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『図書館雑誌』2021年9月号(vol.115 no.9)が届いた。特集は「地域資料のいまとこれから」。 とにかく、福島幸宏「地域資料の可能性」(p.568-571)は必見。著者のこれまでの図書館再定義論に関する文献と、関連する他の論者による主要文献に言及した、自身によるレビュー論文とでもいうべき論考で、ここを起点に、注記にある各文献にアクセスすることができる。今後、議論を深めるための起点を提供する一本。地域における社会運動や、ボーンデジタル情報への目配りも。それにしても、この論考が図書館雑誌の特集冒頭を飾る時が来た、ということ自体が事件かもしれない。 特集では、取り組み事例として、青森県立図書館デジタルアーカイブ、とっとりデジタルコレクションといったデジタルアーカイブや、丹波篠山市の地域資料整理サポーターの活動、埼玉県立小川高等学校を中心とした「おがわ学」における町立図書館の貢献、福岡ア
次のツイートについて、それなりに反響があったので、若干補足がてら考えたことをメモしておく。 NDLのデジタル化品質の話から転じて、マイクロからのデジタル化批判まで話が広がっているが、話題となった資料 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966461/6 のデジタル化日は2006-03-31 とあるので2005年度だろう。この時期にマイクロからデジタル化するより低コストで大量のデジタル化が可能な選択肢があったかどうか。 — Toshiyasu Oba (@tsysoba) December 28, 2020 元々の問題は、当該資料の小さい字が読めないが、それについて改善を求めるための窓口も明確ではない、という話をTwitterに投稿された方がいたところから始まっていて、その指摘自体については、特に反論の余地はなかったりする(とはいえ、まだ新たにデジタル化す
慶應大学三田キャンパスで開催された、三田図書館・情報学会月例会に、根本彰先生の「教育と図書館の関係について考える」という発表を聞きに行ってきた。 レジュメが論文形式で書かれていることを考えると、何か別の形で発表される可能性もあるので、内容について詳しく紹介するのはやめておく。 (2020-02-03 補記)当日の資料は、根本先生が事前に次のご自身のブログで公開されていたので補記しておく。 三田図書館・情報学会月例会「教育と図書館との関係を考える」発表原稿(オダメモリー) 資料へのリンク 当日の発表も、大筋は資料の通り。ただし、前半に集中的に口頭での補足が入って、終盤はかなり端折った展開になっていたので、資料だけ読むと、若干印象が異なるかも知れない。(補記ここまで) 一応、内容をざっくり言うと、「図書館」という枠組みを一旦踏み越えて、個人が自分の知を構築していく営みと、社会がそれを共通の確立
もう1年前になってしまったのたけど、ver. 0.1 https://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2018/06/ver-01-db25.html を公開した後も、色々つらつらと考えていた。とはいえ、1年前に書くのが難しかったことが、突然書きやすくなるわけもなく……というわけで、ますます中途半端なのだけど、とりあえず公開しておく。なお、主な変更点は、0の追加と、1と2への追記。 0 「デジタルアーカイブ」の源流について 「デジタルアーカイブ」という用語については、月尾嘉男氏が提唱した和製英語、というのが、通説になっている。用語の誕生の背景や、草創期の状況については、笠羽晴夫氏の整理が参考になる。 笠羽晴夫「デジタルアーカイブの歴史的考察」映像情報メディア学会誌, 61(11)[2007], p.1545-1548. https://doi.org/10.31
2018年10月13日にお茶の水女子大学で開催された、アート・ドキュメンテーション学会第11回秋期研究集会に行ってきたのでメモ。あくまで個人の聞き取れた範囲のメモと感想なので、その点、ご留意を。 ちなみに当日は、他の複数の学会が開催され、さらに午前中には附属小学校の保護者説明会も開催されていて、JADS(アート・ドキュメンテーション学会の略称)の会場はどこ?状態に。ただ、構内の案内図や標識がわかりやすく、何とか会場の共通講義棟にたどり着いた。 とりあえず、会場前に男子トイレの場所を確認。本題と関係ないけど、あれだけ男性参加者がいて、休憩時に混乱が起きなかったことを考えると、公共施設におけるトイレ面積の男女比率は考え直すべき、って気がする。 開会挨拶は、会長の前田富士男先生から。来年度は学会創立30周年ということで、学会が果たす研究支援の役割について、他分野の研究者との対話の経験などの紹介な
