のガンに対する前向きな受け止め方も救いです。先生はガンとの診断にショックを受けながらも「できたものはしようがない。なるようになるだろう」と受け止め、これからは元気自慢をやめてガン自慢をすることにしよう、とおっ
本日(12日・金)に発売された「ビッグコミックオリジナル」5月増刊号にて、藤子不二雄A先生の自伝的マンガ『愛…しりそめし頃に…』の連載が最終回を迎えました。 『愛…しりそめし頃に…』の第1話が発表されてから24年、前作にあたる『まんが道』の時代も含めると、足かけ43年の長期にわたって描かれた大河マンガが幕を閉じたことになります。 『まんが道』シリーズは、これを“人生の聖典”と受けとめる人も出てくるほど、多くの読者に深い精神的影響を及ぼし続ける作品です。『まんが道』を読んで漫画家になったとかクリエイターを目指したという人の話をよく聞きますし、クリエイター以外でも『まんが道』の少なからぬ影響のもとで何事かを行なってきたという人はかなりいるでしょう。 そんな巨大で偉大な作品が最終回を迎えたのですから、一つの時代が終わった…という感慨すらおぼえます。 『愛…しりそめし頃に…』連載終了の一報を知った
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