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ドラクエ3
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ジャン=ポール・サルトル『文学とは何か [改訳新装初版] 』人文書院 (2015) 池田晶子『私とは何か:さて死んだのは誰なのか』講談社(2009) プラトーン著作集『〈第4巻 第3分冊〉「ある」ことと「知る」こと (櫂歌全書 11)』櫂歌書房 (2013) 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ "書くとは、自由を欲する一つの仕方である" P72 (『文学とは何か』) "自由とは、それによって人が自己を離れ、自己を解放することをやめない運動以外の何ものでもない。" P75 (『文学とは何か』) 「安易な表現の自由」 "嫉妬と悪意にがんじがらめのそんな姿のどこが自由だというのか" P99 (『私とは何か』) "言語がもつ崇高な力を最大限に利用したのがロマン主義文学である" P227 (『美学イデオロギー』) ーーーーーーー
読んだ本 引用元:版元ドットコム 引用元:版元ドットコム 三島由紀夫『文化防衛論』ちくま文庫 (2006) つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ アーレント「自己自身とのみ語ることは思考ではない。思考においては複数性が姿を現すのであって、それがすべての思考の政治的側面である」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 読みたいものが日々微妙にズレていく。これは何に起因するのか。何かが解決したからその次の問いに向かうのか。そうではない。問いは目の前に在るのではなく、夢のように、それは自分自身によって生まれはするが、しかし非自発的なものである。 ということを感じながら昨日のつづきを読み進めた。 ・・・ 「学生とのティーチ・イン
読んだ本 三島由紀夫『文化防衛論』ちくま文庫 (2006) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 この本には三島由紀夫の思想が詰まっているように感じた。 何故文学をやるのか。芸術をやるのか。三島由紀夫は自己規定の仕方について以下のように語った。 "おれは自我があるなんて信じたことはないよ。形式ということを考えている。フォルムがあれば自我だ。フォルムは個性でも何でもないんだ。フォルムがあればいいんだ。" P166 (神なき時代の生き方に関して) "そういうフォルムと自分を同一化することにしか、つまり自我を持つことができないんだ" P167 ジラールは、芸術は神に対する模倣だと述べた。 三島由紀夫は複雑な人間であるが、トーマス・マンに傾斜している点、武士道を貫徹した点からすればこの「同一化」と神に対する模倣(≒神と同一化)が等価に思われた。 また三
読んだ本 高橋和巳『日本の悪霊』河出文庫 (2017) 引用元:版元ドットコム 執行草舟『生命の理念 Ⅰ』講談社エディトリアル (2018) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 どこかの本で土居健朗『甘えの構造』の「甘え」とは「一体化」のことをいうと書かれていた。 今日は高橋和巳の精神と一体化したい気分であった。 『日本の悪霊』も読みごたえのある長編であったが、ひとまず200ページ読み進めた。 執行草舟氏は学生時代に高橋和巳の文学に浸っていたとのころで、何か心が揺さぶられるものがあったのだと私は解釈している。 また、全共闘時代の象徴的な作家でもある。 高橋和巳の文章を読むと、人生というものをいかに生き切るかという問題意識を所々に感じる。 しばらく高橋和巳文学と一体化したい。 ・・・ 大江氏と柄谷氏もまたマルクスと転向について語り始め、その次
引用元:版元ドットコム つづきを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 電子書籍の話や情報社会がもたらす弊害について語られた。 印象的な話としては、著作権や検閲をめぐる問題(Amazonは一時ジョージ・オーウェル『一九八四』と『動物農場』をKindleから削除した)に関して、昔と同じようなことが起きているという指摘があったことであった。 特段、これに関してはとくに何も意見を言うつもりはないが、Kindleは「ハード」、書籍は「ソフト」という側面である限り、所有という観点からすれば紙のほうが優れているという点は明らかである。(いきなり削除されたらたまったものではない) ・・・ TwitterやInstagramなど、あらゆるサービスが過剰となることによって人々はスマホに釘付けに