ある方から、大学の講義で、デジタルアーカイブについて論じる際に、デジタルアーカイブの基本にある考え方・哲学について、最低限知っておいてほしいこと、知っておいてもらいたい取組みを教えてほしい、との相談があって、考え始めたのだけど、とてもじゃないがまとまらないので、暫定版をとりあえず公開しておく。 一応、大学の講義等で活用できるように、ネットで読めたり、現在も新刊で入手できる文献を中心に紹介している。とはいえ、自分の狭い知見の範囲で書いているので、色々と、そこじゃねーよ、とか、むしろこっちだろ、という突っ込み所はあるかと。 1 ハイパーメディア/WWW 明示的に議論されることがほとんどない気がするのだけど、デジタルアーカイブの背景には、アラン・ケイのダイナブックや、ティム・バーナーズ=リーのWorld Wide Webのビジョンが存在している、と思う。何故なら、デジタルアーカイブで、こういうこ
2018年6月16日・17日に開催された科学基礎論学会2018年度総会と講演会( http://phsc.jp/conference.html#2018 )の日本科学史学会との共催ワークショップ「学術誌の電子化と将来を多面的に考える」に参加してきた。日時、開催場所は次のとおり。 日時: 2018年6月17日(日)14:40~17:10 場所: 千葉大学(西千葉キャンパス)法政経学部棟106講義室 予稿は、科学基礎論学会学会のサイトに掲載されている。 趣旨説明 司会者兼オーガナイザ:松本 俊吉・伊勢田 哲治 http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-1.pdf 伊藤 憲二 - 学術雑誌の科学史的研究:査読システムと学会との関係を軸として http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-2.pdf 土屋 俊 - 「電子ジャーナル」以降つまり
三省堂書店池袋本店古本まつり(2018年2月6日~2018年2月12日)で入手した本について、備忘として(書いとかないと、何買ったか忘れる…)。 ○筒井嘉隆『町人学者の博物誌』河出書房新社, 1987 http://id.ndl.go.jp/bib/000001837460 動物学者で、戦前から天王寺動物園や、自然史博物館等の文化施設に関わった人物……というより、筒井康隆の父親、と言った方が早いか。各所に書いたエッセイや、対談、回想録などを集めた一冊。梅棹忠夫との対談や、筒井康隆との親子対談もあり。 本書をパラパラと見ていると、現在も続く、大阪市立自然史博物館の活発なアウトリーチ活動の原形を作った方なのかも、という印象を受けた。動物園史、博物館史的に気になる本だったので、そのうち買おうと思っててずっと買ってなかったんだけど、お手ごろ価格だったので入手。 ○寿岳文章『和紙風土記』 (日本の美
静嘉堂文庫美術館(http://www.seikado.or.jp/)の「挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界〜」展(2017年4月15日〜5月28日)の感想、というかメモ。 挿絵という切り口と、いくつかのテーマを掛け合わせる形で、静嘉堂文庫所蔵の古典籍を紹介する、といった趣向。以下、とりあえず、若干メモを取った内容を忘れないうちに。 「神仏をめぐる挿絵」のコーナーでは、南宋期の写本『妙法蓮華経変相図』が今回初公開。妙法蓮華経全体の絵解きが含まれている点でも珍しい模様。江戸時代後期の姫路藩家老の河合道臣(1767-1841)旧蔵。他にも、斯道文庫蔵の『仏説仁王護国般若波羅蜜経』(楊守敬、黎庶昌旧蔵)、『太乙集成』(明の宮廷で制作された彩色写本)なども。 「辞書・参考書をめぐる挿絵」としては、南宋刊の科挙の参考書(礼記関連3点、詩経関連1点)が、いきなり並んでいて圧巻。それにしても、受験
利根川樹美子 著『大学図書館専門職員の歴史 : 戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』勁草書房, 2016 http://www.keisoshobo.co.jp/book/b214134.html を読了。 自腹を切ったので、一言文句を言わせて貰えると、最初の読者に恵まれなかったのかな……という印象が強い。注記のリンクミスや付与漏れ、論点先取的な論述がなされている部分、箇条書きの項番付与漏れなど、誰かが一度丹念に読んでいれば回避できたのではなかろうか、というところが、ちらちらとあり、読んでいてつい気になってしまった。 とはいえ、書いてあること自体は非常に興味深く、特に1960年代の岩猿敏生氏を中心とした専門職論の先駆性と、それらの議論が生かされることなく、公共図書館職員を中心とした待遇維持を中心とした論理に阻まれていく過程を論じるくだりは、「官製ワーキングプア」とまで言われてしまっている
まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.
またえらく間が空いてしまった。 河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版) http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html をようやく読了。途中、風邪引いたり色々調子崩したりしながら読んでたので、時間がかかってしまった。 出版社のサイトにもPDFが掲載されている「はじめに」 http://www.nakanishiya.co.jp/files/tachiyomi/9784779508783hajimeni.pdf には、「初学者にむけて、この分野の持つ裾野の広がりと、現在における研究の大まかな到達点を示す」という「狙い」が書かれているのだけど、正直「初学者」レベルたっけーな、おい、という気分になるところもちらほら。とはいえ、これからこの分野に挑戦しようとする人に対して、変にハードル下げない、というのは、学生向
富士川英郎『鷗外雑志』小沢書店,1983. http://id.ndl.go.jp/bib/000001634308 をようやく読みえた。富士川英郎(1909-2003)は、ドイツ文学者であるともに、江戸時代後期の漢詩の紹介に活躍し、また、文学や書物を題材にしたエッセイを多数残したことでも知られる。 まずは目次を書き起こしておこう。 Ⅰ 森鷗外の史傳をめぐって 『伊澤蘭軒』のこと 『伊澤蘭軒』をめぐって Ⅱ 森鷗外と三村竹清 森鷗外と呉秀三 森鷗外と喜田貞吉 あとがき 初出一覧 実は、子息である富士川義之氏による『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館, 2014)の方を先に読み終わっていて、そちらの感想を書こうと思っていたのだが、近所の図書館でこの『鷗外雑志』があるのを発見して、うっかり読み始めてしまったのが運の尽き。富士川英郎の本は、斜め読みができない。引用と細部にこそ味わいが
本書を読み始めた途端に、2014年5月10日に亡くなられた中山茂先生の訃報を知った。闘病されていることはブログなどで知ってはいたが、それでもここ数年、次々と新著を出されていたので、まだまだお元気なのかと思い込んでいたのだけれど。今更ではあるが、慎んでご冥福をお祈りいたします。 本書は、1974年に刊行された『歴史としての学問』の改題増補版。特徴は、中山先生ご自身のあとがきに尽くされている。少し長くなるが引用する。 「終日図書館にこもって、一字一句脚注で資料づけを固めてゆく作業をしていると、反動的にとかく学問の本質について大言壮語してみたい、大風呂敷を拡げてみたい、という欲求に駆られるものである。しかし、このような大言壮語は、厳密性をたっとぶアカデミックな学術雑誌の論文としてはなかなか書きにくい。こうしたモヤモヤに何とか形を与えたのがこの本である。いや、形を与えたというにしては、内容が粗雑で
先日、ちょっとした家庭内レファレンスで苦労したので、その過程を忘れないようにメモしておく。 内閣文庫の林羅山の展示(平成25年度連続企画展「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」 http://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_25_6.html)がきっかけなのだが、相方から「昌平坂学問所の資料ってどういう過程で内閣文庫に入ったんだっけ」との疑問が出された。 二人ともまずは長澤孝三『幕府のふみくら』(吉川弘文館, 2012)があれば手掛かりが何か書いてあるかもしれない、というのは思いついたのだが、こういう時に限ってどこかに埋れてしまって、出てこない。 やむなく、他に何かあったかな、という家捜しが始まった。 まずは、『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店, 1999)を見てみたが、林羅山や昌平坂学問所などの項目には資料の来歴についての記述は
2013年12月31日に流れてきた、大瀧詠一師匠の訃報には、本当に驚いた(12月30日没)。 とりあえず、ナタリーの記事にリンクしておく。 大瀧詠一が急逝(ナタリー 2013年12月31日 12:35) 師匠(他にふさわしい敬称が思いつかない)の書いたものや、ラジオでの語り(といっても、あんまり聞いてない駄目なファンだったのだけど)から、自分が学んだことを今振り返って整理すると、次の3点に集約されるんじゃないかと思う。 (1)あらゆるものには前史がある ロックに関しては、自分こそがオリジナルだ、とか、さもなきゃ何でもかんでもビートルズから始まった、と書いとけば何とかなる世の中だが(偏見)、ビートルズのハーモニーはエヴァリーブラザーズを踏まえているし、ビーチ・ボーイズのハーモニーはフォーフレッシュメンを踏まえていたりする。真のオリジナリティは、巨人の肩の上に乗っかって成立するのだ。 一部のア
岩波書店の『思想』2009年第6号(no.1022)の後半が、グーグルブック検索裁判和解問題特集になっていたので、難波に出てジュンク堂で購入。田舎の普通の本屋じゃ、売ってないのだった。 中身はこんな感じ。 福井健策 「グーグル裁判」の波紋と本の未来 (p.143-146) 宮下志朗 作者の権利、読者の権利、そして複製の権利 (p.147-156) 長谷川一 〈書物〉の不自由さについて: 〈カード〉の時代における人文知と物質性 (p.157-165) 高宮利行 書物のデジタル化: グーテンベルクからグーグルへ ダーントン論文への重ね書き (p.166-172) ロバート・ダーントン著、高宮利行訳 グーグルと書物の未来 (p.173-185) 最後のダーントン論文は、冒頭に編集部が断り書きを入れているとおり、ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年3月号に掲載(配信)された、「グ