読んだ本 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 60ページほど夢中になって読んだ。 改めて思った。 プラトン、ソクラテス、池田晶子、執行草舟、岡本太郎。 これらの人生の偉大な先輩には間違いなく共通点がある。 それぞれ言い方には違いがあれども、死に対する構えは同じだと思われた。 池田晶子は武士道という言葉に触れてはいないが、執行草舟氏と同じようにヒューマニズムに対して批判的である。 24項のタイトルは「人生は量ではなく質」とある。 臓器移植という技術は「脳死」という言葉を生み、まるで脳が人格であり生命の核であるかのような錯覚に陥らせる。 池田晶子は「人は生きることが幸福である」というヒューマニズムの前提を「薄っぺらな生命礼賛」と喝破する。 ・・・ 執行草舟氏も同様に、ヒューマニズムを物質主義として批判。 物質主義は人間を動
引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 簡単なあらすじ 李徴という主人公は、今でいえばキャリア官僚の地位にいて博学であった。 上下関係に嫌気を感じ、詩人になるために職を自ら棄てた。 しかしとても食べていけず憔悴しきった挙げ句、再び東へ出戻りすることに。 同期は昇進し、李徴は気がだんだんおかしくなりいよいよ発狂。そして姿を消す。 ・・・ 読み終えてすぐにトルストイ『人生論』を想起させた。 無駄なことをしているうちにあっという間に時は過ぎ取り返しがつかなくなる。 仮にこの物語が主人公の余計なプライドに対するアイロニーを示唆するものだとしたら、主人公の「詩作」は無駄だったのかもしれない。結果としては惨敗に終わり、むしろ不幸一直線となってしまったのだから。 要するに文人となり名声や地位を手にし、目の前にいる人間をひれ伏せてやりた
ラディゲ『肉体の悪魔』新潮文庫 改版 (2004) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 (ネタバレなし) ラディゲ、モーリアック、モーム、三島由紀夫。ひとまず4つの作品を読み通して文学的な芸術世界に浸った。 物語を自分でつくってみて思うのは、正確な描写というものが意外と難しいというものであった。 これは作曲も同じように思う。 「楽しい曲」「悲しい曲」「感動的な曲」 以上のテーマを与えられた場合、つくれなくもないが、表現力という観点からみた場合、否応なく専門家からは合格点には届かないと判定されるだろう。 プロとアマの境界線。 この断絶をいかに乗り越えるか。 ・・・ 個人的にはこの4つのなかではモーム『月と六ペンス』が最も評価されるべきだと感じている。 モームの作品はまだこのひとつしか読んでいないが、この作品は構成力の観点からも抜きん出ているよう
読んだ本 引用元:版元ドットコム 高山秀三『三島由紀夫 異端の系譜学』風濤社 (2017) 引用元:版元ドットコム その他数冊 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 ニーチェがプラトン主義を批判したことはどこかで読んだ記憶があるが、攻撃対象は「論理学」にもあったことを保坂氏の本から学びとれた。(370ページあたり) (詳細は割愛、気になるかたはご拝読を) 結局のところ、再び認識論の話になるのであるが、何故言語にはパラドックスがあるのかということを考えてみた。(ラッセルのパラドックス等) これはおそらく、視覚においては「盲点」なるものが存在するように、言語においても盲点としてパラドックスが存在するのではないか、という考えに落ち着いた。 仮に主観が虚構であるならば論理学も自ずと虚構の産物に過ぎなくなり、結局のところ人類は表面的なことまでしか分からな
読んだ本 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 脳科学のコーナーに哲学や美学を横断的に語る本があったので購入。 中身は難しいが、様々な現代哲学のトピックが実証的な知見に依拠しながら語られる。 例えばAIによる自動翻訳がまだまだ完璧ではない原因としては、膨大な文章を統計的手法によって解析しても、意味をめぐっては人間が言葉を使用する際に、語られる対象と語り手との齟齬や「揺らぎ」があるために不確定的な側面を排除しきれないからということが書いてあった。 このことを美学上の問題と絡めながら個人的に考える日々を送っている。 そして本書にはさらに、ダーウィン以後の美学についても論じられている。 まだまだ読み込めていないが、オスが求愛行動する際に見
読んだ本 柄谷行人『近代日本の批評Ⅰ 昭和篇 上』講談社学芸文庫 (1997) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 定義というものは普通先にくるものであるが、文学史的には後からくるものなのかもしれない。 「いまふり返ればあれはああだった」 という具合に。 小説は芸術でもあるとされるが、今日の「大衆小説」と呼ばれるものに芸術性はあるのか。 純文学と呼ばれる小説は一般に芸術性を追求する小説と言われている。 しかし、本書によれば明治期の小説は「純文学」であった。 大衆小説と純文学、なにがどう違うのか。こういうのが現代人にとって混乱している、まさに今の自分がそうであった。 落合勝人『林達夫 編集の精神』を読んだことで理解したのは、関東大震災以後、急速に本が普及したことによって読み手が変容したことである。 本書によれば、夏目漱石らの近代文学の読み手は明