2009年2月21日(土)に、第3回ARGカフェ&ARGフェスト@京都に参加。 ずっとブログの更新をさぼって来たのだけれど(ここのところ、仕事以外に文章を書く気力が出てこなくて)、岡本さん@ARGが、ブログに書け、と呼びかけていたので、ちょっと乗っかってみる。 プログラムについては、ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版の2009-01-18(Sun): 第3回ARGカフェ&ARGフェスト@京都への招待(2/21(土)開催)を参照のこと。 (2/23追記)2009-02-21(Sat): 第3回ARGカフェ&ARGフェスト@京都を開催も参照のこと。特に関連リンクはこっちの方が充実。 まずは第1部について。それぞれ持ち時間5分でのライトニングトーク。 冒頭、岡本さんから京都の飲み屋の紹介文化(どこの飲み屋でも、「○○を飲めるいい店はないか」と聞くと教えてくれ
随分前に読了はしたものの、宿題にしていた一冊。 安井一徳『図書館は本をどう選ぶか』(勁草書房, 2006)は、「図書館の現場」シリーズの一冊。著者の卒業論文「公共図書館における図書選択の理論的検討」の増補改訂版ということになるのだけれど、実際に両方を適当に選んだ部分で比較してみたりすると、書き換えが少ないことに驚かされる。卒論にして何という完成度か。あ、あと、卒論版のタイトルから分かるように、本書における「図書館」とは、公共図書館(≒地方公共団体立図書館)を指しているのでご注意を。 全体は、論点を提起する序章(「第1章 図書選択の正統性とは」)で始まり、これまでの図書選択論に関する研究史を整理した部分(「第2章 アメリカの図書選択論」「第3章 日本の図書選択論」)と、現在の日本の図書選択論が抱えた問題点が様々な面で露呈した「選書ツアー論争」について分析した部分(「第4章 選書ツアー論争」)
屋名池誠『横書き登場 日本語表記の近代』(岩波書店岩波新書, 2003)を読了。『季刊・本とコンピュータ』2004年春号で、著者のインタビューを先に読んでしまったので、慌てて積読本を捜索した結果、無事発見されたもの。 何というか、単純に、誰もやっていなかったことをやってのけるというのはすごい。著者は、右から左への横書きというのは一行一字の縦書きだ、という通説を確認しようとするところから出発して、近代日本における「書字方向」(縦か横か、右から左か、左から右か)の変遷を厖大な資料群を渉猟することで、実証的かつ理論的に語ってみせてくれる。巻末には、調査対象になったコレクションのリストがあって、全国の図書館、特殊コレクション、自筆原稿、マイクロ版集成などを駆使したことがわかる。圧巻。 右から左に書く横書き(これを、「右横書き」という、とのこと)、というのは、日本に伝統的にあったものであるかのように
色々ありすぎて、ブログの更新まで手が回らず。なんだかなあ。 前川恒雄・石井敦『図書館の発見 新版』(日本放送出版協会, 2006)は、なんともコメントが難しい。 とりあえず、 書物蔵(しょもつぐら): 前川氏はふつうの人だった… http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060126/p1 と 愚智提衡而立治之至也: 人生の夕映え http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2006/02/post_13f2.html 愚智提衡而立治之至也: 人生の夕映え:追記 http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2006/02/post_4882.html で、論じられるべきポイントはほとんどおさえられているのではなかろうか。 というわけで、私ごときが上の各エントリー
先日(2005年11月26日)、久しぶりにマンガ史研究会に参加してきた。 発表テーマが「マンガと公共図書館」では、こりゃ何としても行かねばなるまい。 発表者は横浜市立中央図書館の吉田倫子さん。雑誌記事索引で確認すると、ヤングアダルトサービスや、公共図書館におけるマンガの扱いに関して、継続して発言されてきている方だということがわかる。 おそらく今回の発表内容についても、何らかの形で文章にまとめられるのだと思うので(期待してます)、内容の詳細についてここで紹介することはしないが、とりあえず(私なりにまとめた)要点はこんな感じ。 ・最近の日本におけるコンテンツ振興政策には、保存やアーカイブの視点が欠如している。 ・行政だけの問題ではなく、研究者や評論家も、マンガの保存の必要性について、積極的な発言を行なっていない。(大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川書店角川oneテーマ, 2
会期最終日駆け込みで、[板橋区立教育科学館「いたばしアニメ博」](https://www.itbs-sem.jp/exhibition/special/2023itabashi-anime/)(会期:2023年12月23日(土)-2024年2月4日(日) )を見に行ってきた。 最寄り駅は東武東上線上板橋駅。駅から歩いて5分ほどで到着。 前日に上映イベントがあったそうだけど、そもそもこういった展...
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