読んだ本 トーマス・マン『魔の山 (下) 』岩波文庫 引用元:版元ドットコム つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ 静寂主義・・・神の決定に従い、心を静かにする態度 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 塵も積もれば山となる。 上巻と合わせて約750ページ読み進んだ。 (以下ネタバレ含む) ・・・ ・・・ 今日も読みながら様々なことを書いてはメモし、思索を行った。 まずひとつ、個人的に教条主義というものが心のなかで引っ掛かりとなっている。 いくら根拠を並べ立て説得力のある論述をしようと、世の中の出来事は常に新しく、物理的にもあらゆる物事は一回性であるはずだ。 そんなときに、過去というもの、歴史というものはいかなる意味を持ち
トーマス・マン『魔の山 (上)』岩波文庫 つづきを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 つづきから最後まで8時間もかかってしまった。 (下) のほうはゆっくり読み進めたいと思う。 そしてよく見れば上下合わせて800ページではなく1100ページという怪物的な長さであった。 (以下ネタバレ有) ・・・ ・・・ ・・・ 執行草舟氏が『現代の考察』(毒を食らえの章) のなかで、「『魔の山』には毒が詰まっている」と語っていた。 読み終わってから、なんとなくではあるがその意味が理解できたように思う。 つまり、悪魔の「魔」であり、魔術の「魔」である。 前者は文明であり、後者が肉体であるように思う。 カ
読んだ本 引用元:版元ドットコム つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ ピカソ「私の芸術は破壊の歴史である」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 講義は芸術にシフトした。 芸術は個人的に関心の高い分野であるので集中して読むことができた。 芸術の章、530ページまで読み終える。 ・・・ 芸術はニヒリズムのなかで唯一人間が輝ける場所であると読んでいて感じた。 もちろん、多くの識者は現代芸術が資本主義においてはただの商品と成り果てていることを指摘しているが、それはひとつの側面であって、芸術の本質は資本主義を凌駕できるものだと感じた。 シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』は、知識の足りない自分には理解できず消化できないままとなってい
読んだ本 高橋和巳『憂鬱なる党派(上)』河出文庫(2016) つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 5時間ほどぶっ通しで読みつづけた。 230項までたどり着く。 革命、共産主義、全共闘。 今ではすっかり古くなってしまった運動であるが、彼らが日々何を考え、どのような問題意識を持っていたのかを知ることは、むしろ今日の幸福に見えながらもどこか空虚感を醸し出す福祉国家を捉え直す良き機会であり、有意義であると私は考えている。 ・・・ お金と愛、どちらが大事かという問いがある。 前者は定量化のできるものであり、後者はできないと考えられる。 定量化できるものは自ずと物質的なものであり、できない
読んだ本 引用元:版元ドットコム つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 戦争、文明、愛国心、善悪などについて語られた。 それぞれ深く入り込むようなことはなかったが、普段なかなか聞かない意見を聞くことができ、日記として書き残すことは非常に有意義だと感じる。 ・・・ 戦争は意志同士のぶつかり合いだと語られた。 善悪について考えるのは不毛だと述べる。 執行草舟氏は、原爆と水爆に関しては「人類の自殺」と語った。 文明の終わりの象徴だということで、物質に依存しつつある資本主義はギリギリにまで来ている。 執行草舟氏いわく、第二次世界対戦は騎士道と武士道の戦いだという。 愛国心とは自己犠牲の精
読んだ本 林達夫『林達夫評論集』岩波文庫(1982年) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 落合勝人『林達夫 編集の精神』だけでは林達夫という人物の人柄が見えにくいように感じたので、本書と併せて読むことにした。 nainaiteiyan.hatenablog.com 子供について、養鶏について語られたあとに大学論の話になる。 やはり、穏和な人柄が伝わってきたが大学論になるとやや辛辣で手厳しい一面も見せているように感じた。 60ページあたりから学問の公共性と私有性について語られた。 ここには資本主義に対する半ば諦めのようなものを感じさせられた。 学問の発達はすなわちの文明の発達でもある。(例えば蝋燭⇒LEDのように) 林達夫は学問の公共性と私有性のジレンマを語
読んだ本 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 相対主義と絶対主義の論争は終わっていないということを再度確認。 やや分厚い本であったので最後のほうをさらっと読んだ。 哲学者ラッセルが発見した「ラッセルのパラドックス」によってフレーゲは撃沈し、鬱状態となる。 『デカルトからベイトソンへ』においてもラッセルのパラドックスが取り上げられている。 (そして我々はパラドックスのなかでメタ・コミュニケーションを日常的に使用する。) nainaiteiyan.hatenablog.com フレーゲにあっけなく勝利したラッセルはその後、詳しくは分からないが数理論理学という舞台で天才の数学者ポアンカレと戦う。 しかしながらポアンカレが病死してしまったこと
読んだ本 荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために』東京書籍(2016) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 様々な在野研究者の半生が語られた。内容はどれも興味深く、一気に半分(120ページ強)ほど読み進めた。 そのなかでも野村隈畔と三浦つとむの二名が印象的であった。 (両方とも哲学を勉強したという点において) 特に自分は野村隈畔という人物になんらかの共通点があるように思い、共鳴した。 彼の堕落ぶり(?)に加え、権威に楯突く姿は岡本太郎を思わせた。 ・・・ 大学に所属せずに哲学研究で名を残した。 彼が「大学哲学/哲学」の区別するところに、池田晶子の考えに通ずる部分があった。 大学哲学は思想書の翻訳や紹介にとどまっていると批判した。 哲学「する」ことと
現代における言葉の無力感を考察2 – 読書梟の独り言
エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝』作品社(2016) つづきを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 独特な考えの持ち主だと感じた。 労働と思索の反復で若い時代を過ごしたが、労働は一日六時間以上するべきではない、等と語る。 幅の広い人間との交流を通じて、また、幅の広い読書経験を経ていろいろなものを吸収し、物事を広い視野でみている様子が伝わってくる。 ホッファーは、書くことは肉体的欲求のひとつだと語る。 これは同感する。 ただ、できればペンで書くべきである。 読んでいて、幼い頃の時のような好奇心を取り戻すべきであると感じた。 大人になれば形式や評価にとらわれて独創性を剥奪される。 そして表現力の幅が狭まっていく。 また、ホッファーは、D・H・ロレンス(小説家)が書くこ
読んだ本 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ 藤原氏「ナショナリズムとは自国の利益のみを追求する恥ずべき考え方である」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 藤和氏の本は面白い。 まだ読んでいない古典の話が盛りだくさんであったので読んでみた。 今日は内村鑑三と福沢諭吉の書いた内容について読んだ。 ・・・ 藤原氏は、大事なことは本の内容だけではなく、時代の文脈を読み取ることであると話す。 福沢諭吉『学問のすゝめ』は実学の重要性について説くが、当時は西洋によるアジアの植民地化を危惧してのことであって、藤原氏はその内容をそのまま現代に当てはめず、批判的に読んだと語る。 また、藤原氏は文学や哲学、芸術の「非実用性」に関して、ノーベル賞受賞者数と関連付けて語る。 実学の発達のみでは「
読んだ本 引用元:版元ドットコム 瀬戸賢一『メタファー思考』講談社新書(1995) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ プラトン「修辞学は哲学よりも劣る」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 メタファーは真理を語らない ドイツの詩人であり批評家であったレッシングはそのように断言した。 今日、言葉は無力である。 無力であるどころか、凶器にもなっている。 言葉の無価値性は何によるのか。 そこを考えたい。 ・・・ メタファーとアナロジーの違い 『メタファー思考』によれば、メタファーは「点」であり、アナロジーは「面」なのだという。 メタファーは言い換えのようなものである。 ドイツの作家、ジャン・パウルは世界について、「いまだみえざる分母のための分子と表現した。 式で表すことができる。 「世界=いまだみえ
読んだ本 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 絶対に手放したくない愛読書のひとつである。 この人はただのおじさんではない。 岡本太郎は、芸術家になる前は哲学、社会学、民族学などをフランスのソルボンヌ大学で学んでいた。 戦争も体験している。 また、死後も依然として思想界で名を馳せていて、今日でも新しい研究書や新訳が出るジョルジュ・バタイユとも友人であった。 本書は繰り返し何度も読んでいる。 今日も読んだ。 そしてひとつ気がついた。 本書の「芸術」という言葉を「人生」に変えても意味が伝わることに。 芸術は爆発だ=人生は爆発だ (岡本太郎の言う爆発とはわき上がる情熱のようなものである。宮台真司用語でいう内発性である。) 岡本太郎の芸術三
読んだ本 引用元:版元ドットコム つづきを読み進めた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 350項ほどまで読み進めたが、悲惨さに嫌気が差し結末をさらっとよんだ。 高校までに最低限のことは学んでいたが、当然のように知らなかったことが次々と目に入ってきた。 今日の段階では赤軍がベルリンを占領していくページまでは読めなかったが、ヒトラー暗殺未遂事件から1945年の2月頃までの全体像が明らかになった。 ドイツの敗戦ムードが高まるにつれ、法が機能しなくなり混乱の度合いが加速した。 ソ連は報復として、一層残虐性が強化された状態でドイツに侵攻。 西部は連合軍が侵攻し、末期のドイツと比べものにならないほどの圧倒的な兵
読んだ本: 引用元: 版元ドットコム つづきを読みすすめた。 nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 本書の山場と思われる章を読んだ。 学者の意見と素人の意見がぶつかり合い、弁証法のように新しい案が生まれる。 例えば、素人はカントの使う専門用語が文章に散りばめられると読む気が失せてしまう。 駒井氏はそれを使わないで書けるかどうか相談。 しかし学者は専門用語のない新訳を読んだところで、別の著書を理解できないと指摘。 駒井氏は上司の言葉を思い出す。 かたちだけの新訳などいらない。 そして専門用語のない新訳が生まれた。 ハッとしたのは、ドストエフスキーの読みにく
読んだ本: 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ アリストテレス「悪しき人が幸せな生活を送ることは不可能」 "道徳教育の最も重要な役割の一つは、正しい方向で推論することをわれわれに教えることである" P379 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 倫理学は議論のための議論と揶揄されることがある。 個人的にも、そう思うことはある。 ただ、何故そうと言えるのかハッキリ言える力が自分にはないので読んでみた。 ヒュームの法則によれば、「~である」という命題から「~すべきである」という推論を引き出すことは不可能であった。 (『社会科学の哲学入門より』) nainaiteiyan.hatenablog.com そういう意味では、道徳を客観化する試みは不毛に思えるが、その「理由」について勉
今日読んだ本: 櫛原克哉『メンタルクリニックの社会学』 岡本祐一郎『アメリカ現代思想の教室』 塩谷舞『ここじゃない世界に行きたかった』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ 今日はとっていないので省略 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 ポストモダン系の思想は資本主義のオルタナティブ (alternative:代替の) を示せていないということは仲正氏『ポストモダン・ニヒリズム』においても書かれていた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ラカンの精神分析を社会理論に応用した左派中の左派、哲学者スラヴォイ・ジジェクもオルタナティブを示せていないとされた。 そんな行き詰まりのなか、近年では少し動きがあると書かれていた。 例えば「新反動主義」が挙げられた。 昨日も書いたように、リバ
今日読んだ本: フローベール『ブヴァールとペキュシェ』 ハン・ミファ『韓国の「街の本屋」生存探求』 仲正昌樹『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』 チャールズ・テイラー『自我の源泉』 岡本祐一郎『アメリカ現代思想の教室:リベラリズムからポスト資本主義まで』 三浦展『昼は散歩、夜は読書。』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ マルクス「存在が意識を規定する」(孫引き) 小林秀雄が語る福田恆存⇒「彼は良心を持った鳥」 アマゾンも実はオフライン書店を次々とオープンしている。 ⇒ビジネス上、実店舗も必要と判断されている証拠。 2010年代以降、韓国において個性的な個人書店の増加。 ⇒大企業が小さな本屋を食い潰すという法則を破る 別名、超ニッチ本屋 例:思考に関係する本だけを並べる ターゲット:広告系やクリエイティブ系の会社
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